8.「花子さん」なんていなかった

 朝礼はざわめきに包まれていた。

 突然とつぜんに始まった、孔雀くんによる「トイレの花子さんなんていない」という話に、誰もが戸惑とまどいつつも、同時に引きつけられている。


「先ほども言った通り、僕は先週、みなさんの教室を回って『トイレの花子さん』についての話を聞かせてもらいました。その中で、いくつかの共通点に気付いたんです」


 孔雀くんは、そこでいったん言葉を切ると、児童たちの反応をうかがった。

 少しざわざわしているものの、殆どの児童は孔雀くんの話に興味津々きょうみしんしんといった様子だ。

 その光景に満足すると、孔雀くんはにっこりとさわやかな笑顔を浮かべながら話を続けた。


「まず、花子さんを実際に見た、と言った人は全部で三十人くらいいました。みなさん、『三階のトイレに入っていく花子さんを、廊下ろうかはなれた場所から見た』と言っています。でも、ほとんどの人は花子さんの姿を見て怖くなって、その場で逃げ出したそうです。――そして、その場から逃げずに花子さんの後を追った人は、五人いました」


 その孔雀くんの言葉に「あ、それオレ! オレのことだ!」という元気のいい声が、どこかから上がった。

 何年生かは分からないが、どこかの男子が花子さんを追いかけたことを自慢じまんげにアピールしたようだった。


「あはは、勇気があるのはいいことだけど、相手が危ない人間だったら大変なので、次は先生を呼ぼうね? ――とにかく、花子さんの後を追った人間は五人いました。そしてその全員が、女子トイレをのぞきこんで中に誰もいなかったことを確認かくにんしています!」


 孔雀くんがそう言うと、今度は「えー! おまえ女子トイレのぞいたんだー! ヘンターイ!」という声が上がった。

 どうやら先ほどの男の子が、クラスメイトにからかわれているらしかった。

 けれども孔雀くんはそれには反応せず、自分の話を続けた。


「この『女子トイレ』という点が重要じゅうようです。花子さんを目撃もくげきした人はみんな、遠くから花子さんを見ています。そして花子さんはトイレの方向に消えます――さて、ここで考えてみてください。、どちらのトイレに入ったのでしょうか?」


 孔雀くんが問いかけると、どこからか「女子トイレにきまってるじゃん!」という声が上がった。

 その声を聞いて、孔雀くんはニヤリ、と不敵ふてきな笑みを浮かべる。


「そうですね。花子さんは女の子なので、普通に考えれば女子トイレに入ったと思いますよね? でも、それこそが犯人はんにんわななのです!」


 そこで孔雀くんは初めて「犯人」という言葉を使った。

 「トイレの花子さん」が、誰か人間の化けたものだということを効果的こうかてきにアピールしようとしたらしい。


「目撃者のみなさんは、廊下の離れた場所から花子さんを見ています。そして花子さんはトイレの方へ向かった――でも、よく考えてみてください。男子トイレと女子トイレの入り口は、ほとんど並んでいます。廊下の離れた場所……つまり横から見た場合、花子さんがどちらのトイレへ入ったのかは、はっきり見えないんじゃないでしょうか?」


 ――朝礼が再び、ざわめきに包まれる。

 そこかしこから「あ、言われてみれば!」だとか、「え? どっちに入ったかなんて、普通に見えるんじゃないか?」だとか、「バカ! 真横から見たらわかんないじゃん!」だとかいった、様々な声が聞こえてくる。


「はっきり見えないはずなのに、目撃者の皆さんは全員『花子さんが女子トイレに入った』と言っていました。これは、『花子さんは女子だから女子トイレに入る』という思い込みが原因げんいんです。――実際じっさいには、花子さんは……いや、犯人は男子トイレに入ったのです!」


 ビシッと空を指さすようなポーズを取りながら、孔雀くんが高らかにさけぶ。

 ――途端とたん、ピタリと朝礼のざわめきが止んだ。みんな、孔雀くんの次の言葉を待っているようだった。


「男子トイレに入った犯人は、そこで花子さんのカツラと衣装をぐと、カバンにでもかくしたのでしょう。そして、個室のどこかに身をひそめた……。周りから人がいなくなるまで。そして誰もいなくなってから、何食わぬ顔で男子トイレから出たのでしょう。もし万が一誰かにその姿を見られても、もう花子さんの恰好かっこうをしていないのですから、うたがわれることもありません。――完璧かんぺき計画けいかくです」


 心の底から感心かんしんした、というような表情を浮かべる孔雀くん。

 一方、児童は――先生たちも、まったく口を開かずに孔雀くんの次の言葉をじっと待っていた。


「この花子さんのカツラと衣装は、かぎのかかっていない空き教室にしまってありました。なので、誰でも持ち出すことが可能でした。犯人も、自分が持ち出したことがバレるとは思っていないでしょう。でも、


 孔雀くんのその言葉に、再び朝礼の場がざわめきで包まれた。

 それは「もしかすると犯人が自分の周りにいるかもしれない」といった、疑心暗鬼ぎしんあんきのざわめきだった。

 けれども――。


「あ、でもご心配なく。先生がたとも相談そうだんしましたが、犯人をつかまえるつもりはありません」


 孔雀くんのその言葉で、再び場が静かになった。

 みんな一様に「なぜ?」と首を傾げている。


「花子さんのうわさ話で、みんな怖い思いをしたことでしょう。学校を休みたくなった人もいると聞いています。でもまだ、。学校を休んでしまった人や、花子さんの姿にびっくりして転んでケガをしてしまったような人はいません。だから、犯人をゆるすことにしました。

 ――でも、もしまた花子さんが姿を現した時には、容赦ようしゃしません。学校も、僕も、許しません」


 シーンと、静かだった朝礼の場が更に静かになった。

 孔雀くんの口調はやさしいままだったが、そこには不思議ふしぎ迫力はくりょくがあったのだ。

 そして、低学年の一部の児童をのぞいて、ほとんどの子供たちは孔雀くんの言葉の意味を理解していた。つまり、「今ならまだ見逃してやるから、もう花子さんのいたずらを止めろ」と言っているのだ。


「――僕からのお話は以上です」


 孔雀くんは深々とおじぎをすると、悠々ゆうゆうと朝礼台からりていった――。

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