第12話 オタク
考え方を変化させてからの高校生活は比較的楽であった。相変わらずクラスでは孤独であったが、以前の「自分が致命的に劣っている為にクラスで落ちぶれている」から、「自分が劣っているのは事実だが、あいつらも大概しょうもない」まで見方を変える事ができた為、メンタル的にはだいぶマシだった。進路に関しても、目標の大学には遠く及ばなかったが、まあギリギリ名前を言っても馬鹿だとは思われないだろう位のレベルの大学に、志望していた法学部で入れた。そんなこの頃にもう一つ、その後の人生を変えた、もしくは狂わせた、ある物との出会いが訪れる事になる。それが、アイドルであった。
きっかけはこれも件のインターネットテレビだった。お目当ての番組以外の時間も、暇があればそのネットテレビを覗くようになっていた僕は、そこでとあるアイドルグループが持っていた番組を観る事になる。『中野腐女子シスターズの腐ジョッキー』というその異様なタイトルの番組は、中野腐女子シスターズというアイドルグループのメンバーがトークをしたり様々な企画に挑戦する、そのネットテレビ内でも比較的人気の番組だった。
中野腐女子シスターズは、同じネットテレビ内の企画で誕生した、言わばバラエティ番組発のアイドルグループだった。その当時は、そんなのがよくあった。お笑い芸人のはなわ扮する、“ジャジィはなわ”なる人物がプロデューサーであり、メンバーは全員何らかのオタク。全体的に設定がややこしく、こういう所で文章で説明するのに一番向いてないグループだという事を、今書きながら思い出している。
番組は、メンバーが各々の得意ジャンルのトークを延々と繰り広げたり、それにまつわる企画を行ったりしながら進められた。アニメの話やプロレスの話やゲームの話をされても、僕からしたら専門外の分野であった為、正直に言えば何の話をしているのかひとつもわからなかった。お笑いを観て学んだセオリーからすれば、もっとちゃんと説明するなり、わかりやすく伝えなければ、一部のマニア以外に伝わらんだろと思った。だが、不思議とその全然わからない話が面白かった。「やっぱり幽遊白書が私のバイブルなんですよ」とか言われても、「世代でもないし観たこともないわ!」としか言えないのだが、その観たことのないアニメの知らない話をハイテンションでまくし立てる人を、もっと見ていたくなった。
きっと、羨ましかったのだ。この人にとってのアニメや漫画は、自分で言う所の特撮やオカルトやお笑いであって、それをここまで全力で語っていい場所がある、それをコンテンツとして認めてくれる場所がある。羨ましかったし、安心感を覚えた。
ああ、自分はオタクだったんだな、とその時初めて気付いた。よくよく振り返れば、僕は幼少期の頃からオタク気質の塊みたいな人間だったし、どんなエピソードを掘り下げても、どう考えてもオタク以外の何物でもないのだが、何故か自分はオタクとは縁遠い存在だと思い込んでいた。
中学時代の仲の良かった一人が、高校に入ってから年賀状を送ってきた事がある。年賀葉書の裏面いっぱいに黒のペンでびっしりと「アニメアニメアニメアニメ……漫画漫画漫画漫画……ラノベラノベラノベラノベ……涼宮ハルヒ涼宮ハルヒ涼宮ハルヒ涼宮ハルヒ……君もオタクにならないか?大丈夫、オタクになれば毎日が幸せさ」等と書かれた、まるで発狂した精神疾患者の遺書のようなそれは、当時の僕をひどく怖がらせた。
中学時代の彼-斉藤は、特に漫画やアニメに興味を示すようなタイプではなかった。趣味趣向は至って普通で、僕と違ってマニアックな趣味を持っているわけでも無かったし、成績も優秀で真面目。ただ僕らと同じグループに居るわけだから、それなりにおかしい奴だった事は間違いない。
