泥の話

秋空 脱兎

根源的叡智湧出汚泥録

 子供の頃、俺と幼馴染に降りかかった『夜という名の災難』の原因が何だったのか。

 それがずっと気になっていて、今まで似たような出来事がなかったのかと、地元の神社の書物を見せてもらっていた時のことだ、その記述を見つけたのは。

 神主曰く、書かれたのは、比叡山が織田信長に焼き討ちにされた頃だそうだ。作者の名前は、神主も知らなかった。


 俺達が遭ったのとはだいぶ違うが、特徴があの泥に似ている。だから、たぶん同じやつだ。直感的な確信しかないが。


 俺達はあの泥を追い払ったが、ほぼ間違いなく、殺せていない。だから、また俺達か、別の誰かに同じ事が起きた時のために、ここと俺の手記に見つけた記述を残しておく。ざっくりとした訳文にして、要約しておく。

 

 俺達が負った災難は別のページに記しておく。なにせ二人分だ。最初から全部書くと、あまりに長い。




§




 その日、私は遅くまで起きていた。何故か眠る事にひどく恐怖を覚えたのだ。

 それでも意識が遠のいていき、私の意思とは関係なく、いつしか瞼を閉じ、意識を手放していた。


 意識を取り戻した瞬間、私は困惑した。全身の感覚が完全になかったからだ。だというのに、私は何かを見ている。その感覚が、堪らなくおかしかった。


 そこは、とても暗かった。どこかの洞穴だろうか。蒸気に包まれているのに、妙に視界がはっきりとしている。

 ここには何か知ってはいけないものがいる、すぐにでも逃げて、目を逸らして全て忘れないといけない。何故かそう感じた。


 そうしようとしたのだが、体が言う事を聞かない。視界が勝手に動き、下を見る。


 何かいる。状況を把握するよりも早くそう感じた。

 地面は汚らしい粘液で満たされていて、無数の石板が突き刺さっている。そして、それに囲まれるように、何かが横たわっている。


 私の識っている言葉では、蠢く泥、としか表現する事が出来ない。


 頭手足の区別はおろか、胴体の区別すらつかない。ただ、動いている事から、生きているもの、という気はした。


 どういう理屈なのだろうか、泥からは、無数に分裂が起こっていた。それらはおぞましい所作で動き、少し移動しては分裂元に食われるを繰り返していた。


 気が狂いそうになりながら、それでも視線を逸らせない。彼奴きゃつを視界に収められる範囲しか動かせない。どうすれば良かったのだろうか。どうにもならなかったのだ。


 ふと、分裂したものに目を遣る。それは小刻みに蠢くと、獣の腕を形創り……すぐに本体に呑み込まれた。


 数秒おいて、私は嫌な予感がし始めた。



 あの泥の分裂したのは、形を変えられる。


 あれが本体から逃げおおせたなら、あらゆる生き物に変われたのではないか?


 泥は分裂したものを一度に全て飲み込むことをしていない。出来ないのかは判らないが、そうだとしたら、逃げきれる機会があるのではないか?


 あらゆる生き物になれるなら、あらゆる生き物の源になれるのではないか?


 あの泥から逃げきれる形になって、そうする事が出来れば……



 そこまで考えて、私は絶叫した。



 幸運にも、次の瞬間には、寸前の薄暗い洞穴から自分の寝床に戻っていた。

 全身の間隔が戻り、吐きそうになる。出てきそうになるものを吐き気ごと押し戻し、深く呼吸をする。




 この経験をしてから、だいぶ経った。あれ以降あんな夢はみないし、最近になって少し寝られるようになった。


 ただ、自分も、他の全ての生き物も、おぞましく感じるのようになってしまった。

 理由は唯一つ。あの夢の出来事からの推察だ。そんな確証はないのに、何故かそれが真実だと思ってしまっている。きっと、狂ってしまっているのだろう。


 これはただ、自分で自分を知るために書き連ねたものだ。後世には、残って欲しくない。



 あの日以来、頭から、『頭手足なき塊』、『始まりにして終わり』、『無形の白痴なる造物主』、『自存する源』という言葉が、頭から離れない。


 誰も、こうなって欲しくない。


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