第3話 キング・オブ・捻くれボーイ
ゴジラの新作が公開された。レジェンダリー社が手掛けるハリウッドのリブートシリーズ二作目。今回はモスラやキングギドラやラドンといった往年の名怪獣達が揃って登場するとあって、公開前から否が応でも期待は高まった。
十二年ぶりに国内で製作された『シン・ゴジラ』の時ほどではないが、ゴジラの新作が公開される時期は、いつになってもワクワクする物である。
僕はゴジラが好きだ。子供の頃から、いわゆる怪獣モノ、特撮モノをよく観てきた。子供の頃にそういった作品を観るのはよくある事で、子供をターゲットにした作品であれば、例えば子供向け雑誌で特集を組んでもらったり、子供向け番組の最中にCMを流したりするから、必然的に子供たちはそういった物に興味を持つ。それが幼稚園や小学校などで友達伝いに口コミとして広まり、更に子供たちはそういった作品を観るようになる。
だが僕の場合、特撮モノを見始めたきっかけはかなり特殊だった。大人になって、多くの所謂特撮オタク達と知り合ったが、未だに同じ入り方をした人には会った事がない。
幼少期の頃、僕の家のビデオデッキはベータマックスだった。ヤングの為に教えよう、昔々、思い出を記録する媒体はビデオであり、それにはVHSとベータの二種類があったのだ。
ベータマックスの特徴は、録画時間が短い反面VHSに比べて画質が良い事で、父はその画質の良さを買って、ベータを選んだらしい。ところがその後の規格戦争でVHSに敗れると、ベータは急速にその姿を消していく事になる。そうしていよいよベータのデッキが手に入り辛くなってきた頃、僕が生まれた。
僕は無邪気だった。今の僕からは想像できないくらい、とにかく元気で、よく喋る子供だったらしい。もうちょっと成長した後の話になるが、親戚の結婚式に親と共に参列した際に、式の中盤で飽きて「もう終わり!」と叫んで式を強制終了させようとしたり、父親が友人たちと行ったキャンプについて行ったときに、夕暮れのキャンプ場でジャズの名曲『ベサメ・ムーチョ』を熱唱していたり、その手のエピソードには事欠かない。
そのまま成長していれば多少人生も楽だったろうに、気付けばこんな陰キャモンスターに成長しているのだから、人生とはわからないものだ。ちなみにベサメ・ムーチョは、日本語に訳すと「たくさんキスをして」という意味である。
無邪気な僕はよく物を壊して叱られた。その最高潮があの日の事で、当時三歳程度の僕は何を血迷ったか、父が大切にしているベータのデッキのテープ差込口に醤油煎餅を差し込み、ぶち壊したのだった。ご丁寧に挿入後に取り出しボタンを押したものだから、醤油煎餅は内部で粉々に砕け、奥へと入り込み、デッキは完全に動かなくなった。
父は様々な映画やら番組やらをベータのテープに録画していた。僕がデッキをぶち壊した事でそれらは全て見れなくなり、父はそれを後年になっても嘆いていたが、以降我が家のビデオもVHSになり、新しいベータのデッキがやってくる事は無かった。
そんな父の仕事は、海産物の仲卸だった。僕の実家は東北の地方都市で海産物の仲卸と小売りをやっている小さな家族企業。だから毎日、市場の始まる時間に合わせて朝の三時前には父は家を出ていた。そんな生活だったから、父は休みの日にも時折、早朝にはもう起きていて、テレビを観たり映画を観たりしている事があった。
僕が五歳頃のある深夜、ふと目を覚ますと隣のリビングから父の見ている映画の音が聞こえて来きた。いつのも事だったのだが、その日は何故かまた寝る事もせず、そのままリビングへと出て行った。ソファに体をもたれかけながら映画を観ていた父は、「一緒に観るか」と声をかけ、寝ぼけ半分で突っ立っていた僕は、無言で頷いて父の横に座った。
父が観ていたのは、『宇宙大怪獣ギララ』という古い怪獣映画だった。怪獣映画というのは、何もゴジラだけではない。ゴジラが商業的に成功した事で、当時隆盛を誇っていた日本映画界は、配給各社がこぞって怪獣映画を作るようになった。つまりはまあ、ゴジラの二番煎じが次々と製作されたわけだ。
その中には大映のガメラのようにヒットし、シリーズ化された物もあったが、殆どが思うような興行収入を上げる事ができず、今ではマニアしかその名を知らぬような存在になっている。そんなマニアック怪獣映画の一つが、松竹の製作した『ギララ』だった。
別に父は、そういったマニアック怪獣映画を好き好んで観るような、いわば“オタク”ではなかった。どうやらたまたまテレビでマニアックな怪獣映画を毎日一作品ずつ放送する企画があり、それを録画して観ていただけだったらしい。特に面白い映画でも無く、その後父がこの作品について語っているのを聞いた記憶もない。むしろこの作品に興味を示したのは、何となく隣で一緒になって観始めた僕だった。
