第4話 誘光
彼は工務店を営む家の、3番目の子供であった。
大きなガタイと声の父親。その父親よりも背が高く、細マッチョな兄は昔からよくモテた。
次の長女も美人。それに加えて小さな頃から母親を手伝って職人達に食事を出していたので、料理上手と評判で引く手あまたであった。
彼は上の二人から10年も遅れて生まれた『恥かきっ子』であった。
「いつまでも夫婦仲が良くて、羨ましいわ」
露骨に当て擦る親戚の伯母さん連中の口ぶりから、彼には小さな頃より『生まれてこない方が良かったのだろうか?』という考えが巣食っていた。
年の離れた姉は、母以上に世話を焼いてくれ、美味しいクッキーを焼いては食べさせてくれた。
兄は彼にあまり歓心が無いようだった。高校で美術部の部長をしていた長男は、よく後輩を家に呼んだ。
母も姉も大騒ぎしてもてなしていた。
後輩の中に親切な女の子がいて
「こんなかわいい弟がいたんだぁ」
と、頭を撫でてくれた。
会話に入れないながらも構って欲しくて、近くをウロウロしている彼に
「君は何の授業が好き? 」
「算数! すごいねぇ。私なんか全然ダメなのに、君は賢いねぇ」
彼は階段の上から下の玄関をうかがって、親切な彼女が来た日には、必ず兄達に混ざってお菓子をつまんだり、部屋の隅でトランプゲームなどをしていた。
すると彼女は
「トランプ占い教えてあげよっか?」と、近寄ってきて話しかけてくれた。
「これは何占い?」
「恋占いよ」
「え、誰のことが好きなの?」
彼は自分を当然選んでくれると思い、期待して聞いた。
彼女はチラリと後ろを振り返り
「ヒ、ミ、ツ」とだけ答えた。
彼女が振り返って見た視線の先には、ハンサムな兄が居た。
彼の心は重く沈んだ。
「ちょっと、トイレ」と、応接室を出た彼は、もう部屋に戻らなかった。
その日以降は、親切な彼女が来ていても、下に降りては行かなくなった。
洗濯物を取り入れる母親を手伝い、服をたたんでいると
「あら、意外と上手じゃない。○○○(長男)なんて手伝いもしないのに、偉いわねぇ。これからは男の子も、家事が少しはできないとね」
初めて長男よりも優れている所が有ると言われ、彼は嬉しくなった。
それからは率先して母親の後ろに付いて、何か手伝える事がないかと待ち構えていた。
西郷ドン的な風貌の父親は、そんな彼を心良く思っていなかった。
『女の腐ったみたいな奴だ』
だから体育に力を入れている、中高一貫の男子校に彼を入れた。
その学校では『道』の付く運動部に必ず参加しなければならなかった。
剣道、柔道、弓道、相撲道…、古武術道、なんてのも有った。
茶道や華道も有って良いはずなのに、それは存在しなかった。
棒で叩き合う剣道は痛そうだし、畳に付く血を見て柔道相撲はやめた。古武術に至ってはコーチの顔が怖すぎて近寄る気にもならない。
1番マシそうな弓道を彼は選んだ。
『弓なら遠くから打つから、近くで血を見ないで済む』
弓道部に入ったと告げると、柔道部だった父親は唇の片側を引き結び、苦い顔をした。
せめて(長男が中学でやっていた)剣道にすれば良かったのに。
そういう父親の心の声を、彼は聞いていた。
だが弓道もそんなに楽では無かった。腕力を鍛える為の腕立て伏せや、踏み締める脚力を鍛える走り込みやスクワット。陸上部と同じだった。
やっと弓を構えさせて貰えても、弓を引き絞る時に心に迷いが生じると的には当たらない。
矢が変な方向に飛ぶ時には、弓懸(ユガケ 鹿革の片方だけの手袋)にも負担がかかる。
矢を固定させている親指の骨部分の革が破れ、矢を放った瞬間に擦れて切れ、血が出た。
自分の弓矢の手入れは自己責任だ。
矢筈(羽の先)の欠けているの気付かず発射して、弦が切れ頬に長い傷をつけた。また血が流れた。
トイレの鏡で
「イチッ」と、頬の傷を調べていると
「貼りなよ。あげる」
カットバンを手渡してくれた級友が居た。
「ありがとう♪」
この男子校に来て、初めて親切にしてもらって彼はとても嬉しくなった。
それからその級友とは、学校の帰りに一緒に帰るようになった。
