第526話「エグセン人民共和国革命防衛隊 ジョハ・アンネブロー中佐」 無名兵士達

 道路に線路、柵に標識、橋に堤防、電信柱から轍までもが撤去された跡が延々と東へ続いている。

 市町村から粉挽き小屋、牧童の休憩小屋、井戸、畑の畦まで消し去る帝国連邦の焦土作戦だ。ヤガロ国境を越えた先には原野のごとき環境が続いていた。

 帝国連邦が膨大に、西側に兵員物資を送り出していたはずの”大動脈”が見当たらない。流石に撤去した痕跡は残っているものの、植樹植草、置き石、倒木、川の引き込み、湿地帯の形成などでそれも点在といった様子。それら全てに人畜の――防腐処理の程度で長期汚染調整済み――死骸、糞尿溜まり。徹底というか執拗というか偏執。

 戦争開始前からこのような計画があってのことだろう。カラミエ、エグセンでも焦土化は常識を凌駕していたが、原野化とまでくると唖然とする。

 帝国連邦軍に徴兵された元人民兵と革命防衛隊の内、ベーア軍に志願した者達は白色軍団という名の組織に所属する。共和革命派の赤色旗の反意ということらしい。旗の意匠は白地に、緑色の”聖なる種”が一つ入る。革命の反意に敬虔を当てたいようだ。

 現在六個連隊で構成され、順にバラメン聖戦連隊、ブランダマウズ聖戦連隊、聖ケイテリン連隊、レチュスタル聖戦連隊、聖アナレーカ連隊、聖ゲルタ連隊となる。奪還した占領地の主要司教領と、信奉厚いご当地聖人の名を冠し、各名誉隊長は同司教、著名司祭が務める。どこかの記述で連隊か聖戦連隊かで誤記が混じるだろう。

 自分は捕虜になった位置から聖ゲルタ連隊所属ということになる。出身地が違うのでその聖人様の名前、聞いたこともない。

 アナレーカ様ならばご当地である。教会でその像に祈ったこともある。ヤガロ人に拷問されても棄教しなかったとか、生贄の儀式を止めて尚且つ洪水を治めたとか、雑草を麦に変えて盗賊村を農村に変えたとか、そういう伝説がある。帝国連邦軍の行動結果を思い起こせば祈りが足りなかったかもしれない。

 人民兵は投降すれば無罪放免、帰郷が許されるというのも本当だった。その上で軍人の道を選べば一時金も貰えた……物価の高騰は酷くて安く感じる。

 革命防衛隊隊員も、指名手配されていなければ境遇は同等。帝国連邦の内部情報に対する取り調べはただの人民兵より厳しかったが、協力的なら面倒は少ない。

 何かあったらどう転ぶか分からないが、今の軍の雰囲気としては帝国連邦に仕返ししてやるという空気が濃厚。

 白色軍団の待遇は悲惨ではない。まずは中古物ばかりだが軍服は――新旧縫製跡、食べこぼしでなかろう染み付きが目立つが――支給され、階級は人民軍時代と同じ。

 一方悲惨な独立懲罰大隊は現在、我々の前方で地雷処理を行っている。あれを我々がやらされるものだと思っていたが違う。ただ、一歩間違えればお前等もああなるぞ、と見せられている。再びの忠誠を求められている。

 懲罰兵の働きぶりはこう。

 手押しに改造された鉄道無蓋貨車、地雷対応車で轍を作る。あの車両に除去とか探知とか、そういう立派な名前はつけられていない。おそらく何らかの装備は開発中。

 対応車が対人地雷を踏むと爆発。鉄の車輪が壊れたり、壊れなかったり、歪む程度だったり。木製車両よりは頑丈。

 轍を足場に彼等は鋤を持って地面をほじくり返して地雷を捜索する。遠い位置を確かめたい時は重たい石を投擲。

 ただの対人地雷を処理するだけならこれで、時間は掛かっても道が出来た。急いで道を開くときは炸薬量重視の榴弾で爆破処理するが、もう急がないらしい。

 対車両地雷というものがある。人の体重程度では踏んでも起爆せず、炸薬量が多い大型地雷。

 馬の蹄が直撃すると起爆することがある。馬車の車輪では、空荷だと起爆しないこともある。そして地雷対応車が踏んで爆発すると車体がひっくり返って鉄輪が吹っ飛ぶ。手押し作業員は大体死傷。

