第531話「黒旗掲揚」 ベルリク
いつもの低い椅子に座って、葉巻を吹かして待つ。
聖都の、かつては明るかった色合いの街並みが焼け、屋根が崩れ、煙が覆って灰を被って色が褪せている。明るいのは火の手ぐらい。
聖都への艦砲射撃は少し前に止んだ。次の大規模補給まで海上作戦が出来ないくらい撃ち込んでいた。摩耗で砲身の交換も必要だろう。
破壊された市街地では色々戦闘があったようだが結果はどうなっただろう?
ペセトト軍は大通りでお祭り中。何か、大きな目的でも達したらしい。
シルヴはダーリクのことを可愛がってくれているみたいだから、良い具合にいっているといいが。
「良い眺めだなぁ」
ここは山道の途中、北に聖都越しに海が見える峠。監視塔と旧狼煙台、宿場町と羊飼いの小屋と柵、修道院と高地栽培の畑、エーラン遺跡で道標代わりの山道開設記念碑が立つ。色が付いた葉が森から大分落ちている。
峠を南に下ると、南面には初代聖皇オトマクが活動を開始したとされる街がある。行政上は聖都と別。
そこから峠を二つ越して山を下り切ると平野部に出て、まだまだペセトト帝国の被害が及んでいない内陸部が広がる。
内陸に出てから西を見ればフラル半島を東西に分けるスクラダ山脈が見える。その山脈を横断する道を越えれば西岸のスペッタ市にまで直結する。ロシエに繋がる海港を使いたいならそこ。
フラルの裏切り者、ヴィルキレク皇帝一行は陸路を長々と歩いて行けるか? 大軍ではないとはいえ道中食糧に困ると見込まれる。これから冬が訪れる。冬は腹が減るし、雪は足が鈍る。フラル人からの評判は”底”で、きっと取引困難。あと黒軍でも嫌がらせをする予定。
フラル半島も秋の収穫が終わって時間が経ち、穀物の脱穀製粉に袋詰めまで済んでいるが危機的で不安定なご時勢。領土、畑を失うばかりで国内難民は増加中で食糧価格は上昇。そして金相場は下落傾向のまま。黄金が鉄屑化しつつある。
ベーア帝国軍、フラルで略奪行為を働く。という一報を報道各社に流せる状況になったら面白いかもしれない。
この峠を最初に越えて来たのは、比較的身綺麗な難民の列。戦闘が始まっていち早く逃げ出した連中。元気で勘も良い。
次に負傷者を乗せた、坂道の踏ん張りが力強い角馬の馬車列。市民優先で僧兵も乗り、隅の方に重傷の兵士も乗る。
続いて歩ける負傷者の列。老人若者ばかりのフラル兵、若くて立派なロシエ兵が混じっている。ベーア兵はまだ見えない。介護役の者も多い。
峠から聖都側、北面の山道中腹が見える。道の脇に墓穴が掘られて死体が脇に並んでいる。敵から逃げられても死から逃れられなかった負傷者に、体力の無かった持病持ちに、衝撃的な事件に耐えられなかった精神薄弱者。
修道院の方でも山道の様子を見て修道僧が総掛かりで墓地を増設中である。
エーラン地区より先に攻めるなという命令は行き届いているらしく、難民の列の尻を蹴飛ばす部下達はいない。
「あんた何処まで?」
元気そうな難民の爺さんが話しかけて来た。
「足が悪いんでちょっと休んでるだけだ。相棒もいる」
背後を親指で指す。
「ほお、そうかそうか」
「聖都はどうなるんだろうな?」
「お坊様方も皆、逃げるらしいぞ」
「聖皇さんも?」
「あ……落ち着いて聞くんだぞ」
「信徒じゃない、何でもいいぞ」
「そうか。妖精の化物共に攫われたらしい」
衝動的な動きと言動を抑制。
「”親父”の不幸は”子”の不幸。辛いな」
「……そうだな」
爺さんは手を振って去った。
葉巻が燃え尽きそうになっている。二本目はいいか。
人がいない方に顔を向ける。笑い顔が止まらない! 頬が痛い。声に出さないが、ふぇーっへ! と息が漏れる。
ペセトトの廃帝、聖皇の心臓を抉り出すのか! 状況が許せば参加したかったのに! 糞、こんなところまで推測なんか出来やしないぞ。勿体ない! 身体が二つあったら良かったのに!
