長すぎる前髪を上げて、瓶底眼鏡を取ったら世界が変わった

筧 麟太朗

第1話


「クスクスッ、あいつほんとになんで学校来てんだろうね?」


「マジそれ。地味で陰キャなやつとか学校で人権なくない?」


「ほんと、死ねばいいのに――」


 昼休み、机を囲みながら楽しそうに人の陰口、いや本人に聞こえているから単なる悪口か。とにかく人の悪口を楽しそうに話しているギャル三人組は皆一つの方向を見ている。


 その先にあるものは、長すぎる前髪で見えない瞳、さらに今どきコスプレでも見ないような分厚い瓶底眼鏡を掛けた不健康なほどに青白く、華奢な『榊慎太郎』という一人の少年だった。


 はぁ、また始まったよ……。


 先程から俺の悪口を言っているのはギャル三銃士。三銃士と言えば聞こえはいいが、それは偶々目立つやつが三人いたからつけられただけで、四人いれば四天王になっていただろうし、二人であればコンビだったんだと思う。


 とりあえず正義の使者ではないことは明白である。


 それでもってこの状況、入学してから二か月間毎日続いていた。


 入学式の時から地味な見た目をしていた俺はあっという間にギャル三銃士や、その他取り巻きたちの格好の餌になりいつの間にか俺に話しかける人は一人もいなくなった。


 担任でさえ点呼の時以外では名前を呼ばないのでほとんど教師公認のイジメだ。


 クラスのやつらのほとんどは俺に不干渉で、危害を加えたりいじめに加担してくることはほぼ無い。


 稀に俺の次に地味な鈴木がギャルに強制され俺に暴力を振るうくらいだ。


 幸い鈴木は非力で殴る時もとても申し訳なさそうな顔をするので特に恨んではいない。


 しかし人間無視され続けるのは辛いもので、まだ暴力を振るわれた方がましだと何回も思ったことがある。


 この学校にも学校の外にも、俺の味方はいない。


 父は再婚し、義母は連れ子の義妹と共に俺の家に引っ越してきたのが三年前。


 しかしちょうど一年前に父が他界した後、家に俺の居場所は無くなった。


 葬式が終わった途端それまでお淑やかだった義母は激変し、義妹と共に俺と父の家を我が物顔で支配し始めた。


 親子そろって父の遺産でブランド物を買い漁り、自分たちは高級外食、出前。それに比べて俺は制服が私服のようなもので、毎晩カップラーメンを啜っている。


 涙は枯れてもう出ない。


 いつの間にかギャルたちは俺に紙屑を当てる遊びをしていた。


 こんな世の中もうどうなってもいい。


 丸められた紙クズの中の石が脳天に直撃した時、うら若き16歳の俺は自殺を決意した。





 額から血が出ていたので、病院に行くと担任に告げ学校を出ると俺は街をふらついた。


 今世最後の景色だ、目に焼き付けておこう……。


 あてもなくふらふらと、糸の切れた凧のように俺は街を徘徊し、結局夕方まで足を止めることは無かった。


「そろそろだな」


 死ぬならいい時間帯だ、ノスタルジックな気分に浸りながら死ねる。


 商店街から見える夕焼けをしり目に帰宅を急いでいると、


「すいません」


 後ろから誰かを呼ぶ声がする。


 絶対に自分ではないので俺は相変わらずの速度で進む。するともう一度、


「すいません!」


 誰かを呼ぶ声が聞こえた。


 呼んでくれる人間がいるなら反応しないと。


 いつか俺みたいになるぞ。


 自己嫌悪満載でその場から立ち去ろうとした時だった。


「あの、聞こえてます?」


 いきなり肩を掴まれ、あまりに驚いた俺は「ひッ!」と素っ頓狂な声を上げてしまった。


「あ、すみません、驚かせてしまったみたいで……」


 恐る恐る後ろを振り向くと超絶おしゃれな青年が俺の肩を掴んでいた。


「成る程、分かりました」


「え?」


 俺は財布を取り出し、青年に押し付ける。


「お金が欲しいんですよね、これが今の全額です。足りないとは思いますが財布ごとあげるので何とか――」


 カツアゲなら丁度良かった。俺はもうお金は要らないし、身辺整理だと思えばカツアゲでも協力者である。


 そう思って財布を相手の胸に押し付けたのだが、


「違う違う! 別にお金とか困ってないし、俺が君を呼び止めたのは全く別の要件だよ!」


 焦った様子で「お金は大事にしてね」と財布を俺に返す。


 長い前髪の間からよく見れば、とても人の好さそうな好青年に見えた。


 少なくともあのギャル三銃士のように瞳は濁っていなかった。


「それでは、一体何の用でしょうか?」


 向き合い、用件を尋ねると、


「そうそう、用件って言うのはね。今度そこで美容室を新装開店するからその宣伝として君にカットモデルを頼みたいんだ」


「カットモデル……ですか?」


「もしかしてよくわからない?」


 好青年は頷く俺を見ると嫌な表情一つ見せずに説明を始めた。


「カットモデルって言うのはね、うちの美容室に来ればこんな髪型になれますよーって宣伝するために、実際に素人の人たちの髪を切らせてもらう人のことなんだけど」


「成る程、でもそれならもっと見た目のいい人にお願いするべきでは?」


「いやいや、髪型を顔でよく見せようなんて考え方、三流美容師のやることだよ。それより俺はビフォーアフターの分かりやすそうな人を探していてね。もし君がよければって声を掛けたんだけど」


