5.来なかったヒーロー

 ――つまり、こういうことらしい。

 クロウさんは、「猫又ねこまた」と呼ばれる妖怪だ。長生きし過ぎた猫が霊力に目覚めた存在だという。

 猫又になった猫は、普通の人間には姿が見えなくなるし、声も聞こえなくなってしまう。

 更に一部の猫又は、のだとか。そして、人間に化けている間は普通の人にも、その姿見えるようになるとかなんとか……。


「じゃ、じゃあ、さっきの大きな男の人は、本当にクロウさんなんですか~?」

『だから何度もそう言っているでしょう。まあ、にわかには信じられないでしょうけど』


 それはそうだろう。

 クロウさんは妖怪とは言え、その姿はとても愛らしい猫だ。しぐさや声もとても可愛かわいらしい。

 それが人間の姿になると、あんなにゴツイ大男になるのだと言われては……今度からナデにくくなってしまう。

 ――とはいえ。


(可愛くはなかったけど、人間の姿のクロウさん、結構カッコよかったかも……)


 ピンチを助けられたこともあって、人間の姿になったクロウさんへの心ちゃんの印象いんしょうは、決して悪いものではなかった。

 顔にハデな傷跡きずあとがあったので最初は怖いとも思ったが、よくよく思い出してみればかなりの男前だった。さらに中身がクロウさんとなれば、心ちゃんに嫌う理由はない。


「そう言えば、人間の言葉でお話もしてましたよね、クロウさん。普段から人間の姿でいれば、おしゃべりできるのに~」

『……それは少しむずかしいわね』

「えっ? なんでですか~?」

『人間に化けるには、それなりの霊力れいりょくを使うのよ。普通の人間にも見えるようになるし、さわれるようにもなる。でも、力の消費しょうひがとてもはげしいの。無理をすれば、クロウさんが消えてしまうわ』

「ええっ~!?」


 さすがにクロウさんが消えてしまうのは困る。

 しかし、そうなると人間の姿になるのはクロウさんにとっても危険きけんなことなわけだ。そんな危険なことを自分たちを助けるためにやらせてしまった――心ちゃんはそう考えて、少しだけ申しわけない気持ちがいてきた。

 けれども――。


『と言っても、さっきは私が霊力を肩代かたがわりしたから、クロウさんはむしろピンピンしているけれどね。あのゲス男たちから生気せいきもタップリ吸い取ったことだし』


 そう言えば、先ほどひばりちゃんは『少しチカラを使い過ぎた』『クロウさんはツヤツヤしている」と言っていた。

 どうやら、自分たちを助けるためにクロウさんが無理をしたわけではないらしい。その代わりに、ひばりちゃんが疲れ切っているので、やはり心ちゃんの中の心配は消えないのだが。

 『せめてパトカーがもっと早く来ていれば、クロウさんが変身する必要も無かったのに』――そう思ってから、心ちゃんの頭にある疑問ぎもんが浮かんだ。


「あれ? そう言えばさっきのパトカー、誰が呼んだんですかね? パトロールだったら、サイレンなんて鳴らして走らないでしょうし~」

『……さあ。どこかのおせっかいが、通報つうほうでもしたんじゃない?』

「おせっかい~?」


 心ちゃんには、ひばりちゃんが何を言っているのかよく分からなかった。

 けれどもなぜか、「おせっかい」という言葉を聞いて孔雀くんの顔が浮かんだ。理由は心ちゃん自身にも、まったく分からなかったが。


 二人はその後、とりとめもないおしゃべりをしてから、その夜の通話を終えた――。


   ***


 その日の深夜、八重垣やえがき兄妹の実家である神社の境内に、孔雀くんの姿があった。

 何をするでもなくひとり、境内のベンチに腰かけて星空をながめている。

 ――と。


「子供はもう寝る時間だぞ、ぼん


 そんな孔雀くんに、背後から声をかける者があった。やや甲高かんだかい少年のような声だが、その口調は大人のものだ。

 孔雀くんがその声に振り返る。そこには、金色の目をかがやかせながらたたずむ、一匹の黒白猫がいた。――クロウさんだ。


「やあ、あなたが姿を見せてくれるなんて、久しぶりだね」

「お前も知っての通り、霊力を持たぬ人間に姿をさらし、こうやって会話するのは俺にとっても容易よういなことではない。大量の霊力を消費しょうひしてしまうからな。――だが、今夜は特別だ。ザコとは言え、人間の生気をたんまりと吸わせてもらって、まだ余裕よゆうがある」


