第9話 面白そうで怖い話

 小学校の頃、たった一日だけ、学年中のヒーローになったことがある。


 僕らの学校では、宿泊学習という名目で年に一回、泊まり込みの行事があった。わかりやすく言えば、林間学校とか臨海学校とか、そういうやつだ。

 五年生は、冬場に山へ行くのが毎年の恒例になっていた。山間の宿泊施設に泊まり、スキーをしたり、班に分かれて体験学習をしたり、料理を作ったりする。


 そんな二泊三日の工程の中盤、二日目の夜に、全員参加のオリエンテーリングが組まれていた。宿泊施設内のホールに全員が集められ、先生のお話を聞いたり、歌を歌ったり、簡単なゲームをやったりする。

 それらの企画の中にあったのが、児童有志による出し物のコーナーだった。事前に希望者数人が集まっており、一人あたり五分程度の時間が与えられる。内容は手品だったり、楽器の演奏を披露したり、まあ、様々だ。

 そんな出し物コーナーの希望者数人の中の一人が、僕だった。


 思えば僕は、人前で何かをやる事は好きなタイプなのかもしれない。同じ小学校の頃、全校生徒の前で夏休みを振り返る作文を読んだこともあったし、以前書いた音楽教室も、市内の大きなコンサートホールで発表会がある事が、辞める前の最後のモチベーションになっていた。今でも、人前に立って何かをやる事自体に抵抗はない。むしろ率先してやってみたいと思っているくらいだ。好きなだけで苦手極まりないからやらないのだが。


 いよいよ僕の出番が来た。名前が呼ばれ、みんなの前に立つ。司会の児童は僕が所定の立ち位置についたのを確認して「さて、何を発表してくれるんですか?」と聞いた。僕は、小学生にしては静か目のトーンで、


「怖そうで面白い話をします」


 と、言った。


 怖そうで面白い話、つまり、一見怪談のような話なのだが、実はオチがあって、終わってみればただのギャグ。そんな話を語り聞かせようとしていた。

 その日、ホール内の照明は殆どが消されていた。キャンドルファイヤーとか何とかいうやつで、部屋の中心に何本ものロウソクが立てられており、その火を見ながら親睦を深めようという趣旨の物なのだ。暗闇の中でゆっくりと揺れるロウソクの火が、図らずとも怪談ムードをより一層際立たせている。


 児童たちがざわざわとする中、何人かの女子が、「怖い話なの?」と泣きそうな顔で聞いてきた。今の僕がそんな事を聞かれたら、「怖そうで面白い話って言っただろ!話聞いてなかったのかタコスケ!」等と思うのだろうが、まだ辛うじてピュアな心を残していた小学生当時の僕はそんな事は思わず、


「大丈夫、怖そうで面白い話だから、面白いから!」


 等と弁明をしていた。


 冷静に考えれば、最初から「怖そうで面白い話」だと明言する事は、これからする話のカラクリを最初からバラす事であり、悪手以外の何物でもないのだが、小学生の頃の僕にはそんな事はわからなかったようだ。まあ仕方のない事である、まだ子供なのだから。


「それでは……」


 マイクを通じて僕が話し始めると、ざわついていたホールはすっと静寂に包まれた。喋り慣れしていない、つたない喋り方で、僕の話が始まる。


「これは、ある旅人が山奥の道を歩いていた時の話です……」




 旅人はその日の宿を探していた。季節は晩秋、冷たい風が轟々と音を立てて吹き、旅人はぶるっと一つ身震いをしながら、歩みの足を速める。

 もう日没は間近だった。はやく宿を見つけなければ、この風の中、野宿をしなければならない。それは旅人にとって死の宣告に等しかったが、この山奥の田舎道では、宿どころか建物すら満足にない。しくじった、もうだいぶ前に通り過ぎた一つ前の集落で宿を探すべきだったと、旅人は後悔した。


 ふと、遠くに橙色の灯りが見えた。とうに周囲は暗闇に包まれており、辺りは黒、空も黒、風で揺れる木々も黒、と、黒しかない視界に、一つの灯りだけが煌々と燃えている。

 あれは、民家ではないか?旅人は更に足を速めた。


 民家の戸を叩くと、出てきたのは皺だらけの老婆だった。曲がった腰を必死に立てながら旅人を見上げると、老婆は「おや、まあ……」と呟いた。


「私は旅の者ですが、生憎今日の宿が見つかりませんで。外はこの寒さですし、よろしければ一晩泊めていただきたいのですが」


「ああ旅人さんですかい、ぼろぼろの家ですが、この老い耄れた婆一人には広すぎますから、泊まる部屋ならいくらでもございます。さあ、お上がりなさい」


 こんな集落から離れた山奥の一軒家に、この老婆一人で住める物なのかと不思議に思いはしたが、旅人にとって、宿にありつけた安心感の前では、そんな不安は些細な事であった。