 「どうかな?」と愛らしい笑みで聞いてくる。

 個人的には全く構わないが、


「すみません、金額はどれほどかかるんですか?」


「あ、ごめんね。言い忘れてたよ、カットモデルって言うのは基本タダなんだ。その代わり写真を撮ってサイトにアップしたりするから、カット代がギャラって感じだね」


「そうですか……」


 お金が要らなくて髪を切ってもらうだけ。しかもこんな俺でも人の役に立つことができる。


 うん、死ぬ間際くらい人の役に立って死にたい。


「分かりました、構いませんよ」


「本当!? それならスケジュールを確認してもいいかな!? 空いてる日を教えてくれれば希望は通すようにするからさ」


「ベつに今からでも構いませんが……」


「ごめん、まだ開店準備中でハサミとか櫛とか一式揃ってないんだ」


「そうですか」


「申し訳ないけど明日以降でもいいかな?」


「ああ、はい。なら明日でお願いします」


「分かったよ、明日の何時ごろとか希望ある?」


「正直いつでもいいですよ、朝昼晩どこでも」


「昼は学校があるでしょッ! でもそっか、朝来れば学校でお披露目できるね!」


「ええ!?」


 久しぶりに大きな声を出した気がする。


 学校にお披露目とか、嫌な予感がプンプンだ、そんな公開処刑したくない。


 しかし目の前の青年はトントン拍子で話を進めて行ってしまい、明日の朝六時にこの場所で集合することが決まってしまったのだった。


「自殺は一日延長か……」


 家族には、いやあの他人たちとはもう会いたくなかったんだけどな。


 家の扉を開けると大音量でテレビの音が聞こえてきた。


 リビングを覗くとどうやら義母がエクササイズをしているらしい。


 汚い汗をまき散らして父と俺の家を汚す姿に怒りを覚えるが、平静を装い「ただいま」そう短く告げると義母はこちらを一瞬振り返って、「チッ」と舌打ちをしてエクササイズに戻った。


 まあこんな生活も明日で最後なんだ。自分にそう言い聞かせる。


 そのまま自分の部屋に戻って、明日の自殺のことを考えているといつの間にか三時間ほど経過していた。


 少しお腹がすいたので、カップラーメンでも食べようと、リビングに降りると丁度部活から帰ってきた義妹と鉢合わせた。


 義妹は俺を睨みつけながら、


「おいクソ豚陰キャ。この荷物洗濯しといて。あと荷物も部屋もってけ」


 部活で汗が染みこんだ運動着を鞄ごと投げつけられる。


「おい、真帆。そういうことは自分で――」


「はぁ? さっさと持って行けよクソ眼鏡。じゃないと淫行で訴えんぞ」


 言うだけ言って踵を返した真帆がリビングに戻っていった。


 仕方なく義妹と義母の洗濯物をまとめて洗濯機にかける。


 この生活も長いので手つきは慣れたものだ。


「なんで俺ばっかり……」


 思わず心の声が漏れた。


 父が死に義理の家族には虐げられ、学校でもイジメに遭う。


 一年でかなり心が擦り切れた。


 最初はみんなに復讐してやろうとか、見返してやろうなんて思った時期もあったが、すぐに諦めてしまった。


 仲間がいない。頼れる友達がいない。復讐して手元に残るものは一体何だろう?


 家族に復讐する方法はいくらでもあったが、虚しくなってやめた。


 洗濯機が回る音を聞きながらしばらくぼーっとしていると義母が風呂にやってきて、


「あんたこんなところで何してるの? 気持ち悪い。汚物は洗面所から出て行って」


 と無理やり押し出された。


 もうカップラーメンを食べる気力すらなくなった。


 俺は義妹に自分の部屋を取られたため、自分の部屋に改造した倉庫で身を丸めて早々に寝るのだった。









~side青年~


「店長! 今日声を掛けてた男の子どうでした?」


「ああ、なかなかいい素材を持っている子だったよ、明日髪を切るのが楽しみだ」


 夜十時、開店を再来週に控えた美容室で昼間の青年は自分の店の唯一の美容師である女性と話していた。


「そうですか! それは良かったですね、私はあんまりいい印象を受けませんでしたが」


「ああ、あの子はこの世を諦めたような顔をしていたからね。でもそういう子を変えたいんだよ、俺は。髪型一つで見える世界が変わるってところをね」


「はぁ、相変わらず変わってますねー、店長は」


 呆れた口調でため息を吐いたその美容師の前で自信満々で「よし!」と意気込んでいる青年。


 翌日、この青年の手によって本当に人生を変えられるとは慎太郎は思いもよらないのだった。

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