126.せんどうしゃの元へ


「大丈夫······大丈夫だよ······。もう終わったんだ。終わったんだよ!」


 ウィッチの身体から温もりを感じる。

 拍動を感じる。

 生きている。

 ウィッチは僕の腕の中で間違いなく生きてるんだ。

 良かった。

 ほんとに良かった。


 安心した僕は気づいたら泪を流していた。

 頬を濡らすのは確かに温もりのある泪。

 この瞬間だけは僕もまだ血のかよった人であると、深く深く感じる事ができた。


 この身を包む黒は僕を人から離れさせようとしている。

 地に立つ僕の足を地底へと引きずり込もうとしている。

 真っ黒な手を絡ませて。

 頭の中でしたたかに囁きかける。


“こっちへ来い”


 その声は時を追うごとに数を増やし、大きくなっていく。

 多分そう遠くないうちに僕はこの声に呑み込まれることになるのだろう。

 呑み込まれて、絡み取られて、底の底へと沈みこんでいく。

 抗う術なんて知らないし。

 リアザルだっけ?

 の魔王である彼ならもしかしたらここから人に留まる方法を知ってるのかもしれないけど、生憎ながら会ったこともないし。

 まぁなんでもいいや。

 ウィッチは無事だ。

 側近の仇は取れた。

 隼人を苦しめる呪いも解けた。

 全ての元凶であるサマリアをこの手で討ち取れたんだ。

 これでみんなは救われるはず。

 この世界にまた笑顔が戻るはず。

 それでいい。

 それでいいんだ。


「ま、理、苦しい······」

「んえ? あ、あっごめん! 痛かったよね······。ごめんよ······」


 知らないうちに僕は抱き締める手に力を入れすぎてたみたい。

 ウィッチが苦しそうに僕の背中を叩いた。

 僕は慌てて手を離して少し後ろに下がる。

 そんな僕を見てウィッチは微笑んだ。


「ふふっ······。理、ありがとう。ほんとにこれで終わったんだな」

「うん。終わったんだよ。僕たちが勝ったんだ······。自由を勝ち取ったんだ」


 僕もつられて微笑んだ。

 思えば僕の顔にこんな純な笑みが浮かぶのは久しぶりだな。

 そっか、僕ってまだ笑えたんだ。

 まだちゃんと人なんだ。

 いいな笑えるって。

 幸せだ。

 胸がぽかぽかして安らぎを感じられる。

 だからもっとみんなに笑って欲しい。

 この世界を笑顔で包みたい。

 魔族も人間も関係なく輪になって笑う。

 どこに行っても絶えることのない笑い声。

 争いなんてどこにもない、平和の広がる世。

 きっと素敵な世界なんだろうな。

 そんな風景を見届けられたら僕は幸せに押し潰されてしまいそうだ。

 いい世界だ。

 アルミリアならきっとこの世界を導いてくれる。

 幸せで溢れる世界へと。

 まだ人であるうちに僕もこの眼で見てみたい。

 みんなと一緒に笑い合いたい。

 そのためにも、最後の仕上げを済ませなきゃ。

 僕らの先導者であるアルミリアの元へ。


 僕はすっと立ち上がり、ウィッチに手を差し出した。

 黒く汚れてしまった右手を。


「行こう、ウィッチ。アルミリアが待ってる」


 するとウィッチは僕の手にそっと手を重ねた。

 傷の癒えた綺麗な左手を。


「あぁ。行こう」


 そのままウィッチも立ち上がった。

 僕はここでふとを覚えた。

 ウィッチは僕のこの黒に対して何も言わない。

 眼を背けることも無い。

 手を差し出しても躊躇うことなく取ってくれた。

 今だって濁りのない瞳で僕を見つめている。

 ウィッチには僕がどう見えてるんだろうか。

 恐怖は無いのだろうか。

 変わり果てた僕はウィッチにとってどんな存在なのだろうか。

 僕にはわからない。

 わからないことが怖い。

 僕の身の行く末には微塵も恐怖を感じないというのに。

 変な話だ。

 僕はどうやら自分のことより他人のことの方が興味があるらしい。

 自分の気持ちよりも他人の気持ちの方が大事らしい。

 ここでも“らしい”って他人事みたいに言うんだからやっぱり思った通りなんだろうな。


 するとウィッチが僕の瞳を覗き込むようにして話しかけてきた。


「······? 理、どうかしたか?」

「え、いやっ······えっと······」


 僕は迷った。

 この怖さを伝えるべきなのだろうか、と。

 もしかしたら笑い飛ばされて終わりかもしれない。

 でも逆に、伝えてしまったがために意識させてしまって怖さを植え付けてしまうかもしれない。

