第533話「まさに戯言」 ランスロウ

 最近の楽しみはもっぱら散歩である。ずっと椅子に座って読書などしていては心臓が悪くなる。終始、武装した監視の兵が付くが気にしてはいない。所詮は命令に準ずるだけの下働き。情動も無く環境に合わせて這い回る虫のようなものだ。

 それから本は昔から仕事だと思っているから楽しくない。気晴らしと言って大衆小説を持って来る奴もいるが読んでもつまらん。この人物とあの人物がどうのこうの、持って回った会話をしてと、頭の中で整理をつけるのも煩わしい。

 散歩道で北に見えるのは、以前砲兵陣地を隠匿設置した丘。南に見えるのは、魔王軍が上陸した海岸。東に見えるのは、地形はそのまま姿形がまるで変ったトラストニエ市。国土の中部まで占領され、北部地域も残りわずかとなったベルシア王国の鏡。

 歩行中に踏んで、爪先に当たる物がある。不自然な骨と布と木と石と金属の欠片。また何かの繊維かと思ったら腐る前に乾いた肉。乾燥気候は唇が荒れて喉が痛い。散歩の道中は唇に油を塗り、水筒の世話になる。

 捕虜軟禁生活が始まり、早くも冬になった。この辺で雪が降るのは年間通して寒波でも訪れない限りは稀だが、朝は肌寒い。貰った毛皮の外套は、出発前は暖かいが途中から暑くなってくる。南国の冬はこう、中途半端で気持ち悪い。

 雨も雪も砂も降らない青い空を見て思うのはギスケル卿。彼女は無事だろうか?

 南スクラダ山中の縦深防御基地群で敗北する前、彼女には東方人の工作員狩りに出て貰っていた。夜戦に習熟して奇術めいた挙動が出来る強力な連中で、熟練のフレッテ人がいなければ何をされるか分からなかったからだ。結局、どうこうされてしまってこの有様である。

 あの勢いの夜襲では彼女がいてもどうにもならなかった。自分の読みも備えも何もかもが足りていなかった。破綻は己の責任である。どの戦線でも人員物資が足りないと嘆いている中で物量に文句を付けても仕方が無い。

 不幸中の幸いは、客人である姉妹イヨフェネが変な女の子、騎士もどき、角の馬と脱出したこと。きっとロシエにとって価値がある。目玉の化物をどうこうする技師らしい。

 夜が待ち遠しい。黒い空ならギスケル卿が音も立てず背後にいてくれている気がする。逃げ延びてくれれば良いが、潜入して救出に来てくれたら一番……だがそれは望んでも計画と実行に想像がつかない。本国に帰って休暇を取っているのではないか? そうしてくれているといい。自分のような子供を相手に疲れただろうし、レイロス殿下にお返し――相当な語弊がある――する時頃だろう。

 散歩も終わり、壁外地区の廃砦に戻る。遥か昔に陳腐化し、付近の漁師が共同倉庫にしていた建物。

 郵便受けを開けると手紙が一通。自室に戻り、紙切りで封を開けて文面を確認。

 魔王からの呼び出しだ。

 書き出しに”新年おめでとうございます”とある。気に入らない。


■■■


 魔王にバラ―キ。多文化の表現はどうも頭に真っすぐ入らない。

 魔なる君主は宗教権威にて認められた王号、というわけでもない。

 後継者? に至っては、歴史的経緯から立場に合わせてうんぬんと、面倒臭い。

 イバイヤースはエスナル戦線を離れてベルシア戦線に移動して来た。エスナル攻略の行き詰まりから、栄光がありそうなフラル半島攻略に切り替えているという証明。

 フラルの陥落、そう遠い話にならなさそうだ。親切心か戦果自慢なのか何なのか、日付遅れながら各国新聞各紙――たまに珈琲がこぼれた跡――に、軍広報まで毎日廃砦に送られてきているので情勢は分かっている。