卒業間近にクラスの思い出を簡単な作文にする授業があった際、作文のオチを「あと担任の先生が厚化粧だった」にして平山先生に呼び出されたり、僕らにも頑なに見せなかった彼の三中ノートを隙を見て覗いていたら、例の宗教冊子が、スポーツ選手の親がやる新聞記事の切り抜きアルバムみたいにびっしりと貼られていたりと、なかなかに狂っていた。
だから、僕らに感性が近い分、もしかしたらそういう素質はあったのかもしれない。高校に入った斉藤は、アニメや漫画といった所謂二次元趣味を持つ友達と仲良くなり、そのままそっち側へ堕ちて行ってしまったようだった。そういう経緯で、例の怖い年賀状が僕のもとに届いたのだ。
年賀状事件のインパクトが強すぎたのかどうかはわからないが、きっと僕の中では、オタク=アニメや漫画という固定観念が発生していた。アニメや漫画はあまり観ていなかったから、自分はオタクではないと思い込んでいたのだ。例の客観的、論理的思考から、こういう固定観念も減らしていかなければならないなと思った事を記憶している。
ちなみにだが、その斉藤も、高校時代は上手くいかなかったようだ。話を聞く限り僕ほどでは無かったようだが、やはりクラスでは孤立。やがてそれがいじめへと発展し、斉藤は高校を辞めた。その後、大検を取得し大学に進学するわけだが、その過程で趣味は二次元から音楽と文学に移り変わり、大学では文学部で筒井康隆等を研究しながら軽音サークルでギターを弾く生活を送っていた。今でも斉藤とはよく顔を合わせる間柄だが、うっかり高校時代の話になるとお互いに口を濁してしまう。
そういえば、中学の同グループの中に、斉藤と同じ高校に進学した吉原という男が居た。僕はてっきり、高校では二人が仲良くしているんだろうと思っていたが、斉藤によると、高校入学以降、二人は疎遠になったようだった。退学等はしなかったはずだが、彼もまた校内で孤立していたようで、休み時間も自分の席にじっと座っていたらしい。吉原はその後、成人式後の同窓会にも姿を現さなかった。彼が今どうしているのか、今となっては知る由もない。ただ、中学校であのグループに居た友人達の殆どが、まともな高校生活を送れなかったらしいという事だけは確かだった。
何はともあれ、自分がオタクである事を自覚した僕は、中野腐女子シスターズの情報を追いかけるようになった。ネットテレビの番組を観たり、更新されるブログを読んだり、SNSでファン同士の交流を始めたり。
特にSNSの存在は大きかった。当時はまだTwitter等が世に浸透する前のSNS黎明期で、いくつかのサイトが乱立していたが、モバゲーやmixiを利用している人が多かった気がする。
懐かしい時代である。当時はまだ、モバゲーの運営会社であるDeNAがプロ野球に参入するよりも前であるし、渡辺恒雄が「モガベー」とかいう呪いの呪文を唱えるよりも前である。それらの時代と、大阪ドームにやってきた堀江貴文が「私は今日から熱狂的バファローズファンになりました」と大嘘をぶっこいていた時代の丁度中間あたりで、史上初の鳩と宇宙人のキメラの総理大臣が誕生した時代だったはずだ。
SNSの中では、趣味に関するワードで検索をかけるだけで、同様の趣味を持つ人を簡単に見つける事ができた。身の回りを探しても同じ趣味を持つ人間等そうそう居ない僕らにとって、それは画期的な事だった。クラスでの孤立からわざわざ抜け出す必要性が、また一つ無くなった。
ここでまたややこしい設定を解説しなければならないのだが、中野腐女子シスターズにはとある姉妹(兄弟)ユニットが存在した。それが腐男塾である。
事の発端としては、番組の一企画で、中野腐女子シスターズのメンバーに男装をさせた所から始まる。それが思いのほか好評で面白かった為、じゃあ男装させた状態で別ユニットとして活動させようかという話になった。男装ではあるが、各々が完全にキャラに入っている為に男装である事を絶対に認めず、あくまで設定上は中野腐女子シスターズとは別人であり、メンバーは都内の中野腐男子学園という高校に通う高校生である。
