第522話「ベルシア撤退作戦」 ランスロウ
飛行船が洋上偵察から帰還、推力を落としながら着陸経路に侵入。中型二脚が下ろされた綱を取って誘導、この山中の狭くて突風が恐ろしい発着場に着陸させる。事故がないよう地面を広く平らに加工済み。風除けに盆地を選んだが、これはこれで風に癖がある。上空から見ると目立つ地形なので目印として役に立っている。
報告上がる。正に”島、迫る”。
連結されて巨大な一個と化した合体水上都市へ、北海から回航してきたベーア艦隊も含めたロシエ、フラル三国連合艦隊が水上打撃戦を実施するも有効打無し。被害ばかり増大で今後の制海権維持に関わるので戦闘は早期に終了。
以前に破壊、座礁させた後に調査して練った対水上都市作戦では、都市壁を徹甲弾で破壊して破孔をつくり、榴弾や煙幕弾で内部を蒸し焼きにするのが効果的であるとされた。しかしこの合体水上都市、機能が分散されているせいか一区画をそのように破壊しても全く機能を停止しなかった。
合体水上都市の指揮管理機能が少なくとも外殻区画には存在しない。おそらく中央区画がそれなのだが都市構造物の配置から直撃困難。
加えて被害抑制思想が導入されていた。艦砲射撃を目前にしても生身を晒してお祭り騒ぎを続けるペセトトの用兵思想――と呼べるものですらない――から転換されていた。
水上打撃戦に移行する時点で乗員は避難行動を取って屋内に入る。これが当たり前だが、以前まではそうではなかった。
損傷部の応急修理が迅速。加工石材を積んで破孔を直ぐに直す。水上都市調査の結果も踏まえると、その石材は組み細工になっていて接着剤不要。
消火、防火行動も行う。海水汲み上げの喞筒が各所に設置されている。被弾が集中する箇所には、都市上部から海水を垂れ流しにすることで火災、壁材を冷却して高温化を予防。内部の蒸し焼き、二次火災を防いでいる。
着弾した煙幕弾の発煙能力消失時間も短い。航空偵察の所感では、着弾飛散した砲弾片、薬剤を熊手で捨て穴へ掻き落としていたという。屋内排煙速度からも、坑道用の送風機に近い物が内部にあると想定された。
それでも一方的に艦砲射撃を行えたならばいずれ破壊、機能停止に追い込めたが不可能。都市高所に設置された砲台が単純に数量、火力、射程で艦隊を上回った。
砲台にも被害抑制の思想が導入されている。
擬装が施されてあって発砲煙が見えるまで位置が分かり辛い。偽砲台もある。
一発撃っては加害範囲外に後退する。狭い船体ではほぼありえない、砲兵の陣地替えが都市上で行われる。
砲台には砲兵退避用の溝か室内出入口がある。土嚢も周囲に積んである。ほぼ塹壕に配置された程度の防御力がある。
鉄帽のみならず、様式は揃っていないようだが甲冑を着ている姿が見受けられる。砲兵殺傷が難しい。
また合体水上都市の進路後方、巨大な航跡に巻き込まれると推進装置や舵が故障し、小型艦艇程度なら沈没例もある。包囲困難。
その進路は以前と変わらずベルシア王国王都トラストニエ。進路の偽装まではしていないようで、見た目通り小回りは利かないと見られる。
以上、航空偵察と連合艦隊から得た情報のまとめ。
既に水上都市被害の惨状は知れ渡っている。ベルシア王フェルロによりトラストニエには避難命令が余裕を持って出されており、この地が戦場になっても良いようにされた。
王都は陥落前提。焦土作戦も王都のみならず、今から敵の攻勢が途絶える位置まで無制限に行って良いと許可が出ている。フラルもこの脅威を目前にしており、避難については国境線を越えても良いことになっている。
今日までの被害の数々、総力的国土的な後の無さは果断をさせた。フェルロ王の先輩騎士でもあるギスケル卿のささやきも国土へのこだわりを捨てさせるのに一躍買う。エスナルも民衆からこうであれば。
”島、迫る”。砂嵐がアレオンから海を渡って来たように思えた。波を掻き分けるどころではなく、しゃくり上げている。
合体水上都市、他の水上都市より手が加えられて一区画、通常都市一個分を見ても形状が異なる。
以前に、何かの付き合いで美術展覧会に出席したことがある。そこには火山噴火を描いた絵画があり、これに飲み込まれて消滅した都市もあるという話に説得力を与えていた。それが、水平線上に五つ、六つ、七つと巨大化して並んでいる。連合艦隊は相当頑張った。
合体水上都市から砲撃開始。沿岸要塞の崩落まで少し掛かった後は、無人のトラストニエ市街地が煙で埋まる。煙の中に飛び込む砲弾が一瞬渦を作って火と煙の球になって上がる。既に焼けた後の宮殿も瞬く間にその中で潰れた。元から焼けていたのは、フェルロ王が覚悟を示すために自ら火を放ったため。
こんな物、真向から相手するものではない。であるからしない。
灰燼となったトラストニエを見下ろしながらまだ待つ。防御戦闘は堪え性が肝要。それも無さそうなキドバ兵など音も聞こえないような後方に下げている。使いどころの無い女共だ。
更に”島、迫る”。船とはかけ離れた形状。何故あれが浮いて進むのか? 初めて飛行船を見た時ぐらいには理解が出来ない。
空気が変わっている。雰囲気の話ではなく、実際に風向、気温が空模様とは別に変わる。雨を降らすとまでは言わないが、あの島の如き大きさになるとそこまで変えるのか?
