第11話 猿の教室(後編)
映画でも小説でも、ラストシーンはとても重要な物だ。特に、ラストシーンで全ての謎が解き明かされるような構成の作品の場合、そこが作品の全てと言っても過言ではない。
だからこそ、なるべくラストシーンのネタバレは見ずに作品鑑賞に臨みたいものだが、過去の有名な作品等だと、衝撃的過ぎるが故に、ラストシーンだけが知れ渡り過ぎてしまっているパターンがよくある。その最たる例が、映画『猿の惑星』ではないかと思う。
宇宙飛行士のテイラーが時間旅行の末に辿り着いた未知の惑星では、高度な知能を持った猿が人類を支配するという衝撃的な光景が広がっていた。研究者のチンパンジー夫妻に匿われる中で徐々にその惑星の真相に迫っていったテイラーは、禁足地とされる「禁断地帯」へと向かう。海岸沿いを行く彼の目前に現れたのは、朽ち果てて大部分が地中へと埋まった自由の女神。猿の惑星は、人類が自ら滅んだ後の、未来の地球だったのだ。
このあまりにも有名で衝撃的なラストシーンは、きっと『猿の惑星』を見た事のない人も知っている事だろう。どのくらい有名かと言うと、DVDのパッケージに自由の女神が思いっきり載っているくらいだ。つまり、その程度じゃネタバレにすらならないくらい有名だという事なのだ。
僕が『猿の惑星』を初めて観たのは確か中学生頃の事で、やっぱり当時の僕もこのラストシーンは知っていたし、「どうせ地球なんでしょ?」と思いながら観ていた。それでもこのラストシーンのパワーはとてつもないし、一九六八年の映画とは思えない特殊メイクのクオリティも含めて好きな映画の一本なのだが、どうせなら何の前情報も無い状態で衝撃のラストシーンを体感したかった物だ。
動画サイトで芸人のネタ動画等を観漁っていた時に、ひょんな事からとあるインターネットテレビのサイトを見つけた。そこでは、毎日二十時から二十四時くらいの時間に、一時間枠での番組が組まれ、お笑い芸人やらアイドルやらその他タレント等が番組を持っていた。
番組は生放送で進められ、視聴者は画面横のチャット機能を使う事によってコメントを残す事ができる。今ではそのような形式のネット配信は星の数ほどあるが、当時は画期的なシステムであり、またそれが面白かった。
その中のいくつかの番組では、出演者がお題を出し、視聴者の回答を募集するというコーナーがあった。面白い回答をすると、出演者がそれを選出して読んでくれた。なるほどこれが大喜利という物かと、その時に知った。
僕は面白い物を披露する場所に飢えていた。学校では相変わらず孤独だったし、クラスメイトにはひどくつまらない人間だと思われていたから、そこで笑いを取るなど至難の業だった。
何度か、クラスで笑いを取ろうとして事もある。ところが、僕のやった事がウケるウケない以前に、「うわ、あいつが喋ってるぞ!」と冷やかしの笑いが飛んできた。学校行事で外に出掛けたときに、あるクラスメイトに話しかけられたので、そこからしばらく何気ない会話を楽しんだ。すると通りかかった別のクラスメイトから、「おい、あいつが人に懐いてる所初めて見たぞ!」と冷やかされた。もはやそのレベルだった。
やはりクラスメイトにとって僕は“無口で無感情でつまらない無気力なやつ”であり、そこから逸脱した行動は求められていなかったのだ。だから、どこか面白さのアウトプットの場所が欲しかった。家でずっと笑いの動画を見ているだけではもう満足できなかった。そうして僕は、そのインターネットテレビの大喜利にのめり込んでいった。
その当時よく観ていた好きな芸人の内の一組に、オードリーが居た。ちょうど少しずつメディアでの露出が増え始めていた時期だった。彼らが初めて地上波でネタをやった深夜番組を観ていて、それで気になってネタ動画を探していた。そのインターネットテレビを見つけたのも、ネタ動画を探していたら、オードリーが番組を持っている事を知ったのがきっかけだった。
