つかまえてハピネス
snowdrop
成熟がすべて
「本日は、『つかまえて、ハピネスクイズ』をしま~す」
進行役の部員が声を上げた。
教室の中央に机が三台横並びに置かれ、席に座っている三人が手を叩く。
左から書紀、部長、会計の順に座りっている。
手元にはそれぞれ、早押し機とスケッチブック、黒のインクペンが用意されていた。
「ついに、ハピネスチャージプリキュアのクイズですか?」
会計は含み笑いを浮かべた。
「プリキュアクイズではありません」
進行役は速攻で否定した。
はいはーい、と書紀は手をあげる。
「ひょっとして、『ポケモンゲットだぜ!』的なクイズですか?」
「ポケモンではありません」
違うのかー、と書紀は肩を落とす。
そんな彼を横目に部長は右手を大きく上げた。
「つかまえることに関するクイズではないでしょうか。たとえば、サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』とか」
「いいえ」
「ニアミスしてるとか」
「小説ではありません」
部長は肩を耳まで上げて首をすぼめながら、両の手のひらを上に向け、下唇を出してみせた。
「みなさんはクイズプレイヤーですので、ハピネスの意味はご存知でしょう。つまり、本日は幸せに関するクイズです」
進行役の説明を聞いて、「そのままだったか」と会計はつぶやいた。
「スタンフォード大学の心理学者ジェニファー・アーカー教授によりますと、幸せを追い求めることは、動く標的を追い求めることに等しいそうです。さらに、幸せの定義は年齢とともに大きく変化することがわかりました。今回のクイズは、幸せの定義をテーマにしたクイズを作りましたので、みんなで解きながら幸せをつかまえましょう」
「やっぱり、ハピネス注入、幸せチャージってことだろ」
会計の含み笑いが聞こえると、
「ポケモンゲット的なことだな」
書紀がぼやき、
「ニアミスしてるじゃないか」
部長は苦笑した
「ルールを説明します。これからみさなんにクイズを五問、出題します。問題を読みあげていきますので、わかった段階でお手元の早押し機を押してください。そこで全員がスケッチブックに回答を書いていただきます。正解すると『1アワセ』がつきます。誤答しても減点はありません。早く押すことにより、他の人が問題文を聞けなくなります」
なるほどね、とつぶやきながら三人はスケッチブックを開き、早押し機のボタンに指を乗せた。
「問題。人生の目標を見つけようともがきながら、孤独や不安、無価値を感じることが多い十代の幸せは『興奮』として体験されます。ところで、スペインの伝統行事である闘牛では、牛は闘牛士が持つ赤い布に向かって突進しますが、闘牛の牛は」
鳴り響くピポーンの音。
早押し機のボタンを押したのは部長だった。
真っ先に書き終える部長に続いて、二人も書き終わった。
「一斉にみせてください」
出題者の声に合わせて、スケッチブックを見せる。
三人とも『布が動くから』と解答が同じだった。
「三人、正解です」
ピポピポピポーンと甲高く音が鳴り響いた。
「一応、問題文を最後まで読みます。『牛は闘牛士が持つ赤い布に向かって突進しますが、闘牛の牛は何に興奮しているでしょうか』で、答えは、布がひらひら動くから、でした」
「闘牛を煽るのに、ムレータという赤い布がつかわれるんですけれど、牛の目は色を区別できないらしく、動きであおっているんです。闘牛で赤い色の布が使われるのは、血や危険なものをイメージする人間を興奮させるためといわれております」
聞かれてもいない知識を、部長は披露した。
「みなさんにはそれぞれ『1アワセ』が入ります。それでは次の問題に移ります」
進行役の言葉を聞きながら、三人はスケッチブックをめくる。
「問題。多くの人が、目標を決め、自分なりに意味深いと考えた方法で世界を制覇しに出ていく二十代の幸せは『追求』にあります。自分が成功したとき、自分ができると実感できたときに感じ、他者に承認されたときはより顕著に幸福を感じます。ところで、涙の味はその時々の感情によって異なりますが、嬉しいときや悲しいとき」
ピンポーン、と音が鳴った。
早押し機のボタンを押したのは会計だった。
部長や書紀が先に書き終えたのに、会計はまだペンを握っている。
まあいいや、とつぶやいて書き終え、蓋をした。
「一斉にみせてください」
出題者の声に合わせて、スケッチブックを立ててみせる。
三人とも『薄い』と解答が同じだった。
「三人とも正解です」
ピポピポピポーンと甲高く音が鳴り響いた。
「一応、問題文を最後まで読みます。『涙の味はその時々の感情によって異なりますが、嬉しいときや悲しいときの涙はどんな味でしょう』で、答えは、あまり塩辛くない、薄い、でした」
「書くのが遅かったけど、どうしたの?」
書紀にたずねられ、会計はスケッチブックをめくった。
