120.神らしからぬ


「転移魔法」


 その言葉が僕の耳に届いた次の瞬間、景色が一変した。

 岩と砂だけの寂しい風景から月明かりに照らされた荘厳な建物へ。

 どしりと構えるその建物はとにかく大きい。

 見上げると、高さは4階建ての建物ほどあるだろうか。

 岩を彫って施されたであろう彫刻が外壁にずらりと並んでいる。

 そのひとつひとつが細部まで丁寧に彫り込まれている。

 そして僕らの目の前には5mほどの高さがある黄金の扉が立っている。

 月明かりを反射して煌めくその扉は、端々まで磨きがかかっている。

 言うまでもないけど、今まで見てきたどの建物とも比較にならないほどの圧倒的規模。


 驚くべきはこれだけではない。

 それは足元にある。

 足で踏みしめる柔らかな感触。

 そしてこの真っ白な色。

 これは僕の想像の域を出ない話ではあるけど、もしかしてこれは雲じゃないだろうか。

 その証拠に、所々ある隙間からの建物と仄かな灯りが見える。

 いやもちろん、僕だって雲に立つことが出来ないことぐらいわかってる。

 これでも一応高校生だし。

 でもこの世界には魔法があって、呪いがあって。

 僕の常識が通用しないのだ。

 なら雲の上に立てたからって不思議はない。

 僕の想像を超えるもので溢れているんだから。


「凄い······」

「あぁ······」


 思わず僕もウィッチも感嘆の言葉が漏れる。

 そんな僕らを一瞥するとアルミリアはキッとこの建物を睨みつけた。

 そこにこもっているのは明らかな敵意。

 言わずともわかる。

 ここにサマリアがいる。

 側近の仇、サマリアが。

 渇いた心にヒビが入るような音がした。

 義憤に燃えるなんてことはない。

 ただただ渇いている。


 僕は側近の仇をとるんだ。

 僕は隼人を取り戻すんだ。

 僕は魔族を護り通すんだ。


 これだけ。

 そこに熱く燃え上がる感情はない。

 どこまでも冷静に、どこまでも冷徹で。

 僕は僕のやるべき事をやるだけ。

 それを再確認すると僕はしっかりと拳を握りしめた。


「アルミリア様······行きましょう······」


 僕はそう言ってアルミリアへと眼を向けた。

 それに合わせてウィッチもアルミリアの方を向く。

 するとアルミリアはコクリと頷いて口を開いた。


「えぇ······。ですがその前にひとつ、確認しておくことがあります」

「なんですか······?」

「この後の立ち回りです」


 そう言ってアルミリアはもう一度建物のその奥を睨みつけた。

 サマリアが待っているであろう場所を。


「私はこの醜い争いに終止符を打ちたい······! ですので私は。取り込んで私とサマリア、つまり生の女神と死の女神は一体となるのです」

「取り······込む······? それはどういう······」

「言葉通りに受け取ってもらって結構です。ですがそのためには準備が必要なのです。ですから」


 アルミリアは一呼吸置いて僕とウィッチの手を取った。

 しっかりと握りしめられた手からは痛いほど想いが伝わってくる。

 この戦いを終わらせるんだという覚悟が。

 だから僕も握り返す。

 終わらせるんだ。

 僕らで護りきるんだ。

 その覚悟を持って。


「ですから、お願いです。おふたりでなんとしてでもサマリアを討ち取ってください······! どんな手を使っても構いません。持てる全ての力を使ってサマリアを······妹を私の元へ······!」


 握られた手により一層力がこもる。


「よろしく頼みます······!」


 そう言ってアルミリアは深々と頭を下げた。

 ここまで熱いアルミリアを見たことがあっただろうか。

 否。

 アルミリアはいつでも落ち着きを放っていた。

 もちろん、戦闘狂という一面を除いてではあるけど。

 そんなアルミリアがここまで熱さを見せたのだ。

 神に似つかわしくないほど人間臭く、全てを賭けて。

 ならば僕らは全力をもって応えるだけ。

 僕らの中にある覚悟に付き従うのみ。

 だから僕は背筋にシャンと力を込める。


「わかりました······! 任せてください······! この手で側近の仇を······そして隼人を取り戻すんだ······! 護るもののために戦います······!」

「あたいもその覚悟です······! 魔族全員の想いを背負ってやり遂げてみせます······!」


 見ると、アルミリアの頬には一筋の泪が伝っていた。

 アルミリアが感情を隠しきれずにいる。

 僕らの言葉がそれだけ嬉しかったということだろう。

 雫が雲の上に落ちた。

 そこでハッとしたようにアルミリアは泪を拭うと、僕らに視線を向ける。


「では私は準備のために一度ここを離れます。おふたりのご無事をお祈り致します」

「はい······!」

「······そうだ、忘れるところでした」


 そう言ってアルミリアはおもむろに懐に手を突っ込んだ。

 しばし何かを探すような素振りを見せる。

 すると、何かを掴んで懐から手を引き抜いた。

 その手に握られていたのはなんの濁りもなく透き通った球体だった。

 水晶だ。

 アルミリアはそれを僕の方へ差しだした。


「これをお渡ししておきます」

「これは······?」


 僕はそう言いながら差しだされた水晶を受け取った。

 拳大のそれはずしりとした感触がある。

 僕とウィッチが覗き込むとふたりの顔が水晶に映しだされた。


「その水晶にはへの転移魔法が込められています。サマリアを討ち取った後、その水晶へ魔力を込めてそこへ向かってください。私はそこでおふたりのことをお待ちしております」

「そのある場所というのは一体どこなのですか······?」


 僕が問うとアルミリアは真下へ向けて指をさした。


「ここ、天界の真下にあるのは人間の街の中心、つまり王宮です。その地下には魔法を司る水晶、魔水晶と呪いを司る水晶、呪水晶があるのです。サマリアを取り込むためにはそのふたつの水晶の力を用いる必要があるのです」

「なるほど······。つまり僕らはサマリアを倒した後、サマリアを連れてそこに行けばいいのですね?」


 それにアルミリアはコクリと頷いた。


「その通りです」


 そしてアルミリアはひらりと身を翻して僕らに背を向けた。

 黒く艶やかな髪が月明かりに照らされて妖しく舞う。


「では私は先に向かいます。ご武運を。······転移魔法」


 その言葉を最後に、美しき神様は僕らの前から姿を消した。

 最後に見せた女神らしからぬ人間らしさ。

 それを見て僕は何故か安心していた。

 女神と言えどちゃんと血が通っていて心があって。

 遠くかけ離れているようで実はごく身近で。

 僕らとは違うようで結局は同じなんだと、そう思えたから。


「じゃあウィッチ、行こっか。護るために······!」

「あぁ行こう、理······!」


 僕らはどちらからともなく拳を差しだした。

 その拳をコツリと合わせる。

 僕の手から心へ、ウィッチの温もりが伝わってくる。

 大丈夫。

 僕とウィッチならやれる。

 側近だって見てくれてる。

 踏みだそう。

 護るために。


 そうして僕らは扉へ向けて歩きだした。



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