「やーい、お前ら出来てんじゃねーの?」
別のクラスメイトからからかわれたある日。
カットバンの級友は、パッと顔を伏せ走り去った。
次の日から二人は、顔を合わせてもどこかよそよそしい態度を取り続けた。
だからもうからかわれる事は無かったが、彼はまた孤独になった。
彼自身は積極的で可愛いタイプの女の子が好みだったが、なぜか男性から好かれるようだった。
傘をさしたまま、雨に打たれて美しく咲く紫陽花に見惚れていると、隣にはカットバンの級友が並んで立っていた。
「綺麗だね」
「うん。綺麗だ」
その瞬間、ズキューンと、頭の中に音が響いた。
これだ。僕が求めていたのは。
彼が紫陽花から級友の方に目を移すと、友も彼を熱っぽく見つめていた。
それからは、学校から少し離れたその公園で時々会うようになった。
肉体的な関係は無かった。
ただ繊細で傷つきやすい二人の少年にとって、細かな精神の揺れ動きを察知してくれる存在が他に居た、その事だけで充分に嬉しかった。
いつも同じ公園に居るのもなんなので、図書館や博物館などあまり人が居ない静かな場所で、二人は時々会っていた。
だが中3の夏休み後の定期試験が終わった日、解放感から二人はドリンクバーのある、イタリアンレストランに入った。
だがそこは、学校の先生達の溜まり場だった。
部活の先輩からその事を聞いて知っていたクラスメイト達は、決して行かない危険なレストラン。
何となく部活仲間から距離を置かれていた彼は、その常識を知らなかった。
初犯であり他に不良行為が無かった二人は、親の呼び出し処分だけで済んだ。
だが彼にとっては致命的だった。
西郷ドン似の父親は激怒した。
うっかり担任教師が、捕まった二人が仲の良すぎる事を漏らしたせいで。
「せっかく男らしくなるようにと男子校に入れたのに、まさかオカマになるとは! 高校からは共学へ行け!
かわいらしい女の子の1人や2人、連れて来い。○○○に彼女が出来たのは、中学の時だったぞ 。
それからアイツに会う事は、2度と許さんからな。まったくこんな年でオカマに目覚めるとは、みっともない!」
何度も書くが、二人には肉体的関係は無かった。確かに恋愛感情に近いものはあったかもしれない。しかしお互いに彼女ができれば、そっちに夢中になる可能性の方が圧倒的に高かった。
純粋な気持ちを否定されただけでなく、下劣な性欲で解釈している父親に、彼は心底がっかりし、軽蔑した。
母親も彼の事を完全に誤解しているようだった。
「そういえば家事とか、上手だものね。女性脳の男の子、お母さんは好きよ」
兄からはますます距離を置かれて口も聞いてもらえなくなった。
姉は妙に優しくしてくれるが
「ねぇ、やっぱり女の子よりも男の子の方がドキドキするの?」とか聞いてくる時点で、野次馬根性で話のネタを仕込みたいのだとわかる。
こんな姉に何か言おうものなら、尾ヒレを付けてどう変化するか、分かったもんじゃない。
父親は完全に間違っていた。オカマは男子校よりも共学校の方が、もっと苛められる。
彼がオカマだという噂が伝わって、高校入学の日から彼は苛められた。
だから彼は、2日目から登校しなくなった。
せめて高卒の資格だけは取りたいと思い、彼は母親に通信制学校への入学手続きを頼んだ。
だが世間体を気にする父親が許してくれなかった。
彼は家にずっと居て学校へは行かなかったが、オカズの材料の買い出しにスーパーへ行ったり、就職してサラリーマンになった兄のワイシャツをクリーニングに出したり、用事で外出することは出来た。
まだ若い彼が昼間から暇そうにしているので、近所のオバサン達は不審に思い
「あれ、○○君、学校とか行かないの?」
すると彼は
「病気が有って行けないんです」
「何の病気?」
「それは個人情報なんで、ヒミツです」
平気で嘘も言えた。
まぁ、心が病んで学校へ行けなくなった事は事実である。
病院に行って見てもらった訳でも無いので、当然病名など不明だ。
用事の無い時には、鬱々と彼は部屋に閉じ籠っていた。
『どうしたらいいんだろう?