 そうなればウィッチはどう感じるだろうか。

 怖いと思う人間と、果たして一緒にいたいだろうか。

 もはや人間かどうかすら危うい僕と。

 やはりわからない。

 僕にはわからない。

 心ってこんなに難しいものだったんだね。

 まだ人であるうちに知れてよかった。

 人でなくなる。

 不確かでありながら間違いないと実感できる不思議なこと。

 これも伝えるべきなのかな。


 深く逡巡を巡らせている僕を見てウィッチがぎゅっと手を握ってくれた。

 肌から伝わる確かな温もり。

 それがなんだかウィッチの優しさのようで、暗く冷えきった僕の心に明かりを灯してくれる。


「······深くは聞かない。けどな、話して楽になるならぶつけてみろ。どんな言葉でもあたいはしっかり受け止めるよ。側近だって······そうするだろうからな」


 側近。

 その名前を出されると僕は弱い。

 この世界で誰よりも僕を理解してくれて、誰よりも僕が頼りにしていた人。

 そういえば僕が初めて正体を明かした時、側近もしっかりと受け止めてくれたな。

 そっか。

 頼っていいんだ。

 もし相手が側近だったら僕はどうしてただろう。

 うん、間違いなくこの思いを告げていたはず。

 何も躊躇うことなく。

 ならばウィッチにだって頼るべきなんだ。

 側近の代わりとしてではなく、ウィッチというひとりの友人として。

 ここで僕が臆病になってたってどうしようもない。

 大丈夫。

 ウィッチなら大丈夫だ。


 そう思うと、すっと心が軽くなった気がした。

 勝手に自縛していた鎖を解き放って飛び立つ。

 そんな感じ。

 言葉を紡ぐ勇気が自然と湧いていく。


「あの、ね······ウィッチは僕のこの姿が怖くないのかな、って思ったんだ。全身闇に包まれてこれじゃまるで死神だ。それに僕は多分そう遠くないうちに人ではなくなる。この闇に呑まれてしまう。それがウィッチにはどう見えてるんだろうと思って······」


 話している間もウィッチは眼を逸らさずに聞いてくれた。

 真っ直ぐに僕の瞳を射抜いて。

 そして僕が話し終えると一息つき、にこりと微笑んだ。


「理はその姿であたいたちを護ってくれた。そうなんだろ?」

「うん、そう······だね」

「なら怖いわけあるか。大丈夫だよ。安心しな。それにな、人じゃなくなるってそもそもあたいらは元来人じゃない。魔族だ。あたいらからしてみればそんな些細なこと気にもならないよ。どうなろうと理は理だ。それに変わりはない。ならそれでいいじゃないか」


 そう言ってウィッチは右手で僕の頭を撫でた。

 少し力が強いけどそれがまたウィッチらしくて。

 なんだか嬉しいような照れくさいような。


「ありがとう······ありがとう、ウィッチ。そうだよね。どうなったって僕は僕なんだ。それでいいんだよね」

「あぁそうさ。それでこそあたいらの王だよ」


 微笑みかけてくれるウィッチの顔が凄く眩しく感じた。

 まるで天使のよう。

 そう形容するのが一番相応しい気がする。

 お陰で僕は救われたんだから。


“どうなろうと理は理だ。それに変わりはない”


 ウィッチはそう言ってくれた。

 この先僕がどうなってしまうのか。

 それは誰にもわからない。

 でもどうなろうと、どこに辿り着こうと僕は僕だ。

 理なんだ。

 たとえそれが人でなかろうとも。

 そしてみんなはそんな僕を受け入れてくれるはず。

 少なくともウィッチはそうだ。

 ならもう何も恐れることはない。

 僕は僕の運命に従って歩んでいくだけだ。


「ごめんよウィッチ。心配かけて。でもお陰ですっきりした。踏ん切りがついたよ。もう何も恐くない。僕は前に進めそうだよ」

「あぁ。じゃあ行くか」

「うん、行こう」


 僕は懐から拳大の水晶を取り出した。

 仄かな月明かりを集めて輝くそれは僕らの行く先を照らしてくれる。

 何も心配はいらないと強く背中を押してくれる。

 その光に導かれるように僕らは無残な姿になったサマリアの前へと歩み寄った。

 もう人型だった原型などそこにはない。

 僕らから罰を刻み込まれたそれはあまりに醜い。

 そんなサマリアに僕は左手を重ねた。

 水晶に魔力を込める。


「転移魔法」


 刹那、僕らは天界から姿を消した。




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