やがて教室でもオードリーの話題が出るようになっていたが、評価は散々たる物だった。何人かが面白いと評価する一方で、大方の意見は「一発屋だ」という物と、「ボケの春日が気持ち悪い」という二つだった。
本当にどうしようもねえなと、机に突っ伏して寝たふりをしながら僕は思った。まず“一発屋”という言葉の意味を理解してほしかった。一発屋というのは、何かのフレーズやギャグでブレイクした芸人が、それ以外のネタでウケを取る事ができず、ネタの鮮度が切れると共にメディア露出が減る状態を指す。例えば、ダンディ坂野や小島よしおなんかがそれに当たるだろう。
ダンディ坂野はゲッツというギャグでブレイクした。小島よしおは「そんなの関係ねえ!」というフレーズでブレイクした。ゲッツやそんなの関係ねえ!は例えるならばハードウェアではなくソフトウェアである。その後新しいソフトウェアを作り出す事ができず、ハードウェアも確立する事ができなかったから、人気は続かなかった。だからこそ一発屋なのだ。
一方、オードリーはソフトウェアがクローズアップされてブレイクしたわけではない。オードリーにおけるソフトウェアは「トゥース」や「鬼瓦」といった春日のギャグ等があたるだろうが、別に彼らはそれでブレイクしたわけではない。彼らの特徴でありウリは、「ズレ漫才」と呼ばれる漫才のスタイルであり、これはネタのフォーマット、すなわちハードウェアである。春日がズレたツッコミをし、それを若林がツッコミ直すというフォーマットがウケていた為、後はネタの設定を変えれば、違うネタが量産できた。
当然、ネタが量産できれば売れ続けるわけではないから、所謂一発屋と同期間、もしくはそれよりも短く表舞台から姿を消す可能性も考えられるが、すぐに消える事が一発屋の定義ではないので、仮にそうなったとしてもオードリーは一発屋とは言えない。
特徴的な春日の風貌やキャラを一種の記号として捉え、それ自体がウケていると考えたのか、テレビ等でよく使われる一発屋というワードを使いたかっただけなのかはわからないが、いずれにせよ一発屋だという批判は的外れもいい所で、その程度の理解力、分析力でよく人様の芸を否定できるなと思った。
もっと言えば、仮に一発屋だったとして、それで何が問題なのだろうか。先述のダンディ坂野と小島よしおは、一発当てた結果今でも地方の営業に引っ張りだこだし、逆に一発屋である事をキャラにして未だにテレビ等にしぶとく残っている。そもそも一発屋なのだから、少なくともその一発を当てている最中に関しては面白いのだ。“一発屋”は面白くないと断定する材料にはなり得ないのだ。
その年の十二月末。毎年恒例のM-1グランプリで、オードリーは敗者復活戦から決勝に勝ち進んだ。ずっとインターネットテレビで観ていたから、単純にネタが好きな芸人よりも思い入れがあった。だから、敗者復活で名前を呼ばれたあの瞬間の感情の高ぶりを今でも忘れない。冬休みだったが、一発屋だとせせら笑うクラスメイトの顔が脳裏に浮かんだ。
すぐに本戦のスタジオに移動し、一本目のネタが始まる。ずっと観ていたコンビがお馴染みの出囃子に乗って、セットの下からせり上がってくるのを見るのは不思議な気分だった。
若林が自己紹介をする中、いつものように春日がゆっくりとスタンドマイクまでやってきて、ネタが始まる。披露した「引っ越し」のネタは何度か動画で見たことのある定番の物だったが、しっかりと賞レース用に仕上がっていて、観た中で確実に一番の出来だった。
