死神の物語

@milestone

第1話 頭上の本

 人間一人が得られる幸福には限りがある。人生の終わりには幸福と不幸のバランスは均衡が取れていなければならないが、生きていく中で偶然手に入れた幸福値が規定量を超えると不幸な死をもって精算されなければならない。その執行者は死神と呼ばれている。


「大竹清澄、大学2年生です。今日はお時間いただきありがとうございます。よろしくお願いします」


 駅近くのカフェでスーツを着た男と私服の男が向かい合わせで座っている。時刻は午後7時を過ぎたばかり。6月の梅雨空は曇天が立ち込めて今にも雨が降りそうだ。薄暗い窓の外を仕事帰りのサラリーマンや学校終わりの学生が足早に過ぎ去っていく。


「いやいや、こちらこそ学校終わりに面接予定入れてごめんね。何か飲むかい?」


「いえ大丈夫です。ありがとうございます」


「じゃあ早速本題に入らせてもらうよ。大竹くんはどうしてこのカフェのアルバイトに応募してくれたのかな? 他にもカフェはいっぱいあるのにどうしてここを選んだの?」


「ここは僕が学校帰りによく使わせていただいているカフェでして……雰囲気が好きなんです。あと駅が近くて通いやすいので応募させていただきました」


 そう答えながら、俺は目の前の面接官を品定めする。基準は単純だ。"頭の上の本の厚み"。


「なるほど、じゃあ次にシフトについて聞くけど…………」


 面接を終えた俺は家に帰るのではなく電車に乗って名古屋駅へと向かう。電車はそこそこ満員で外の湿った風と人々から発せられる湿気が混ざり、肌にまとわりつくような気持ち悪い空気が立ち込めている。


 面接官の本は文芸書サイズで厚さは大体300ページくらいだった。


(まぁ……あの歳なら普通サイズかな)


 俺が今まで関わってきた人の中で一番分厚い本の持ち主は母方のばあちゃんだった。ばあちゃんの頭の上には広辞苑と同じくらいの本が一冊と200ページほどの文庫本が乗っており、他を圧倒するそれらの本はばあちゃんの人生が経験豊かであったことを証明していたのだった。


 本はその人の人生を表している。若ければ若いほど本は薄くなる傾向があり、老いれば老いるほど厚くなる傾向がある。若くても厚い本の持ち主は苦楽問わず多くの経験を積んでおり、老いても薄い本の持ち主は何もしてこなかったことを意味している。俺の友達の大久保正隆は同い年にもかかわらず俺の二倍の厚さの本(約300ページ程度)を有している。俺の経験上300ページの本は30歳から40歳の人間が有している場合がほとんどなので大久保は20歳にしてすでに40歳の人間ほどの経験を積んでいると考えられる。


 面接の中でのやり取りを反芻しながら、"あの受け答えはダメだった""ここはこう言うべきだった"と反省点を挙げていると電車は目的の名古屋駅へと到着した。駅のホームは多くの人でごった返している。雨予報の日は大抵こうなるのだ。人と人との間を押し競饅頭しながら階段を下り改札を抜ける。名古屋駅のきらびやかな店々が外の暗闇と対象をなし美しく輝いている。名古屋駅のシンボルの一つ『金時計』の見える広場に向かい、広場に面している高島屋の壁に背中をつけて金時計を見つめる。厳密には『金時計下に集まる人々の頭上の本』を見つめ、観察する。


 人が多く行き交う名古屋駅の広場で人々の人生の厚みを観察することがいつからか俺の日課になっていた。

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