 毒瓦斯地雷もある。爆発力で殺傷を狙わないので大きな音が鳴らず、作業音に紛れることがある。

 毒瓦斯を警戒して防毒覆面を付けたままだと作業効率、注意力がかなり下がる。秋に入ったので酷暑に苦しむことはないが、真昼は苦しそうだ。

 通常型と区別の難しい弱毒型もある。体調不良になる程度で気付かないこともあるようだ。

 地雷というより罠だが、瓦斯管の蛇口が機械仕掛けで開いて、圧縮空気で噴き上げる型が強力。こちらにも流れてくるので油断ならない。

 起爆方式にも種類がある。二度踏み、三度踏み、一度踏んだら時限信管が作動して時間差。

 埋設方式にも工夫がある。二重にする。除去作業後の地表が削られた状態で作動するよう深くする。

 更に言えば、戦闘不能の障害者が地下に潜む有人方式の地雷もある。この場合は部隊丸ごと吹っ飛ぶ爆薬量が託されていて、それは帝国連邦式の優しさだ。彼等は一人でも多く道連れにして死ぬことを幸福の一つと考えている。戦士文化教育の結果。

 地雷ですらない浅い落とし穴もある。かなり簡単な籠みたいなものが埋め込まれていて、穴には蓋が有り、内側に返し付き刃がある。これは起爆しないので叩いても何も起きない。片足に体重をかけるぐらいはしないと蓋は割れず、割れる時は切り込みに従って綺麗に割れる。地雷ばかりに気を取られていると足が駄目になる。

 自分も部下、人民兵を指導して計画後退中の地雷埋設は良くやった。本当に妖精工兵達の計画は緻密で、信じ難いことだが一つ一つを記録した地雷地図まで存在する。その地図自体は機密で直接見たことはないが、担当地域の埋設記録を工兵将校に渡した記憶がある。

 あちこちで地雷が炸裂する。処理孔の中、石の下、鉄輪の下、鋤の先、足の下。

 懲罰兵が尻込みする度に懲罰大隊長アダンス・ヴァレンの術が乗った声が響き、彼等を無慈悲に突き動かす。人外の力強さ、人間の言葉。不気味。帝国連邦軍でも声だけは有名だった。

 しがない反エデルト派、エグセンの廃貴族である自分には、あの人外の声で発せられる人間の言葉が特別に聞こえる。あの音の岩みたいなものが転がるような、猛獣の音鳴り。

 ベーア帝国成立後、屋敷を人狼に襲撃され、自分は便所の底に潜んで下男に泥も被せられて生き残った。その下男は自分の名を襲撃者に名乗った。

 家族と使用人の糞を舐めながら、音だけで何もかも分かったわけではないが、皆殺しにされたのは分かっている。

 そしてその血塗れの屋敷に早速案内されて”住め”と言われた隣の領主の次男一家がやってきた。翌日には夫人が発狂して大騒ぎを始めた頃合いで逃げた。

 不幸中の幸いかあの声を聞いて委縮はしない。怒りが燃える。

 地雷の爆発音を聞きながら、配給量が管理されて削られているような食事を摂る。傍らには防毒覆面。交代で見張り番。三つ隣の部隊は道中で拾った犬を警報装置代わりに置いている。我が連隊では、器用な奴が捕まえた雀を籠に入れている。鉱夫のように。

