10.花子さん退治(下)

 心ちゃんの目の前で、信じられない光景こうけいり広げられていた。

 巨大化した猫の「クロウさん」と「トイレの花子さん」が、女子トイレの中ではげしい戦いをり広げていたのだ。


 クロウさんがするどつめで花子さんを切りこうとすれば、花子さんはそれをギリギリのところでかわして、逆にクロウさんを爪で引っかこうと反撃はんげきする。

 クロウさんもヌルリとした動きでそれをかわすと、いったん後ろにジャンプして距離きょりを取り、「しきり直し」の姿勢しせいをとった。

 そんな攻防こうぼうが、すでに十回以上は繰り返されていた。


「ク、クロウさん、がんばって~!」


 手に汗握あせにぎりながら、クロウさんを応援おうえんする心ちゃん。

 けれど、それがいけなかった。

 その応援の声が気になったのか、花子さんはその真っ黒い穴のような両目を心ちゃんに向けると――いきおいよく飛びかかって来た!


「きゃっ――」


 クロウさんの頭上を飛びえてやってくる花子さんの姿に、心ちゃんが悲鳴ひめいを上げながらをすくませる。

 けれども――。


「させないわ!」


 心ちゃんの前にひばりちゃんが立ちはだかり、花子さんに手の平を向ける。

 すると、花子さんは見えない「かべ」にでも当たったかのようにはじき飛ばされて、元いた場所までき飛んでいった。


「綾里さん、危ないから……応援は、心の中で」

「ご、ごめんなさい!」


 ひばりちゃんの言葉にうなずくと、心ちゃんは両手で口をふさいで、再びクロウさんと花子さんの戦いを見守り始めた。


 ――なんとなくではあるが、心ちゃんは「この戦いは先に相手を爪で引っかいた方が勝つ」と感じていた。

 理由は分からないが、クロウさんの爪にも花子さんの爪にも、それだけの「力」があるように見えたのだ。

 その証拠しょうこに、花子さんとクロウさんの爪がかすったトイレの壁が、ざっくりとえぐれていた。もしあの爪が自分の体に届いていたらと考え、心ちゃんの背中に冷たいものが走った。


 クロウさんは、元々「実体」を持つ猫の妖怪だ。だから、その爪が物をこわしたり傷付きずつけたりできるのは分かる。

 けれども、花子さんは「元々いないもの」なのだ。本当はいない存在なのに、それが今や、実際に壁に傷を残している。その事実が、心ちゃんにとってはとても怖かったのだ。

 それに、可愛らしい黒白猫のクロウさんが、花子さんの爪で引きかれる場面など、見たくもなかった。


(がんばって、クロウさん!)


 心ちゃんがもう一度、今度は声に出さずにクロウさんを応援した、その時。一進一退いっしんいったいだった戦いに変化が起こった。

 クロウさんが、ふかく深く体を沈み込ませるような姿勢を取ったのだ。猫が全力で獲物えものに飛びかかる時に見せる、「め」のかまえだ。

 どうやら、次の一撃いちげき勝負しょうぶを決めるつもりらしい。


 クロウさんのその構えに反応したのか、花子さんも構えを変えた。

 今まではずっと、両手をだらりと下げている無防備むぼうび恰好かっこうだったのが、両手を高く頭の上にかかげる構えに変わった。

 全力でクロウさんを迎えつつもりらしい。


 ――そして、クロウさんがんだ!

 今度は爪で引き裂くのではなく、そのするどい牙で花子さんにみつこうというらしい。

 けれども花子さんはそれを読んでいたのか、両手を大きく上げた状態じょうたいから一瞬いっしゅんにしてゆかり付くように伏せてしまった。

 クロウさんの攻撃こうげき空振からぶりに終わり、その無防備むぼうびな体に花子さんの爪がせまる――はずだった。


 けれども、クロウさんのねらいは別にあった。

 攻撃をかわされたクロウさんは、そのまま天井てんじょうまで飛んでいき体を反転はんてんさせると、、再び花子さんへと飛びかかった。

 天井からね返るような動きを見せたクロウさんにたいし、すっかりタイミングをくるわされた花子さんの爪の一撃は届かず――代わりに、クロウさんの爪が花子さんを頭から足元まで、一直線に切り裂いた!


『ギャァァァァァァァ!!』


 体を切り裂かれた花子さんは、最後にそんな物凄ものすごい叫び声をあげると、黒いモヤになって消えていった。

 まるで初めからそこには何もいなかったかのように――。


「……勝った、の?」

「ええ、クロウさんの……私たちの勝ちよ。これでもう、『トイレの花子さん』が現れることは、当分の間ないはずよ」


 そこで初めて、ひばりちゃんはにっこりと満面まんめんの笑みを見せた。

 心ちゃんはその笑顔を見て、「花がほころぶような笑顔って、きっとこういう顔を言うんだ」と思った。


「クロウさん、おつかれさま。怪我けがは……ないみたいね。予想外に強敵きょうてきだったわ」

「ありがとうクロウさん~!」


 いつの間にか元のサイズに戻ったクロウさんが、ひばりちゃんと心ちゃんの足元までやって来た。

 心ちゃんが頭をやさしくナデナデすると、クロウさんはのどをゴロゴロと鳴らしてよろこんでいるようだった。


「さて、二人とも。さっさとこの場から立ち去るわよ。――無事ぶじに花子さんを倒したけど、トイレの中が随分ずいぶんれてしまったわ。この犯人にされちゃ、たまらないわ」


 ひばりちゃんの言う通り、女子トイレの中はあちこち引っかき傷だらけになっていた。

 それほど深い傷ではないけれども、壁はり直しが必要だろう。もし、心ちゃんたちの仕業しわざだということにされたら、大変だ。


 二人と一匹は、そそくさとその場を後にした――。

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