第2話 図工室とハムスター
通っていた小学校は、それなりに曰く付きである。創立から九十年以上の歴史を数えるその小学校は、校庭に防空壕を掘っただとか、校長室の目の前に爆弾が降って来たが不発弾だったので助かった、等と戦時中のエピソードも事欠かない。
それとの因果関係は不明だが、数多くの心霊現象が目撃されており、大雨の夜に教頭先生が階段を駆け上がる子供の姿を見たり、近所の住民が深夜に校内の蛍光灯が付いたり消えたりしているのを見たり、児童の女の子がトイレの扉が勝手に開くのを見たりしている。
あまりにもそういった現象が多発する為、霊能力者を呼んで校内を見て貰った所、その霊能力者は、廊下の端の壁に掛けてあった鏡を見るや否や、
「この鏡を今すぐ外して下さい!」
と、声を荒げたと言う。その後すぐに鏡には布がかけられ、やがて撤去されている。
だがこれらの話は全て、僕が卒業後に、弟の代でPTAに入った母親伝いで聞いた話だ。至極当たり前の話だが、通っている児童には変な噂が伝わらないように配慮がされていたようである。
だから僕らは、その小学校がとんだお化け学校である等とはつゆ知らず、心霊現象起きないかな~、つまらないな~等と言いながら、七不思議を創作するなどして遊んでいた。そんな七不思議に登場する場所のひとつに、図工室があった。
その図工室は校舎の一階、教室の並ぶ廊下の突き当たりを曲がってすぐの所にある。廊下を挟んですぐ隣には、当時僕が所属していた二年三組の教室。だから図工室は、二年三組の児童が掃除を行う事になっていた。
その日も僕らの班はいつものように図工室の掃除を終わらせたが、教室に戻るにはまだ五分程度の時間が残っていた。班の構成は僕以外に男二人と女三人の六人だっただろうか、六人は時間を持て余し、図工室内の機材を見て回っていた。
その機材の中に、不思議な物があった。金属の重たい台座の上に、これまた金属のローラーが付いており、その横のまるで船の舵輪のようなハンドルを回すと、台座が横にスライドするように動く。要するに版画用のプレス機なのだが、小学二年生の我々には完全に未知の機材だった。一体これは何に使う道具なのだろうという会話のやり取りが自然に始まり、それに対して小学二年生の僕は唐突に、笑いながらこう言い放った。
「ここにハムスターを固定して、ローラーを回して使う」
他の五人の反応はまあ、想像の通りである。当然細かくは覚えていないのだが、女子の一人に「どうしてそう言う事を言うの?」といった事を言われた気がするし、そうでなくても皆、これを嫌な想いで聞いていたに違いない。狂気極まりない発言である。小学二年生ではそういった物に耐性も無いだろうし、シンプルに気味悪がられていたろうと思う。
だが当時の僕は、別に猟奇的発言をしようと思ったわけでも、皆を怖がらせようと思ったわけでもなかった。僕は純粋にこれを、周りの皆を笑わせようとして言っていた。つまり面白い事を言おうとして、思い付いたのがこれだったのだ。“版画用プレス機の新しい使い方”という大喜利のお題があって、それに対する回答が“ローラーでハムスターを轢く”だったのだ。
僕は今でも、こんな事をよくやる。笑いを取ろうとしている場面で、ついつい怖い発言や、病み散らかした発言をしてしまう。何故なら、それが面白いと思っているからだ。
詳しくはまた書く機会もあるだろうが、僕は趣味として大喜利をよくやっている。ネット上でやったり、仲間内で集まってやったり、たまに素人でも出れる大喜利の大会などに参加してやる事もある。その日はそんな大喜利大会の日で、ステージ上の僕はいつもの調子で大喜利に興じていた。
序盤はまずまずの出来だった。いくつか納得のいく回答も出していたし、僕なんかが舞台に立つには立派過ぎる会場の、二百人弱のギャラリーの笑いも取れていた。
お題が切り替わって、画像お題になる。表示された画像を見て、ボケを考えなければならない。屋外でお弁当を食べる男の画像だった。僕は一問目と何一つ変わらぬ思考とスタンスで、面白いと思って、次のような回答を出した。
「梅干しを落としてしまったので、眼球を取り出してご飯の上の窪みに乗せる」
客席が凍ったのが僕にも分かった。いつもは回答の度に抜群の知識と瞬発力と語彙力でツッコミを入れて盛り上げてくれる司会者が「怖いな!」とだけ言って次の回答を促した。「なるほど、こっち系の回答は引っ掛からないのね」等とノーダメージを装っていた記憶があるが、実際には完全に動揺していた僕はその後納得のいく回答は一つも出せず、当然一つもウケる事なく、目に見えた惨敗で大会を終えた。
