第17話 神の思し召し

「おぉ! これは……」


 城塞都市アビラまで徒歩で半日ほどの場所に小さな村がある。

 その村長宅で、若きアルフォンソ王と側近の数名が食卓を囲んでいた。


 その場にいる者達の目は食卓に運び込まれた大きな木の板に釘付けになっている。長さが一メートルはあろうかという分厚い板には香草が敷き詰められ、その上にはこんがりとグリルされた見事なマスが横たわっていた。


「これは見事! まさに王の食卓に相応しい風格ですな」

 王の前に置かれたマスを、身を乗り出すように眺め回すファンは

感嘆の声を上げる。


「あぁ、これ程までの大物は見たことがない……村長、これはこの村で捕れたのか?」


「は、はい、この村の少し上流で捕れた川の主です。釣りの名人が激闘の末に釣り上げました」


 アルフォンソの問いかけに、部屋の隅に控えていた村長が答える。

 王の御前で緊張に固まっていた村長の表情が、少しだけ和らいだ。


「川の主……」

「激闘……」

 卓を囲む騎士達が口々に感嘆の声を上げている。


「見事なマスだ。それと、これらの料理も……用意するのは大変だっただろう、村の者達皆に礼を言う、よろしく伝えておいてくれ」

 テーブルの上には、マス以外にも色とりどりの料理が所狭しと並べられ、村を上げての歓待ぶりが伝わってくる。


「ありがたいお言葉、村の者も喜びます。そ、それでは私はこれにて失礼いたします、皆様、どうぞごゆっくり」


 村長は、自分たちが用意したマスが、王の気に入ったことに胸をなで下ろし、そそくさと部屋を後にする。大役を果たし終えたその顔は晴れやかだ。


「本日はご覧の通りマス料理です。身が引き締まり、しっかりと脂ものっていますので、その旨味を引き出すために軽くスモークしております。王にお出しするマスは、私の料理人生の中でも間違いなく一番のものです。他の皆様にも立派なマスを一匹ずつお出ししますので、ゆっくりとお楽しみ下さい」


 入り口の辺りに控えていた料理長が、胸を張って今夜のメインディッシュの説明をすると、それに合わせて、香ばしく湯気を立てたマスの皿が次々と運び込まれた。


 ファンは目の前に運ばれたマスに顔を近づける。長い顎髭が料理に触れそうだ。

 しばらく香りを楽しんだ後で、ファンは後ろに控える従者を指で呼び寄せて囁きかける。

「川の主とは驚いたぞ、王に相応しいマスだ。よくやった。味付けの方も期待しているぞ」


「――はい……」

 主人と同様に黒づくめの従者は、初夏にもかかわらずマントに身を包んでいる。常にファンの後ろに付き従うその姿はまるで影のようだ。


 しかし、言葉少なに答える従者の心中は混乱の極みにあった。

(いや、いや、いや、なぜだ、何がどうなっているんだ……)

 額から吹き出す汗が滝のように流れ落ち、細い眉に妨げられて横に逸れ、痩けた頬を伝い、そして尖った顎からしたたり落ちる。


 自分は王に食されるであろう最上級のマスを用意した。

 直ぐに料理ができるように下ごしらえをし、しっかりと下味も付けた。


 下味と言ってもほとんど味はしないのだが、その調味料は一族に伝わる秘伝で、口にした者は文字通り天国に上れる類いのものであった。


 その天にも昇る味付けのマスが、王の食卓に現れるのを楽しみにしていたのだが、運び込まれたマスを目にした途端、全身から汗が噴き出し、心臓が飛び出しそうになる。


(な、なんだ、あの大きさは……自分が用意したマスはあんなに大きくはなかった……焼いて膨れ上がったのか? いや、いや、そんな馬鹿なことは無い、と言うことは……)

 そう、王の前に置かれたマスは、影の男が持ち込んだものでは無かったのだ。このままでは王の毒殺は敵わない。


 だが、そのことを主人に話す気はない。そんなことをすれば間違いなく自分の首が飛ぶ、これは揶揄ではない、文字通りの意味でだ。

 忠誠心? それがどうしたというのだ、命あっての物種だ。


 従者は足下をふらつかせながらも何とか壁際まで下がり、ゆっくりと息を整える。

(落ち着け、大丈夫だ。王に毒が効かなかったことにすればいいだけだ。それで何とか切り抜けられる、気取られるな……)

 

 汗はまだ滴り落ちているが、胸の鼓動は少し落ち着いたように見えた。しかし男は、はっと顔を上げると目をむいて視線を卓上に走らせる。一度は落ち着いた動悸がまた跳ね上がり、呼吸が速まる。


(待てよ、じゃあ私の用意した魚は……)

 王のマスがより大きなものに取り替えられたと言うことは……自分の用意した天国行き特典付きのマスが他の誰かに回されたと言うことだ。その誰かが倒れれば自分のミスが明らかになる、これはまずい、そうなればもう言い逃れは出来ない。早く見つけて口に入れるのを止めなければ。


(あった!)

 マスの口には目印としてオリーブを咥えさせている、間違いない。あれだ。

 そのマスは、あろうことか自分の主人であるファン・パチェコの前に置かれていた。


 少し考えれば分かることなのだが、二番目に大きな魚がこの場で王に次ぐ地位を持つファンに供されるのは、当然と言えば当然のことである。


 しかし、従者にはただそれだけのこととは思えなかった。

 主人が今まで何人もの政敵に押し付けてきたというやつが、ついに自身に返ってきたのだろうと思った。


 もし、主人がマスを食べたとしても、後には口きかぬ死体が残るのみ。

 己の悪だくみで自らを滅ぼすだけのことだ。

 これはきっと神の思し召しだろう、従者は一つ大きく息をはくと、心に決めた。主人にはこのを伝えないことにしようと。

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ナンテン姫 ナルハヤ @WandR

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