第4話「父の言葉」

 執行猶予期間の最初の一年は、ほぼ引きこもりに近い暮らしだった。

 一日の大半を居室のベッドで過ごし、両親以外に顔を合わせるのは、たまに足を運ぶコンビニエンスストアや喫茶店の店員ぐらいしかいなかった。

 息子が無職となっても、両親は叱責するでも見離すでもなく、ただ傍で見守ってくれた。これはおおいに感謝すべきことであるにも関わらず、何も感じることができなかった。


 二年目に入る頃、母親の勧めでアルバイトを始めた。大学時代は学業に専念していたため、初めての体験だった。

 フルタイムではなく、週に一、二回の派遣の仕事だった。余計なことを感じ取ってさらなる泥沼にはまるのを嫌い、人と多く触れ合う仕事は避けて一人で黙々と行える仕事を選んだ。検品やポスティング、他にも試験監督など様々な種類の仕事を経験した。仕事はどれも楽しくもなければ特別苦しくもなく、ただ無心でそれぞれの作業に向き合い、淡々と無難にこなした。

 

 ほとんど家に引きこもっていた一年目と比較すると、月に数回ほどの派遣アルバイトでも社会との接触を保持しているだけ、世間一般に見るとかなりましなのだろう。学業からも人付き合いからも解放され、心身に休息を与えることで社会復帰を果たしても、しかしそれは単に生を繋ぎ止めているだけに過ぎなかった。


 二年目の終盤から、父の勧めで職安に通った。

 私の派遣のアルバイトが順調な様子を見て、定職に就くことを提案したのである。

 多分、彼は感じていたのだと思う。私が無機質に生を繋いでいるだけだということも、もうそこから変わっていくことは困難であろうことも。

 父の眼から見て、私はもう死滅していた。その上で親としての役目を遂行する父に対し、微かな同情を覚えた。 


 求人はそれなりに充実していた。

 まともに希望を口にせず、ほとんど視線も合わせず、苛立ちしか感じるものがないであろう自分に、仕事とはいえ嫌な顔ひとつ見せず、真剣に求人を吟味してくれる爽やかな見目をした男性職員の左手薬指には、大きめの指輪がはめられていた。

 私は、パソコンの画面上の求人や男性が用意した紙の求人を目で追う一方、時折その指輪を一瞥いちべつした。そして、父の言葉を思い出す。


「多少の負には目を瞑り、人知れず自身の正を養うのが賢く生きる秘訣」


 納得や同意とは別の、もやもやとしたものが脳を駆け巡る。爽やかな男性の話は、まったく頭に入ってこなかった。


「すみません」

 

 はっきりと彼の目を見て頭を下げると、男性は不思議そうな表情を見せた。

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