第6話 ボイコット

 意外にも我が家は音楽一家だった。父親は学生の頃、趣味でギターを弾いていたりしたし、同時に大学のサークルでテナーサックスを吹き始め、今でもアマチュアのジャズ・ビッグバンドで活躍している。母親もそこまでではないがピアノを趣味にしていたようだし、その影響で実家にはそこそこ立派なエレクトーンが置いてあった。

 だからきっと、息子である僕にも音楽をさせたかったのだろう。小学校に入って間もない頃、僕は某有名音楽教室に通っていた。両親の話によると、一応僕にやりたいかどうかの意志を確認した上で、やりたいと言うから始めさせたそうなのだが、当然ながら僕にはやりたいと言った記憶も、音楽教室に通いたかった記憶もない。きっと「やるか?」と言われたから、何も考えずに「やりたい」と答えたのだろう。子供なんてそんな物だ。


 そうやって通い始めた音楽教室は、まあ面白くなかった。今通えば、きっと楽しいだろう。今の僕は、音楽の楽しさや面白さを十二分に理解しているから。

 しかし以前も述べたように、僕はいくら周りが楽しいと言っていようが、自分が楽しいと思わなければ興味を全く示さない子供だった。だから当時の、音楽の面白さを全く理解できていない状態の僕からすれば、毎週出される音楽教室の課題は苦痛でしかなく、毎週一回の授業に行くのがひたすら億劫だった。


 結局僕は、程なくしてその音楽教室をやめた。そしてそれ以降しばらくの間、僕は音楽に苦手意識を持つようになった。音楽は自分には合わない物で、苦手な物なのだという意識がどこかにずっとあり、学校の音楽の授業でも、日常生活で音楽に接する機会があっても、どこかそれらを毛嫌いし、避け続けた。

 それは成長し、自分から音楽を聴くようになり、自発的に音楽の良さを受け入れるまで続いた。今では僕は、ライブやフェスに音楽を聴きに行く事が趣味の一つになっているし、家族の中で圧倒的に自分が一番音楽を聴いているから人生とは不思議な物だが、もしあの音楽を避けていた空白期間に一般程度にでも音楽を楽しめていれば、色々得られた物もあったんじゃないかと思うし、少なくともあの時あんな行動は取らなかったのではないかと思う。




 僕らの中学では、クラス対抗の合唱コンクールが毎年の恒例行事だった。全校で二位までに入ったクラスは市のコンクールに出れるとあって、特に女子は毎回それなりの盛り上がりを見せていたが、僕は合唱コンクールがあまり好きでは無かった。きっと音楽に対する苦手意識から来るものでもあったのだろうが、単純に何も楽しくなかった。

 本番が近づいてくると、朝礼前も昼休みも放課後も返上して合唱の練習。何度も何度も繰り返し、同じ歌を歌い続ける。休む時間のはずなのに休ませて貰えないどころか、嫌な事を延々とさせられ続けた。今の考え方で言ったら、ブラック企業ならぬ、ブラックコンクールと言ったところか。とにかく、毎年はやく終わって欲しかった。

 それでも何とか、学校行事なんだから仕方がないと割り切って、自分なりに真面目に練習をしていたのだが、その僕のやる気を著しく削ぐ存在がいた。担任の教師だった。


 平山先生は二年、三年時の担任だった。女性の美術教師で、基本的には明るくユーモアもある為人気だったが、その反面直情的な言動や考え方から嫌う者も多く、生徒からの評価がはっきり分かれるタイプの先生だった。

 平山先生もまた、合唱コンクールに力を入れている人物の一人だった。二年生の時は学年別の優勝争いに残る事もなく惨敗。だからこそ三年時のコンクールにかける想いはひとしおだったのだろう。練習開始前の披露曲選定の時点から熱のある指導を続け、コンクールが近づくと付きっきりで練習を見るようになっていた。


 平山先生は普段から、感情的な発言が目立つ人だった。練習中も、「お前らは腹から声を出そうとしていない、ちゃんとやればもっと上手く歌えるはずだ」等と、抽象的かつ理屈の伴っていない指導を始めては、練習を中断させていた。僕はそれがどうにも気に食わなかった。そもそも美術教師であるはずの人が、どうして専門外の合唱に関して技術的指導をしてくるのかわからなかったし、それを聞いている時間でもう一回歌うなどした方がよっぽど有意義だと思った。音楽の授業になると、音楽の先生が専門的かつわかり易く、合唱についての指導をしてくれる。だからこそ比較して、この専門外の教師の指導の穴と薄っぺらさが目立った。


