第7話 私とキノコと蛆と

 小学校の頃、仲の良い三、四人でよく自由帳に絵を描いて遊んでいた。くだらない絵ばかりだったし、誰一人として絵が上手い奴は居なかったから、常に僕らの自由帳は汚い絵が折り重なってごちゃごちゃだった。


 その延長線上で、漫画のような物もよく描いていたが、まともな作品は一本も無い。誰かがメインで漫画を描いていると、他の奴らが横から勝手に絵を描き足して、ストーリーを変えてしまう為、常に展開はめちゃくちゃだった。


 僕がビルの絵を描くと、もう一人がビルの上に棒人間を描き、横に吹き出しを付けて「よし死ぬぞ!」と描く。その悪乗りに乗っかった僕が、矢印を引っ張ってビルの横に飛び降りる途中の棒人間を描くと、またもう一人が矢印をぐるっと半周させてビルの上まで引っ張り、そこに棒人間を更に一人描いて「生きれた!」と吹き出しを付ける。気付くと棒人間はビルから三度飛び降り、三度生還していた。ちなみにこれは、当時僕らが描いた『釣りバカ日誌』のパロディ漫画の中の一コマである。




 四年生の頃、近隣の商店街に出向き、班毎にどこか一つのお店を取材して壁新聞を作るという授業があった。当然のように"自由帳集団"で集まって班を形成した僕らは、植物の種や苗を販売するお店を取材し、新聞を作る事になった。

 お店のおじさんやおばさんに聞いた普段の仕事内容や大変な事などを文章でまとめた後、空きスペースに余興の四コマ漫画を描く事になった。


 なんて事ない漫画になるはずだった。畑に種を植えた男が、半年後くらいに収穫を行い、美味しい野菜を食べる。起承転結もへったくれも無い、何の面白みも無い漫画であるが、小学生の壁新聞なのだからそれでいいのだ。それでよかったのだ。


 まず、一コマ目に畑を描いた。その横に農家の男の絵を描き、「種を植えるぞ!」と台詞を付けたが、何故か男はスーツ姿だった。僕らは絵が下手だったから、Tシャツかスーツしか描く事ができなかった。ならTシャツでいいと思うのだが、描いたのはスーツだった。


 更にここで、僕らの悪い癖が出た。手持無沙汰になった一人が、男に勝手に眼鏡を付け足し、もう一人がその眼鏡のレンズを黒く塗り潰したのだ。僕らはそれを見ながら、「タモリだ!タモリだ!」とはしゃぎまわった。


 二コマ目。本来ならこのコマは絵を描かず、真ん中に「半年後」等とだけ書くつもりだった。ところが完全に悪乗りモードに入った一人の大馬鹿野郎が、コマの真ん中にこう文字を書き入れた。


「五十年後」


 これにより、三コマ目は五十年後の未来の描写になる事が確定した。


 三コマ目。本来ならこれは収穫のコマであるから、まずは普通にスーツの男を描いた。すぐに男は眼鏡をかけられ、サングラスにされる。ここで僕らは、はたとペンを止めた。

 おかしい、これは五十年後の世界なのだから、男はもっと老けていなければならない。ところが三コマ目の男は、一コマ目の男と何ら変わらない姿なのである。


 どうやったら男を老けさせられるだろうと考え、わかったぞ!と、僕は男の顔に無数の皺を描き込んだ。皺を描くにしても、例えばほうれい線を深くするとか、目尻に皺を加えるとかすればいいのに、僕は画力が無いから只々、男の顔面にミミズや蛆が湧いたかのように、にょろにょろの線を描き加えていった。

 当時よく遊んでいたカードゲームの中に、『蛆たかり』というカードがあった。そのカードの、蛆のたかったゾンビのイラストを思い出し、「蛆たかりみたいだな」とキャッキャ笑いながら、僕らは男の顔面に本当に蛆を描き足した。


 蛆が湧くほど不潔だったらキノコとかも生えてるだろ!と言い出したのが誰なのかはもはや覚えていない。そのままのノリと勢いで、僕らは男の全身にキノコを生やし、キノコからも更にキノコを生やし、キノコは四コマ漫画の枠をはみ出し成長を続けていった。


 こうして生まれた、スーツ姿にサングラス、顔中に皺と蛆、全身にキノコという異様な姿の化け物に、僕らは「Aさん」と名付け、その後キャラクターとして発展させる事になる。

 Aさんの友達のBさん、奥さんのC子さん等、Aさんファミリーも増殖し始め、段々と狂気感を増していくAさんはやがて学級新聞の中で包丁を振り回す奇人になり、C子さんは何故かいつも満面の笑顔だった。

 笑っていたのはクラスで僕らだけだった。




 中学に入ると、Aさんを描く事はめっきり減ったが、その代わり別のやばい遊びをよくしていた。


 帰り道の電柱に、よく無料の宗教冊子がかけてあった。僕らはそれを毎月貰っては、中身を熟読して、ネタになりそうな部分を探していた。

 ネタを探すといっても、馬鹿にしているという感覚は無かったし、実際馬鹿にはしていなかった。よく読むと、結構良い事が書いてあったし、おそらく子供向けの企画だと思われる童話のコーナーが、毎回なかなかに楽しめた。


