90.闇からの解放

 ここに入ってから一体どれほどの時間が経っただろうか。

 僕には全くわからない。

 視界のない真っ暗な世界。

 音もなければ匂いもなく、味もしなければ触れている感覚もない。

 ただただ魔力を垂れ流し続けているのみの時間が過ぎていく。

 一時は魔力が際限なく出せることに楽しさすら感じていた。

 痛みもないし何より体の奥底からどんどん溢れ出てくる感覚が心地よかった。

 でも、そんなものは一瞬だった。

 脱出の糸口が全く掴めないのだ。

 どれだけ魔力を出そうと、それがどこかに吸い取られているかのように何も起きない。


「どうすればいいんだ······」


 当然そんなボヤきも自分にすら聞こえる訳もなく、闇へと吸い込まれていく。

 それが段々と不安を呼び覚ます。

 落ち着いていたはずの心に小さな綻びができ始める。

 本当にこのままでここから脱出できるだろうか。

 そんな小さな小さな不安。

 平時であれば空元気でも出せば押し込んで潰せるもの。

 だが一度その不安が戻ってくればそこから瓦解するのは容易なことだった。

 感覚のないことに対する恐怖まで引き連れてくるのだ。

 負の連鎖。


 怖い

 怖い

 怖い

 怖い

 怖い

 怖い

 怖い

 怖い

 怖い

 怖い


 そんな言葉が濁流が如く心を飲み込んでいく。

 すると必然的に出し続けていた魔力は段々と弱くなっていく。

 恐怖によって、結び目の解けた集中力という名の風船はそのまま空の彼方へ消え去ってしまった。

 そして心の奥底まで真っ黒なもので染められていく。


「見えない······。聞こえない······。怖い······。どうすればいいんだよ······。どうすれば、どうすれば······」


 魔力を出し続けなければここから脱出できないとは思う。

 でも果たして本当にそうだろうか。

 僕にはもうわからなかった。

 どれだけ魔力を出そうとここから出られない。

 アルミリアに嵌められたのかとさえ思う。

 でもそれは無いなと未だ少し残る冷静な部分が打ち消す。

 嵌める利点がアルミリアにないからだ。

 殺そうと思えばいつでも殺せるほどの力の差があったのだから。

 なら今は彼女の言葉を信じるしかない。

 そう、思考をかき混ぜながらも結論づける。

 そんな時でも恐怖の波は押し寄せてくる。

 今こうやって無理矢理にでも考え事をしてなかったら多分僕は既に壊れてる。

 だからこそアルミリアに縋るしかないのだ。

 もう一度、ゆっくりアルミリアの言葉を思い出す。


 彼女は僕らに心を落ち着けて欲しいって言ってたはず。

 とりあえず深呼吸だ。

 

 そう思って大袈裟に息を吸って吐く。

 目一杯肺に空気を吸い込む。

 そして肺が空っぽに吐き出す。

 そして、もう一度。

 震える手足を必死に落ち着ける。

 実際に震えているかは僕にはわからないけど全身が震えてる気がする。

 喉だってカラカラなはず。

 恐怖から浅い呼吸を繰り返しているから肺だって上手く動けてないはず。

 全て憶測にしかならない。

 でも考えたって分かるもんじゃない。

 だから頑張って心を鎮める。

 すると、人間不思議なもので、少しずつ心が静寂を取り戻し始める。

 怖さしか運んでこなかった無限に広がる暗闇が、雑音が聞こえない空間が逆に心を落ち着かせる癒しになっていく。

 波で荒れくれていた心の湾は穏やかなさざ波をたてて心地よい音を響かせはじめる。

 

「よし······。やっと落ち着いてきた······」


 もう一度大きく大きく息を吸い込む。

 そしてありったけの空気を吐き出す。


 さっきまで出し続けてダメだったんだ。

 何か変えなくちゃいけない。

 じゃあどうするか。

 |細くする(・・・・)しかない。

 高濃度の魔力を一点に集中させて一気に放出する。

 もう僕にはそれぐらいしか思いつかなかった。

 だからこそ、これをやるしかない。


 まずは魔力を体の中心に集める。

 さっき垂れ流し続けていたものをひたすら真ん中へ。

 粘土のように練り上げるイメージで押し固めながら。

 続けているとなんとなく感覚が掴めてくる。

 

「よし、この調子······」


 ゆっくりと集まってくる魔力を少しずつ尖らせていく。

 一点突破のみを考えて細く、鋭く、それでいて強く。

 真っ黒で大きな大きなランスをイメージしながらただひたすらに魔力をかき集める。

 

 それからどのくらい経っただろうか。

 僕が言うのもなんだけど尋常じゃない魔力を集められた気がする。

 少なくとも生身の僕じゃ扱えないほどの量だ。


「そろそろいい、かな?」


 出鱈目な感覚ではあるけど僕の体感では魔人戦の時の何重にも闇魔法を重ねがけした魔力量の十数倍程だと思う。

 あとはこれを一気に見えない壁に突き刺すだけ。

 いけるだろうか、と不安は尽きない。

 でも同時に頭の隅の方でどこか確信を持っている自分もいた。

 小さいながらもくっきりとした光。

 それはその大きさを次第に増していき大きな自信へと変わっていく。


「······よし、いこう!」


 どれだけ大きく叫ぼうがその声は自らの耳には一切届かない。

 それでもその言葉は僕を奮い立たせるのに十分すぎた。


「いっけぇぇぇぇっ!!!!!」


 言葉と共に両の拳を前に突き出す。

 強く、強く練り上げた闇魔法がそれに合わせて発射される。

 今まで感じることの出来なかった壁と魔法のせめぎ合う感覚がはっきりと体に伝わってきた。

 目が見えるなら間違いなく眼前に火花や閃光が飛び散るのが見えるはずだ。

 それほどまでのせめぎあい。

 自然と全身に力が入る。


「はぁぁぁぁぁっっ!!!!!」


 すると|音が(・・)世界に戻ってくる。

 金属が擦れ合うようなバカでかい摩擦音と自分の声が鼓膜をふるわせる。

 次いで全身が膜に覆われているような違和感が、焦げ付くような匂いが、乾き切って血にも似た不快感を孕む味が戻ってくる。

 もう少し、あと少し、これが最後のひと押しだ。

 そう腹を括る。


「はぁっ!!!!!」


 “バキン!”


 そんな破裂音が響き渡る。

 そして次の瞬間には|一面の白(・・・・)が視界を覆い尽くした。

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