大ウケだった。ネタの一つ一つにスタジオが大きく沸き、ネタが進むにつれてその笑い声が加速度的に大きくなっていく。ネタも終盤に差し掛かった頃、「風呂だけに客席を湯冷めさせちまったみたいだな」という何でもない台詞を、春日が噛んだ。どう考えても誤魔化せない程、噛んだ。すかさず若林が、「噛んでんじゃねえよ!」とアドリブで突っ込んだ。一番の爆笑と拍手が起こった。「残念だったな」「残念だったなじゃねえよ、何してんだよ大事な舞台でよ」「お前が何とかしろよ!」「できるわけねえだろ!これ何とかできてたら、もっと最初から来れるだろ決勝に」流れるようにアドリブが繋がり、そしてネタの本筋に戻っていく。
一本目のネタの点数は、出場全組中一位だった。全身に鳥肌が立った。やったんだと思った。最終順位は二位と優勝には手が届かなかったが、その日から今に至るまで、オードリーはバラエティの第一線で活躍し続けている。
冬休みが終わり、最初の登校日。僕は珍しくワクワクしながら学校へ向かっていた。一発屋だのなんだのと好き勝手言っていた奴らも、M-1グランプリは観ていただろうし、そうじゃなくてもその後のオードリーの人気ぶりは知っているだろう。あれだけ偉そうに「売れない」等と馬鹿にしていた芸人が、賞レースで優勝まであと一歩の所にまで迫り、ブレイクしている現状をどう思っているのだろうか。これでも、「どうせすぐ消える」等と強がるのだろうか。
強がるクラスメイトを今度はこっちが心の中でせせら笑ってやろうと、卑屈な笑みを浮かべながら教室に入った僕は、すぐに衝撃的な光景に出くわす事になる。
教室の中心に居たのは、あの時一発屋等と言って笑っていた集団だった。その中の一人が、おもむろに右手の人差し指を顔の辺りの高さに掲げた。
「トゥース!」
そいつがそう言うと、周りの取り巻きがワハハと笑った。
僕は愕然とした。彼らは強がるどころか、自分たちが一発屋等と馬鹿にしていた事すら忘れており、意気揚々と、流行りの芸人やフレーズに乗っかって楽しんでいるのだ。
こんな物は一番見たくなかった。僕が見たかったのは、彼らが強がったり、悔しがったり、あるいは間違った認識を改める所であり、いつの間にか“評価する側”に周って来て楽しんでいる所じゃなかった。
その場に崩れ落ちそうになる。教室の床を拳で叩きながら、あのラストシーンのテイラーのように、「やっちまったのか馬鹿共め!」と叫びたかった。彼らのトゥースの右手が、自由の女神の掲げるトーチに見えた。
まあ、本物のトゥ―スは右手じゃなくて左手なんですけれども。
こいつらを見限ったほうがいいんじゃないかと思った。他に関してはともかく、笑いに関しては絶対に分かり合えないと思った。
そういうコミュニケーションなんだろうなというのは、何となく理解していた。彼らは別に本気でお笑いの評論をしたかったわけではない。ただ周りとのコミュニケーションの為に、わざとオードリーを否定してみたのだ。流行ったら流行ったで、それに乗っかるのが一番簡単なコミュニケーションだから、トゥースもやるし鬼瓦もやる。別に本気で叩いていたわけでも、それを忘れていたわけでもない。
だがそんなコミュニケーションなど糞喰らえだと思った。そこに乗っかるくらいなら、現状のように周りとはコミュニケーションを取らず、一人でお笑い論を温めていた方がいいと思った。オードリーは結果的に売れたからいい。だがこんなしょうもないコミュニケーションの結果生み出された、根拠も正当性も無い批判がやがて他に伝染し世論となり、まだ見つかっていない面白い物を潰してしまう事もあるかと想像すると、やるせなさと虚しさと怒りが体中を包んだ。
今日も、レベルの低い“お笑い論”を得意げに語るつまらない人たちが、クラスメイトの全然面白くない行動でキャハハと笑う。僕にとってはもう、クラスメイトは身内の中では無かったから、お調子者達の生み出す“楽しい笑い”を見ても、笑いは一切こみ上げて来なかった。
‐‐‐
面接会場が未だ緊張感に包まれる中、僕の渾身の『工場バイトで名前を間違えられて氏名の欄に大麻と書かれた話』が終わった。
