125.理を捨てる


 黒槍に巻き込まれて、捻じ切れたウィッチの腕。

 ぐちゃぐちゃの断面から鮮血を撒き散らして宙を舞う。

 ゴトリと地面に落ちると辺りを赤黒く濡らした。

 一瞬で血溜まりが広がっていく。

 残された肩からは濁流のように深紅の血が流れ出る。

 その血が黒槍を伝って、まるで泪のように滴り落ちる。

 黒が赤に染め上げられていく。


「······あ、あぁ······がはっ······」


 微かに零れた音。

 青ざめるウィッチの顔。

 そのままウィッチは為す術もなく後ろへ倒れていった。

 ゆっくりと真後ろへ。

 痛みに悶えるでもなく、身動きすらとらずに。

 地面に叩きつけられると二度、三度と身体が跳ねた。

 肩を中心に血が地面を汚す。

 辺りに鉄臭さが漂う。

 それを僕はただ眺めていることしかできなかった。

 手を伸ばすことすら叶わなかった。

 心に渦巻くのは自責の念。


「ウィッチ······」


 護れなかった。

 僕はまた護れなかった。

 僕の力が足りなかったから。

 僕の努力が足りなかったから。

 だからウィッチは傷ついた。

 僕のせいで。

 僕のせいでウィッチは痛みを負った。

 僕が護るんだ。

 みんなを、世界を。

 僕が魔王だから。

 そう心に誓ったはず。

 そう側近に誓ったはず。

 なのに僕は······。

 また僕は喪ってしまう。

 失いたくないものを。

 嫌だ。

 そんなの嫌だ。

 もうこんな思いをするのはたくさんだ。

 二度とこんな思いをしたくない。

 ならばどうする?

 僕は何をする?


 この瞬間、僕の中で何か音がした。

 カチリと何かを押す音。

 それは転機。

 憎悪で満たされた心をさらに深く落とし込む闇の手。

 まるで僕の影から生えてきたかのようなその手は、僕の心を包み込むと深淵へと無理矢理押し込んでいく。

 深淵はこの空間のように仄暗く、ヘドロのような粘りを持つ。

 微かに届く光に手を伸ばそうにも闇の手に阻まれる。

 足掻けば足掻くほどに深く深く沈んでいく。

 光すら届かない暗黒の世界へ。

 もはや抜け出すことなど不可能。

 僕は堕ちていく。

 人の心を置き去りにして。

 それでいい。

 誓いが果たせるのなら。

 僕の願いが叶うのなら。

 それならば僕はどうなろうといとわない。

 心の闇に支配されるならば僕はそれに身を委ねよう。

 護れるならばこの身は捧げよう。

 さぁ行くよ、僕。

 禁足地へ。

 二度と引き返せない世界へ。

 心の闇とともに。


 僕は静かにサマリアを睨みつけた。

 対して、サマリアは肩で息をしながらゆらりと立ち上がる。


「ウィッチ、ちょっとだけ待っててね。すぐ終わるから」


 ボソリと告げた。

 ウィッチの耳に届いているかはわからない。

 そもそもウィッチに意識があるのか、それすらも僕にはわからない。

 だから急ぐんだ。

 焦らず急ぐ。

 さっさとこのサマリアクズを片付けなきゃ。


「闇魔法······」


 想像するんだ。

 深淵のように深い闇を。

 この世のすべてを飲み込むほどの闇を。

 人のことわりを捨てた存在を。


 すると僕の背後からおどろおどろしい黒腕が姿を現した。

 闇夜に蠢く物怪もののけを想起させるそれは僕のことを優しく包み込んでいく。

 包み、呑み込み、人の衣を剥がしていく。

 自身とおなじ世界へと僕をいざなっていく。

 僕はそれに身を任せる。

 成されるがまま。

 身体を闇が覆い尽くす。

 僕の身体を暗黒に染め上げていく。


 心地よい。

 なんて居心地が良い世界だろうか。

 もしかしたら人はこれを堕落と呼ぶのかもしれない。

 これを悪と言うのかもしれない。

 でもそれがなんだって言うんだ。

 心の闇に呑み込まれて、今この瞬間力が得られるならば僕はそれでいい。

 後先なんて考えてられるか。


 こんな僕を見てサマリアは明らかに拒絶反応を示す。

 左肩にできた傷口を抑える手が震えている。

 僕を見る瞳を逸らしたくて仕方ないように見える。

 足が少しずつ後ろへ。


「な、なんですかそれは······。いいのですか理さん······。に戻れなくなりますよ······?」

「······それが?」

「それが、って······あなたは姉様の掌の上で転がされてるだけなのですよ!? なのにあ」

「うるさいなぁ······。お前が側近を、隼人を、ウィッチを、みんなを傷つけた。理由はそれだけで十分だよ。じゃあね」


 腰を少し落とす。

 右手を引き絞る。

 地面を――蹴る!