トラストニエに都市の影が降りた。衝突までわずか。
火の山のような砲撃はもう停止している。煙が薄まり、鉄石破片の絨毯、屋根無しの壁一枚だけ立つ建物、折れた樹木、擂り鉢状の穴、黒く燻された街が見えてくる。
「耐衝撃用意、砲台の固定最終確認」
「了解」
宮殿後背の山の上、網と草木で擬装して影と陽射しで斑になった陣地内。伝令が静かに命令を各砲兵隊に伝達。静謐に動く。
あの大破壊、捨て身と言われる強襲上陸、真っ当には受け止めない。
何の音か分からないが、軋みであろうとは思った。ギスケル卿が一瞬眉間に皺を寄せる。そういう不快な擦れる、地面が震えて岩の上の土埃が落ちるぐらいの振動。嫌に不安になる。不安など今更だが、ちょうどこの音は神経に障る。
水上都市のしゃくり上げる波が変わった。
これは停止?
波が、津波だけが前進。衝突しない。
大波、壊れたトラストニエ沿岸に覆いかぶさってゴミを流して、撹拌、飲み込んで潰れる。
津波、続いて急上昇した海面が沿岸から都市部の奥まで建物の名残りを押し流す。街路、水路、坂道に沿って昇る黒い鉄砲水。
市街地に防御陣地を築いてはいけない。対水上都市戦の基本になってしまっている。
合体水上都市、再び前進。ゆっくりと迫る。岸辺には、地面を揺らしたか揺らさないかという程度の柔らかい着岸。砂浜、磯を砕き始めてようやく本格的に揺れるガツンとした一撃のような激しさは無かった。構造欠陥か、何度も再上陸するためか。
合体水上都市の縁は海岸に対してかなり高い。今まで都市内に隠れていたペセトト妖精達が一斉に出て来て、成形石材を続々と着岸地点に落とし始める。四角形、二等辺三角形、緩衝材のような包み、隙間を調整する木材。組み合わさって階段と緩い坂が出現する。数える間に大量の兵員装備を上陸させる形状に変形した。
水上打撃戦の情報だけでもそうだが、明らかに敵は進化している。獣人よりも野獣に近いような、力だけはある頭のイカれたガキみたいな妖精がこの様相。
軽装備のペセトト妖精兵が続々と、泥まみれの瓦礫になったトラストニエに上陸。四十名程の小隊を作って分散行動、物を漁ったりせず市街地に残敵がいないか探っている様子。武装は遠目からだと槍ばかり、小銃は少なく、無手のように見えるのは投石器持ちか? その場合は革の鞄を持っているのが目立つ。
野獣以下の突撃しかしなかったような妖精が規律のある行動。教育さえすれば人間より遥かに素直に教育されるのが妖精、ロシエでもかつて運用していた時はそうだった。
誰かが教育した。魔王軍か魔神代理領か帝国連邦か、その軍事顧問。
妖精兵を狙っても仕方が無い、キリが無い。出来れば弾薬運搬車両等を集中的に攻撃したいが難しい。軽歩兵を先に出して周辺警戒から始めるという手堅い行動から見て、そんな撃てば誘爆大損害の、”おいしい標的”が出て来るのはかなり後になるだろう。
こちらは山の上に隠れているが間もなく敵に見つかる。この用心深い動きからは抜け目の無さ、いや少なさを感じる。念のため、我々がいるようなところに砲撃していないところが落ち度。砲弾を節約するため、目につく建物だけを破壊して戦果を挙げた気分になりたいのは分かる。おそらくあれの軍事顧問、塹壕砲兵の経験は無いな。
「対都市砲台砲撃用意。歩兵に目もくれるな。準備終わったら報せ」
「了解」
伝令が各砲兵隊に伝達。
望遠鏡を押し付け続けたせいで目の周りが痛い。
そして「各隊、射撃順良し、照準合わせ良し、榴弾装填完了」の報告が上がって来た。
「撃ち方始め!」
号笛を鳴らす。もう静かでなくていい。
重砲一斉射撃。都市上の砲台目掛けて榴弾着弾。静止目標に対し山の上から撃ち下ろし。一斉炸裂。水上都市着岸状態を想定した、凧を使った砲撃訓練の成果。これで全弾見当外れだったら砲兵全員、キドバ兵と一緒に突撃隊に入れてやるところだった。
それから個々の班の技量に応じた速度での釣瓶撃ち。各砲、割り当てられた砲台を順番に狙って撃つので”的被り”は無い。
鉄と石と火、砲台に砲兵が奴等の頭上に降り注ぐ。上陸待機中の妖精兵が刻まれて潰れていく。煙を被り、焦げる、走り回ってのたうち回る。
