3.ずっと信じていた

 ひいおばあちゃんが亡くなってから一年後、ひばりちゃんは幼稚園の年長さんになっていた。

 お化けや妖怪を視ないように気を付ける日々を送っていたが、相変わらず彼らはくっきりはっきり視えてしまう。

 そればかりか、神社の境内には、お葬式に来ていたような様々な妖怪たちが頻繁ひんぱんに姿を見せるようになっていた。


 けれども、彼らは別段べつだんわるさをするわけではなかった。

 驚いたことに、妖怪たちはきちんと手順をんで、神社におまいりをしているらしかった。

 「ようかいも、かみさまにはあたまがあがらないのかな?」などと不思議ふしぎに思ったひばりちゃんだったが、彼らの姿をじぃっと視るような真似まねはしなかった。

 ひいおばあちゃんの教えを、きちんと守っていたのだ。


 ――両親との仲は、相変あいかわらずだった。

 お父さんもお母さんも「お化けが視える」ことを全く信じてくれない。ひばりちゃんのことを「ウソばかりつく困った子だ」としか思っていないようだった。

 だからひばりちゃんは、両親に期待することをもう止めていた。


 双子の兄である孔雀くんとも、ろくに話もしていない。

 一緒にいる時、孔雀くんの方は何やら一生懸命いっしょうけんめい話しかけてくるのだが、ひばりちゃんはそれに「そう」だとか「ふぅん」だとか、適当てきとう返事へんじをするだけで、まともに話そうとすることはなかったのだ。


 当然、幼稚園でも友達などいない。

 ひばりちゃんは、相変わらず孤独こどくだった。


 そんな、ある日のことだ。

 幼稚園から帰ってきて、神社の境内の掃除そうじを手伝っていたひばりちゃんは、一番外側にある鳥居とりいの下に、何かが落ちているのに気付いた。

 黒い、すこしずんぐりしたかたまりのようなものがあったのだ。


 「なんだろう?」と思って近寄ってみて、ひばりちゃんは言葉を失った。

 その黒い塊は、猫だった。ひいおばあちゃんが可愛がっていた、あの黒白猫だ。

 あの黒白猫が、息を荒くしてうずくまっていたのだ。

 見れば、黒白猫は背中に大きなきずっていた。何かに切りかれたような大けがだった。赤い血がドクドクと流れている。


「た、たいへん! おかあさん! ネコちゃんが、ひいおばあちゃんのネコちゃんがケガをしてたおれてるの!」


 ひばりちゃんはすぐに、社務所しゃむしょでお仕事しごとをしていたお母さんをんだ。

 ――ややあって、お母さんが鳥居の所までけてきた。いなくなったはずの猫が怪我けがをして倒れていると聞いて、さすがにあわてたようだった。

 けれども――。


「……? 何よ雲雀ひばり!」


 ひばりちゃんが指さす方をひとしきりながめた後、お母さんはイラついた口調くちょうでそんな言葉をいた。

 ――そう。ひばりちゃんはすっかり忘れていたのだ。ひいおばあちゃんのお葬式の時にも、この黒白猫はひばりちゃん以外の誰にも姿すがたが視えなかった。

 つまり、この黒白猫は、もうお化けの一員いちいんなのだ。


「まったくアナタは! お掃除をサボりたいからって適当てきとうなウソをついて! いい加減かげんにしなさい!」

「ちが……、ちがうよおかあさん! ほんとうなの! ほんとうにネコちゃんがいるの!」


 ひばりちゃんが必死にうったえても、お母さんは聞く耳を持ってくれなかった。

 ――お母さんも、本当は冷たい人ではない。けれども、ひばりちゃんの言っていることが全く理解りかいできなくて、どうしてもイラついてしまうのだ。


「幼稚園では何も問題もんだいを起こさないから、少しは成長せいちょうしたかと思ったのに……。もう知らないわ! お掃除がわるまで、お母さんに話しかけないでちょうだい!」


 お母さんは言いてるようにして、社務所に戻っていってしまった。

 後には、いきえな黒白猫と、ひばりちゃんだけがのこされた。


(ひいおばあちゃん。わたし、どうすればいいの?)


