88.散り行く花
体から噴き出した赤と黒の噴水は空高く舞い上がった。
まるで花が天高く咲き誇っているかのように。
そしてドサリと2つの音が重なる。
そこに倒れたのは文字通り瀕死の2つの体。
バティは虫の息になりながらレンの方へと顔を向ける。
左脇腹を初めとした体の各所からの出血が酷く、もはや意識も曖昧になっていた。
それもそうだ。
さっきまでの気合いはレンを自分が止めてやると、|性根(しゃーね)を叩き直すと、それだけで成り立っていた。
だがもうその必要は無くなったのだ。
バティの視線の先には同じように朦朧としているレンが見えている。
お互いに言わずとも分かっていた。
死ぬまでの時間はもう5分と残されていないことを。
だからこそレンは最後の力を振り絞る。
「バ、バティ···。」
バティはもはや返事すら出来ないほど憔悴していた。
急がなくては。
レンは最後の気力を振り絞ると懐に手を入れる。
そして何かを掴むとバティの方へと転がした。
それは透き通るような翠色をした拳大の水晶だった。
「バティ、それを···握っ···て。」
そう、か細い声でバティに言葉を投げる。
これが間に合わなければここでバティの命は尽きてしまう。
だからこそレンは必死だった。
バティもそれに応えるべく、動かない体に何度も鞭を打って必死に手を伸ばす。
バティの意識はもはやそれが何なのかを考えることすらしていなかった。
いや、正確には考えることすら出来なかった。
だが、今はそれでいい。
レンの顔を見たらそこに悪意など欠けらも無いことを本能で理解していたから。
指で砂をかきながら必死に手を伸ばす。
火傷の酷い皮膚が、動く度に激痛を催す。
それでも構うまいと必死に。
そして2人の願いがついに叶う。
バティが翠水晶に触れたのだ。
その瞬間光が放たれる。
緑色の柔らかく、暖かな光。
その光は翠水晶に触れているバティを包み込むと一気に光の強さを増していく。
「なんだ···こ、れ···。から、だが···楽に···なっていく。どうなってんだ? お、おいレン! これどういうことだ!?」
口が開けるようになったかと思えば次の瞬間には体中の傷が完治していた。
あまりの出来事にバティは思わずはね起きた。
頭もようやく正常に動き出すと一体さっきの水晶がなんだったのか理解する。
つまり、翠水晶とは回復魔法が込められた水晶だったのだ。
「北···へ···。」
そう、レンがボソリと答える。
「北···? お、おいレン! 北ってどういうことだ!? 北っていやぁ俺たちの住んでた街が···。ん? ···レン? 」
そこには安らかな笑みを浮かべて横たわる1つの体だけが残っていた。
最後の最後にようやく自らの呪縛を解くことが出来た喜びと、友を救えたことの安堵。
その2つの出来事が彼の顔をほころばせたのだ。
その笑みにはある種の満足感すら浮かんでいるように見える。
「レン···。北に行きゃいいんだな? わかったよ。だからもうちょっとだけ待っててくれ。必ず帰ってくるから。そしたらでっかい墓でも拵えてやるよ。それまでなんとか、辛抱してくれな。」
そう言ってバティはレンの体を抱き上げると崩れていない城壁にそっともたれさせる。
そうしている間にもレンの傷口からは真っ赤な血が流れ続けていた。
「うし。んじゃあ、行ってくる。」
カラドボルグを担いでバティは走り出した。
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「ブラッド! 転移魔法を使ってデグリア山に! 必ず追いかけるからそれまで頼んだぞ!」
「あぁ!」
「っ! させるかぁ!!!」
そう言ってレンが飛び込んでくるのを横目にブラッドはなけなしの魔力を水晶へと注ぎ込む。
ブラッドを淡い光が包み込む。
そして次の瞬間には鬱蒼と茂った森の中にいた。
あまりの突然さにブラッドは顔にこそ出さないものの、かなり驚いていた。
転移魔法など人生で初めての体験なのだから仕方がない。
いや、|正確には2度目(・・・・・・・)なのだがブラッドにはその記憶は無い。
「ここは···?」
そう呟いてブラッドは辺りを見回した。
当然ながら見知った景色はひとつもない。
たしか転移魔法には行く先のイメージが必要だったはず、ということを思い出す。
今回の転移においてブラッドの頭の中にはイメージというものはひとつもなかった。
ただ単純にデグリア山に行きたいと、それだけだった。
だから不安が襲ってくる。
“ここは本当にデグリア山なのか?”と。
もし別の場所であればもう自分には友人を救うことはできない。
それに気づくとブラッドは焦り出す。
ひどまず、その場にいても埒が明かないということでブラッドは辺りを散策してみることにした。
当然、両の拳にはイタペムが装備されている。
いつ、何と遭遇するか分からないからだ。
辺りにそびえる大木は無数の葉を生い茂らせており、夕方であるにも関わらず周囲は闇に充ちていた。
魔力量が小さく、魔法の使えないブラッドは明かりを作ることができない。
だから必死に目と耳を凝らしながらゆっくりと歩く。
この暗闇では1つの物音を聞き逃すだけで命取りになりかねない。
その緊張感がバティに重くのしかかっていた。
ただでさえじめっとした空気の中、体中を汗が湿らす不快感で包まれる。
たまらずブラッドが額の汗を手の甲で拭った時、それは突然やってきた。
“ガサガサッ!”
そんな葉と葉が擦れる音が頭上で発せられた。
ほとんど反射でブラッドは臨戦態勢に入る。
音のした頭上を睨みつけながらも周囲への警戒を怠らぬよう五感を総動員する。
風が葉を撫でる音、虫の羽音、小動物の駆ける音、葉の隙間から差し込む微かな夕日、血生臭いような鼻をツンと突く匂い、汗の伝う感覚。
様々な形でやってくる情報のその一つ一つに意識を配りながら警戒心を解かずじっと待つ。
だが、一向に現れる気配を見せない相手にブラッドは焦れていた。
流れる汗もろくに拭えない。
体力と気力が少しずつ、だが確実にすり減らされる。
そんな焦れったさに耐え続けて5分ほど経ったその時だった。
“ガサリッ!”
今度は正面から音が鳴った。
ブラッドがいつでも飛びかかれるように腰を屈めて構えた時、少し耳慣れた声が聞こえてきた。
「おい! そこにいるのは誰···ってお前はブラッドか···?」
「あぁ···。」
そこに現れたのはヴァンパイアを1人引連れた一番隊隊長ドラゴンだった。
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