第523話「事前交渉」 アルヴィカ

「やった、お姉ちゃん大好き! 今日は二人もいる。大だーい好き!」

 全く幾つになってもこいつめ。

「じゃあ、両国の停戦を仲介する立場として、私が仕切ります。いいかなお姉ちゃん達」

「うん」

「了解」

「私達姉妹は勿論知り合い同士だけど、どこから命令を受けてやってきたか、という身分は明らかにしましょう。大きいお姉ちゃんから」

「正統聖王親衛隊長アルヴィカ・リルツォグト。ベルリク=カラバザル国家名誉大元帥の食客に相当。依頼者はルサレヤ総督代理」

 姉妹の中では一番、亡き母フィルエリカに顔が似ていると言われる。父もリルツォグト家の親戚筋なので、近縁同士ではあった。

「小さいお姉ちゃん」

「自由業エマリエ・ダストーリ。聖皇勅使。命令者は聖皇レミナス八世」

 姉妹の中ではおそらく顔が一番地味。この冴えの無い風体はどこかあのへぼ画家を連想させる。あれ、野郎の名前なんだっけ? へぼ画家でいいや。

「勅使って、どうやってなったの?」

「後で話す」

「はいはーい! 妹ちゃんだよ。合議聖王親衛隊長ハウラ・ロシュロウ。ロシエ帝国宰相府調査室付き陸軍大佐。命令者はポーリ・ネーネト宰相」

 おそらくメイレンベル”大伯”が父親で、我等のヤーナちゃんと異母姉妹。二人はそっくりで並べると明らかに血縁、花のように明るい。きっと生まれた経緯は金銭目的の押し売り。それから、リルツォグト姓は表向き放棄したか。ロシエで仕事をする上では邪魔だな。

 ここはペシュチュリア市。高級宿を貸し切りにして盗聴を防ぐ。わざと一階では楽団付きの舞踏会を開かせている。二階以上は封鎖。我々は地下倉庫の一角を借りて一つの机を囲んでいる。頭上からは楽曲の低音部分が響いている。尚、舞踏については強い足踏み禁止。

 同市は交通の便と中立性から、三国にとって最も都合が良いとされた。

「ここに集まった目的は各自、持ち寄った文書の交換、情報の共有、認識の一致です。速やかで禍根の無い停戦条約の発効を目指します。仲介者であるロシエ帝国はその心算です。帝国連邦はどうですか?」

 何か間違いが無いか大元帥、総統代理、内務長官との会話を思い出す。停戦はするが一定程度まで引き延ばせ、という意志はあったか? ロシエ革命時には引き延ばし工作があったという。確信が得られるまで考える。妹達は待つ。

「異存無し」

「聖皇聖府はどうですか」

「異存無し」

「はい。我々は聖王を守るべく国家を越えて身命を尽くす者達です。その点が評価され、この度聖皇聖府と帝国連邦間に発生している戦争を集結させる停戦会議のための、事前交渉役に選ばれました。今日のこの集まりは、我々にとっても利益があるものと信じております。では時系列を重んじて進めます。聖皇聖府から」