 黒パン、乾パンもある。汁物に豆と芋に人参があって、燻製肉と葉物野菜は無い。生から煮込んだ肉など見たこともない。

 魚の缶詰は二日に一度。肉と葉物の煮物缶詰は工兵優先。いつも忙しく建設工事をしているので不満は沸かない。

 傷病者の発生で少し食べ物が余る時におこぼれが無いかと皆が狙う。

 配分が難しい時は全部を混ぜて鍋に入れて雑炊にして配る。

 酒は調整して配って、間違ったら互いに入れ替えすればどうにかなる。

 それでも配るのが難しい一人分程度の余り方なら、何かしら小さいことでも功労者としたり、本人や妻に子供が誕生日であったりする者、体調が悪い者に優先して食べさせる。

 食事でもう一つ気になることがある。帝国連邦軍下にいた時は、計画後退後半になる程マインベルト製の缶詰糧食が目立ってきたが、こちらではベーア製かロシエ製だけである。この事態になってもマインベルトと通商していないのがうかがえる。ベーア帝国の圧力は弱い。

 便所で気になることもある。丸太に腰かけて便所堀に出すくらいは今更の話だが、出している糞がどんな状態か常に監視している者がいる。からかう馬鹿は憲兵に殴られる。この件を多くある例の一つとして、疫病流行防止策はちゃんとしている。

 赤痢、流感、黒死病など感染者がいる部隊は隔離措置が取られる。黒死病に関しては”東方由来の新しい熱病”という婉曲な表現が使われている。ネズミにノミが媒介となるとも言われている。

 黒死病が発病している極東産の地リスとこの辺りに生息しているネズミを混ぜて飼育したものが野に放たれて、その辺を走り回って我々の寝床にすら潜り込んできているのは既に明らかで公然の秘密になっている。ただ狼頭獣人と黒死病というものに対しては、どうにも西方諸民族は共通の”症候群”を持っている。自分も口に出しただけで呪われそうな気はしている。

 実際発病すると死ぬ程苦しいが、未発病で隔離”休暇”が発生すると幸運。

 戦線に展開している部隊の――全容は末端にいるので不明だが――何割かは常に隔離”休暇”中だ。参謀本部のフェンドック総長という最高司令官が隔離処置を厳命しているという話は隊内広報紙にも、かなりしつこく掲載されている。あちこちに貼られる宣伝紙にも似た内容で疫病撲滅の意志が現れている。

 体調不良の自己申告は思ったより気安い。軍医の他、疫病専門教育のみ受けた新人医者もどきも多くて診療は丁寧。

 ベーア帝国、想像以上に粘り強いのか?

 それに相対する帝国連邦は広大だが、その露出した国境線はごくわずか。地図で改めて見ると何と巧妙というか、ズルい。マトラ山脈と極東地域、その二つ。一方的に攻撃して、一方的に防御出来る。

 四国協商の内、マインベルトが今弱点にも見えて、強み。そこを攻めれば四国協商が防衛条項を発動する。

 ベーア帝国には懸念があるだろう。帝国連邦軍が不義理にイスタメルを無断越境してフラルを攻めたように、マインベルトを無断越境して攻めてくる可能性があった。それ以上に、ベーア帝国がもう戦える体力がなくなったところで四国協商が共同で宣戦布告してくること。

 ベーア帝国は今、疲弊しつつも驚異的な動員力と生産力で空前の”大”陸軍を運用中だ。これは骨身を削って動かしていると見て間違いない。

 膨大な費用と資源を支払って維持されるこの”大”陸軍は今、攻略の糸口が全く掴めない山脈要塞を前に、その規模に比してわずかな空間で足止めされている。

 今は無人の地雷原を前に足踏みしている。この間も、モルル川の計画洪水は年に何十回も可能。利水工事で制御出来るとしてもそれだけで負担は膨大。

 もうこれは戦わずしてベーア帝国、腐れ落ちる。何年後かは分からないが、十年もこの戦力を維持出来ないだろう。

 一方の帝国連邦軍、山脈要塞の守備兵力以外は故郷に帰ることすら可能。交代制にすれば、何十年も耐えられるのではないか。

 この膨大なベーア軍、今何百万か計り知れないが、その戦力を無駄にしたくないと考えた時どうする? どこかにはけ口を探したいとなればマインベルト、イスタメルへの攻撃に差し向けられようか。これは明らかな悪魔の誘い。

