91.甘くて辛くて、少ししょっぱくて


「―っは!」

「ん? 理! 遅かったじゃないか」


 僕の視界が開けるとぼんやりと人の立つ姿が見えた。

 もう馴染みの声だった。

 徐々にくっきりとしてくるその人物の表情は少し口角が上がっていて嬉しそうだ。


「ウィッチ······。先を越されちゃったみたいだね」


 それを聞いてウィッチは少し自慢げに首肯した。


「あぁ、そうだね。とは言ってもあたいもちょっと前に脱出できたんだけどね」

「そっか」


 そう返事をして僕も立ち上がる。

 ふと下を見ると周囲には純黒の欠片が無造作に散らばっていた。

 不思議に思って1つ摘んで眺めてみる。

 どこかで見たことあるような澄んだ混じり気のない黒色だった。

 するとウィッチがその答えを教えてくれた。


「それはあたいたちが閉じ込められてた呪いの残骸だよ。あそこに行く直前にアルミリアに額を触られたの、覚えてるかい?」


 そう言われて記憶を探ってみるとたしかに触られた覚えがあった。

 その次の瞬間には感覚を全て取り上げられたあの場所にいたのだ。


「うん、覚えてる。······あれ?」

「なんだい?」

「そういえば僕らはあれからどのくらい閉じ込められてたの?」

「うーん······。あたいも分からないね」

「おはようございます。理さん、ウィッチさん。今日は5日目です」


 第3の方向から現れた声に僕とウィッチは揃って振り向いた。

 その先には全身を漆黒に身を包んだ細身の女性の姿がある。

 僕とウィッチをあそこに閉じ込めた張本人。

 そう、アルミリアだ。


「アルミリア様······」

「まず、おめでとうございますと言っておきます。私の予想ですともう少し時間がかかると思っておりましたが存外はやくお二人が脱出できたこと、嬉しく思います。今はあまり実感がわかないかもしれませんがあの呪いから脱出できた時点でお二人の力はかなりついているはずです。さて、ちょうど今食事の時間ですのでお二人もどうぞ」


 僕らの反応をよそにアルミリアは自分のペースでどんどんと話を進めていく。

 でもそのアルミリアの顔はさも嬉しそうで朗らかなものだった。

 なんの混じり気もない、さっきの欠片のような澄んだ笑顔。

 なんの裏もないように見える無邪気さ。

 無事に脱出できたこと、そしてこの純粋無垢な笑顔を見ると僕の心に微かにあった疑念も霧散していった。

 自分が追い込まれていたことで疑心暗鬼になってしまったのだと自分の中で1つの答えを出す。


「理、どうしたんだい? あたいらも行くよ」

「ん? あぁごめん。ちょっとぼーっとしてた」


 そうウィッチに声をかけられ僕も慌てて歩き出す。

 僕が顔を上げた時にはもうアルミリアは背中を向けて歩き出していた。

 その目指す先には3人の人影がある。

 こちらの様子に気付いた隼人と彩華が大きく手を振っている。

 側近は微笑みながら僕たちのことを見ていた。

 空腹を加速させる食事の香りが鼻腔をくすぐる。

 歩く度に布の擦れる音が聞こえる。

 大地を踏みしめる感覚がしっかりとある。

 あぁ、やっと帰ってこれたんだ、と妙にどっしりとした実感が湧いてきた。


「理! おかえり!」

「ただいま。隼人、調子はどう?」

「多分順調なはずだ。俺たちけっこうしごかれてるから」

「ふふっ。そっか、なら良かった」

「まぁそんなことはいいんだ。今夜はカレーなんだ。一緒に食おうぜ」


 そう言って隼人が目の前の鍋からカレーをよそってくれた。

 手渡された皿からはとても懐かしい香りがしていた。

 幼き日、家族と食べた記憶が蘇る。

 隼人たちと学校帰りに食べた思い出もある。

 そんな少し湿っぽい感傷に浸りながら僕はスプーンを口に運ぶ。

 初めにほんのりと刺激的な辛さが口の中を覆い、次いで果実や肉の脂、野菜らがよく煮込まれたまろやかな甘みが口いっぱいに広がった。

 

「なにこれ······。こ、こんな美味いカレー食べたことない!」


 すると隼人と彩華が得意気に微笑んでこちらを見た。


「えへへ。実はそれ私たちが作ったんです!」

「えぇ!? ほ、ほんと!?」

「おぉ、ほん······」

「ほとんどは側近さんが作ってくださいましたよ。隼人さんと彩華さんは最後に味見を担当されました」

「な、お、ば、アルミリア様! 黙っててって言ったじゃないですかぁ!」

「うふふ。すっかり忘れておりました」


 そう言ってアルミリアはたいそう嬉しそうに微笑み、隼人と彩華はそれをこれでもかとジト目で睨み続けていた。

 側近はというと何食わぬ顔を装いながらカレーを頬張るも口の端は我慢の限界を訴えてピクピクしている。

 そんな彼らに癒されて僕もウィッチも声を出して笑った。

 死闘を繰り広げる未来が間違いなくやってくる。

 そんな息苦しさの中に流れる優しい風に少し心が洗われた気がした。

 それと同時にこんなことも思う。


“護らなくちゃ。僕が護らなくちゃ。だって僕は魔王だもの――”



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