「待っ」


“ゴリュ······”


 口を開くサマリアの顔面に拳を叩き込んだ。

 サマリアの骨の軋む音が僕の腕を伝ってくる。

 折れた歯が僕の耳を掠める。

 口から漏れた血飛沫が僕の頬を汚す。


 快感だ。


 そのまま振り切る。

 するとサマリアはまるでピンポン玉みたいに軽々と弾け飛んだ。

 瞬く間に壁にめり込む。


「がはっ······」


 サマリアが瓦礫とともに力なく崩れ落ちていく。

 でも、寝かせない。

 僕は落ちていくサマリアに向けて手を伸ばした。


「闇魔法」


 向けた掌をギュッと握る。

 すると崩れる瓦礫の影から無数の腕が出現した。

 そして


“ドガガガガガガガガガガガッ”


 サマリアを四方八方から殴り潰していく。

 微かに漏れ聞こえてくるサマリアの悲鳴。

 飛び散る血、肉片。

 それを僕は虫けらでも眺めるように静観する。


 まだだ。

 まだ足りない。

 側近の、隼人の、ウィッチの痛みはこんなもんじゃない。

 この程度で済むはずがない。

 もっとだ。

 もっともっともっと。

 刻め。

 彫り込め。

 サマリアの身体に。

 深く、二度と消えぬように。




 しばらくして僕は手を開く。

 僕が手を開くと黒腕たちは瞬時に消え去った。

 消え去った中からサマリアが姿を現す。

 そのまま地面へと叩きつけられる。

 瞬時に血の池が完成する。

 サマリアの四肢はあらぬ方向に曲がり、真っ黒に腫れ上がっていた。

 ピクリとも動く気配はない。

 あれだけ真っ白で美しかった顔はもはや原型がどうだったのか思い出せないほどに醜く歪みきっている。

 零れ落ちる、粉々に砕けた歯。

 曲がりきって上を向いた鼻。

 爛れ落ちる眼の球。

 禿げ上がった頭。


 おあつらえ向きだ。

 サマリアは僕たちにそれだけの事をしてきたんだ。

 死だけでは足りない。

 この世で最も醜く、不格好な姿こそ相応しい。

 これこそ僕にできる最低限の報いだ。


 僕はウィッチに眼をやった。

 傷ついたウィッチは瞼を閉じて静かに胸を上下させている。

 終わったよ。

 終わったんだよウィッチ。

 やっと、終わったんだよ。

 ん······?

 待って······?

 上下······?

 生きてる!?


「ウィッチ!!!」


 僕は慌てて駆け寄った。

 転びかけるほどに。

 そのままウィッチの傍に滑り込む。

 すると微かにウィッチの瞼が動いた。


「ウィッチ! ウィッチ! 僕だよ! わかる!? 理だよ!」

「ん······まこ、と······? あたいは一体······」

「そうだよ! 理だよ! そ、そうだ! 回復魔法! できるかな······いや、そうじゃなくて、やるんだ! 回復魔法!」


 僕はウィッチの左肩に向けて手を突き出した。


 想像するんだ。

 元あったように骨を、血肉をかき集めるんだ。


 すると僕の掌から緑色の光が伸びていった。

 その光がウィッチの身体を包んでいく。

 そしてみるみるうちに左肩から欠損したはずの腕が生えてきた。

 ウィッチ本来のきめ細やかな肌が仄かな月明かりに照らされる。

 険しかったウィッチの顔からどんどんと皺が取れていく。

 不思議そうに眼をぱちくりさせるウィッチ。

 治った······んだ。

 僕でも治せたんだ。

 護れたんだ······!


「痛みが······。······っは! そうだ! 理、サマリアは!? うっ!」


 気づいたら僕はウィッチに抱きついていた。

 ウィッチの背中に強く手を回して。


「大丈夫······大丈夫だよ······。もう終わったんだ。終わったんだよ!」


 僕の頬を泪が伝っていた。

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