 ベーア軍の情報部からも、地雷の敷設状況からこのような情勢から、多くを聴取された。革命防衛隊という下部組織だろうが、一応は中佐で、喋るネタはそこそこ持っていた。大体、あの手の専門家に嘘を吐いてもどうしようもないので全部話してある。

 ”展望はありますかね?”。

 口にも顔にも反論も無かった。


■■■


 視線の向こう側、地雷原を進んで見えてきたのはマトラ山脈、旧バルリー高地。最高峰のダカス山はこの位置からは北北東に見える。

 この山脈要塞、まるで手がつけられていない原生林にも見える。少なくとも麓にあたる一帯には建造物が一棟も見当たらない。監視塔一本すら見えない。

 マトラ低地と呼ばれる地域には歴史的な城から寺院、多数の市町村があった。今や全て廃墟、瓦礫、無人。唯一中立地帯として残されているピャズルダ市だけは無傷。今後どんな圧力をベーア軍が掛けるかは現状不明。

 ここを越えて山向こう、スラーギィの草原へ至るまでに、誰かが兵士三百万の犠牲、砲弾一億発でどうにかなると言っていたが、どうだろう。

 先行する懲罰大隊が森に入り、爆音多数、後送者多数。

 その偵察結果により、罠が多すぎるということで砲撃が行われる。山が滑って森が沈むような砲撃が開始された。使われる砲弾は炸薬量が多くて弾殻が薄い型。破片で人を切り刻むより、爆圧で物体を破壊する型。

 葉の緑に紅葉が消えて煙の白、土の黒、樹皮の茶、木部の白黄が見えて来る。

 白色軍団に前進命令下る。先導役には聖シュテッフ報復騎士団、バルリー残党兵がつく。山には――旧大公国滅亡以来大分手が入っているものの――土地勘があるという触れ込み。

「バルリーを取り戻すぞ! 聖シュテッフ!」

『聖シュテッフ! 妖精共をぶち殺せ!』

 と、どう見ても農民階級出身の低身長連中が騎兵刀でもない諸刃剣を掲げ、剣先重ねる円陣を組んで気勢を上げて騎士ごっこ。その顔ぶれは農民臭く、あの帝国連邦の幼年教育課程者達と系統は同じ。

 直接の関係者ではないが、彼等を見ていると気分が変になる。

 自分は聖ゲルタ連隊の――名誉連隊長は前線に出ない――連隊長代理として前進を命じる。他連隊も前進。予備にバラメン聖戦連隊が待機。

 本来なら我々の位置から前進するのはフラル派遣軍の予定だったらしい。

 フラル派遣軍は指揮官罷免、一般部隊と憲兵隊の抗争、爆弾事件など一時の混乱を経て、徒歩で故郷への帰路に就いている。ベーア軍は列車を使わせていない。

 荒れた砲撃痕を部下に辿らせる。懲罰兵の肉片が転がっていて見た目は悪いが、地雷はある種爆破処理済み。折れた木と枝が散乱していてかなり歩き辛い。

 地雷が少ない代わりに、今度は砲撃痕を狙って砲弾が降る。榴弾、榴散弾、煙幕弾、塩素剤から糜爛剤まで使われる。真っ平な地面で撃たれるより破片と爆風は飛び散らないが、小隊単位から消滅していく。また散乱した木と枝が砕けるとこれがまた散弾になる。

 帝国連邦軍砲兵の位置は分からないが、ベーア軍砲兵の有効射程圏外であろうことは予測できる。森の外から見れば観測気球が山の高いところから昇っているらしい。

 砲撃痕に人工物が露出、地下通路が現れることがある。構造は非常に狭く、大人の人間が突入口として利用することは不可能。妖精用。

 水攻めについては全て低地に向かって緩い斜路になっていて困難。それから送風機による風が流れていて毒瓦斯も撒かれ、斜面を這って重く裾野へ広がり被害拡大。穴を周囲の土砂を集めて埋める対応を取る。