この別人設定を厳密にやり過ぎた為に、稀にメディア露出があった際にも大概がそこの部分のトークで終わってしまったり、興味を持った新参者が「同一人物なんですか?」といった質問をした際に、空気の読めないファンが「別人です」と真顔で答えて更なる混乱を招いてしまったりと、ややこしい事この上無かったのだが、腐男塾は順調に人気を伸ばし、いつしか中野腐女子シスターズの方がサブユニット的な立場に甘んじるまでになっていた。
腐男塾の面白さは、そのフィクション性にあった。あくまで腐男塾のメンバーは別人格であるから、各メンバーはそれぞれのキャラ作りに励んだ。元々アニメや漫画に理解のあるメンバーが多く、そういったキャラ作りにも親和性があった事から、各メンバーには個性的なキャラが育まれた。男気があり仲間想いの部長、曜介。真面目で秀才だがすぐにドジをやらかすメガネ、桃太郎。筋肉馬鹿の熱血野郎、浦正。物静かでクールな美少年、狂平……これらをアイドルのキャラとしてやってしまうと、わざとらしいしうすら寒い事この上ないのだが、腐男塾は受け手側に「キャラを演じている」という暗黙の共通認識がある為、それらのキャラを難なく受け入れる事ができた。アニメのキャラクターを見るように、演出過剰なキャラをメンバーの個性として見る事ができたのだ。
加えて、特徴的な楽曲が腐男塾に相乗効果をもたらしていた。グループの楽曲は、殆どがプロデューサーであるはなわによって書かれていた。もうややこしくて堪らないので、ジャジィはなわがどうこうみたいな話は割愛するから、細かく知りたい人は自分で調べてみてほしい。
はなわと言えば、一世を風靡した『佐賀県』や『ガッツ伝説』などのコミックソングが代表作なのは勿論だが、意外にも正統派ソングを多く書き残している。彼の作風といえば、とにかくストレートで、わかり易く、そして男臭い。古いアニメソングのような熱とメッセージ性があり、それらが腐男塾のアニメ的世界観とマッチした。
普通に歌うのが躊躇われるような臭い歌詞を、臭いキャラのメンバー達が歌う。「演じている」という共通認識が、不思議とそれらを臭いとは思わせなかったし、女性が演じているという事実が、良い意味で男臭さのアクを中和させていた。
なぜそのような歌詞や、そのようなキャラを、我々は「臭い」と思うのだろうか。アニメ的だからだろうか?いいや、違う。それはきっと、本音を隠していないからだ。
我々は常に本音を隠しながら生活する。空気を読み合い、お世辞を言い合い、いつしかそれが当たり前になっている。だから、本音を隠そうとしない物に対して我々は、「それは理想論だよ」「上手くいくわけないよ」「考え方が子供だなあ」等と、つい見下した態度を取ってしまう。だが、本当にそれでいいのか?本当はそんな本音を隠す生活がストレスになってはいないか?我々は悪い事をやってるのか?そうじゃなけりゃあ、本音を言う事の何がいけないのだろうか。僕はずっと本音を言って生きていきたい。
心が晴れた気がした。適当に周りに合わせて、自らの意見や趣味趣向さえも変容させて生きるよりも、好きな物は好きだと、オタクであると、自分は自分であると、本音を隠さず言い続けて生きる方がよっぽど清々しく、正しい生き方だと思えた。そしてそれを肯定してくれるのが、腐男塾の精神性だった。
自らの心の闇が露呈し、出ばなをくじかれ、クラスで孤立し、落ちぶれていきながらも、笑いに出会い、身に着けた論理性に助けられ、腐男塾の精神性に支えられながら、何とか心を繋ぎ止めた三年間の高校生活は、こうして幕を下ろした。
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