 老婆は囲炉裏の前に旅人を案内すると、大した食べ物はないが、と言いながら、豆餅を焼き始めた。やがてほんのりと焦げ色のついたその豆餅を、旅人は食った。期待はしていなかったが、案外の美味であった。餅に混じっているのが何の豆かはわからなかったが、その豆の淡い塩気が、餅とよく合った。


 豆餅も食い終わった頃、老婆は立ち上がると、囲炉裏のある居間の奥、そこに立てられた松の屏風の裏へと、旅人を案内した。板張りの何もない床である。そこへ老婆が一枚、二枚と、年季の入った草色の筵を敷く。


「ここでお休みください、ここなら囲炉裏の火も近く、暖かいでしょう」


 旅人が礼を告げると、老婆は小さく頭を下げ、曲がった腰でゆっくりと屏風の向こうへと消えていった。


 何時間ほど眠っただろうか、旅人はふと目を覚ました。よほど疲れていたのだろう、床についてすぐに眠りに入ってしまったようだった。すでに囲炉裏の火は落とされていて、家の中は真っ暗。轟々という風の音と、それによってガタガタと鳴る戸と窓の音だけが、途切れる事なく聞こえて来る。


 寒いなあと、旅人は思った。囲炉裏の火が落とされているから、これからは気温の下がる一方である。なるべく身を小さくし、かけていた着物へと包まった。


 いや、違う。


 旅人は気付いた。この部屋にはまだ、囲炉裏の暖かさが残っている。暖かい空気が、部屋の中を舞っている。しかし、そんな暖気の中を、おぞましい冷気が蠢いているのだ。まるで獲物を見つけた蟒蛇が舌を出しながらゆっくりと近づいてくるように、どこかから漂ってくる冷気が、旅人を包み込んでいるのだ。


 旅人はふっと、松の屏風を見た。ぼろぼろの屏風だった。中央付近に特徴的な針のように尖った葉が描かれている事が、それが松の屏風である事を表していたが、それ以外の部分は埃と煤にまみれて見えない。おそらく鷹なのだろうか、松の葉を見上げる鳥の絵が右方下段に描かれていたが、それも半分以上が埃と煤、そして傷で消えかかっていて、ひどく不気味だった。

 その屏風の向こうから、冷気が来ているような気がした。冷気の蟒蛇が、ずるずるとこちらに流れてくる。ついには部屋に残る囲炉裏の暖気が全く感じられなくなるほど、旅人は冷気に取り込まれていた。


 ぞっと背筋に悪寒が走ったのは、寒さのせいだけではないだろう。この松の屏風の向こう、冷気を生み出している何かがそこに居る。そしてそれはきっと、あの老婆なのだ。


 陸奥を旅した時、岩城国は安達ヶ原で、鬼婆の話を聞いた。鬼となった婆は、通りかかった旅人を殺しては、その血を吸い、肉を喰らう。そんな話だった。

 ここは陸奥ではないが、鬼婆は確かに存在するのだ、この屏風の向こう側に。


 さっき食ったあの豆餅。そういえば老婆はあれを一度も「豆餅」だとは言ってなかった。餅の中に黒い小さな粒が紛れていたから、ああこれは豆餅だろうと、旅人が勝手に判断したのだ。豆の割には味が濃かったし、食ったことのない味だった。だが色と形と硬さから、珍しい豆なのだろうと思ったのだ。

 あれは、豆だったのだろうか。


 屏風の向こうは変わらず静寂だった。普通に考えれば、この屏風の向こうで老婆は寝ているはずだ。だが旅人はどうも、老婆は起きている気がした。この屏風の裏で、皺だらけの顔から眼だけをギラギラと光られて、自分を喰い殺すタイミングを今か今かと待ち構えている気がした。


 このままじっとしていても殺される。旅人は覚悟を決めると、体にかけていた着物の袂から短刀を取り出し、ゆっくりと刃を抜いた。

 音を立てぬよう、ゆっくりと中腰で立ち上がる。一歩ずつ一歩ずつ、屏風へと近づいて行く。床板をみしみしと鳴らさぬよう、細心の注意を払いながら、ようやく旅人は屏風のすぐ前まで辿り着いた。


 耳を澄ます。屏風の向こうから、「うう……うう……」という唸り声がわずかながら聞こえる。苦しみとも喜びともつかないその唸り声が老婆の物である事は間違いなく、そしてそれによって老婆が起きているだろう事も間違いなかった。先ほどより一層の冷気が屏風の向こうから押し寄せてくる。


