4.勇気ある一歩

『フシュルルルルッ!! 見つけたぞ、クソ猫!』


 大きなタヌキのようなバケモノが、くさい息を吐きながら言った。

 ――獣臭けものくさい、と言えばいいのだろうか。ひばりちゃんは、幼稚園の遠足えんそくで行った動物園どうぶつえんただよっていた、いやな臭いを思い出した。あの数倍すうばいは臭い。


『神社の中に逃げ込もうとしたらしいが……あと一歩、足りなかったようだな。ざまぁない!』


 地獄じごくそこからひびくような低い声で、バケモノが笑う。

 しかし、おかしなことに、その目は黒白猫にだけ向いていて、ひばりちゃんたちのことをチラリとも見ようとはしない。

 というよりも――。


(このバケモノ……わたしたちがみえていない?)


 先ほどの突風のせいで、ひばりちゃんと孔雀くんは鳥居の内側うちがわに少しだけ飛ばされていた。一方の黒白猫は、鳥居の真下ました……いや、少し外側にはみ出してしまっている。

 だから、「このバケモノには、鳥居の内側にいる自分たちのことが見えていないのではないか」と、ひばりちゃんは思ったのだ。

 その証拠しょうこに――。


「どうしたのひばり? とりいのそとに、なにか、いるのかい?」


 ひばりちゃんを心配する孔雀くんの声にも、バケモノは一切反応いっさいはんのうしめさない。

 どうやら、バケモノには鳥居より内側の人間の姿も見えていなければ、声も聞こえていないらしい。

 おそらく境内にいる限り、ひばりちゃんと孔雀くんは安全あんぜんなのだろう。けれども……黒白猫は違う。


『よくも今まで散々さんざんわれ邪魔じゃまをしてくれたな、クソ猫! 今日こそは貴様きさまろうてやるぞ!』


 バケモノが笑いながら「ガァッ!!」というすさまじい鳴き声を上げる。

 ひばりちゃんの体にビリビリと衝撃しょうげきが走るが、となりにいる孔雀くんは無反応だ。先ほどの突風とは違い、何も感じないらしい。


「ねぇ、どうしたんだいひばり!?」

「……とりいのそとに、おおきなバケモノがいるの……。とりいとおなじくらい、おおきい……」

「な、なんだって!?」


 この神社の鳥居の高さは、二階建にかいだての家よりも高いくらいだ。視えない孔雀くんにも、その巨大さが十分に伝わった。


「ど、どんなすがたのバケモノなんだい?」

「タヌキににてるけど、ちがう。もっとほそながくて……からだはちゃいろっぽくて、かおにしろいせんがある」

「しろいせん? たて? よこ?」

「たて。かおのまんなかに……」


 ひばりちゃんの言う通り、バケモノはタヌキにも似ていたが、明らかに違った。

 全身は細長く明るい茶色、顔の中心に白い線がたてに走っているのが特徴的とくちょうてきだった。


「……それは、ハクビシンじゃないかな?」

「あ、そう、それ!」


 ――ハクビシンというのは、タヌキと猫を合わせたような姿の、四本足の動物どうぶつだ。

 畑の作物さくもつらしたり、家の屋根裏やねうらを作ったり、はたまたペットの小動物をおそったりと、いわゆる害獣がいじゅう扱いされている。

 鎌倉でも、野生やせいのハクビシンによって、様々な被害ひがいが出ていた。

 けれども、ハクビシンは精々せいぜい小型犬こがたけんくらいの大きさしかない。このバケモノのように大きくはない。


「どうしよう、くじゃく。ネコちゃん……たべられちゃう!」

「な、なんだって!? ど、どうすれば……」


 二人が手をこまねいている間にも、バケモノの大きな口が黒白猫に迫ろうとしていた。

 黒白猫も必死に体を動かそうとするが、足はプルプルとふるえるばかりで、立つことさえできない。


「……そうだ! ひばり、ちょっとまってて!」

「えっ?」


 すると、孔雀くんが何やら思いついたのか、神社の本殿ほんでんの方へと走って行ってしまった。

 ひばりちゃんが呼び止めるひまもない。


(――にげた? ううん、でもいま「まってて」って……)


 孔雀くんの考えていることが分からず、戸惑とまどうひばりちゃん。

 そうこうしている間にも、刻一刻こくいっこくとバケモノが黒白猫を丸のみにするその時が、近付こうとしている。


(どうしよう。ひいおばあちゃん、どうしよう!?)