 確かに、練習を真面目にやらない生徒は多かった。不真面目な態度で練習をする一部生徒にイライラする気持ちはわかるし、真面目に練習するよう指導するのは担任の責務でもある。だがそれなら、真面目に練習するように指導すればいいのだ。合唱コンクール、もっと言えば学校行事を真面目にやる事の大切さ、クラスで一致団結する事の大切さを説けばいいのだ。それを技術的指導と混同し、理屈も根拠も伴わない、不明瞭で抽象的な精神論を教師という立場から一方的に生徒に押し付けるのは、指導ではなくただのヒステリーだと、僕は思っていた。

 そんな日々が続き、当然のようにクラスからは、先生に対する不満が噴出するようになった。練習後等に、男子数人で集まると、必ず先生への陰口大会が始まった。陰口をたたくことの良し悪しはともかく、ああ、皆同じ気持ちなんだと、僕は思っていた。


 ある日、いよいよ平山先生が爆発した。真面目に練習をしない生徒にしびれを切らし、練習を中断させて男子を一列に並ばせたのだ。


 「もうわかった、これ以上ちゃんと練習しろだなんて言わない。そこまでやりたくないんだったら、君たちも三年生だから、練習の時間に受験勉強をしててもいい。これから一人ずつ意志を聞いて行く。真面目に練習をするか、勉強をするか、選べ」


 そう言って、列の端から、一人一人に練習or勉強の二択を問い始めた。これは先生にとって切り札のつもりだったのだろう。どう考えても練習と答えるしかないこの二択によって、生徒一人一人に自分の口で真面目に練習しますと言わせ、その事実をもって今後真面目に練習をさせる為の口実にする。

 だがそうはいかないと、僕は思っていた。これはヒステリックに正当性のない指導を繰り返す先生に向けた反発のチャンスであり、意志を表明するチャンスである。あれだけ不満が溜まっている現状を鑑みれば、そう簡単に全員が「練習します」と答えるはずがない。

 多数の生徒による練習ボイコットが起こる。それによって先生が考え方を変える。そう思っていた。


 一人目の生徒の前に、先生が立った。


「お前はどうする、真面目に練習するか?それとも勉強するか?」


 そう問うと、生徒は少し間を開けた後、


「真面目に練習します」


 と答えた。次の生徒も、俯きながら「練習します」と答えた。あっという間に、僕を含めたあと五人程度を残すだけになり、それまでの全員が「練習します」と答えていた。


 ふざけるなよと思った。あんなに陰で先生への不満を口にしていたではないか。怒っていたではないか。ここで何か行動を起こさなければ、反発しなければ、素直に練習しますと答えてしまえば、全面的に先生が正しかったと認める事になるんだぞ?自分が間違っていたと認める事になるんだぞ?自分たちは真面目に練習をしなかった不真面目な生徒という事になってしまうんだぞ?何故全員が落ち込んだ表情で、俯いたまま、「練習します」と答えるのだ。なぜ不服そうな表情を浮かべる事すらしないのだ。そうか、その程度か。その程度なんだな……


 皆本気で反発などしていなかったのだ。ただ単に自分が責められている事に対する、幼稚で、感情的で、非論理的で、非生産的な、「平山うぜえ」という感情があっただけ。陰で悪口を言ってちっぽけな自尊心を満たしていただけ。誰も先生の指導の論理的、倫理的問題点になんか目もくれていなかったし、気付いてもいなかったのに、僕一人がそれに反応し、怒り、そしてその感情を全員で共有していると思っていた。


 目の前で、特に仲の良かった二人が、他の生徒と同じように俯きながら「練習します」と言い、ついに僕の番が来た。お前らもかと、絶望と怒りで拳を握り締めた。


「お前はどうするんだ?」


 僕の目を見ながら先生が問う。答える前に、何となく他の生徒を見回した。この説教からは隔離されている女子達の、心配とも不安とも怒りとも取れる表情。自分の番を待つ数人の生徒の、正気の無い表情。答え終わって解放された男子生徒達の、へらへらと談笑している様子。それらが段階的に目に映った。