 しゃべりながら、ヒョイッと孔雀くんの腰かけるベンチの上に飛び乗るクロウさん。

 クロウさんは、そのまま「おすわり」の姿勢をとると、自らも星空を見上げ始めた。


 ――そう。人間の姿にならずとも、クロウさんは少しの間なら、霊力を持たぬ人に自分の姿を見せることも、こうやって会話することもできる。

 けれども、めったにやることはない。今しがたクロウさん自身が言った通り、これには大量の霊力が必要となる。霊力を使い過ぎれば、最悪クロウさんは消滅しょうめつしてしまうのだ。


「で? リスクをおかしてまで、僕とお話してくれる理由はなんですか? ただのおしゃべりというわけでもないでしょう?」

「――とぼけるな、坊。先ほどのことだ。お前、お嬢たちがチカン男どもにせまられた時、?」

「……バレてましたか」


 クロウさんの言葉を、あっさり認める孔雀くん。

 実はクロウさんの言う通り、ひばりちゃんたちがチカンに声をかけられた時、すでに孔雀くんは近くにいたのだ。

 一部始終いちぶしじゅう目撃もくげきしながら、最後まで隠れていたのだ。


「俺の耳にはお前の足音がしっかり聞こえていたし、お前がスマートフォンをいじった時の光も見えていた。人間たちは誰も気付かなかったようだがな。――で、何故なにゆえにすぐに出てこなかった?」

「……相手は僕よりも大柄な男二人でしたからね。一人だったら遅れをとるつもりはありませんが、女の子二人を守りながら、大の男二人を相手にするのは少々危険です。だから、ひばりたちの姿を見失わないよう監視かんししながら、


 ――あの時、孔雀くんはやや離れた物陰ものかげから様子をうかがいながら、スマホで警察に通報していたのだ。

 だから、あの時のパトカーは孔雀くんが呼んだことになる。


「……ならば、警察に通報した後にでも、すぐに飛び出せばよかったものを。見たであろう? 心お嬢のあのおびえた様子を。かわいそうだとは思わなんだのか?」

「そりゃあ、すぐにでも助けてあげたかったですけどね。でも、あの手の連中はナイフを持ち歩いていることも多いんですよ。僕が出て行って、下手に抵抗ていこうして、相手が逆上ぎゃくじょうでもしていれば、誰かが大けがをしていたかもしれない」


 ――事実、孔雀くんもクロウさんも知らぬことではあるが、あのチカン男のメガネの方は、ポケットに折りたたみナイフをしのばせていた。

 孔雀くんの推測すいそくは当たっていたのだ。


「それに……いざとなれば、クロウさんが助けてくれたのでしょう? たとえ、ひばりが命じなくても」

「ふん、言うまでもない。お嬢を危険にさらす者は、人間だろうが妖怪だろうが、俺が排除はいじょする。――だがな、孔雀よ」


 そこでクロウさんは、初めて孔雀くんのことを「坊」ではなく名前を呼んで、こう言った。


「お嬢はな、それでもお前に助けてもらいたかったのだと思うぞ? たとえ自力で何とかできるとしても、だ。お嬢にとってお前は、『ヒーロー』なのだからな。……話は以上だ」


 それだけ言い残すと、クロウさんはかき消すようにいなくなった。

 おそらく、普段通り「普通の人間には視えない」状態じょうたいに戻ったのだろう。遠ざかる足音すらも聞こえない。


 再び独りになった孔雀くんは、また星空を見上げた。


「……クロウさん、僕はヒーローなんかじゃないよ。本当のヒーローというのは、ひばりみたいなやつのことを言うんだ。人知れず誰かを守り助けている、あんなやつのことを、さ。

 うん、でも、まだ僕がひばりにしてあげられることがあるのなら、できるだけするつもりではいるんだよ。僕はひばりの兄だからね。――いずれ僕らが一緒にいられなくなる、その日までは、ね」


 その言葉は、果たしてクロウさんに届いたのかどうか。

 妹を大切に思う兄として――自分があこがれるヒーローそのものである妹への、包み隠さない本心が、孔雀くんの言葉にはこもっていた。

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