「これ」

 机に文章が書かれた紙が一枚広げられる。そして元本を写した写真も一枚。内容を偽造していないという証明。これはロシエ帝国が持ち帰るために用意された。

「帝国連邦内務省長官ジルマリア、我等のクロストナ様より聖皇へ送られた、降伏草案、という題の手紙の写し」

”フラル東部軍二百万並びにウステアイデン人民六百万を人質とする。

 魔王軍のみを敵として戦争から離脱せよ。

 ベーア派遣軍の撤兵、ウルロン山脈中の非武装化が確認されるまで保障占領する。

 代償は都市破壊、虐殺移住、異端布教、武装入植”とある。

「聖皇聖府は当初、これを全面的に受け入れて停戦する心算であったということでよろしいですか?」

「その通り」

「はい。そして状況は推移しまして、人質の件はサウゾ川の虐殺で意味喪失しました。そして帝国連邦から降伏案の更新がありますね?」

「これね。えー、ルサレヤ総督代理が書いたもの」

 自分も書類鞄から直筆の書類を提出、聖皇聖府へ渡す。ロシエ帝国保存用の写本と、元本を撮影した写真も提出。

 聖王親衛隊への信頼はこの写真が抱き合わせにされる程度なのだが、何せ代わりがいない。西方世界なら神聖教会の聖職者がその役目を果たすのだが、当事者となっては。

 書類内容。題名代わりに”事前交渉段階での受け入れを望む”とある。

”帝国連邦総統代理ルサレヤの名において聖皇聖府へ降伏を勧告する。

 第一条。戦争状態の停止は双方合意の下に停戦条約が発効した時点を基準とする。

 第二条。帝国連邦と交戦状態にある国外派遣兵力等の完全な帰還が確認されるまでは当軍支配領域の占領を継続する。

 第二条二項。当該派遣兵力の帰還命令違反、亡命等で残留案件が発生した場合は聖皇聖府の作為にかかわらず他勢力への占領地譲渡等を行って対抗措置とする。これは停戦条約を妨害するものではない。

 第二条三項。当軍占領地引き揚げ後の政治状態を保障しない。

 第三条。帝国連邦と交戦状態にある勢力に対して軍事通行権を発行した場合は宣戦布告と見做す”である。

「聖皇聖府はこれに同意しますか? えーと違う、聖皇勅使はその権限内でこれをこの場で受け入れられますか」

「一条の”時点を基準”とは?」

「停戦命令が末端に伝わるまでってこと。いくら電信線って言っても限度があるし、浸透作戦で情報遮断状態じゃ、戦争終わったから戦闘止めろ、って言ったって騙してるようにしか聞こえないから簡単に止まらないでしょ」

「あそう。それで、賠償金とかなら権限内だけど……帝国連邦は金で済ませないの? 難航しそうなところ削るのに」

「人の命はお金で替えられないのよ」

「めんどくさい」

「はいお姉ちゃん達。まずこの新しい停戦条件、この場で即決という形に持っていけないので持ち帰りということでよろしいですね」

「同意。聖皇聖府は、最も前向きな姿勢で帝国連邦からの提案を受ける意志があります」

「同意。当たり前だけど、敗北したって認識は聖皇にあるのよね?」

「ある。メノ=グラメリスまで帝国連邦軍が席巻中、半島東岸にはペセトトが上陸中、南はベルシアがヴァスティオまで包囲されてる。世界の終わりみたいなもんよ」

「エマリエ、あんたちゃんと逃げられる時に逃げなさいよ」

「分かってる」

「では次、この他勢力こと、急に現れたフラル解放軍について。帝国連邦より説明を求めます。こちらとしては聞いたことも無いですね」

「聖皇聖府も名前しか認知していない」

「説明しましょう。北コロナダ及びクジャ人による都市国家同盟、通称北部同盟軍の外征戦力と黒人妖精傭兵で増強されたフェルシッタ傭兵団。指揮系統は魔王軍。司令官アデロ=アンベル・ストラニョーラは戦果次第で北フラル総督という称号を魔王から貰う約束がされていると自称。標榜しているのはフラル諸国家の独立、神聖教会の聖俗分離と強権廃止。原理教会派ではない。独立した諸国家群を強くまとめるのか放任するのかは明言せず。それから、フラル解放軍の旗の下ならペセトトに襲撃されないっていう宣伝を始めている。既に首都相当となったフェルシッタ市周辺はこの傘下に加わっていて、帝国連邦軍の影響を借りて拡大中」