 北西部のシェルヴェンタ地方辺りは持ち応えそうだが半島部は失われる寸前である。

 北東部は今や北フラル総督アデロ=アンベルの掌中にある。神聖教会との停戦が成って引き揚げた帝国連邦占領地域をほとんど引き継いで広大。ベーア帝国もこれで神聖教会を助ける義理も無くなったため、多正面作戦を回避している。

 半島東岸部は落ちた聖都を中心にペセトト妖精が跋扈し、住民虐殺の渦中にある。魔王軍との協力関係から、直にここの支配権は譲られるだろう。

 半島西岸部からベルシア北縁地域までをロシエが掌握しているがこれも撤退せざるを得ないだろう。西は水上都市がやってくる海岸線、東はペセトト妖精があふれ出る山脈、南は魔王軍主力。三方囲まれた、細長い支配領域は守り辛い。

 廃砦のランスロウ監視部隊が操る馬車に乗り、トラストニエ市壁内に入る。

 ベルシア人の姿もそこそこ見えるが、やはり多くはアレオン、サイール、ムピア人。また南大陸奥の黒人、各獣人に虫人魔族。街の様子というか、建物は全てハザーサイール様式で異国情緒のみが漂う。気候風土には合っているから不快ではないだろうが。

 宮殿跡地には建物が複数立っていて、その中の一つ、南フラル総督官邸に向かう。その一戸だけを見れば、かつての宮殿と比べるとつつましく、大型の事務所といった構え。

 衛兵の、虫人奴隷騎士に案内されて執務室に入ると、それと見分けが大してつかない魔王イバイヤースが机を前に紙に筆を走らせては、同じ様式の物を並べ、顎に指を当てて考える素振り。人間ぶっている。

「レディワイスですが」

 この仇敵、化物、変節漢には挨拶するのも煩わしい。

「失敬、手紙を書いていた。こんなに早く来ると思っていなくてね。昼食後に来るものと思い込んでいた」

 大体その時間帯。昼食に誘うなよ、吐き気がする。

「用件は」

「うむ。ちょっとこれを聞いてみてくれないか……」


  至高の御力を下さる魔なる神の御名において

  また共同体と信仰の幸運を願って

  エーランのバラーキ、イバイヤース我が言葉

 霊力深き貴方でも神の御力を見切れなかった様子、我が事のように思います。

 万事計らい、また日出る声が聞こえんことを願います。

  流星消えり

  光栄褪せり

  日食浸翳

  横死の風食


「……ランスロウ君、どうかな?」

「挑発か何かで?」

 意味がほとんど分からない。良いことは書いていない?

「サイール詩の読み方、ご存じなかったかな」

「いえ」

 知るかそんなもの。

「頻度は高くないが大事な文通相手でね」

「言い回しを正確に汲み取れません」

「うむ……ルサレヤ殿以外も読むことは考えていなかったな。場合によっては議場で読み上げ……」

 イバイヤースはブツブツ独り言を始める。付き合う気は無い。

「用件は以上で?」

「まあ待ちなさい。ちょっと口上を考えている最中だったんだが、いいか。聞いてくれ」

「はあ」

 たまの雨と湿った潮風が合わさるとフナムシが出るあの廃砦に戻りたい。敏感に逃げ隠れする奴等の方がまだ可愛い。

「私が取り戻したいのは古いエーランの領土だ。ロシエから割きたいのはエスナルとアラック、スコルタ湾沿い。猪や吸血鬼の領域、ポーエン川沿いなどは要求しない。

 ランスロウ元帥。真にロシエを救いたいなら私の手を取れ。帝国連邦がベーア帝国を崩壊させた後、各地に傀儡、緩衝の革命国家を作るだろう。それらは奴等が支配し、操る。エグセンの力を手にする。

 あの協商とかいう共同体もどきはいずれ乗っ取られる。セレード、オルフ、マインベルトを吸収した帝国連邦は更に強力だ。ランマルカはそんな大陸の事情など気にせず、無邪気な支援は人間文明の後退まで続けられる。奴等の革命というのはそういうものだ。次なる敵だな。これは後にしよう。