「アリファマ殿、こんなのに付き合わせて悪いですね。他の奴だと、余計なことしそうで」
「死にます」
「どうも」
んぐ、胸に来たかもしれない。いや来てる。
しかし、グラスト人の飛躍して率直で圧縮する喋り方は刺さるな。
■■■
地面に落ちたらすぐに融けるような細かい雪が降り始めた。高地から寒気が低地へ送り込まれるように進み、聖都にはたぶん降っていない。まだ季節は秋だが山の冬は早い。
ベーア軍の様子が見たいと峠で張り続ける。負傷者の次に、見下ろす山道中腹には聖職者の列が見えてきた。修道騎士装束の人狼も見える。天使も飛んだり降りたりして、たまに空中で失神するみたいに落ちる。
ごく自然にこの膝へ座って来た。それも両脚を揃えてこの股の間に入れて。
気配は無かったか? 完全に気を許していた。
「お、この美人さんはどこから来たのかな」
「あっち」
「あっちか!」
聖職者達に紛れてもあまり目立たない、白いセレード衣装のリュハンナが指差す先は聖都。何度見直しても――全焼には遠いが――焼け落ちている。聖オトマク寺院の屋根も既に落ちている。
「風はほとんど無いから大火って感じじゃないな」
「うん」
「寒くないか」
「平気」
「服白いな。昔贈ったのは?」
「もう入らないよ」
「あっ、そうだな。これは父様がボケだな。ちっちゃ過ぎるよな」
リュハンナの頭に手を乗せる。膝の上に座って頭の高さは同じくらい、腰一つ差。大体身長はこれ以上は伸びないか? 伸びても後ちょっとか?
もうこんなに年月が経ったのか。
「次の冬で十六歳だな」
「うん」
「結婚してもおかしくない歳だな。好きな子いるのか?」
「父様と結婚するよ」
かっ!? はっ! 嘘、おべっかでも言われるとこいつは来るな。
「こいつめ! 誕生日は何が欲しい?」
「帽子違う」
「無くしたんだよあれな。作って貰うよう言ってみるか?」
「違う」
弾避けまじないの陰毛帽子を無くして以来、色々迷って、今は普通の三角帽を被っている。ダーリクは同じようなのを作って貰ったらしい。あいつのは上下の毛だそうだ。
「じゃあ何だ? 物はダーリクに大体くれてやったしな。あの銃も……馬どうだ?」
「もういる」
鞍付き、騎手無しの角馬が横面向けて睨んで来た。他の角馬と一回り体付きが違う。うんこの量が凄そうだ。
「お友達か?」
「ゲルリース」
あの時か。値踏みの面かこの馬っころめ。
「いいか角の馬、このリュハンナ=マリスラの親父が俺。お前が選ぶんじゃなくて俺が選ぶんだ。分かったか?」
リュハンナが座る側に、ゲルリースが移動して道路側に頭を向ける。直ぐに乗せて行ける姿勢。
「欲しいのある」
「お、何だ?」
「父様が私の将軍になる」
「それはなあ、俺を打ち倒してからにしろ。ごめんなさい許して下さい何でもしますから、と言わせるんだ」
「難しい」
「だろ」
「んー……新しい弟か妹」
「それは何とも言えないな」
難しい。何とも言えないな。星の巡りというか、月の塩梅というか。
「飴さん食べるか?」
「食べる」
今日のお菓子箱の中身は何だろな? 開けてみると、縦横の端がくっ付いて、簡単に割って分離が出来るトンボさん飴だ。一匹割ってリュハンナに、もう一匹割ってゲルリースに、もう一匹割って自分の口。最後の一つはアリファマに、立って歩いて渡しに行く。
振り返るとリュハンナは山道を引き返しに行っていた。
ゲルリースはそのまま待機。こちらを睨んだまま、飴を噛み砕く。馬っころめ。
「誰に似たんだ? あいつ」
馬っころ、返事しない。
聖職者達の列が峠に入り始める。
何か忘れ物か、それとも父様に贈り物? と想像を巡らす。
「ちょっ、あんまっ、走んないでくださいよ! 転ぶっ、転ぶ!」
「あんよが上手、イヨフェネ上手」
「のっ、のっ!?」
リュハンナは噂の天使の手を引っ張って連れて来た。しかも喋っている。天使は口が利けないと聞いたが、別物? これ持って帰れって言われたら困るな。
「こっちもお友達」
「誰が、こっち、ですか!?」
「母様ともお友達。あとおケツがデカい」
「デカくない! デカいのはジルマリア!」
ジルマリアの教会仲間か。じゃああの翼は、教会流魔族化の成果か。何か、翼は動く度にバタバタしているが体重と筋肉量からも飛べなさそうだ。失敗作?
