につき

枕と畳

第1話

生きている価値がない人間が生きていていいのだろうか?


私のような人間は早く死ねばいいと思うが、死ぬ勇気がない。


殺されればいいか


そう思い、酔っ払ってる人を助けてみたり、暴れている人を仲裁してみたりしても殺されるどころか、かすり傷一つ負わない。


死ぬということは人に迷惑をかけることが大半なので、人に迷惑をかけずに死ぬ方法を考えてみたものの。なかなか思いつかない。


私は心を病んでいる。それは自覚している。自覚しているからこそ、心療内科に通っているのだ。


もしも楽しかった小学生中学生時代の心に戻ればとても楽しい人生を今からでも送れる気がするのだが、それは不可能だ。


日々死にたい。わけもわからない不安に心を縛られて潰されている。


死神が右手で心臓を左手で心を強く握っているんだろう。


苦しむごとに死神が喜んでいるに違いない。


今の私には喜びというものがない。ただただ、楽に死ねればいいのにということを考えている。


ふと思ったが、楽に死ぬとはどういったことだろうか?


安楽死という眠るように死ぬ。それが叶うならば素敵なことだ。


安楽死ということがあるぐらいなら、通常の死は安らかで楽ではないということではないのか?


そう考えると、楽に死にたいという考えも生きる価値がない人間には贅沢すぎる悩みなのかもしれない。


そう、楽に死ぬということは贅沢なのだ。


生きる権利も死ぬ権利も平等にあるが、楽に生きる権利と楽に死ぬ権利は平等に存在するわけではない


社会から認められている人が手にする権利なのだ。


その権利を得るにはどうすればいいのだろうか?


今の私にはわからない。明日の私にもわからない。明後日の私はどうだろうか?


生きるも死ぬもどちらにせよ計画と決断と実行が必要なのだ。


ただ、前者は継続が必要で、後者は1回で済むかもしれない。すまなかったら苦痛が付きまとうのだ。


やり直しが効かなくなってしまう可能性がある後者こそより緻密な計画と実行力が必要だ。


しかし、心が壊れて心療内科に通っている私にはその努力はかなり難しい。


天使か悪魔か、囁きでも聞こえてくればいいのだが。無宗教の私にはどちらの知り合いもいないのが残念だ。

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につき 枕と畳 @makuratotatami

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