「フラル解放軍は帝国連邦の指揮下にありますか?」

「無いわね」

「影響力の下にはありますか?」

「無いわけないでしょ」

「五国協商に加盟申請を出す可能性はありますか?」

「不明」

「フラル解放軍は、帝国連邦と魔王軍の両属体制を成しますか?」

「返答不能。はい次、次あるの?」

「続いてこちら。総統職を辞する前のベルリク=カラバザル大元帥からロシエ皇帝マリュエンス陛下宛ての親書の、訳文です」

”蒼天の神がご照覧ある下、

 安堵がため糾合されし地平の上、

 弱者を擁護せし魔なる力の腕の中、

 秩序立ちたる社会正義を実行する帝国連邦総統の聖旨。

 代言者アクファル・レスリャジンの言葉。

 オーボル川より西に地果てるまでの君主にはご成婚お祝い申し上げる。

 また外海より迫りし未曾有の惨事にはお見舞いを申し上げる。

 幕一枚で荒野に身を置く小人は、あるいは尊ばれるべきである。

 宮殿を沃野に構える大人は、であるからこそ領分を知る”。

 写真の方はバシィール官語の縦書き。エマリエはしかめ面で紙と写真を交互に見る。

「アルヴィカ、読めるの?」

「読めなきゃバシィールで食っていけないわよ」

「えーと、はい、ロシエ帝国としてはこういう言葉だと受け取りました。

 カラドス家とアルギヴェン家の結婚を祝う。ベーア帝国は破壊するがエデルト王国の国体までは対象ではない。

 ペセトトと魔王軍の侵攻は与り知らないところ。我々はそちらと関係なく和平が可能である。

 緩衝国家を両国家間に成立させて直接対立を避けるべきだろう。エグセンとフラルに直接統治領は基本的に設けない。

 ってところだけど、帝国連邦として解釈は合ってますか?」

「命令ではなく、断定させるとかもしないで、今大体こんなこと考えてるって内容。誤解、拡大解釈も織り込み済みで、明文と共に条約結ぶような時は今の私達みたいに下準備重ねて、最後に有効な文言に仕上げるってことにしてる。だから合ってるとも合ってないとも言える」

「ふわっとしてない?」

「わざとふわっとしてるのよ。大体の方向性示してるだけ」

「代言って意味あるの?」

「代言は聖旨、本人が直接言うのは聖勅。聖勅はもう後戻りとか余分な解釈が出来ないものと見做される。例えば”ベーアの破壊”」

「代言でお腹一杯です」

「そうそう、はい質問いいかしら」

「帝国連邦さんどうぞ」

「停戦条約会場が襲撃されて中断された場合とか、想定してる? ベーア帝国はこの停戦を歓迎するはずがない。損しかない。エルドレク皇太子暗殺の恨みなんて一つとして晴らしてもいない。特にヴィルキレク皇帝に人狼達、加えて聖女ヴァルキリカ。ぶち壊す能力はある。聖皇が制御出来るとは思えない。どうなの?」

「聖皇勅使、どうですか?」

「停戦しなければ既存のフラルは崩壊します。妨害は受け入れられません。新たな保護者となるロシエから安全を保障して貰いたい」

「エマお姉ちゃん、それ今のベルシア行きへの軍事通行権だけじゃなくて進駐って話になるけど、権限あるの?」

 エマリエ、ちょっと考える。記憶が確かか頭の中で整理している。

「帝国連邦は、ロシエ進駐軍の配置まで侵攻する意図は?」

「持ち帰って検討する」

「聖皇聖府としては、ロシエ軍を全面的に、無制限に受け入れる用意がある」

「ロシエ帝国は鉄道で即時、先遣隊が出せます」

 これは軍事衝突の気配がする。

「帝国連邦軍は、人間の壁作ってここから先に入るなって言われて行かない連中じゃないのよ」

「持ち帰って検討するということで。慎重な衝突回避路線か体張ってでも境界線を作るかは、この場では返答不能です」

「これはここでどうにもならないね」

「はいそれでは、三国いずれも停戦の妨害は許されざることという認識でよろしいですか」

「聖皇聖府は同意」

「帝国連邦も同意」

 ルサレヤ総督代理に報告する内容を紙に書いてまとめて、書類も交換してそれぞれ、保有する情報量が同一か確認。これにて本日の会合修了。

 机の下に置いておいた酒瓶を開ける、飲む、沁みる。ちょっと話しただけで内臓が疲れた気がする。

「それで、どうやって勅使になったの?」

「あんた、ポルジア聖都にやったでしょ」

「知らないーってことは、クロストナ様だ」

「あそう。ポルジアの臭いから私の家をヴァルキリカが嗅ぎつけた。朝便所してたら窓に指突っ込んで穴開けて”出したら来い”よ」

「嗅ぎ付けって、居所吐いた?」

「言葉通り、体臭嗅ぎ分けてきた。ほとぼり冷めたと思ったら」

「うちでも人狼一匹飼うかー?」

 何だそれ、化物か。化物だった。

「ポルジアあんたの下に今いないんだ」

「天使の死体持って来たのあの子。もうあの辺から好き勝手し始めて何どこでしてるか分からない」

「お母さん寂しい?」

「敵に回ってるかもわからなくて、わからない。ハウラあんた把握してる?」

「全然」

「あの子だけで独立?」

 エマリエが天井を向いた。

 聖都へ母フィルエリカが次女エマリエを代理として派遣。しばらくしてから聖都方面に母が出掛けて、その出先で産んだ娘が五女ポルジア。乳飲み子抱いて歩き回れない状況だったからエマリエに預けて養子縁組して姉妹を親子にしたという経緯は把握している。