 だから僕らは馬鹿にするのではなく、冊子内の知識やフレーズを覚えて事ある毎に使ったり、信者になったわけでもないのに団体の創始者を神格化しているかのような言動を取ったりといった方向の遊びをしていた。狂っていた。

 いつの間にか創始者の似顔絵が描けるようになっており、学校の黒板の隅に描いてそのままにしておくというある種のテロもよくやっていた。モラルハザードぎりぎりである。




 僕らの通っていた第三中学には、”三中ノート”なる物が存在した。学生手帳とスケジュール帳が一緒になったようなA4サイズの冊子で、末尾に明日の授業の予定や準備物を書き込むページが一年分用意されていた。明日の予定の横には三行程度、今日の一日について振り返って書く欄がある。それを毎日担任の教師が読んでコメントを返すことで、生徒とのコミュニケーションツールとして活用されていたのだが、僕はある日を境に、そこに通常の日記を一切書かなくなった。


 悪意のある友達の似顔絵をその友達ではなく茄子のキャラクターであると言い張って描いたり、おじいちゃんの必殺技を百個程度考えて連載したり、例の宗教冊子の文言を抜粋して「イデオロギーを警戒せよ」とだけ書いて提出したりと、やりたい放題だった。


 数年前に、中学卒業以来にその三中ノートを見返したのだが、よくもまあこれが教育の場で許されていたなといった感じで、あれを注意する事なく受け入れ、毎回ポジティブなコメントを返してくれていた事に関しては、今でも平山先生に深く感謝している。


 こんな事ばかりやっていたから、僕の周りにはそれを面白いと思う友人達が集まった。休み時間にこそこそ集まっては変な遊びをする僕らを嘲笑の的にする奴らは多く、何が面白いんだか理解できないといった事も何度か言われた。だが気にしなかった。自分の面白いと思う事を、それを面白いと思える奴らと一緒に楽しめたから、他の奴らがどう思おうがどうでもよかった。だから僕は、自分の面白いと思う事を自由に続ける事ができた。


 だが、クラスを離れるとそうはいかなかった。前々回に少し触れたが、僕は野球部だった。スポーツを観るのも好きだったし、中でも野球が好きだったから、野球部を選んだ。しかし野球部の中にいつもつるんでいる友人は居らず、その代わりに僕らを笑っていた集団が何人か居た。加えて僕は、運動がまったくできなかった。教室で変な事をしている奴が部内では一番下手くそで、それを補うだけのコミュニケーション能力も明るさもない。僕はすぐに排斥の対象になった。


 バッティング練習で打席に立つと、デッドボール狙いでわざと体付近にボールを投げられた。練習後にグラウンド整備をしていると、暗闇からボールを投げつけられ、プロレス技のジャイアントスイングをかけられた。徐々にそれらは部活内から日常の学校生活にも浸食し始め、何回か上靴は無くなったし、靴の中に画鋲を入れられた事は無かったが、靴の裏を見たら画鋲がびっしり刺さっていた事はあった。


 つまり、どう考えてもいじめられていたのだが、周りにいじめられてると見られるのが嫌だったから、親にも教師にも相談しなかった。変な所でプライドが高いのは今も昔も変わらない。だから、嫌だったししんどかったし腹立たしかったが、頑張れば耐えられるようなレベルのいじめだったこともあり、耐えた。部活の引退は三年生の六月、そこまで耐えれば奴らと顔を合わせる事も減り、仲の良い奴らとだけつるむ楽しい日々が待っていると、耐え忍んだ。


 あの時、然るべき報告や相談をしていればなと今になって思う事もある。粛々と証拠集め、提示、報告を行っていれば、あいつらを最後の大会に出場させないくらいの事はできたはずなのだ。別にそこまでしたいとは当時も今も思っていないが、あの時無理して耐え忍んだ事で得た物は何も無かったと思っている。




 とまあこんな感じで、楽しい事も多かったが、全体的には中学生活は楽しい物ではなかった。大切な仲間になるはずのクラスメイトもチームメイトも大半がくだらなく、担任とは馬が合わない。変な事ばかりやっていた為クラスの人気者にはなれず、出来る教科は良く出来たが逆に出来ない教科は果てしなく出来なかった為、勉強でも尊敬も集められなかった。更には合唱コンクールの件で、クラスメイトと微妙な距離感も生まれた。


 はやく中学生活が終わればいいと思っていた。何の根拠もなく、高校ではもっといい生活が送れると思っていた。幸いにも、高校受験は成功し、志望校に合格する事ができた。だから、四月になれば輝かしい日々がやってくると思っていた。卒業式は、先生や友達との別れを惜しんで涙を流すクラスメイトが沢山居たが、僕はずっと笑顔だった。ようやくこの場所から離れられると、とても清々しい気分だったのを覚えている。




 桜の季節。憧れていた校舎、憧れていた制服、通学用に買ってもらった新しい自転車。期待に胸を膨らませてくぐった校門の先で待っていたのは、地獄のような三年間だった。

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