決心を決めた。小さく息を吐き、前を向き直す。先生の目を見て、


「勉強をします」


 と答えた。みるみるうちに教室がざわついていくのが分かった。




 それから合唱コンクール本番までの約二週間ほど、僕は背後から聞こえる練習の歌声を聞きながら、自分の席で課題のワークを解き続けた。流石に「勉強する」と言い出す生徒が居るとは思っていなかったのか、当初先生は僕の答えに、俗に言う鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていたが、そこまで言うなら仕方がないと、最後には一人だけ練習の時間に勉強をする事を許可してくれた。というかそう言う他なかったのだろう。


 この事件で、簡単に「真面目に練習します」と答えたクラスメイトを、僕は酷く軽蔑した。信念も正当性も無い反抗心で陰でこそこそ悪口を言っておいて、実際表で問い詰められたら尻尾を巻いてすぐに逃げ出す。そんなのダサくないか?ダセえダセえ、ダサすぎる。だったら最初から反抗なんてしなきゃ良かっただろ。いやあ、先生の言う通りだなあって、裏でもへらへら笑ってれば良かっただろ。根拠がないなら人を叩くな、そして思って無いなら周りの悪口に簡単に乗っかるな。その場しのぎの事なかれ主義で動く周りの中で、一人本気で動こうとして孤立している自分が酷く哀れであり、そして滑稽であった。


 たった一人のボイコット、たった一人の反抗。自分でやっておいて何だが、その期間中はまあ、地獄だった。

 練習(僕は勉強)中、全員の視線がこちらに集中している気がした。教室の後方で練習している集団に背を向けて机に座っている形になるので、直接彼らは見えなかったが、確実にクラスメイトの注目はこちらに向いているとわかる。背中にじりじりと焼けるような感覚が走った。練習が終わると、何人かの女子が「やっぱり一緒に練習やろうよ」と話しかけてきた。だがもうここまでやってしまった以上、今更決断を覆せなかった。何度かあった「練習しよう」という救いの手に対して、僕は最後まで応じる事はなく、コンクール終了まで、僕は延々とクラス中の冷ややかな視線に晒される事となった。


 コンクール終了後も地獄は続いた。日直等になると、配布物等を取りに職員室に行かなくてはならない事がよくある。問題は職員室内で、「合唱コンクールの練習をボイコットした奴が居た」という話があっという間に広まってしまっていた事で、僕が職員室に行く度に音楽の先生が「どうして練習をしなかったの?」と心配そうに聞いてくるのであった。職員室の先生方は当然、ボイコットに至った経緯を知らない。だからと言って教員に囲まれた状態で「平山先生の指導が」等と説明するわけにもいかず、僕は愛想笑いで誤魔化しながら、足早に職員室を出るのが常であった。




 この合唱コンクールの出来事は、その後何度も思い返す事がある。一つだけ言える事は、あの時の僕の行動はおそらく正義ではなかったという事で、合唱コンクールの練習をボイコットするという選択は誤りだったと、今は考えている。

 先生への反抗、という所までは良かったが、僕が練習をボイコットした事で、結果的には真面目に合唱コンクールで勝とうとしていた生徒に実害が出てしまっていた。

 結局、僕らのクラスは賞に届くことは無かった。真面目にやっていても勝てたかは危ういが、最後の合唱コンクール、最後のクラス行事、それに向かって一致団結しようとするクラスにつまらない事で水を差してしまった事を、今となっては申し訳ないと思っている。


 また、僕がただ練習をボイコットしただけだったのも問題だった。先生のやり方に反発していたが、具体的にそれを直接抗議したり、問題点を伝えるといった行動は取らなかった。ただ練習をせずに勉強をしていただけの、言うならば無地旗を掲げたデモ行進だったのだ。

 ボイコットは目的ではなく手段である。ただ“練習をしない”という反抗的行動をするだけではなく、同時に自分の考えも主張して伝える努力をしなければならなかった。自分の考えを伝えずに反発だけしても、世間はお母さんではないのだから、その奥にある意図や動機まで汲み取ってはくれないのだ。

 だからおそらく今でも、平山先生や当時のクラスメイトの殆どは、僕が練習をしなかったのは単純に合唱コンクールが嫌いだからだと思っているのだろう。つまるところ、勝ち目のない戦いだったのだ。僕も、他のクラスメイトとは別ベクトルに、幼稚なだけだったのである。


 いずれにせよこの頃から、自分の考えで動かない人々や、周りに流されながら生きる人々に違和感を覚え、自分は絶対にそうならないと、意識しながら生きるようになった。そんな同調圧力や集団心理で、自分の好きな物や考えを曲げたくなかった。だがそうやって意識して過ごし始めると、周りとの溝は目に見えて深まっていった。

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