第11.5話 理屈

 この連載を始めて三ヶ月が経とうとしている。この所は割と鬱々しいエピソードが続いていたりして、こんなの誰が読みたいんだと思って筆を真っ二つに折りたい衝動に駆られる事もしばしばだが、なんとかここまで連載を続ける事ができている。


 忠告をしておく。この後も明るい展開になる事はほぼ無い。というかそんな明るい人生を歩んでいたら間違いなくこんな文章を書いてはいないのだが、陰湿で薄暗い滑稽なエピソードはちょいちょい出てくるので、何とか耐え忍びながら読んでいただければと思う。


 ここで書いている文章は今年の序盤、僕の心が一番病んでいた時期に衝動で書き溜めた物が元だ。連載の方式など一切に考えずにただただ書き殴った文章を、毎回毎回加筆修正しながら、一回分のエッセイにまとめている。

 だから実はあと七回分程ストックが溜まっているのだが、今回の分は文量が少ない上に中身があまり無い。だからといって次回分とまとめて一回にしてしまうと、それはそれでおびただしい文量になってしまうので、扱いに困った挙句、こういった"雑談"と呼ぶに相応しい駄文を付け加えて、前回の第11話に続く、第11.5回として公開する事にしたのだ。

 そういう経緯もあるので、今回はあまり期待しないで欲しい。こういう風に言い訳を書けるのも、今回こういう方式にした理由の一つだったりする。すぐに第12回も投稿するので、何とか勘弁してほしい。


 何はともあれ、ここまでこんな駄文に付き合ってくださっている方々には感謝しかない。エッセイを書いている理由の中には、単純に文章力を鍛えたいというのもあったりするのだが、そろそろ小説の方も上げていこうと思っている。今度こそは、登場人物の身体の一部が吹き飛んだりしない小説が書きたい。






 ―


 高校生活も終盤に入り、変わらず僕はひたすら孤独に耐える生活を続けていたが、このオードリーの件は、精神面にある変化をもたらしていた。


 不思議だった。相変わらず他のクラスメイトには劣等感の限りを抱いていたが、あの一件以降多少はマシになったのだ。何故かと思考を巡らすと、それはこいつらとはまともな笑いの話はできないんだなと半分見限った事が要因に違いなかった。


 笑いには自信があった。やる方の技術はともかく、理解力と読解力ならその辺の誰にも負けないと思ってたし、それを十分なレベルで評論に落とし込んで論じる事もできると思っていた。何故評論として十分なレベルだと思えたかというと、それは徹底的に理屈を持ち込んだからだった。


 オードリーの例で言えば、まず「一発屋」の概念を明確に定義し、オードリーが「一発屋」とは異なる根拠を述べ、最後に「一発屋」である事と「面白くない」事の間の因果関係を明確に否定した。たかだかクラスメイトの何気ない発言を、まるで論文に仕立て上げるかのごとく、理屈を建て、根拠を並べ、分析していく。

 この理論は他と戦わせたわけではないので、探せば細かい矛盾が山ほど出てくるのだろうが、ここまでやっておけば概ね外れた理論ではないだろう。そして対する向こう側は、ここまで理屈を詰め込んで考えてなど絶対にいないだろう。つまり、理論武装をする事によって、この件に関しては自分が正しいのだと信じる事ができたのだった。


 こうして僕は、理屈を武器にする事を覚えた。徹底的に事態を俯瞰から見て客観視し、感情は廃し、理屈と根拠を大切にすれば、何が正しくて何が間違っているのかが正確に見えてくる。そうして「相手の意見に理屈が伴ってない」と結論付けば、自分は間違っていないんだと思う事ができたし、「自分の意見に理屈が伴ってない」と結論付けば、それは自分が悪いので、素直に自分を正そうとする理由にできた。

 友達が居なくても、自分の意見に賛同してくれる人が居なくても、理屈さえ重視していれば、自分の意見は間違っていないと自信を持てる。まさに、“理屈は友達”だった。


 そうしてこの件で、他のクラスメイトに対して抱いていた劣等感の、ほんの一部が消えた。全てにおいて自分はクラスメイトより劣っていると思っていたが、少なくともこの件については自分が正しいと思えたからだ。そうか、理屈を重視しさえすれば、僕はこいつらと渡り合えるんだと思った。必要以上の劣等感を抱かなくても済むんだと思った。


 元々理屈っぽい人間ではあった。小さい頃から喧嘩になると「理由は?」「根拠は?」が口癖のようになっていたし、そのせいで「お前面倒くせえな!」等と言われる事も度々だった。だが同時に、当時の自分は感情的な所も多分にあった。思えば色々な事に対して怒っていた気がするし、だから合唱コンクールの練習をボイコットしたりしていたのだ。


 しかし、理屈を突き詰めていくと、感情は持てば持つほど邪魔な存在だった。感情があふれ出した瞬間、人の言動には矛盾が生じる。それを見せた瞬間、敵に付け込まれる弱点になるし、僕からすれば、付け込む材料になる。感情を出さなければ出さない程、理屈の上で僕は他者よりも優位に立てる。だから意図的に、自分の意見から感情を取り除くようになった。

 

 理論武装+それを最大限生かす為の人格形成。それらは自己防衛の為でもあったし、自分と同じ考え、そして好きな物に対する最大限の誠意になると思っていた。それが必ずしも正しくないと気づくのは、もっと何年も後になってからの事だ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る