 地雷とともに設置される、足だけ嵌める浅い返し刃の落とし穴の他、深い井戸のような落とし穴もある。

 深い落とし穴は人間くらいの体重が乗ると蓋が開いて、直ぐに閉じる。蓋の造りも、無数の”爪”が付いた鉄板に岩蓋を引っかけて乗せ、土を置いて自然に任せて草が生えているような手の入りようで外観では分からない。爆発も無く知らない内に誰か消えているという現象が起きる。きっと誘拐された先で色々、やられている。救出作戦が成功したという報告は受けていない。

 排水口のような管が突き出ているところもある。これも毒瓦斯噴射口かと処理しようとすると内部から砲声、榴散弾が飛び出て炸裂。時限信管の調節で炸裂位置を何度もずらしてきて被害が拡大する。

 どこかにこの、排水口もどきの砲身の先を観測している場所があると思われるが森の中。未だ不明。

 爆薬でこの埋められた大砲の先端を破壊して制圧した心算になった後、炸裂しない実体弾が放たれて潰れた砲腔を”掃除”してからまた榴散弾が放たれて炸裂。内部からある種、修理可能な仕組みだ。実体弾を回収して分析したところ、施条が彫られていなかった。旧式砲の転用?

 この何と呼ぼうか、埋設砲、横向き上向きどこから撃ってくるのか分からない。地雷かと思ったら足元からの砲撃。普通の砲撃かと思ったら崖の中腹から。背後からの誤射かと思ったら我々の進行方向を予測した、言わば後ろ向き配置もある。

 普通の砲台なら、厄介ではあるが破壊したり突入すれば敵兵の被害を確認出来るのだが、歩兵砲や爆薬で何とか破壊しても崩れた土、欠けた凝固土と鉄筋、曲がった砲身が露出するだけ。装置の先を壊しただけで本体は地中深い。そして実体弾射撃の砲腔”掃除”で機能が復活すればまた撃ってくる。

 手榴弾を砲口に直接放って爆破したこともある。直ぐに射撃が再開することも、沈黙したと思ったら時間差でまた撃ってくることもある。

 連隊前衛がそれでも山の上、森の奥へ進む。連隊後衛には埋設砲の位置を教えて被害抑制を試みて、今まで沈黙していた別の砲が火を噴く。

 四方八方から、帝国連邦兵の姿が一つも見えない中で砲撃を受け続ける。

 発狂する者が続出。死体のように生きているが動かなくなる者も出て来る。従軍聖職者が震えながら激励しようと祝詞を唱えようとして、文言が思いつかず沈黙。神経症には健忘も含まれていたと思う。

 前進停止。来た道を振り返ると荒れ放題。大兵力、重装備を送り込むには大工事が必要だ。我々のような、精々歩兵砲を幾つか持っただけの軽装部隊だから進んでこれた。

 連隊長代理として後方の砲兵に通達。一度、森を沈めるような砲撃をしてから、もう一度地盤から崩すような砲撃が無ければ前進出来ないと伝令を出す。

 ちなみに聖シュテッフ報復騎士団は特に何の役にも立っていない。足も引っ張っていない。能力を試す場すら与えられていない。

 砲兵との連絡待ちの間、小休憩になる。防毒覆面を被りながらの道無き登山は体力がある者でも辛い。弱っている者は負傷していなくても落伍する。

 ここで偵察部隊を、森が崩れていないところまで出してみたいが未帰還確実か?

 出した伝令とは別人の、代理人が戻って来た。当人は途中、有人地雷と思われる大爆発に巻き込まれ、飛んできた石に頭を吹っ飛ばされたそうだ。

 白色軍団司令官からは”浸透して敵砲兵陣地を捜索せよ”とのこと。これが分からないとベーア軍砲兵は前進したくないらしい。

 聖ゲルタ連隊に――ここに名誉連隊長を引きずってきたい――連隊長代理として前進を命じる。

 潰れた森がそろそろ終わりを迎える。埋設砲は相変わらず発砲を続ける。

 そして砲撃痕が無い森へと進入。前進速度が上がり、被害の中にくくり罠が追加される。引っかかると縄に足を撒かれて吊り上げられる定番のもの――救助しようと近づくと埋設砲が狙っている――から、深い穴に引きずり込まれて誘拐される型もある。

