第5話「未知への興味」

 執行猶予期間三年目の四月、塗装工場に就職した。

 

 最初の一年は有期契約で、見込みがあれば翌年から正規雇用という契約である。例のハローワークの男性は、もう少し条件のよい仕事がいくつもあると言い首肯しかねていた。事務系の仕事のほうが、私の能力を活かし得ると力説した。

 

 塗装工場にこだわる理由は何ひとつなかった。ほとんど第一感で決めたと言ってよいが、根底に存在したのは、自分と縁遠い世界への興味だろう。麻帆がかつて、学力も趣味嗜好もまるで異なる、私という人間に対して興味を抱いたように。


 仕事はいわゆる肉体労働で、主に頭よりも体の優秀さが問われた。

 最初の数ヶ月は清掃や材料運び、もしくは後片付けなどの雑務が大半で、なおさら体力勝負であった。昔から華奢な体型で、運動部に所属していた経験などもない私には、一日動き回る作業は厳しいものだった。仕事の途中で体調を崩すことや、それにより早退を余儀なくされることもあった。


 工場の従業員はほとんどが高卒で、高校すら出ていない人もいた。

 そういった人から見れば、中退とはいえそれなりに名の通った大学に在籍していた私は、言わば別世界の人間であったに違いない。

 

 私が体力面でウィークポイントを抱えていることを知ると、下品な叱声を飛ばしたり、下らない嫌がらせ――掃除用具を隠したり、休憩所の椅子を占領して座れなくするなど、いずれも程度の低いものであった――をしてストレスのけ口に利用する輩もいた。

 私は、残り一割の感情を起動する価値もないと肌で感じたが、同時に、この先の展開への好奇心のような感情も付随していた。矛盾していると思ったが、この仕事を選択した時点で想像し得る範疇はんちゅうであったため、言わば打算的なものであった。五月に入ると、体力を付けるために毎朝三キロのランニングを始めた。


 夏頃から、本格的に塗装作業を行うようになった。

 早朝ランニングによって一日を乗り切れるだけのスタミナがつき、体調を崩すことも少なくなった。

 塗装作業そのものは無論未知の内容ではあったが、持ち前の飲み込みの早さや集中力を武器に、私は着実に腕を上げた。周囲の従業員からの叱声や嫌がらせは自然となくなり、適度に良好な関係が構築された。

 一割の感情はひっそりと維持されているものの、しかしそれとは別に、孤独だけは大きな顔をして居座り続ける。仕事を順調にこなしても、それは何ら変わらない。鳩の死骸を目にしたのは、その年のクリスマスだった。

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