 旅人は心を決めた。右手の短刀をぐっと握り締め、なるべく老婆の急所を一突きで突けるよう、最悪でもこの家から逃げ出せるよう、意識を短刀と自分の足に集中させる。屏風を引き倒し、旅人は雄たけびを上げながら短刀を振り上げた。




 老婆は筵の上で、肩にサロンパスを貼っていた。




 ホール内が爆笑に包まれた。児童も先生も皆が声を出して笑っていたし、何人かの児童は前に崩れるようにして笑っていた。僕の怖そうで面白い話は大成功だった。


 一応言っておかなければならないのは、今回書いたこの話のあらすじは、今の僕が勝手に加筆しまくった物だ。楽しくなって好き勝手に書いていたら、いつの間にかあらすじとは呼べない何かになってしまった。石川五右衛門がつまらぬ物を斬るのと同じくらいの頻度で、僕はつまらぬ加筆をする。おかげで今回が、連載中最長の文字数になりそうだ。

 実際にはもっとシンプルに、冷気を感じた旅人が老婆に喰われるのかと思っていたらサロンパスを貼っていた、くらいの話だ。というか小学五年生が、迫りくる冷気を蛇で例えたり、蛇の事を蟒蛇と呼んだり、人肉豆餅を思いついたりしていたら、それが一番怖い話である。


 オリエンテーリングが終わると、次々に色んな児童が僕に話しかけて来た。「面白かった」「あれ自分で考えたのか?すげえ」と言った事を言われた。間違いなく、そのオリエンテーリングのMVPは僕だった。


 一つ白状しなければならない事がある。僕はこの話を「自分で考えた」と言ってその場で話したし、その後「本当に自分で考えたのか?」と聞かれても、「本当だ」と答えたが、それは真っ赤な嘘である。

 遡る事数ヶ月前、僕は家で変な本を見つけた。おそらく叔父の所有していた本が何らかのタイミングで出て来たのだと思われるが、僕はその本を何気なく読み始めた。

 ビートたけし監修、『恐怖びっくり毒本』という本がそれだった。表紙は墓から這い出て来た鎌を持ったガイコツのイラストで、オカルトが好きだった僕はそれにつられて読み始めたわけだが、当然ビートたけしの本なのだから、真面目な怪談が載っているはずもない。タクシー怪談や皿屋敷、藁人形など、テンプレの怪談話をベースにしたお笑い短編集だ。

 怪談を期待していた僕は拍子抜けしたが、逆にその面白さにハマってしまい、どこかでこの話をしたい!という想いから、オリエンテーリングの有志発表にて話す事にしたのだ。


 それはいいのだが、何故自分で考えた等と嘘をついたのだろうか。よく怪談の冒頭で「これは僕の知人が本当に体験した話です」等と、(創作だとしても)本当の話である事を強調する手法がよく使われる。これは本当である事を強調する事で、聴き手に余計な詮索をさせない為のギミックと考えているのだが、同じようにギミックとして自分で考えたと言ったわけでは当然ない。きっとただ、褒められたかっただけだ。しょうもねえガキである。


 きっと先生方も、これはこの子が自分で考えた話じゃないと気づいてはいたと思う。そんな所を追求しても野暮だし、寛大な心で放っておいてくれたのだ。

 だが先生方もまさか、この話の出展元がビートたけしの教育上はあまりよろしくない書籍だとは思わなかったろう。これを書くにあたって、『恐怖びっくり毒本』をネットで調べていたら、レビューブログに「PTAが読んだら怒り出し、子供に読ませてはいけない本の上位リスト入りは間違いない」と書かれていた。

 その本の中身を学校行事で話して、先生と児童から笑いを取ろうとしたサイコ小学生が僕なのである。




 この宿泊学習は、基本的にはクラス内で編成された班で行動する。この班で観光もするし、ご飯も食べるし、部屋にも泊まる。


 僕らの班の班長は、鈴木さんという女の子だった。明るくいつも笑顔で、勉強もそれなりにできたし、授業参観などがあると、母親が「あの子可愛いね」と話題にするほど可愛い子でもあった。

 小学生だから大した出来事もエピソードも無いのだが、俗に言うクラスのマドンナ的な存在だっただろうか。いや、流石にそこまででは無かったが、男子であの子を嫌いだった奴は居ないと思う。


