ケガレ

 わたしが入ってきた障子とは別に、長火鉢の後ろに掛けられた真っ黒い掛け軸の右あたりに出入り口の障子があり、どこかへ繋がっているようです。

 とにかくここにいてはいけないと思い、ふらふらしながらそこを開けました。

 すると、かなり急勾配で上へ向かう通路が左へ伸びていました。

 人一人がやっと通れるほどの幅で天井も低く、明り取りの小窓があります。急な坂になっているので、床面ゆかめんには滑り止めに割り箸ほどの細い角材が規則的に打ちつけられています。

 

 この通路の先がどこへ繋がっているのか見上げようとしたときです。


 なぜか見てはいけない!と咄嗟に強く思いました。

 なぜそう思ったのかはわかりません。

 ただひどく土と藁の匂いがし、見てはいないのに何かたくさんの小さなものが寄り集まって一つのかたちを成して蠢き、音もないのにざわめいているのがわかりました。


 でもわたしが感じていたのは怖さとは少し違いました。

 例を挙げるなら、腐った生ごみの中に手を突っ込んでしまったような、魂というか、わたしが生きて今ここにいることが蝕まれるような不潔な感じでした。

 それはきっと、穢れ、という感覚だったのです。

 

 

 ふとその通路にある明り取りの小窓から、子どもの声が聞こえてきました。


――え?!


 窓の外を見ると、先ほど通ってきたこの家の前庭が見下ろせました。

 そこにいたのは一緒に来た友達です。

 みんなで連れだって帰ろうとしています。

 そして、日詰君がみんなを見送りに門のところへ出ていました。

 みんなもにこにこして手を振って、遠ざかっていきます。

 わたし一人を置いて。


 わたしは慌てて真っ黒な部屋へ戻り、このどこへ繋がっているかわからない通路に面した不吉な障子を閉めました。

 そしてこのにじり口から出て、もと来た廊下を戻ろうと思ったのですが、にじり口の障子に手をかけた途端、わたしはへたり込んでしまいました。


 何か見たり聞いたりしたわけではありません。

 なぜだかぺたんとその場に座り込んでしまい、動けなくなりました。


 重い手を動かして何とか障子は開けましたが、もうそこをくぐって廊下へは出られません。

 立てません。

 這えません。

 気力も体力も何かに吸い取られたような感じです。


――わたし、どうしちゃったんだろう


 帰ることが、ひどく億劫おっくうでやっかいなことに思えてきました。

 ここにずっといることが当たり前なのではないか、という気すらして、わたしは家で待っているお父さんやお母さん、お祖母ちゃん、弟のことを思って泣きそうになりました。


――おばあちゃんの言うことを聞けばよかった……


 そのとき、わたしは背中がじんわり熱くなっているのに気が付きました。

 優しい誰かの手が当たっているような、そんな熱さでした。

 祖母が縫ってくれた、あのお守りのあたりです。

 背中に守りの「目」として、「縫い目」を付けてくれたあの場所です。


 でも、立って歩ける力は出ません。

 背のぬくもりに励まされながら私は懸命に這い始めました。


 この背守りは馬蹄型ばていがたひづめのかたち。

 蚕の背にある黒い模様は馬の蹄のあと、という言い伝えをわたしも聞いたことがあります。

 その蚕の作る絹糸で縫われたひづめ型のお守りと日詰君の家。

 これがどういう関わりがあるのか、誰も何も教えてくれず、わたしには全くわかりませんでした。

 わからなくてもわかったとしても変わりなく、人の力ではどうしようもない不吉な何かがここにはいました。

 

 もうすぐ、日詰君がここへ来るはずです。

 あの目立たないクラスメイトは、きっとわたしの味方ではないのです。


 逃げなければ。

 ここから出なければ。



 


         <了>

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天の虫 江山菰 @ladyfrankincense

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