砲弾誘爆。都市毎吹き飛ぶようなものは無いが、砲台脇に置かれた砲弾が爆ぜる様子は見て分かる。
砲撃続く。破壊目標の中に、確かに偽装砲台があることが見えて来る。
四脚輸送機が弾薬集積所から各砲の下へ砲弾を届ける。ただの理術機械だが犬コロのように砲兵には可愛がられていて、届ける度に一撫で。
我々の重砲群の中でも特に巨大な、トラストニエの沿岸要塞から引っ張って来た要塞砲の砲弾は中型二脚が手持ちで装填。揚弾機不要。
電信で後方の飛行船基地に合体水上都市に対する爆撃要請の連絡を入れる。標的は都市中央。
敵の反撃、砲弾がこちらの山、陣地に向かって飛んでくる。初弾は見当外れ、弾着修正が始まって爆発が近くなってくる。
山の斜面、土砂崩れが始まる。地面に亀裂確認という報告まで上がって来た。
計算なら戦艦砲でも届かない位置に我々はいるが、あの合体水上都市の要塞砲級なら届いた。砲射程、位置関係、全てを掌握管理するのは難しい。
通常、不沈艦である地上要塞と、いずれは沈む戦艦では要塞が圧倒的に有利だが、その常識はあの合体水上都市に通じない。
山の下の妖精兵、こちらに向かって走り出している。そこまで高い山ではないが、本当に麓から走って来る気か? 妖精ならやりかねないか。
「重砲、砲弾爆破用意」
「了解!」
伝令が各砲兵隊に伝達。そして「各隊、重砲、砲弾爆破用意良し」の報告が上がって来た。
こちらの陣地後方に敵砲弾が着弾、炸裂。弾着地点に挟まれた。もう、いずれ当たる。
「撤収!」
この砲兵陣地には訓練時から手を加えてきて多少愛着はあるが放棄する。温泉も楽しめたが放棄。一撃離脱以上は過剰。重砲とその砲弾も、撤収時には重過ぎるのでこちらも爆破放棄。
大小四脚、中型二脚に重量物の搬送を任せて歩兵、砲兵は走って後退。次の山の陣地へ行く。
大型四脚に自分は搭乗。酷い揺れだが、敵砲弾の破片が機体に突き刺さったのを見た。泣き言は言ってられない。
敵の砲撃範囲外に出る。導火線起爆で重砲と重砲弾が炸裂する。敵兵を殺すよりは、あの重砲を転用されないことが目的。
頭上を、爆撃要請を出した飛行船団が通過する。巨大な船体が豆粒のよう。あれはここよりもっと標高の高い飛行船基地からやってきている。
搭載兵器は収束焼夷弾。敵都市中央を焼き払い、中枢機能か要人を殺してくれることを祈る。
焼夷弾は大分強力だがかなり不安定。時間のかかる洋上偵察に持って行かせられなかった。
薬剤は高温乾燥状態を絶対に避けなければならず、ベルシアの気候では通常、持ち込みたくないぐらい。この小山の上からでも豆粒に見えるような気温の低い高空なら湿度管理に気を付ければ危険性は、少ない。
焼夷弾は搭載直前に、現場で薬剤合成してから弾体に封入して搭載するのが決まり。合成後は時間経過で、酸化反応で常温発火してしまうので長距離任務では使えない。
鉱業用爆薬並に安定した物は無いのか? 安定しているが弱く燃える程度の代物では飛行船の運用費用と天秤が釣り合わないとは思うが。
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全体の戦況ははっきり言って悪い。個別の事柄を取り上げて悪いというのは開戦当初からだが、内部の行動から悪くなっているのが見える。
先に放棄したトラストニエで山の陣地を構築するより前のこと。ロシエ、フラル、ベーアが将校以上で集まってベルシア防衛作戦が撤退作戦に切り替えられた日の夜、短時間ということわり付きで宴席が設けられた。
とあるフラルの、あまり地位が高くない陸軍将校が世間話の体で自分に語り始めた。
”ウステアイデンを突破して帝国連邦軍がメノ=グラメリス地方に侵入しています。装備が足りないので、海軍を寄港させて艦砲を下ろして防御陣地に据えられればありがたいですよね?”というもので、海軍不要論の一角を作り上げる証言を集めている雰囲気であった。陸海軍の軋轢にまでは流石に口を挟みたくなかったので”どこも大変でしょう”と適当に答えておいた。
詐術めいた共食い編制をしなければ職分を全う出来る自信も無いのである。
フラル軍、総力払底目前。我が独立戦略機動軍は派閥争いの出汁にまで落ちたか?