ずっとこのままで居られる筈もないし』
抜け出せない迷路に居るようだった。暗闇の中で出口を探してさ迷っていると、少し先から柔らかい光が見えた。
光を目指して歩くと、見覚えのある神社が有った。
お宮参りや七五三もここだったし、馴染みの場所なのに永らく寄っていなかった。
「久しぶりだな」
声に出してみるが、誰も返事はしない。その静けさが気に入った。
彼は買い物の釣り銭を全部(少なくとも千円札は含まれる)賽銭箱に入れた。
ジャラジャラと鈴を鳴らし、柏手を打つ。
『親から独立して、1人で生きていけますように!』
本当なら高校を卒業する年になっても平気で家に居続ける彼に、さすがに父親は焦りだした。
「おまえ、どうしたいんだ?」
「東京に行って、働きます」
「何をするんだ? 中卒でなんの資格も無いヘタレのくせに」
「なんとかします。住む所だけ用意してください。未成年だし無職だし、きっと1人じゃ契約出来ないから」
彼は母親や姉とは普通に毎日会話をしていたし、テレビやスマホから情報も得ていた。
そういう意味では、彼は引きこもりとは少し違ったかもしれない。
彼には当てが有った。
カットバンの友人が新宿で働いていて、彼に職を紹介できる、と伝えて来ていたのだ。
その友人は本当にオカマだった。新宿の歌舞伎町でゲイバーに勤めていた。
まだ未成年なので、あまり夜遅くまで働いてはいけない事になっている。だがその世界では未成年者に優しく、友人を助けたいと申し出る者は多かった。彼はゲイ仲間と同棲していた。
だからそこに転がり込むことはできない。それに○○は真正のオカマではない。肉体的に男性と繋がる勇気は無かった。もちろん女性とも未体験ではあったが。
無事に部屋を借りられた彼に父親は、1枚の通帳とカードを渡した。
「お金の出し方は知ってるな?
良し。
仕事が軌道に乗るまでは家賃も払うし、この通帳の残高が10万円を切ったら補填してやる。
お前が自分から家を出ると言い出してくれて助かった。言い出さなければ、いつかは追い出すつもりだった。
まぁ、自分の可能性を試してみろ。
これは母さんからの手紙だ。何が書いてあるかは知らん。封がしてあったからな」
父親よ、中を開けて読もうとしたろ?
そう突っ込みたかったが、これから始まる新生活への期待に顔が綻んでいた彼は、黙って手紙を受け取った。
冗談の通じない父親を下手に怒らせるのはマズイ。
手紙は確かに母親の字で書かれた物であった。
「○○。
母さんはどんな時でもあなたを応援しているからね。誰もが非難するような時でも、いつでも味方だから。だから安心して、やりたい事をしなさい。
ただし人様を傷付けたり、違法な事はしないように。
体に良い物をちゃんと作って食べなさいね。あなたの作ってくれた肉ジャガは、誰のよりも最高においしかったわ」
それから数十年の月日が流れた。彼は手に職を付け、故郷に戻った。
普通の女性とも結婚できた。
父親の工務店を継いだ長男は、倉庫にあるガラクタを処分しろ、と彼に命じた。
相変わらず子分扱いである。
だが一時は口も聞いてくれなかった関係を考えれば、命令口調であっても相手してくれるだけ嬉しかった。
倉庫からは古いベビーカーが出てきた。
「やだぁ、今時こんな重たくて大きいのはダサ過ぎて無理ぃ」
手伝いに来ていた彼の妻は、遠慮なく声に出した。
数年前に亡くなった母親の割烹着や、若かった頃の父親の写真で額に入った物も出てきた。
「これ何?」
「え、ああ。たぶん、あれだろ。柔道で優勝した時の」
満面の笑みで写真に写る父親は、昔から老け顔であった。首から上がまるで中年のオッサンで、とても不気味である。
「ほんと母さんのお陰で、俺らはまともな顔に生まれて良かったよな」
兄の毒舌は止まらない。
会社の実権を握ってから兄は、父親をバカにするようになった。
確かに父親よりも見かけの良い兄ではあるが、人望に関しては父親の方が上だったんじゃないか、と彼は思っている。
が、もちろんそんな事は言わない。
ベビーカーに不要品を積み上げると兄は
「じゃ、明日これ捨てて来てな。市役所まで持ってけば、粗大ゴミでまとめて全部処分してくれっから」
翌朝も朝から雨が降っていたが霧雨だったので、彼はゴミを出しに行こうと考えた。
ベビーカーには埃が沢山付いて汚れていたので拭いていたら、服が汚れた。
「どうせ捨てるんだし、これ着よっと」
彼は亡き母親の割烹着を上から羽織った。
みっともない、と怒りそうな父親は肝臓の病気で入院中だ。
大きめの傘をさしながらベビーカーを押して歩くのは大変だ。
よたよたと歩いていたら、知らないオバサンが話しかけてきた。
助けは不要だと答えたら、チラリとベビーカーの中を覗きこみ、少し驚いていたようだ。
不気味な父親の写真のせいかもしれない。やはり父親の入院中に処分を決めて良かった。
今日も紫陽花の花が綺麗だ。
雨のベビーカーのお話 蒼生 都記 @moon2019
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