3.心ちゃん、決意する

『三階のトイレに、花子さんが出るらしい』


 そのうわさは、またたく間に学校中へと広がっていった。

 ほとんどは「また聞き」のいい加減な話が多かったのだが、中には「自分も三階のトイレに入っていく、おかっぱ頭に赤い吊りスカートの女の子を見た」と言い出す子もいて、学校は少しだけパニック状態じょうたいになってしまった。

 中には「花子さんをつかまえてやる」と、花子さんを追って女子トイレに入ってみたものの、そこには誰もいなかった――などという話もあり、恐怖きょうふが広がっていった。


 最初は「よくある怪談話かいだんばなしだから」と気にしていなかった先生たちも、うわさが広まってくると無視できなくなっていった。毎日のように、職員会議しょくいんかいぎで「トイレの花子さん」への対策たいさくが話し合われたそうだ。


 けれども、「トイレの花子さん」への対策と言っても、できることはたかが知れていた。

 せいぜい「ただのうわさ話」「お化けなんていない」「きっと誰かのイタズラ」と、朝の会で先生が児童たちに話すくらいだ。怖がっている子たちには、そんな気休めの言葉では効果こうかがない。

 そうこうしている間に、ついに低学年の一部の子が、「花子さんが怖くて学校に行けない」と言い出す事態じたいになってしまった。


(――きっと、あたしのせいだ)


 「トイレの花子さん」を巡る一連の騒ぎに、心ちゃんは人知れず、心を痛めていた。

 花子さんのうわさ話がされるようになったのは、心ちゃんが「アレ」を見た後からだ。心ちゃんは、「きっと自分が花子さんにしまったから、学校全体に悪いことが起こっているのだ」と考えたのだ。


(あたしがなんとかしなくちゃ……)


 心ちゃんは、ほんわかのんびりした女の子だが、責任感せきにんかんの強さは人一倍だ。本当に心ちゃんが「見た」ことがきっかけで、花子さんが学校中のうわさになったのかどうかは分からない。

 けれども、心ちゃん本人はそう固く信じてしまって、自分がなんとかしなければ、と思ってしまったのだ。


 とは言え、心ちゃんにお化けを退治たいじする方法なんて分かるはずもない。今までは、近所のお兄さんのアドバイスを守って「見えていないふり」を続けてきただけで、お化けとちゃんと向き合ったことはなかった。


(……とりあえず、お守りでも買っておいた方がいいかなぁ?)


 そう思い立った心ちゃんは、学校から帰ると、なけなしのお小遣こづかいをにぎりしめて、家の近所にある神社へと向かった。

 なんだかむずかしいお名前の小さな神社だったが、確か「社務所しゃむしょ」という所でお守りを売っていたはずだった。


 心ちゃんが住む鎌倉は、大昔に「源頼朝みなもとのよりとも」という人が武士ぶしみやこきずいていた古いまちだ。歴史のあるお寺や神社も数多い。

 近所にあるのも昔からある神社らしいので、ご利益りやくがあるかもしれなかった。


 大きな石の鳥居とりいをくぐると、境内けいだいには白い玉砂利たまじゃりが広がっていた。そして、その中央には石畳いしだたみかれていて、神社の本殿ほんでんまでつながっている。

 心ちゃんは、神社にお参りしてからお守りを買うことにした。


 ――お参りには、神社ごとに決められた、いくつかの作法さほうがある。

 まず、手水舎ちょうずやという、お水が溜められている場所へ向かう。

 そこのお水を柄杓ひしゃくという道具ですくって、左手にかける。それが終わったら柄杓を左手に持ち替えて、今度は右手に水をかける。


 次に、柄杓をまた右手に持ち替えて、お水を左の手の平に注ぐ。手の平に水が溜まったら、その水を口に入れて、軽くゆすいでから吐き出す。

 そして、左手にもう一度水をかけて、柄杓を立てて残った水がを伝って流れ落ちるようにする。これは、柄をきれいにするためらしい。

 最後に、柄杓を元の場所に戻して、ようやくお参りの準備が終わる。


 そのまま本殿の前においてある賽銭箱さいせんばこの前まで行くと、心ちゃんはおサイフから出した五円玉を投げ入れた。

 そして姿勢しせいを正して、お辞儀じぎを二回。次に、パンパンッ! と今度は拍手はくしゅを二回。最後にもう一度お辞儀をした。


 初詣はつもうでの時にくらいしかお参りには来ないが、心ちゃんの両親はこういう「しきたり」というものをとっても大事にする人なので、心ちゃんも自然とお参りの作法が身に付いていた。

 もっとも、心ちゃんもこの神社のお作法しか知らないので、他の神社も同じで良いのかまでは分からないのだが。


(さて、お守りは……)


 お参りを済ませた心ちゃんは、目的のお守りを買うために「社務所」を探した。

 辺りを見回すと、本殿から少しはなれたところに、一階建いっかいだてのやけに横に長い建物があった。そこに「おまもり ございます」と書かれた紙がってある。どうやらそこが「社務所」らしい。


「ごめんくださ~い!」


 「社務所」らしき建物に近付いてから、心ちゃんは受付らしいまどへ向かって声をかけた。

 そのまましばらく待っていると――。


「――あら。お客さまなんて、珍しいわね」


 突然、建物の方からではなく心ちゃんの背中の方から声が聞こえてきた。

 心ちゃんがびっくりして振り向くと、そこには巫女さんの服を着た、とてもきれいな女の子が立っていた。


 としは心ちゃんよりも上の、中学生か小学校高学年くらいに見える、長い綺麗きれい黒髪くろかみの女の子だ。心ちゃんは、その女の子に見覚みおぼえがあった。


「……あっ。五年生の……八重垣やえがきひばりちゃん?」

「あら、私のことを知っているのね? と言うことは、あなたも鎌倉西小の子かしら?」


 それが、心ちゃんとひばりちゃんとの出会いだった。

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