実際、独立戦略機動軍は矮小化どころか、戦術機動隊に変質している。
本当は世界中を艦船で駆け回り、戦時、平時、どっちつかずの混迷期を問わずあらゆるところで柔軟に活動し、戦ったり救ったりなんでも出来て外交使節団にもなり得たのに今では山岳兵に毛が生えたような何か。
我々は今、南スクラダ山中にいる。フラル半島を縦断する山脈の南端。
戦闘行動中以外はひたすら防御陣地を構築する。全ては放棄前提。
資材の少なさと迫り続ける敵を考え、工数を減らすために自然の地形、山岳集落を利用。
現状、絶対防衛線というものは指定されていない。神聖教会の聖職者からは、迂遠な表現で聖都には近寄らせるな、という言動は確認されている。
ここの山岳民は一筋縄ではいかない。先の聖戦に遡り、残留したアレオン系異教徒が多数。混血、混成語の発生、改宗、宗教の土着化などを経ている。魔王軍に親近感を持つ可能性があったため、一部冒険的な若者を傭兵として雇って前線の偵察に出かけさせ、あのペセトト妖精を見せた。疎開に反対して襲撃された者達の末路も。
それ以降、現地人は若者達の説得もあって我々に協力的になった。作業員、現地案内人として活躍。疎開反対運動も沈静化し、防御陣地の強化効率化に貢献。
山の工事には難題がつきものだが、今更遭遇したくない難題がある。
キドバ摂政女王ガンベが目に見えて分かる怒りの人相で、今この最前線となる集落を利用した防御陣地にやってきた。まず、許可なく持ち場を離れているので命令違反。伝令を通して許可を得るものである。
「我々は土方大工ではない!」
未開の蛮族戦士の論法、以前にも持ち出されたような気がするが。
「真面目に働いている現地人を前に恥ずかしいことを言わないで貰いましょう」
「我々は戦士だ!」
ここより後方の陣地構築を、図面通りに行わせているはずだが不満らしい。簡単な草むしり、樹木伐採、石拾いが気に入らないか。地元でやってきたようなことを。
「じゃあ今から突撃命令出しますので行ってきてください。単独で。あなた方が食われている姿を見ればもっとここの住人達も協力的になってくれるでしょう」
手を振って帰れとやる。摂政女王との間にギスケル卿が立つ。相手していられない。
しばらくしてから哨戒所から伝令がやって来て報告。敵軍迫る。長い縦隊形、総数不明。
ここの防御陣地は壁としては作っていない。
各隊の歩兵、四脚、二脚を、今まで拠点としていた集落を包囲する形で擬装された配置につける。崖上にもあり、高所への登攀は中型二脚が得意にする。
非戦闘員は一つ後ろの防御陣地へ避難させ、防御工事に従事させる。資材も運べる余裕があるので持って行かせた。戦闘員を除いて撤収準備完了。
周囲の山道は工夫してある。橋を落とし、崖の縁道を崩し、登攀用の鎖を抜いた。進路を出来るだけ一本に絞り込んだ。
遮蔽物になるような木々は伐採、藪まで刈り込んだ。岩も撤去して道の脇、谷底に退かした。身を隠せないようにした。
無人と化した集落に敵、妖精兵がわらわらと進入。引き込んで、数が増え、建物を捜索して中に置いてあった物を外に持ち出し始めたところで、半包囲状態で一斉射撃開始。
ここの建物は脆くて遮蔽物にもならない。屋内外問わず、血肉散らして敵の群れが平らになる。これが火力の刈り取り場。
中型二脚の一部は気分が高揚したのか、排泄物を収める”便所筒”を機体から抜いて、中身を敵に向かって振り撒いた。銃弾代わりにもならず、備品喪失の可能性もあって愚か。精神不安定がうかがえる。腕と脚が無くなると精神病質にでもなるのだろう。
集落に侵入した一団以外は、こちらの射撃配置を探るために散開行動を取る。山林に分け入り、崖を登って高所を取ろうとする。集落近くの渓流の段丘を塹壕のように使うため川沿いに動く一団もいる。こちらの位置がはっきり分からない中で防御行動も取り始めた。ひたすら前進するようなことをしない。
ペセトト妖精相手に、ちょっとした塹壕や防壁は意味が無い。死を恐れない突撃を正面から受けた時、凌ぎ切れるか分からない。凌ぎ切っても人員の損耗、弾薬の消耗が次の戦いが可能な程度に抑えられるか分からない。
一つ後ろの防御陣地の砲兵が、この集落より遠い位置へ砲撃開始。誤射を防ぐためでもあり、敵後続部隊を撃つためでもある。山道はほぼ一本に絞った。たとえ盲撃ちでも当たる。外れても後続が進めないようにしている。
待ち伏せ射撃をした各隊には早めに撤退を命令する。装甲が厚い、小銃弾や投石程度なら効かない四脚、中型二脚を殿、盾にする。
後退行動から姿が露見して妖精兵の追撃が始まるが、既にあちらは大集団の突撃縦隊的な隊形を崩していて、ただのまばらな標的と化している。射撃で捌ける程度。集落向こうの山道を目掛けた砲撃が増援部隊を阻止しているので先細りになった。
これから、このような陣地を幾つも作って幾つも放棄し続ける。
津波は正面から受けず避難する。受け止められるような大要塞を建設する時間は無い。マリカエル修道院程に準備期間は無かった。
