87.最後
「ぐぁあぁぁぁ!!! くっ! あぁぁぁぁぁ!!!!!」
カラドボルグを杖がわりにしながらバティはその様を見つめている。
レンはその間もただただ苦しみ続けている。
爪で自らの皮膚を傷つけながら。
その叫びは城中を|谺(こだま)し、月夜の不気味さを一層高めている。
さらに不気味なのはこのことに対してバティには一切心当たりがないことだ。
バティのつけた傷は首筋の切り傷と左腕のかすり傷の2つだけ。
夕食もレンが作ったのだからもはやきっかけがわからない。
原因など考えてもわかるはずもないのだが考えずにはいられなった。
だが、ここではっと気づく。
今が絶好のチャンスであることに。
「今しか···ねぇ···。がら空きの体に叩き込んで、やる···!」
そう言って痛む体に鞭打って走り出す。
至る所から血が溢れ出るがそんなものは気にしない。
今出せる全力でレンの前に到達すると体を思い切り捻る。
「おらぁぁぁ!!!」
雄叫びを上げながら全体重を乗せてカラドボルグを胴に薙ぐ。
すると人の柔肌を斬るが如く、その刀身はレンの体に深く斬り込まれた。
そしてそのまま振り切る。
「しゃぁぁぁ!!」
腹から出てきた刀身には|真っ赤な血(・・・・・)とどす黒い血が混ざりあっていた。
それは吹き出す鮮血も同様である。
熟れたトマトのように真っ赤な液体と黒薔薇のような赤黒い液体の共演。
流れ出す音楽は体の主の悲痛な叫び声。
「あ、がはっ! あぁぁぁぁぁっっっ!!!」
爪で傷ついた頭部からの流血が激しく、顔が真っ黒に染っている。
奥に見える瞳は覚醒しては虚ろになるを繰り返している。
ここでバティは1つの疑問を抱く。
さっきの柔肌のような感触はなんだったのか、と。
刀身は人を斬るのと変わらないほどするりと入った。
しかも血の色は頭部とは違い、赤が混ざっている。
そこでバティはポツリと零す。
「元に戻ってる···のか···?」
そうとしか考えられなかった。
使徒になるのは呪いなのだから自ら打破することが出来るほどやわなものではないのは分かっている。
だがバティにはそうとしか思えなかった。
もし本当にそうであるならばこれほど喜ばしいことはない。
呪いさえ無くなればそこに残るのはあの気の良い、大好きな友だちのレンなのだ。
魔法に長けていて料理も上手いあのレンなのだ。
その考えがバティを鈍らせる。
これまでは呪いにかかれば戻ることは無いと思っていた。
だからこそせめて自らの手でそのしがらみから解いてやろうと、それが自分に出来るせめてもの助けだと、そう思っていた。
でも、もしレンが自力で呪いを打ち破るならそれはレンを悪戯に傷つけているに過ぎない。
友の体を意味もなく破壊していることになるのだ。
その可能性が頭を過るとバティにはこれ以上剣を振るうことが出来なかった。
こんな万に一つのような可能性であろうと奇蹟に賭けずにはいられなかった。
そうやってバティが思慮をめぐらしている間もレンの叫びは途絶えない。
「レン···。」
思わず呟いた言葉。
一縷の望みに賭けた、心からの呟き。
それは何かに縋るような細くも芯の通った声だった。
― そして奇蹟が起こる。
バティの言葉を聞いたレンの叫びが唐突に止んだのだ。
頭を掻き毟る手の動きも眼の色の移り変わりも何もかも止まる。
そして頭から手を離しレンの優しい顔がゆっくりと上がってくる。
「レン···! レン! 俺がわかるか!? ここがどこかわかるか!? 」
「バティ···。」
「あぁ! そうだ! 俺だ! バティだ! そうか···。良かった。呪いを自力で解けたんだな!?」
そう言ってバティは安堵した。
表情と声色と、何もかもがレンそのものだった。
今は血の色も真っ赤で眼の色も茶色で落ち着いている。
もうそれだけでバティには救いのようだった。
一度は諦めた友の命とこうしてまた一緒に歩めるかもしれないのだ。
さっきまで奇蹟だと思っていたことが今まさに眼前で起こっているのだ。
となれば安心感が心の奥底からまるで上昇気流が如く湧き上がってくるのは当然と言えるだろう。
だがしかし、その心をレンはぶち壊す。
「お願いが···あるんだ。」
「お? なんだ? なんでも言ってみろ。いやぁ俺もこんな体だからしてやれる事なんて···」
「僕を、殺して。」
「······ え?」
バティは思わず絶句した。
興奮したせいで開いた傷口の痛みも忘れるほど。
それだけバティにとっては唐突で想像外の言葉だった。
諦めていたことが、奇蹟が起きたことで今現実になった。
それをその奇蹟を起こした本人が壊せと言う。
「え、え···。レン···? 一体どういう···。」
「僕には時間が無い。今呪いを抑えてるのでや、やっとなんだ···。そしてこの体が|僕のもの(・・・・)であるのもそう長くはもたない。すぐあの呪いの体に戻る。そうなる前に、どうかケジメをつ、つけて···くれ。」
そこでバティは全てを悟る。
現実はそう甘いものではないことを。
「だ、だが···。そ、そうだ! 理がアルミリアを倒すのを2人で待つんだ! そ、そうすればまたあの時みたいに···。」
「···バティ。た、頼む。僕はこれ以上と、友だちを傷つけるのは···見たく···ない。···うっ! く······! 」
それを言い終わるとレンの眼はまた赤黒さを取り戻す。
それが時間のなさをありありと見せつけてくる。
バティに葛藤の波が押し寄せてくる。
一度は覚悟を決めたこと。
されど一瞬でも希望の光が差した。
そこがバティを苦しめる。
元々出ていた冷や汗がさらに冷たさを増す。
自分でわかっているが今のままではバティもそう長くはもたない。
一瞬でも気を抜けば途端に意識が飛んでいく。
だからこそこの葛藤の時間が苦しみを増やすのだ。
「バティ···お願いだ···。は、はやく···!」
そしてバティは決断を下す。
杖にしていたカラドボルグを大きくふりかぶる。
「うん···。それでいい。ありがと。」
そう言ったレンの笑顔は泪で頬を濡らしながらもとても爽やかだった。
最後に残した一輪の花。
その花に自らの全力をもって剣を振り下ろした。
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