こんな事もあった。会社の人に飲みに誘われたある金曜の夜。職場近くの大衆居酒屋の、いくらなんでも狭すぎるテーブルにようやっと六人で肩をすぼめて座り、とある社員の話をしていた。
その社員は某部署の部長であり、物腰は柔らかく、ユーモアもあり、個人的にも良い印象しかない人なのだが、どうも本性はめちゃくちゃヤバいらしいという話だった。
いくつか過去のとんでもエピソードが飛び出した後、僕の向かい側に座るその人の下で働く社員が、その人の最近のストレス発散の方法の話をし始めた。
川に行くらしいのである。川岸から先端に三本フックの付いた紐を投げ入れる。しばらくそれを動かしているとやがてナマズがかかり、岸に上がってくる。ナマズ釣りにはあまり詳しくないが、そういう獲り方は実際にあるそうだ。そのナマズをフックから外し、薪をくべた火の中に放り投げる。ナマズは時折ぱちぱちと音を立てながら焼きあがっていき、その人はその様子を眺めながらふっ……と笑い、放置してそのまま帰る。
飲みの席に戦慄が走ったが、僕は面白くて仕方がなかった。あんなに優しくてそこそこ出世もしていて仕事もできる人が、休みの日にヤバい奴そのものの行動をしているのが面白くて仕方がない。どうやったらストレスが溜まったから川に行ってナマズを焼こう、という発想になるのか。面白くてたまらないし興味しかない。ちょっと色々と質問をしてみたい。
思わず声を出して笑ってしまったのだが、ふと周りを見ると全員が苦笑いを浮かべている。そうか、ここは爆笑すべき所ではないんだと気づき、以降僕は笑いを堪えて過ごした。
とまあ、こんなふうに、僕の笑いの感覚はちょっと異質だ。というか、異常だ。だが、そういった感性はてっきり、ある程度大人になってから磨かれた物であると思っていた。鬱屈とした日々を過ごした結果、感性と根性が捻じ曲がってしまったのだとばかり思っていた。しかし、実際は小学二年生当時から殆ど変わらない感性を持っていたようだ。
流石に今では、版画用ローラーを見ても「ハムスターを轢く」とは答えない。ただそれは、ハムスターが登場する事に脈絡が無かったり、回答のバランスが恐怖方面に寄り過ぎていて笑える余地が無かったりと、要するに回答としてのクオリティが低いからであって、方向性としては、版画用ローラーでハムスターを轢くのは面白いと思っている。
だから例えば、ローラーをハムスターの遊ぶ回し車に見立てるとか、ローラーで轢かれる瞬間にBGMとして西城秀樹の『傷だらけのローラ』が流れるとか、むしろローラーがオルゴールになっていて回る毎に『傷だらけのローラ』のオルゴールver.が流れるとか、それをローラがインスタグラムで非難するとか、そんな感じでテコ入れすればちゃんと面白いはずだ。
笑いであり恐怖、笑いであり狂気、笑いであり猟奇。そういった二つの相反する概念の中間が、僕の"面白さ"における永遠のテーマであり、最も面白いと思う物なのだ。共感はあまりされないが。
小学生の当時も、そのような感性や感覚を理解される事は当然無かった。図工室の一件も、周りは誰も笑わなかった。だが僕自身、理解されない事を嘆くことはなかったし、それによって迫害を受けることもなかった。僕の猟奇的発言で眉をひそめていた女子達も、次の日になれば仲の良いクラスメイトとして、何一つ変わらずに過ごした。
それは、小学生の子供は他者の事など見ていないからだ。自分が楽しいから何かをやる。楽しくないからやらない。自分の欲求や感覚に忠実なのが小学生頃の人間の行動原理であり、思想原理である。だから「他者はこうしている」だとか、「普通はこうする」といった外的要因によって行動や思想をコントロールする事は殆どない。僕が度々、例のような“ずれた”事を言っても、クラスメイト達は次の日も変わることなく接してくれていたし、おそらく僕が“ずれている”事に興味も無かっただろう。少なくとも僕にとって、小学校というのはそういう場所であり、だからこそ僕は、“普通の小学生”として、六年間を過ごす事ができた。
小学校みたいな社会だったらいいのにと、二十代後半になった僕は本気で思う。
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