敵がこちらの迎撃準備を察知して行動を慎重にしたり、迂回路を探ったり建設し始めるのは大変結構。我々の目的は遅滞であって阻止ではない。
この山の遅々と後退する防御は全てフラル半島東西両岸を、焦土作戦を実行しながら住民を避難させている陸軍を援護するため。山の上、高所を敵に利用させないためにある。北進する両岸陸軍が通過した位置より南側を維持する必要は無い。
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西岸街道側から入電。途中で電信線が切れたが最初の符丁、数字二つだけで大体分かる。後退援護求む、大体分かる。
機械化して得た高機動力を活かす。
大型四脚、中型二脚を出す。四脚はまだ酔うので遠慮したいが、馬で進むには危険な急勾配を進む。ちょっとした坂ではなく、ずっと坂。
飛行船団も送る。航空戦力に関しては大権を得たので仕事がやり易い。
山下りの道中、断線した電信線を確認。電信柱がやや傾いた状態で風に煽られたのが原因。工期が短過ぎた。
しかし倒れるぐらい傾くならまだしも、ややとは、悔しい。柱の根本に楔の一つでも余計に噛ませておけば防げたという程度。野良犬か何か知らないが小便した後があるのが苛つく。
沿岸の戦場に近づく度に砲声が強くなる。海が見えてくれば沿岸に艦隊が見える。あれは、遠くからだと分かりづらいが合体水上都市相手には分が悪いと言われた小型艦艇。それでも陸上の野戦軍相手には十分。
街道沿いに後退するベルシア陸軍が、街を利用した防御陣地で敵と対峙している姿が見えてきた。
沿岸部は海軍の砲撃があるので敵の配置は少ない。内陸側に配置された敵砲兵が、煙を上げる街を大砲で捉えているが砲撃停止中。この理由は、先着したこちらの飛行船団が挙げた戦果による。
黒煙が上がって火災が続き、兵士や荷物が転がっている一帯がある。かなり広い。弾薬集積所を焼き払ったのだ。
思い出したように火炎の中にある砲弾が誘爆し、他の砲弾を弾き飛ばす。それから爆発したり、しなかったり、やっぱり時間差で爆発したり。これによって生存者の救出も消火活動もままならず、遠巻きにする以上の手が無い状態。敵の攻撃をこれで一時麻痺させた。
砲兵が止まれば他の敵部隊も攻撃が出来ない。ペセトト妖精は突撃せず待機中。前時代的に、己の旗を掲げて林立させている人間や獣人の雑多な集団も動けないでいる。彼等の統率力は見ただけで低そうで、将校や帯剣貴族が集まって相談している姿も見えるが何をしていいか分からない、狼狽えの雰囲気。望遠鏡で顔の表情まで見えなくても大体分かる。
飛行船は焼夷弾投下後も、対飛竜用の対空機銃で地上を銃撃している。あまり大きな被害は無いが、頭上から一方的に銃弾を浴びせられると思考能力は弱る。
海軍の砲撃が沿岸部から、内陸部に移る。飛行船が旗流信号で弾着修正を行い、海上から見えない位置にいる敵軍に砲弾を当て始める。
飛行船だけで十分だったか? まあいい。
「四脚は迎撃待機。二脚は前進、敵が逃げなくなるまで押せ、押し返そうとしたら押すな。大砲が向いてきたら逃げろ」
四脚の揺れは酷い。指示を出したが本当に正しい判断か疑問が吐き気と共に浮かんでしまい、考え直し、やはりこれで正しいと思い直す。指揮能力の低下が顕著だ。飛行船から指揮出来たらいいが、作戦高度が高過ぎると地上との連絡は難しい。
中型二脚、機関銃を手に敵軍側面、獣人兵を掃射。”つついた”。そしてすぐに敵はこちらに向かって動き出した。反撃する気力は十分か。
中型二脚は後退開始。敵の追撃は四脚が機関砲、迫撃砲射撃を行い阻止、一時撃退。
移動費用に対して戦果は少ないがここから山へ向かって後退開始。機動力の高い四脚、中型二脚だから無理無く出来る。歩兵騎兵に走って追いつかれても小銃程度では何にもならず、砲兵は追って来られない。
これで敵の注意は、我々が完全に撤退したとしても山の側に向けられる。敵の一時的な麻痺に続いて、攻撃方向を分散させ鈍化に成功。
あとは地道に山へ引きずり込み、諦めるまで高所と装甲火力の優位を生かして一方的に撃ち殺す。獣人相手だろうとこの優位は生物格差を越えた。
こちらはベルシア陸軍を補助するだけ。敵の進む力を十とすれば九か八程度に、一時的に減じるだけ。完全阻止は不可能。ベルシアに大戦力は無く、本国に余裕は少なく、フラルとベーアに微力以上を期待してはいけない。
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東岸街道側から入電。一部部隊とフラル側の要人が戦闘中に孤立したので救助に来て欲しいとのこと。
経緯。
東岸街道で殿部隊の内陸側、右翼が敵の突撃で突破される。
残った中央、左翼側の背後まで迂回されて包囲される。
この時、中央にベルシア軍の窮地を憂いた要人とお供の幻想生物がいて戦闘に参加中だった。