「子供の玉のような涙を思い浮かべてたら、よく泣いたなって思い出してしまって。涙の九十八パーセントが水分で、それにまざってるナトリウム濃度で、涙の味が変わるんだよね。喜んだり悲しんだりしているときは副交感神経のはたらきが優位になり、血圧を下げようと働く。腎臓は細胞外液量を調節する臓器で、血圧が低下するとナトリウムと水分の排泄量を減らし、細胞外液量を増やして血圧を正常に戻そうとする。だから感動の涙は量は多いけどサラサラしてる。反対に、興奮したとき流す悔し涙は塩辛い」
部長はスケッチブックをめくり、うなずきながら書紀の解説を聞いていた。
「それでは次の問題です。家族や健康、そして最近無理が効かなくなってきた体に目が向くようになった三十代の幸せは『バランス』に関わってきます。ところで、心理学者のダットンとアロンが」
問題文の途中で鳴り響くピポーンの音。
早押し機のボタンを押したのは部長だった。
三人がスケッチブックに解答を書いていくも、書紀の手が進まない。
ようやく書き終えたのをみて、
「一斉にみせてください」
進行役が声をかけた。
会計と部長は『吊り橋効果』と書き、書紀『ブーメラン効果』と書いていた。
「正解は『吊り橋効果』です」
ピポピポピポーンと甲高く音が鳴り響いた。
「問題文を最後まで読みます。『心理学者のダットンとアロンが提唱した、不安や恐怖を感じているときに出会った人に対して恋愛感情を抱きやすくなる、という効果のことを、バンクーバーにある橋を使って実験したことから何というでしょう』で、答えは、吊り橋効果、でした」
問題文を聞いて、書紀は「あー」と大きな声を上げた。
「幸せの定義の『バランス』がヒントになってたのか。問題文途中でわかんないから、適当に思いついたもの書いちまった」
「問題文を聞かせないようにして誤答を誘うのもテクニックだからね」
部長は得意げに解説し、三人はスケッチブックをめくる。
「次の問題です。子育ての意義深さや精神性、地域とのつながりと自分たちが世界に及ぼす影響を認識する四十代の幸せは『意義』になっていきます。ところで、作家の芥川龍之介は『人生は」
読みかけでボタンを押したのは、またも部長だった。
すぐに部長がペンを走らせる。
会計は顎に手を当て、書紀は首をひねりながらも、スケッチブックに解答を書き終えた。
「一斉にみせてください」
進行役が声をかけた。
会計は『一本のマッチ』、部長は『一箱のマッチ』、書紀は『マッチ箱』と書いていた。
「正解は『一箱のマッチ』です」
ピポピポピポーンと甲高く音が鳴り響いた。
「問題文を最後まで読み上げます。『作家の芥川龍之介は、人生は〇〇に似ている。重大に扱うのはばかばかしい。しかし重大に扱わなければ危険である、といいました。〇〇とはなにか?』でした」
書紀が、すっと右手を上げる。
「マッチ箱って書いてるんで、正解になりませんか。お願いします、僕の幸せがかかってるんで」
手を合わせて進行役を拝み始めた。
「そうですね、今回はOKにします」
「やったー」
会計は苦笑いを浮かべ、書紀は頭をかきながら、幸せゲットするぞとスケッチブックをめくった。
ここまで全問正解の部長は、二〇一〇年度上半期のNHK連続テレビ小説主題歌をハミングしながら次の解答をする準備をした。
「最終問題です。自分が達成したことや持っているものを有り難く感じる感謝が、平穏や幸運、恵まれている気持ちと結びつく五十代、六十代の幸せは『人生を味わい楽しむ』ことになります。ところで、シェイクスピアの四大悲劇の一つ、リア王の有名なセリフ『男はたとえ死が迫っていようとも」
問題文の途中で鳴り響くピポーンの音。
早押し機のボタンを押したのは、書紀だった。
スケッチブックに解答を書いていく二人の間で、部長は顎に手を当て考えこんでしまう。
首をひねり、何事かを書いてスケッチブックを伏せた。
「それでは、一斉にみせてください」
進行役が声をかけた。
書紀と会計は『成熟』と書き、部長は『狼狽しない』と書いていた。
「正解は『成熟』です」
ピポピポピポーンと甲高く音が鳴り響いた。
「問題文を最後まで読み上げます。『シェイクスピアの四大悲劇の一つ、リア王の有名なセリフ、男はたとえ死が迫っていようとも、自らそちら側へ行くことは耐えなければならない。つまり〇〇がすべてなのだとありますが、〇〇とはなにか?』でした」
進行役の解説を聞いて部長は「失念してた」とつぶやき、歓喜の声を上げる書紀と会計に大きな拍手を贈った。
「結果発表をします。三人とも四問正解の同率優勝です」
「やったー、仲良く『4アワセ』だー。つまり、シアワセってこと?」
部長の問いかけに進行役は、そうですねと返事。
「もし全問正解してたら、ゴアワセなの?」
訝しげに首をひねる部長たち三人に対し、進行役が微笑んで答える。
「いえ、『
参加した全員、喜びを頬に浮かべながら、互いの健闘を称え合った。
つかまえてハピネス snowdrop @kasumin
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