このマニアック極まりない映画で怪獣映画もとい特撮作品の面白さを知った僕はその後、ゴジラやガメラや、はたまたウルトラマンといったような特撮作品を観漁るようになる。そして今思えばこれが、僕の“オタク”の始まりだった。
冒頭の話に戻るが、特撮オタクの道にこんな入り方をした人は他に知らない。大概オタク同士で話すと、最初に観た作品は何でした?といった話になるが、『宇宙大怪獣ギララ』と答える人はまず居ない。僕が正直にそう答えると、きまって爆笑が起こる。得しているのか損しているのかは未だにわからない。
僕がギララを観て怪獣映画に目覚める少し前に、平成ウルトラマンシリーズの第一作、『ウルトラマンティガ』の放送が始まっている。だから当然僕も周りの男の子と同じようにティガを観ているべきだったろうし、そこが特撮の入り口になるべきだった。実際同世代の特撮オタク達はこの辺りから、特撮や怪獣といった物に触れている事が多い。
だが僕は当初、ティガを全く観ていなかった。ギララを観て、それで怪獣が好きになるまでは、ウルトラマンティガにも、その他の怪獣モノにも、全く興味を示さなかった。例え友達が皆観ていようが、勧められようが、じゃあ僕も観よう!とは一切ならなかった。自分から能動的に観て初めて、猛烈に興味が湧いたのだ。自分で観て良いと思った物以外に興味が無かったのだ。当時から僕は、そんな奴だった。
捻くれたガキだった。普通の男の子であれば、ただ呑気に作品を観て、ゴジラかっこいい!ウルトラマンがんばれ!といった楽しみ方をする。それが健全で正しい、特撮作品の観方だ。
だが捻くれた僕は、そんな楽しみ方を一切していなかった。ゴジラかっこいい!等と言った記憶が無いし、ウルトラマンがんばれ!どころか、ウルトラマンが怪獣にやられてしまう話が好きだった。
当時から情報収集癖がある。好きな物はとことん調べて情報を仕入れなければ気が済まない。だから、ゴジラ誕生の秘密に迫った『世界ふしぎ発見!』ゴジラ特集の回のビデオを文字通りテープが擦り切れるほど見たし、歴代の監督やスタッフ、キャストのインタビュー等が山のように載った本も、綴じ紐がほつれるまで読んでいた。
そんな事をしていると、知識は付くが、作品の観方はまったく純粋じゃなくなる。ひたすらに「ここの爆発がいい」「怪獣という存在の文学性」「作品の制作背景」等と、まるで特撮オタクのおじさんのような楽しみ方を、当時からしていたのだ。
特撮作品を普通の楽しみ方で普通に観ている普通の子供達は、やがて成長と共に普通の特撮作品の楽しみ方に飽きていく。そうして特撮からは卒業し、年相応の別の興味に移っていくのだ。しかし僕は、なまじその先の、より深い楽しみ方を知ってしまっていた為に、特撮から卒業する事ができなかった。飽きが来なかったのだ。
だから僕は未だに特撮を観ている。ゴジラの新作が公開されれば、ウキウキで映画館へ向かう。この歳になれば、当時の捻くれた観方は普通の観方へと姿を変えるし、当時頭に叩き込んだ知識が何かと役に立つ事もある。じゃあ良かったじゃないかと思われるかもしれないが、「ゴジラについて詳しく語れる事」の対価にしては、流石に失った物が多すぎやしないかと思う。
ちなみにだが、今の僕の特撮作品の観方は子供の頃よりかなり純粋だ。件の新作、『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』も、「おお!ギドラかっけえ!」とか思いながら楽しんで観ていたし、最近ではウルトラシリーズの希望に満ち溢れた単純でわかり易いエピソードで泣いてしまう。
動画サイトで無料配信されている『ウルトラマンガイア』を観て、少年時代を思い出したノスタルジックな感傷と、ああこんな純粋な気持ちを忘れない素敵な大人になりたなかったという懺悔と後悔で、僕は頬を濡らすのだ。
あの頃、僕の心にはおじさんが居たが、本物のおじさんに近づいた僕の心の中には少年が居る。あの頃できなかった楽しみ方を、必死に取り戻すように、僕は特撮作品を楽しんでいる。
「人は誰でも光になれる」……そんな台詞があった気がする。おじさんも、光になれるのかな?おじさんは、光になりたいんだ。
そう呟いた瞬間、家のブレーカーが落ちた。僕は舌打ちしながら、保存できていなかった後半の文章を書き直している。
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