 あの遊牧帝国がベーアの次に狙うのはどこだ? 龍朝かロシエか、両方か、片側ずつか。

 両雄並び立たず。我がエーランと遊牧帝国の戦い、魔神代理領共同体を巻き込むだろう。そして世界全土へ。その時、ロシエ方面を主に守る人材が欲しい。心から真剣に守る名将、それが君だ。

 あの底無しに死体と廃墟を食らう化物をどうにかしなくてはいけない時期がいずれ来る。ベルリク=カラバザルがいなくなった程度で止まる組織とは、君もまさか思わないだろう。セレードのシルヴ大頭領はその中の有力者の一人で、遊牧皇帝とは同好の志のようだ。長寿の魔族があれの同好。怖ろしい限りだ。百年後も今の方針を持ち続けるかもしれない。

 実力者が必要だ。この現代戦をもっとも理解し、研究を進めているのは君だ。

 仮に帝国連邦に勝利したとして次はランマルカと革命各国、新大陸。対応策を現場段階から戦略段階まで、海と陸の目から考えられる頭を持っている人物は世界で限られる。空の上からとなれば君だけだ。

 一番ランスロウを評価しているのは誰か分かるか? それは私だ。君のお国での評判は聞いている。酷いものだ。扱う度量が、組織が無いのだ。こちらにはある。

 こっちに来いランスロウ。まずは、南ロシエ総督の席が良いか。手狭ならアラックも含めようか。その前に攻略総司令官などという肩書が良いか。

 カラドスの本家が気になるか? こちらでも君のカラドス家を起こせばいい。ロシエと戦うにしても、君さえこちらで存立していればお家は滅びない。戦国の世、兄弟で両陣営に分かれて生き残りを図ったという故事などあるだろう。それに分家でも本家でも、権力さえあれば好きなように守れる。君が針の山からマリュエンスくんを保護してやってもいいだろう。

 信仰心も気になるか? 聖なる神の教えを迫害などしない。宗教税なども課さない。平等に扱う。新しい聖皇も決まればそのまま居て貰っていい。聖都に戻ればいい。むしろ民心の安寧に協力して貰いたいぐらいだ。

 弱き者を守る強き者は義務を果たす。弱き者へ徹底的に呵責の無い帝国連邦に世界の命運を託して良いとは思わないだろう。ましてや人間の絶滅を目標にするランマルカ、その底力を持つペセトトを無視するなど有り得ない。君にも義務を感じて貰いたい。

 実は私が一番に失敗したと思っていることがある。それは君をあの時、アレオンからロシエに帰したことだ。あの時を取り戻したいのだ」

 イバイヤース、席を立つ。

「同志になってくれないか? 頼む」

 レミナス聖下がお亡くなりになったのか、新聞報道に無く管制が敷かれているようだ。そしてロシエにとっては思い通りの後継が選ばれるだろう。チタク猊下が時勢に合っている。修道士となった兄弟ルジュー――もう陛下ではない――を推すのは露骨だが、無理を通せる時勢でもある。

 全く戦禍でも俗理でも嘆かわしいことだ。交代は穏便に厳かに行われるべきだった。

「今返答しても?」

「聞かせてくれ」

 外の情報を提供していた意図はこれか。

 魔王イバイヤース……。

「まさに戯言、古代人もどきの舌がこれ程回るとは驚きだ。流石は詩人、何を言っているか分からない。お前など田舎の大将をやる以上の実力も無いのに増長して世界を回せる気になっている身の程知らずだ。今回は運良く他の思惑に乗っかれただけで実に征服者ではなく、便乗主義の火事場泥棒。埋もれたエーランなど持ち出す思想の盗掘者は何も本物が無い偽物で借り物だらけ。博打を偶然当て、上滑りした誇大妄想に繰られている人形でしかない。敬いは気温で右往左往する虫に捧がれはしない。私は職業軍人であって猿回しと闘蟋は専門外だ。他を当たれ」

「フヒヒ……思ったより耳が痛い。もうしばらく飼ってやろう」

「失礼する」

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