 何か自分にできることはないかと、ひいおばあちゃんから教わった色々な話を必死に思い出そうとするひばりちゃん。

 ――と。


『もしお化けにおそわれても、「絶対に負けない!」って気持ちを強く持ち続けるんだよ』


 ひばりちゃんの頭の中に、ひいおばあちゃんのそんな言葉がよみがえった。

 お化けや妖怪をはらっていたという、ひいおばあちゃんの更におばあちゃんから伝えられたという、その教えを。


(そうだ。いま、わたしががんばらないと、ネコちゃんはたべられちゃう! わたしが……わたしがたたかわなきゃ!)


 手も足も恐怖に震えている。正直、立っていられるのが不思議なくらいだ。

 それでもひばりちゃんは、なけなしの勇気ゆうきを振りしぼって――鳥居の外へと一歩をみ出した。


『……アアン? なんだ、お前は?』


 バケモノの血走ちばしったが、ひばりちゃんの姿を初めてとらえる。

 やはり、鳥居の外へ出てしまうと、姿が見えるようになってしまうらしい。


『バ、バカ! 鳥居の中へ逃げろ!』


 黒白猫が、ひばりちゃんに引き返せと叫ぶ。

 けれども、ひばりちゃんは更に一歩進んで――こう言った。


「やい、バケモノ! ネコちゃんはアンタなんかにたべさせないわ! わたしは……ぜったいにまけない!」


 少しだけ恐怖きょうふに震えながらも、りんとした強い声で叫ぶひばりちゃん。

 その声に押し返されるかのように、バケモノが一歩だけ後ろへ退く。


『ヌァッ!? な、なんだこのあつは!? ヌゥ? そのどこかで見たことのあるような顔、もしや八重垣の娘か!? かつてわれたおした忌々いまいましき一族……いまだその血はえておらなんだか!』

「なに……? このバケモノ、なにをいっているの?」


 ――ひばりちゃんは知らないことだが、このバケモノは今までにも度々にわたって鎌倉へとやって来て、沢山の悪さをはたらいていた。

 けれども数十年前、ひばりちゃんのひいおばあちゃんの、更におばあちゃんに退治たいじされて、力をうしない長い眠りについていたのだ。


『クックック! そうかそうか! そこのクソ猫が、我が目覚めざめるなり、いきなり襲いかって来たのは……八重垣の「使つか」だったからか。やられてもやられても、何度でもいどみかかってくるとは、あるじ思いの猫よのぅ……。

 よかろう、主従しゅじゅう共々ともども喰ろうてやろうぞ!』


 バケモノが再び、一歩前へと歩み出る。どうやらもう、ひばりちゃんの「圧」はいていないらしい。

 ひばりちゃんは慌てて黒白猫を抱きかかえ、鳥居の中へと逃げ戻ろうとするが――。


おそいわ小娘こむすめ!』


 バケモノの大きな口は、既にひばりちゃんたちの体をもうとしていた。

 子供の足では、巨大で俊敏しゅんびんなバケモノの足には、かなわなかったのだ。


(――あっ、ウソ……? これで……これでおわり、なの?)


 バケモノの生臭いいきに包まれながら、ひばりちゃんの心が絶望ぜつぼうしずむ。

 だが――。


「ひばりぃぃぃ!!」


 そこへ、ひばりちゃんの名を呼びながら、孔雀くんが駆けて来た。

 その手には、本殿から持ち出したらしい何本もの「破魔矢はまや」を握っている。そして――。


「ええいぃ!!」


 孔雀くんが破魔矢のたばを、ひばりちゃんの背後はいご空間くうかんに向かって投げつける!

 ――とは言っても、幼稚園児の力だ。破魔矢はとてもゆっくりと宙を飛び、バケモノの鼻先はなさきかるくぶつかった。

 けれども。


 ――パァァァン!!


 バケモノに破魔矢が命中した瞬間しゅんかん、辺りに何かがはじけるようなかわいた音がひびいた!

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