遊び
あまりに半次郎が二階から降りてこないので様子を見に行ってみると、依光とおはじき遊びに興じていた。畳の上に撒かれた青、黄、赤と色とりどりのおはじきたち。それを弾き合って取り合っている。
ふと、弥兵衛は思った。依光はまだ言葉がよく分かっていないはずだ。理解して遊んでいるのだろうか、と。
だが、よくよく見ると依光は、おはじきをはじく度に一喜一憂している。この子はこんなに表情が豊かであったか、と思い直す。
「旦那ぁ、この子はなかなかに要領がいいですよ」
しばらく感慨に浸っていると、半次郎が声をかけてきた。
「ついでに旦那も遊んでいきませんか」
「冗談を言うな。だいたいおはじき遊びなど女の子の遊びではないか」
「まったく、旦那はお堅いですなあ」
そうは言うものの弥兵衛は、依光がどのようにして遊びを理解しているか興味があったのでしぶしぶ付き合ってやるという素振りで加わった。
「依光、欲しいおはじきはあるか」
半次郎の問いかけを聞いて、依光は赤いおはじきを指差した。
「ほう、そいつを選ぶとは目が利くなあ」
半次郎は、額に手のひらを当てて悔しげな表情をつくる。そして依光がおはじきの前で指を構えると、わざとらしく喉をごくりと鳴らしたり、「当たらないでくれ」としきりに唱えたり。大げさな、と弥兵衛は思ったが、その忙しない表情を真剣に見つめる依光を見て、依光に戦況を知らせる役割を果たしているのだと理解した。
半次郎の話では、最初は力まかせに弾いていたが、当てたおはじきが動いたりしては駄目だ、と教えてやるとめきめきと腕を上げたとのこと。弥兵衛が加わった頃には、力加減も狙いも絶妙と言えるほどに上達しており、二人して彼の器用さに舌を巻いた。
「言ったでしょう。この子は要領が良いと」
「いや、お前の教え方の賜物かもしれん。私ならば、言葉で言って聞かせようとして、そのうちに苛立っていただろう」
自虐を半次郎に笑い飛ばされて一瞬、弥兵衛は顔をしかめたが、やがて苦笑いを浮かべた。
「確かに私は、遊びというものを知らなさすぎだな。目先の結果ばかりに拘ってしまっていた。お前のおかげで目が覚めたよ」
この頃、弥兵衛の着手していた葡萄酒づくりは、外国から輸入されて来る安価なものに押されて業績が芳しくなかった。それに対抗すべく、国内では安価な葡萄酒を大量生産する動きがあったが、これまで品質を追求してきた彼の性に合うわけもなかった。また、弥兵衛の所有する果樹園と醸造所では多くの朝鮮人を雇っており、この内情も少なからず業績の不振に影響しているようであった。
「目が覚めた、というのは――」
「私のように交渉力のないものが輸入事業をやっても上手くゆくはずもない。貧しい農家や朝鮮人をすくい上げたばかりに、白い目を向けられることも少なくなかったしな。――だから私は、どれだけ時間がかかっても、良い葡萄酒を作ることに尽力しようと思う。たとえ、どんなに遠回りをすることになってもだ」
弥兵衛は、西洋の植物学や農学に関する書物で知った「メンデルの法則」のことを半次郎に話した。半次郎は何が何だかさっぱり、という具合に聞いていたが、やがて何か心得たようで。
「すると、そのメンデルの法則とやらに則れば、品種改良をある程度効率化させることができると」
無論、葡萄にそれを適用したところで、膨大な数の交配をしなければならないことは自明。しかも木が育ち、実を付けるまでは、良い種か悪い種かの判断ができない。途方もない時間がかかることは見えていた。
半次郎は問うた。「それでもやるのですか」と。
「ああ、お前が目先の結果だけに拘るなと教えてくれたからな」
弥兵衛がほくそ笑むと、半次郎も鏡に合わせたように口角を上げた。
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