 この辺りでようやくシュテッフ騎士が役に立つ。

「アンネブロー連隊長代理。この地形は全て人造です。相手が望む順路で歩かされています。普通の山肌の凹凸に見えますが、擬装山道というべきものです。草と木の生え方が、おかしい。あの岩は覚えがありまして、あの木の形も。目的を持って植え替えしています」

「対策は、地形や障害をあえて乗り越え、順路に見えるところは迂回して行くということですか?」

「そうなります」

 助言を受け入れ、擬装山道に誘導されないように進んでみる。

 崖登り、急斜面、踏み場の少ない密集する木の根、小さい沼。それから蛭。

 助言は正解だった。埋設砲からの砲撃はあるが明らかに発砲数が激減。

 少しでも前進距離を安全に稼いだな、と思った。

 地鳴り。地震、いや地雷か?

 木が折れる音が連続。上と下、どちらからか弾幕射撃でも始まったか?

 森がずれ、流れる、土砂崩れ。どこに退避していいか全く分からない。逃げた先に流れ込むかも分からない。足が止まる。

 ずれる森は擬装山道沿いに流れ出した。その山道幅は我々が思っているより広く、洪水になって初めて最大幅が明確になる川のよう。

 聖ゲルタ連隊、擬装山道を避けて先に進んだ部隊以外、流される。その勢いは想像より早く、水っぽく、そう言えば道中に川らしい川が見当たらなかったことに思考が行き着く。これは鉄砲水。

 鉄砲水の後、また埋設砲が実体弾”掃除”を流れに沿って開始。

 土砂と草木に流された者達の救助を指示。大体は服も肌も脱げ、ずたずたに切り裂かれて骨もぐしゃぐしゃで、圧し潰されて出るもの全てが吐き出されている。それから腐葉土臭い以上に糞尿臭い。おそらく要塞で溜めた汚泥もついでに流している。

 鉄砲水に直撃しないで難を逃れた者や、身体の一部だけ流れに当たって負傷した者もいて救助の甲斐はあったが、今度は流れた形跡を辿るように爆発が連続。救助者、要救助者に泥、土砂木片が混じって刺さる。流れの中に頑丈な時限信管付きの爆弾が落とされている。

 爆発する時間は一定ではない。不定期に炸裂が続く。

 まるで動けない。擬装山道、鉄砲水誘導路に包囲された。地雷処理のように爆弾を始末させるか? 流れが止まった土砂は沼と同じで突いてほじっても先が見えない。

 兵士三百万、砲弾一億発でどうにかなるのなら随分と安いんじゃないか?

 とにかく生存者に集結命令。合流出来ない場合もそれぞれに”島”を作って安全地帯に固まるように大声で指示。何割生き残っているか分からない。

 安全地帯は帝国連邦兵も把握しているか、事後観察で理解してしまったようだ。

 砲撃に加えて銃撃が始まる。森の何処からか銃弾が飛んでくる。一発で身体が千切れ、木の一本程度の障害物なら貫通する長射程高威力の重小銃弾も交じる。

 我々は今、鉄砲水で少ない歩兵砲に機関銃の大半も失っている。銃剣小銃、歩兵の足でどうにかしなくてはいけない。

 まずは銃弾の着弾位置、泥跳ねの方向から大体の位置を把握して銃撃戦開始。

 我々が使うのはロシエ製火器に限定されている。武器不足が深刻なベーア軍は輸入武器を、補給が混乱しないように特定の部隊に絞って供給している。帝国連邦でも鹵獲したベーア製火器を供給する部隊は限定していた。

 一方的に撃たれたままでは埒が明かないので反撃に移り、接近戦を試みる。

 正しい相手の潜伏位置に近づくと、見えて来るのは人間の盾。懲罰兵、連隊の仲間、民間人、経緯は不明だが軍民合わせた捕虜達が柵に縛られて助けを求めたり、来るなと言ったり、黙ったまま。