「どうも、姉妹イヨフェネ。いつも妻と娘がお世話になっております」
立って、帽子を脱いで掲げて挨拶。
「あ、これはどうもお父様。自由活発な娘さんで……ひゃっ!?」
姉妹イヨフェネ、リュハンナに抱き着いてその背中に隠れる。
「この人が父様。悪魔皇帝じゃじゃじゃじゃーん」
「ひぃ……無理無理マジ無理無理」
姉妹イヨフェネ、腰が抜けたみたいに地面に膝を突いた。
「姉妹イヨフェネ! リュハンナ様!?」
兄弟ヤネスが走りながら峠まで来た。
「やあ兄弟ヤネス。お引越しは順調ですか?」
人狼もとい、口輪付きの人犬ヤネス、足取りが戦いの構えに入りそうになった。
怖いヤネスは一旦無視して峠下の山道中腹を見下ろす。
角馬で六頭立てで、胴が長い六輪の大型馬車を引いている。蹄跡がかなり深い、時々地面を削って滑り、わずかにずれる。かなりの重量物らしく、馬力で足りず車両後部を人犬が押している。警護も重装備の人犬修道騎士団だ。
積み荷は何だろうか?
書類、紙の束は重なると重たい。ほとんど木材みたいなものだ。
硬貨、金塊は金属塊だから当然重たい。美術品もかさばる物が多い。
あとは化物を製造するような何か。聖遺物――そこらの寺院に置かれる木乃伊とか骨とか古いガラクタではない――と呼ばれる何か。形も重さも知らないが、保存方法によっては小さくても重くなるかもしれない。
「亡命先はロシエですか?」
「犬に発言権はありません」
「ではポーリ・ネーネト宰相に会ったら、強いロシエという約束は忘れていないか? とお伝え下さい。ああ、無理に伝える必要はありませんよ。会ったついでとか、そんな感じで結構です。特に重要では無いので」
「会話は記憶しておきます」
中間管理職未満の者にちょっかいを出すのはこれくらいにしておこう。
「リュハンナ、兄弟ヤネスもお友達?」
「ヤネスはわんわん」
兄弟ヤネスがちょっと嬉しそうにしたのでその肩を思い切り殴る。このガタイで手加減はいらんだろ。
姉妹イヨフェネは委縮したまま。ちょっと回り込んで顔を覗こうとするとリュハンナを盾に回って逃げる。
■■■
避難民の姿も減っていく中で神聖教会一行が峠を通過。
前部には重要物と、恥も外聞も無い人犬を使った警護の列。これが最重要。あらゆる人物や評判を蔑ろにしてでも守って運ぶべき物。生まれては死んでいく人間とは比べようも無い、と彼等が考えているのが分かる。
中部には高位聖職者等とロシエ兵、士官だけ? 亡命先はロシエだと見た目で言っている。半島喪失の可能性がある今、これが正解。立ち振る舞いが分かっている。
後部には下位聖職等とフラル兵。”場合があれば”全力で戦って死ぬ役割を負う。一番価値の無い連中。
殿には有角重騎兵と有翼軽騎兵。敵からの襲撃は目前ではなく遠隔で止め、他が逃げる時間を稼いで離脱する。生み出される化物達は使われるためにある。
その中にリルツォグトのエマリエが混じっていた。一礼は目立つので目礼のみ。
一行は一度停止した。峠の、聖都を一望出来る展望台にて、水上都市で生贄に捧げられているだろう聖皇レミナス八世へと祈りが捧げられる。心臓を抉られるわけだが時頃は不明。生死不明の中、葬送でも鎮魂でも無い無言の祈りとされた。
何となく、彼方水平線から聖なる神が発する”後光”が死の間際に拝めそうに思われたが無かった。仮に光ってもペセトト妖精の行いだ。
ただし前部一行はとにかく特急で儀式には参加しなかった。人犬の参加ははばかられたか、それよりも重要な配送か。
リュハンナはこの特急の一行に含まれた。ロシエでは一体何の役目を負うのか。
遂に山道中腹にベーア帝国軍、皇帝一行が現れる。近衛兵と胸甲騎兵、一般兵と、軽騎兵が少し、それから負傷者混じりの入れ墨兵。装甲馬車、馬車、人力牽引の荷車。栄えある始皇帝陛下は馬車の中か? 恥ずかしくて顔も出せないか。
彼等の食糧の携行量は車両数と背嚢装着率から概算……妨害無ければ、馬を潰して、入れ墨兵に死人を食わせて、それでスクラダの山を越えられそうだ。何の妨害も無ければ。
ベーアとフラルの行列間には距離がある。違和感、空気感が見える。フラル人民に嫌われ、神聖教会から敬遠されている姿が浮き上がっている。実際に、まばらに峠を目指してきている難民達はベーア兵に近寄らない。石ぐらい投げ付けていると思っていたが、たぶん投げた後で、入れ墨兵に脅かされた後。
ヴィルキレク、可哀想に。長男も暗殺され、何故そんなにも不幸が続くのか。救ってやらなくてはいけない。
この峠の道標である開設記念碑へ、半旗にて黒旗掲揚。
アリファマ殿が一度、術の風でなびかせて見せた。設置完了。
「よし」
立ち去る。
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