「でさあ、私達のマルくんマールちゃん計画ってどんな具合なの? ポルジアも知ってるの?」

「何それ、私も知らない」

「ハウラ、エマリエに言ってないの!?」

「あれ、そっちで言ってないの?」

「東経路でそんなこと言える線あるわけないじゃない」

「はあ?」

 ”エデルト女王にマールリーヴァ推戴工作。エデルトをロシエの同君下位において、崩壊したベーア帝国の残滓を手繰り寄せて西方世界統一を目指す。エルドレク暗殺の幇助はその一環。

 ランマルカが実行犯を買って出たのは、理想の君主を排して歓迎されざる者を王位に就かせて王党派を失望させ、共和主義者を相対的に増やすため”とリルツォグト限定仕様の暗号文を書いて見せる。

 エマリエはそれを読んだら直ぐに、燐寸で煙草を吹かすついでに焼いてしまう。

「そりゃあ一時連絡も取れないところにもいたし、東西左右の頭のどっちでもない、下の頭のチンポの先って言われても仕方ないし、支局以下の連絡事務所みたいなところだったけどさ」

「何、謝って欲しいの? その地味な顔で?」

「そのしゃぶり映えしそうな派手な顔で土下座しな。おケツお舐め致します」

「あっそうだ! 私これ似合うと思って買ってきたの!」

 ハウラ、エマリエに黒縁眼鏡をかける。これはこれで需要がありそうな。

「アルお姉ちゃんにお土産はないの?」

「これ!」

 白い手拭い一枚。

「なにこれ?」

「これは、お風呂上りのマルくんのおちんちんを拭いたことがある手拭いだよ」

「そんな馬鹿な!?」

 においを嗅ぐ。何ともない、どちらかというと普通にほこりっぽい?

「どういうことよ」

「毎日お風呂入ってるからにおい残るまで臭くないよ」

「無能」

「そっちは彗星ちゃんの無いの?」

「彗星ちゃんはミクシリアの専権事項」

「変態共」

 エマリエ、こいつ、地味な顔と一緒でお楽しみも何も無いのか?

「ああ? あんた何の趣味も無いの?」

「趣味も何も目立つことしたら」

 エマリエ、自分の首に手刀。

「聖都はお堅いのねぇ」

「アルお姉ちゃんの豚々団面白かったよね!」

「まあね」

 ファイルヴァインから引き揚げた時に解散したあの豚共は元気だろうか、大体死んでるか? あの頃は好き放題で楽しかった。

「あ、そうだ、ハウラあんた、いい加減ポーリくんに膣離れさせないと駄目よ。人間みたいな細さじゃないと勃たないなんて親が泣くじゃない。可哀想でしょ」

「だって可愛いんだもん」

「こらこのがばマン」

 ハウラに拳骨。

「あいたっ」

 エマリエ、煙を舞踏会で震える天井に吐き出す。

「ポルジアもあんたらの姉妹なのねぇ」

「どんな変態?」

「危険に狂ってる」

 地震。倉庫にしまわれたワイン瓶が鳴る。短い、終わり。

「ペシュチュリアって地震あったっけ」

 フラル半島のスクラダ山脈内外には活火山がある。近辺では珍しくはない。

 地下室の扉を叩く音、見張りが顔を出す。

「失礼します。ペセトトの水上都市が干潟で座礁、お急ぎを」

 三人共に席を立つ。

「フラルの破壊が戦争目標じゃなくて良かったわね」

 エマリエの煙草を奪って吸う。代わりに酒瓶を渡すと、瓶を口から放して引っ繰り返してガバゴボ鳴らしてお湯のように一気飲み。

「充分破壊されそうだけど」

「じゃあお姉ちゃん達、正式な停戦会議の時にまた会いましょう。ロシエ帝国が警備してる場所でね」

 解散しようとした瞬間、別の見張りが入れ替わりに顔を出す。

「帝国連邦の黒軍、近郊を通過中。帰路は注意してください」

 三人で顔を見合わせる。

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