 救助しようかどうか迷っていると銃弾が集中する。大体、人間の盾が視界に入って思考が混乱し出すような位置が、帝国連邦兵の火力集中点になっている。

 人間の盾というか”誘兵物体”? に意識を囚われながらも連隊兵は、個人塹壕に隠れた兵を発見して制圧、または自爆攻撃で諸共吹っ飛ばされる。これも有人地雷だ。

 目撃情報によればその隠れた兵、高齢の爺さん婆さんに足が無い障害者だとか後先が無さそうな者達ばかりだったそうだ。

 帝国連邦軍式の最期の奉公。見返りは老い病み、腐れ死にしない栄誉。文化文明との衝突を感じる。

 この急に現れた老兵、障害兵が出てきた通用口があるはずだった。捜索させると発見に成功し、通路の奥から榴散弾、火炎放射が飛んできて、それに合わせて周囲の埋設砲から集中射撃を受けて撃退される。

 そして後退している最中に、通用口から自意識薄そうな、身体ではなく精神を病んでそうな者が走ってやって来る。武器は持っておらず、叫んでいるのか笑っているのか泣いているのか不明瞭。自爆攻撃だと理解して銃撃を加えて倒す。少し時間を置いて、時限信管が作動して爆発。油断して物陰に隠れ損なった者が散弾を受けて死傷。こんな者達も利用するのか。使い尽くすつもりか?

 かなり消耗した。自分が殿になるから全隊、下山しろと命令を出す。

 何とか鉄砲水の泥道跡を辿り”島”の者達と合流し始める頃にはもう森の中は暗い。空はまだ明るいが夜が早い。

 我々の後退に合わせて捕虜が解放されてきた。

 目玉が無い、手が潰れている、背中に皮剥ぎで”うんちぶりぶり”などふざけた落書きがされた者達。女性などはつい優先して助けたくなるが、彼女達の一部は腹の中には爆弾が仕掛けられており、炸裂。この時まで気張って来た兵士達ですら発狂する。

 これがマトラ妖精の山脈要塞、麓のほんの玄関口。しかも叩き出された。

 自分は大声を上げて突っ走った。


■■■


 夜は擬装山道の外れで寝た。その前に上腕に赤い布を巻いて腕章代わりにする。共和党員に見えるはず。

 良い機会だった。自分はベーアなんぞの糞犬帝国の尖兵になる気は無い。連隊の奴等には悪いが、この機会が得られるように無茶な前進をした。発狂したフリが様になる状況に落ちてみた。

 日が昇り、赤い布が人目に映えるようになってから拳銃だけ腰から提げて、使えそうな木の枝を杖に山を登る。

 穴を探す。埋設砲でも通用口でも、脱走してきたと告げて保護して貰いたい。

 贅沢をもっと言うならノヴァッカに会いたい。諦める気は一切無い。あの女救世主に点けられた火はそのままだ。

 我がアンネブロー家にとって敵とはアルギヴェン家。人狼の飼い主。復讐する相手は山の下にいる。

 地面に耳を当てる。誰か作業していないか? 地栗鼠頭のチェシュヴァン族がその辺から顔を出したりしないだろうか?

 鷹頭のエルバティア族はかなり目が良い。発見して貰えれば……容赦無く殺されそうな気も。

 声を上げるのが早いだろうか。間抜けに目立った方が生存率は高いんじゃないか?

「革命万歳! エグセン人民共和国革命防衛隊中佐、ジョハ・アンネブローだ! 脱走してきた、保護を要請する!」

 口に両手を当て、叫んだ。もう一度、出来ない。

 首に棒、矢。

 倒れた、動けない、脊椎がやられた。

 草が動いた。擬装装束姿のマトラ妖精兵で、エグセン語が通用する顔に見えない。

 妖精兵が集まって来て身体を探られる。吠えない猟犬もいる。

 服を剥がれ、腹が縦に切り開かれて……朝食になるのか?

 もしかしたらずっと山にいる連中で、人民共和国がどうのと事情すら知らないかもしれない。

 それにしても尋問くらいしろよ。情報源だぞ。


■■■


 ベーア帝国陸軍白色軍団聖ゲルタ連隊連隊長代理

 エグセン人民共和国革命防衛隊 ジョハ・アンネブロー中佐

 オトマク暦一七六三 ~ 一七九二

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