後退した本隊を再度前進させようにも突破口から増援が投入されて失敗。
海軍の艦砲射撃下で乗員編制の陸戦部隊も投入されたが救出に至らず。逆に救助が必要なほど攻撃が苛烈。
要人のお供が驚異的な奇跡の力で敵軍に損害を与えるも術濫用の消耗が懸念される。
以上。
両岸にこちらの能力は開示してある。この救助は可能だ。
飛行船団を出して空挺作戦を実行する。ギスケル卿がアレオン戦争時にベルリク=カラバザルの首を取りに行った時の応用だ。
ほぼ準備無しで即時出撃の偵察装備一隻を出す。次に短時間で準備が終わる救助装備一隻。それから準備時間がやや掛かる地上掃射装備二隻。かなり準備時間が要る爆撃装備四隻。自分は救助装備に搭乗。
気嚢に瓦斯注入。ポーリ機関と歯車、回転翼が唸る船体が浮き上がる。推進する。四脚より遥かにマシだ。
山の上から出発し、高度そのまま。東進、山の麓側に向かうので上昇しているように錯覚する。
救助要請があった戦場が見えて来るのは早い。そこへ到達するまでは時間がかかる。馬の全力疾走、機関車の全力発揮より遥かに早い速度を飛行船は出せるとはいえ、この時間はもどかしい。科学の進歩で電信のように、電気の速さを実現出来はしないだろうか?
もしかしたら到着した頃には全滅? 諸兵奮戦して間に合っていた場合、非常な窮地、意外に善戦、海軍が救助していた場合、などと想定し得る状況の変化を頭の中で演習。
救助装備である、中型二脚四機が船倉内で待機している。訓練を除き初の空挺作戦ということで中身が興奮している。興奮して手足を振り回せば船体に傷がつくし、自分の手足を握るように誤魔化そうとしても機体が損傷するから動かしてはいけない。その分はお喋りで気分を制御しようとしていて非常にうるさい。
遠景、望遠鏡で見ても空気の層でぼやけていた海が青に見えてくる。地上の戦場はまだ分からないが、偵察装備の飛行船の、気嚢の白色が浮かんで見える。あそこが救助地点。救助装備の当船が偵察装備の高度に合わせて下がる。
後方、地上掃射装備の船体は、かなり遠くに見える。
更に接近。偵察装備が対空機銃で、節約しながら地上に機銃掃射を掛けている。
上空から敵味方が入り混じって判別が難しかったらどうしようかと思ったが明確に分かれていた。
救出すべき孤立側は名も無さそうな岬、やや半島状になった海側へ後退して岩場を利用して防御陣形を作っていた。手荷物、死体、動かせる石でどうにか陣地を造って、妖精兵相手に暇無く射撃中。
未整備の海岸には陸戦部隊が乗って来た短艇が四隻、縄を使って崖を登攀しなければならないような段差の下。そして海上脱出の素振りは無い。確かに余裕は無さそうに見える。
海軍の様子はどうかというと、軍艦はこの岬からかなり離れた沖合にいた。煤煙とは別の煙が上がっているようにも見える。敵の砲兵と撃ち合って、負けて沖に逃げたようだ。
周囲を確認、近くに砲兵はいない。街道沿い以外、峠を越えた山の中腹……いた。海岸よりやや高台にある村に人間兵がいて、砲兵陣地が築かれている。拡張工事をしている様子で基地建設中か。短艇で漕ぎ出せば撃沈される可能性がある上、あの沖まで漕ぐのはかなり辛い。
さて要人は? この高度だと分かりづらいが、何か、白い人型ではない何かがいた。あれがお供の幻想生物だろう。とにかく目標地点捕捉。
当船が高度を、巨大な古木程度の高度まで下げる。船倉の扉が開かれて空気、風が流れ込む。中型二脚が、長い綱の端が落下防止の柱に巻かれていることを確認してから手繰って下ろす。これだけでもかなりの重量で、乱暴に放り投げでもしたら地上の兵士達が薙ぎ倒されて何人も死ぬことになる。
《救助に来た。綱を投下する。地上の者は巻き込まれるな》
拡声器で告げる。上がる声は飛行船の機関音で詳細は分からないが、友軍兵士達の顔が上を向いて白い点になっているのは分かる。手を振る余裕は、ペセトト妖精の猛攻撃を前にほとんど無い。船体に小銃弾が命中する音が鳴る。当船の対空機銃が反撃。
綱がある程度下ろされ、着地点が目に見え、地上の兵士達がきちんと退避行動を取っているのが確認されてから一気に落とす。そして地上とにわかに繋がり、中型二脚は綱伝いに地上へ降下。
流石の、手足のように精妙に動かせる巨大な義手義足。綱と機体を傷つけないように手袋靴下を装着して、握りの強弱、股の締め具合で落下速度を調節しながら地上に到達。
一機目は降下が一番上手い奴で、地面の状況を踏んで泥濘、障害が無いかどうか調べて、動かせる石を一つ敵側に放り投げて退かしてから手信号で”良好”と送る。それから残り三機、間隔を取って降下。背部に備えた機関銃を手に取り、ペセトト妖精へ掃射開始。足元に来れば蹴り、踏みつけた。これだけで戦闘状況は改善。
ここでもペセトト妖精の戦い振りは異様。祭りの仮装衣装、死を恐れぬ突撃。武装は変わらず棍棒、投石器、小銃は少し……短槍を口に当てている姿もあるが、吹き矢か? 死ぬのが目的だとしても、本当に一体何人動員しているんだ?