 二日目のオリエンテーリングが終わり、児童はそれぞれの部屋へと戻っていく。部屋は二段ベッドが六台置いてある十二人用で、それぞれの部屋に二班ずつが入っていた。

 やがてすぐに消灯の時間が来る。部屋の電気は消され、僕たちはそれぞれの布団に潜った。だが当然のように誰も寝ない。延々と十二人で話をし続け、たまに様子を見に来た先生の「早く寝なさい」という声に、「もう、先生のせいで起きちゃったじゃん」等と、僕の嘘よりは可愛い嘘を言った。


 一時間ほど経っただろうか、誰ともなく「もう寝ようか」と言い出し、十二人の会話が止まった。室内に初めて訪れる静寂。遠くの方で、見回りの先生の歩く音や、話し声が聞こえる。それらの音が徐々に徐々にぼんやりと微睡んでいって、ああ、そろそろ眠りに入れるなと思ったその時、二つ隣のベッドで寝ていた鈴木さんが、急に笑い始めた。


「サロンパス……」


 堰を切ったかのように、部屋が笑いに包まれた。鈴木さんはまだサロンパスがツボに入っていたようだった。まだあれで笑ってんのかと思わない事も無かったが、そこまで気に入ってくれている事が、なんだか僕は誇らしかった。いや、人のネタ盗作して話しただけなのだが。


 ただ思い返せばきっと、僕はこの辺で初めて明確に意識したはずなのだ。「人を笑わせるのは楽しい」という事を。




 ある意味あれは、僕の人生のピークの一つだったかもしれない。その後の僕はどんどんと面白くなっていってる自覚はあるし、本に書いてあったことを自分で考えたと偽って発表するというヘドロ以下の手法を使わなくても、面白い事はできるようになっていったと思っている。

 しかし、陰惨人生ルートに入ってしまった中学校以降、クラスで一番可愛い女の子を笑わせた事なんて一度も無いし、面白いね等と好意的に評価された事も一度もない。何かが狂って行ってしまったのだ。




 高校生活。相変わらず地獄のような日々を送っていた僕はその日、放課後に近くの野球場に来ていた。

 夏の甲子園の県予選の季節だった。高校生は無料で入れるから、近くの球場で試合があると、僕はよく試合を観に行っていた。


 その日は確か、同じ市内の公立高校の試合だった。僕が中学野球をやっていた時、一個上の学年に、同じ市の中学に圧倒的に一番の評価の投手が居て、市内にその名を轟かせていた。球速も市内トップで、中学野球の割には四死球も少なく、何度か練習試合で対戦した事もあったが、僕らのチームがまともに打てた記憶は殆ど無い。

 そんな人が進学したのが、その公立校だった。当時僕は二年だったから、その人は三年。ラストイヤーで背番号は当然一。あれだけの投手だったのだから、それなりの所まで勝ち進むのだろうと思っていたが、僕が観に行った試合であっさり敗退した。確か二回戦だった。

 上には上が居る。僕らの中であれだけ騒がれていた投手が、高校野球ではただの平凡な投手に過ぎない。世界の広さと、言いようのない虚無感を覚えた。


 試合が終わり、帰ろうとすると、「針生くん」と後ろから呼び止められた。振り返る。鈴木さんだった。


 鈴木さんは中学でソフトボール部に入っていた。高校でソフトボールを続けていたのかはわからなかったが、それで野球にも興味は持って居たようで、友達と二人、試合を観に来ていたようだった。

 別の高校である為、中学卒業以降、鈴木さんとは会った事が無かった。だが数年ぶりに会う鈴木さんは、雑な言い方をするならば、完全なる美少女で、それが僕の劣等感を猛烈に刺激した。


「観に来てたんだ、試合」


「うん」


 ついさっき敗れた高校の打たれたエースを、全く打てなかったチームの万年控え。高校に入って野球を続ける事すらしなかった奴。高校では落ちぶれ、友達は居らず常に一人で過ごし、成績も下位の下位。貴方に話しかけられるような立場じゃない。「元気だった?」等と笑顔で話していい分際じゃない。

 ごめんなさいごめんなさい、もう僕はあの時の僕じゃないので。やり方はどうであれ、学校行事で人気者になり、貴方を笑わせられた頃の僕じゃないので。


「野球好きだったもんね」


「うん」


 短い会話がひどく長く感じられ、そして苦痛だった。鈴木さんは優しいから、陰オーラ丸出しで笑顔も見せず、話しかけられてもまともな返答もできない僕に、笑顔で会話を続けてくれる。それがさらにしんどさの波となってやってくる。何度も話したはずの小中の同級生が、今や遥か彼方遠い所に居る別の生物に見える。


「じゃあ、また」


 会話を打ち切って、僕は逃げるように帰った。脳裏に思い返されるあの日の児童と先生達の笑い声が、その日は僕を嘲笑っているかのように聞こえた。

 鈴木さんともそれ以来、一度も会っていない。

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