そこそこウケたが、会場の空気感もあって、思ったほどはウケなかった。本来ならその後に、
「実はそこの工場がチョコレートを作っている工場で、段々チョコレートも薬物の隠語に聞こえてきたんですけどね」
等と付け加える予定だったが、空気感を察してそれは止めておいた。
まあ、そんなもんだろうと思った。少なくともここまでの中では一番ウケていたし、場の空気というのはとても重要だから、この緊張感溢れる場で大爆笑が取れるとも、最初から思っていなかった。
そもそも、これは企業の就職試験の面接なのであって、芸能事務所のネタ見せではないのだ。この質問で求められているのは笑いのスキルやトークスキルではなく、日常に対する感受性や、それを人に伝える能力、そして予想していない質問が来た事に対する対処能力、アドリブ力だ。
つまり、大爆笑を取る必要などなく、ある程度円滑に喋りながら、面接官の求めているような適度な面白い話をすれば……よくて……
ん?……
あれ?……
だとしたらなんか僕、明らかにエピソードのチョイス間違ってませんか?……
就職面接で、大麻とか言っちゃってますけど?????
重大な何かに気付き始めた僕を尻目に、面接官が「じゃあ最後は〇〇さん」と促して、僕の反対側、集団の一番右端に座る男子学生のトークが始まった。
男子学生のトークは、参加していたボランティア活動の一環で貸し切りバスに乗って出かけていた時に強風か何かでバスが横転してしまい、恥ずかしい焦り方をしてしまったという話だった。
笑いとして考えれば僕の大麻の方が上なのだが、その短い話の中に彼は、バスが横転したという興味を惹きつつ希少性もある掴み、ボランティア活動をしていましたよというさり気ない自己アピール、「そういう時こそ冷静に行動しなければならないと思いました」という教訓を得て終わるオチ、など、完璧に面接における加点要素を入れ込んできていた。
いったい僕は何をやっていたんだろうと思った。あまりにもピンポイントな得意ジャンルの質問すぎて、就職面接の本質を完全に見失っていた。
面白い話をする事しか考えていなかった。大麻の話を選んだのも、自分で一番自信のある話だったからだ。いやいや、そんなの絶対にダメだ。どこの世界に就職面接で違法薬物の話をする奴がいるんだ!
もっと別のエピソードをチョイスすべきだった。例えば中学校で宗教の冊子を……いや、ダメだ!場合によっては大麻よりダメだ!
小学校の図工室でハムスターを……何言ってんだ、これもダメだ!ダメな上にウケもしねえぞ!
スーツのおじさんに蛆とキノコが……ダメだダメだ!ダメだし伝わんねえし気持ちわりいしどうせお前キノコから違法薬物の話に繋げるだろ!
ああそうかと僕は気付いた。この場で話すべきなのは、もっと明るい題材の、朗らかで健やかな、ウキウキポップでラブリーチャーミングな話なのだが、僕のトークストックにそんな話は一つも無いのだ。全てが暗いか陰湿か、もしくは倫理的に問題がある話なのだ。とても死にたい。
やはり笑いを理解した所で得る物はあまり無い。それよりも大事なのは、空気を読む力と、日常から楽しい思い出を沢山作っておく事なのだ。
それから一週間ほど経って、その企業から俗に言うお祈りメールが届いた。僕は自分の家で膝から崩れ落ちると床を拳で叩き、「やっちまったよ馬鹿!」と叫んだ。
余りにも不憫な僕のその姿は、さながら『猿の惑星』の主人公テイラーのようであったが、テイラーの横には美女が居たのに、僕の横には美女が居ない。馬すら居ない。
今でもあの面接を思い出すと、にこやかな笑みを浮かべた面接官の姿が脳裏に浮かぶ。その面接官の左手に抱えた資料を挟んだバインダーは、自由の女神の抱える独立宣言書のように見えた。
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