妖精の行動が奇態なのはわかるが、時間を置いて急に変な動きをすることがある。儀式か何かと思って観察……同士討ち? 間違いない。それも一塊の集団が一斉に。仲間の死など気にも留めない奴等だから動揺もしないで分かり辛かったが。あれが要人の力? 幻想生物の方か?
妖精兵は先鋒を務めている。その攻撃隊列の後ろ、妖精、妖精……岬をもう一つ越えた先に獣人騎兵に人間歩兵がいて、急いでいる雰囲気が無い。望遠鏡でも顔まで分からないが、渋滞列に掴まって道の脇で退屈そうにしている程度。後はこちらの飛行船に手を上げて指差している程度か。
海軍と撃ち合った砲兵など、のんびりと言うのも変だが基地建設中だった。意思疎通困難なペセトト妖精と魔王軍は連携が取れていないのではないか? 前線から、ここが今手づまりであるから砲兵を要請する、と言った連携が取れていない可能性が大きい。取れていたらこの岬の戦いに一門でも二門でも送り、もう全滅させていただろう。
空からだと得られる情報が多い。地上の敵がどれだけ自分の周りが見えていないか実感させられる。それを利用した作戦……今やっている、失敗の尻ぬぐいが限界か。とてもじゃないが反撃作戦へ移る兵力は存在しない。
エスナル人など見捨てていればどれ程余裕があったか!
救助用の網、その外枠にある輪に細索を通して、綱にも通して真下に落ちるように投下。地上側の兵士が綱を結べるとは限らないので当船の甲板員も降りる。太い綱の結索は素人には出来ない。
《要救助者を優先しろ》
要人……翼の生えた天使と、あの白い変なのが網に乗る。網が袋状になるよう綱が結ばれ、甲板員も同乗。
飛行船の機関は動力の接続を回転翼から巻き機へ切り替え。
巻き機回転部に綱を数回巻いて、その後ろから手で繰っていく。綱は長すぎるので回転部位に全て巻き付けるなど出来ない。
船員達と自分も手袋をつけて引く。素手でやったら手の皮が無くなりそうだ。
袋状になった網を船倉内へ回収。
「随分無茶をされたようですね」
噂の妖怪天使、背中に翼用の袖がある修道服を着ている女の手を取って立ち上がらせると顔は泣いてぐちゃぐちゃ、鼻も目も充血で赤い。
「うぇっ、えぐっ、ごえんなばい」
としゃくりあげて声もまともに出ていない。正気も疑わしい。そして座席に座らせ……翼が邪魔。床に毛布を敷いて寝かせたらすぐに寝てしまった。失神かもしれない。目が覚めたら神経症で記憶がございませんとか言わないだろうな。
妖怪天使の究極化物版。白い羽毛の、充血して血の涙を流す大目玉、目玉、目玉、目玉の数々。見ただけで身体が拒絶反応を起こして神経がひりつく。その身体を支える大きさは無いだろうという翼を三対優雅に動かし、鳥ではない、どちらかというと蜂や蠅の速度、浮遊感で床に寝直して、ゴロっと転がり目を閉じる。寝た?