 泣きそうになりながら、春のおだやかな日差ひざしが広がる青空を、一人見上げるひばりちゃん。

 と、その時――。


「ひばり! ネコちゃんがけがをしてたおれてるんだって!?」


 何故なぜか、呼んでもいない孔雀くんが姿を現した。――怪我の手当てに使う消毒薬しょうどくやくやガーゼをかかえながら。


「……くじゃく? どうして……?」

「どうしてって、あれだけおおごえでさけべばきこえるよ。で、どこだいネコちゃんは?」

「……あの……ネコちゃんは、わたしにしかみえないから……」

「あ、! じゃあ、ボクにはみえないから、?」


 そう言いながら、消毒液やガーゼを差し出す孔雀くん。

 ひばりちゃんは、そんな孔雀くんの言葉と行動の意味が理解できず、思わずキョトンと首を傾げてしまった。


「えっ……? くじゃく、みえないんでしょう? なのになんで……なんでネコちゃんがいるってしんじてくれるの?」

「なんでって、ひばりにはみえるんだろう? だったら、それは。おばけだって、ボクたちにはみえないだけで、ほんとうにいるんだろう?」


 ――その瞬間しゅんかん、ひばりちゃんは頭の中が真っ白になった。

 孔雀くんはずっと、ひばりちゃんの「お化けが視える」という言葉をしんじてくれていたのだ。

 お母さんたちとはちがって、ひばりちゃんの言うことをウソだとは思っていなかったのだ。


(ああ、わたしはなんてバカだったんだろう。こんなちかくに、いちばんちかくにミカタがいたのに、きづかなかったなんて……)


 心の中でふかく深く後悔こうかいしながら、ひばりちゃんは消毒液やガーゼを受け取った。

 それらはただの物であるはずなのに、ひばりちゃんにはとっても温かい何かに感じられた。

 ほんの少しだけ、なみだがこぼれそうになる。


「……ありがとう、くじゃく」


 けれども泣くのは必死に我慢がまんして、ひばりちゃんは一言だけお礼を言うと、黒白猫に向き合った。

 改めて見てみても、背中の傷はかなり深い。消毒液をかけたら、相当そうとうにしみるはずだ。

 猫の手当てなどしたことはなかったが、ひばりちゃんはまずは、いまだに流れ続ける黒白猫の血を止めてあげようと思った。


(たしか、ちがでているときは「せいけつなぬの」でおさえてあげれば、とまるはず)


 どこかでならったうろ覚えの「傷の手当の仕方」を思い出しながら、ひばりちゃんはガーゼで黒白猫の傷口を押さえつけた。

 けれども――。


(……あれ、おかしい。ガーゼにぜんぜん、?)


 真っ白なガーゼはいつまで経っても真っ白なままで、黒白猫の血を吸った形跡けいせきがない。

 よくよく見てみれば、傷口からしたたり落ちた黒白猫の血液けつえきは、地面を赤黒く汚すこともなく、そのままむように消えていた。


「ど、どうしたの、ひばり?」


 ひばりちゃんの動揺どうようした様子に、思わず孔雀くんが声をかける。

 彼の目から見れば、ひばりちゃんはだけなのだ。状況じょうきょうまったからなかった。


「ネコちゃんのちが、ガーゼにまったくしみこまないの。じめんにおちたのもすぐにきえちゃう……」

「……なるほど、そうか。そのネコちゃんは、オバケかなにかだから、ふつうのほうほうじゃてあてできないんだ。……いったいどうすれば?」


 孔雀くんは、「視えている」ひばりちゃんよりも冷静れいせい事態じたい把握はあくした。

 彼の明晰めいせき頭脳ずのうは、幼稚園児の頃にはすでにあったらしい。

 ――けれども、そんな孔雀くんも、全く知らないことには対応できない。「お化けのケガをなお方法ほうほう」だなんて、予想よそうもつかなかった。


「どうしよう……」

「どうすれば……」


 兄妹がそろって途方とほうれた、その時。


『……ひばりおじょうおれのことはいいから、ここからすぐにはなれるんだ……。もっと、鳥居の内側うちがわへ……」


 そんな声が、どこからか聞こえて来た。


「……くじゃく、なにかいった?」

「ううん? なんにもいってないけど?」


 どうやら、今の声はひばりちゃんにしか聞こえてなかったらしい。

 ――ということは、もしや今の声は目の前の黒白猫のものではないだろうか? と、ひばりちゃんはすぐに思い当たった。

 ひいおばあちゃんのお葬式の時、自分だけにこの猫の鳴き声が聞こえていたことを思い出したのだ。


「ネコさん、あなた、しゃべれるの?」

『そうだ……俺が……話している。俺のことはいいから、孔雀のぼんれて、早く境内のもっとおくへ行くんだ……。やつが、やつが来る……!』


 その時だった。

 いきなりの突風とっぷうが、ひばりちゃんたちにおそかった!


「きゃっ!?」

「うわっ!? なんだ、きゅうにとっぷうが」


 思わず目をつぶる二人。

 そして、ふたたび二人が目を開けた時、彼らの目の前には、が現れていた。


「っ? なんだか、きゅうにくらくなった……?」


 先ほどまで日向ひなたにいたはずなのに、いつの間にかひばりちゃんたちの周囲はかげおおわれていた。

 不思議に思って、ひばりちゃんが顔を上げると――そこには、見上げるほど大きな姿

 日差しをさえぎるほどに大きなそのバケモノは、血走ちばしった眼でひばりちゃんたちを見下みおろしていた。

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