地上掃射装備の飛行船二隻が戦場に到着。戦場上空を左旋回し、船体左舷側から四連装機関銃を撃ち込む。
見えない無数の機銃弾、十発に一発の見える曳光弾が着弾地点を報せる。上がる土埃、血煙、骨肉布鉄木片。貧金色の空薬莢が光りながら地上に落ちる。
同じく船体左舷側から斜め下を向く榴弾砲、直接射撃が可能で命中精度は割りと高い。
弾種は榴弾と榴散弾。軽量化のため薬莢無し、弾頭と分割された発射薬は最小限。低圧射撃と板バネ免震装置で砲と船体への負荷を極小化。
榴散弾は多くの敵を殺傷するが空中で炸裂する分着弾位置が分かり辛い。榴弾は着弾して爆発し煙を上げて分かり易い。使い分けると狙いを付けやすい。
射撃の台座には船体基準でどの角度を向いているかが分かるようになっているので、機関銃の射撃位置を基準に砲撃することも可能。
壁面には両台座の角度差によってどれぐらい射撃位置がずれるかの計算表もある。最終的な計算は人間の脳みそがすることだが、その早見表一つで計算速度と確度が違う。
妖精兵があっという間に粉々になる。のこぎり挽きの木屑のようになっている。こんな様を見せられたら普通はたじろぐものだが、奴等はしない。虫でも脅かせばもっと逃げる素振りを見せるものを。
空挺作戦は最小限の行動しか出来ない。奇襲性は強いが持続力は無い。一撃離脱でお終い。
降下班の回収が難しくなってきた。飛行船に銃弾、投石が当たる。隔壁構造なので直ぐに落ちるわけではないが、幾つかの気嚢に穴が開き始めて浮力低下。船長から警告、修理部署発動。
中型二脚は軽量とはいえ、綱の強度を考えると下ろした四機全てはぶら下げられない。綱をよじ登れるが、かなり時間が掛かる。中途半端がいけない。
拡声器を使う。
≪降下班は海上脱出を援護。後に敵中突破し味方陣地に滑り込め。短艇は沖の母艦ではなく陸の友軍側に逃げ込め。以上》
当船は高度を上げる。
地上掃射装備二隻は敵中突破の進路を作るように照準調整。中型二脚は壁を作るように立ち回って負傷兵、陸戦隊が短艇へ乗り込むのを見送った後、友軍陣地へ残存兵を援護、誘導開始。
高度、更に上がる。地上掃射装備から”残弾少ない”と光信号発信。
中型二脚には随伴兵がしがみ付く取っ手があり、残存兵がそれに掴まって脱走が始まる。だが妖精兵が殺到して引き剥がしていく。機体の方も無限に戦えるわけではないので落ちた者を救出する余裕は無い。
一機、故障か妖精にしがみつかれ過ぎたせいか動きが止まって転ぶ。槍、棍棒で滅多打ちにされても破壊されないだろうが、稼働限界を迎えた後にじっくりと解体されるだろう。鹵獲防止のため、地上掃射装備が榴弾砲を撃ち込んで破壊。鹵獲となぶり殺しを阻止。
かなり遅れて爆撃装備の飛行船が到着。爆撃位置を指示。妖精兵の進路上に三隻、建設中の基地に一隻。ベルシア陸軍の後退行動の一助になるはず。
敵の頭上に集束焼夷弾が降るのを見ながら戦場を離脱する。
空中降下中に自然発火する焼夷弾多数。中には船倉の扉を開いた瞬間に煙を上げる場合もあった。即座に落とせるようにしていなければ一隻撃沈の危機だった。
火炎の絨毯が四枚出来上がる。道を完全に塞いだわけではないが、直進出来なくなるだけで隊列は崩れる。足が鈍る。
これで敵に相当な被害を与えてやったと思いたいが、きっとあの死骸の山はペセトト妖精の腹に収まって、それだけだ。奴等の兵站は敵と味方の肉である。
損害はあって手痛いがやれるだけはやった。この貴重そうな化物一人と一頭、おそらく大層なご身分。成功だ。
■■■
山頂に近い、空気も薄ければ夏終盤の暑さも無い標高。登山伝令は遅いので電信線頼り。補給部隊以外では久し振りの来客。
「聖府女性省のイヨフェネと申します。聖女猊下の侍女を務めております。位階はあんまり意味の無い立場なんで、姉妹と呼んで下さい」
姉妹天使の、失神からの涎垂らした半日睡眠後の目覚めは悪くない様子。悪い記憶を留めて置かないための生理機能が働いたかもしれない。
「その……お嬢さん?」
「まあ! お嬢さんだなんて、こう見えて四十……」
姉妹イヨフェネ、右見て、左見て、気配を察するも気付かない。
「きゃん!?」
演技しないで”きゃん”って言葉を聞いたのは初めてだった。この世にそんな女性がいるとは知らなかった。
「おしり突っつくのは失礼ですよ!」
天使の翼に隠れた背後、一見して民族不明の若い女。混血の見た目。
「デカじり」
「おっきくありません! ジルマリアと違います! リュハンナ様、何でここにいるんですか!?」
姉妹イヨフェネがリュハンナ様とやらを追いかける。鈍くさい、捕まらない。
「イヨフェネが心配」
「心配される覚えはありませんよ!」
「好きな人を心配しちゃいけないの?」
まるで当然、常識を疑われたという顔。
「う、んぎゅー……」
姉妹イヨフェネ、顔をしかめて胸を抑え、魂が絞られている。
かくいう自分もやや胸に来る。あの声色、顔つき、何だあれは? これもある種の怪物か。聖都の引き出しは多い。
姉妹イヨフェネ、正気を取り戻す。
「そういう意味ではありません!」
「イヨフェネをよろしくね」
「よろしくもねもでもありません!」
「これふわふわ、触る?」
リュハンナ様とやら、天使の翼を掴んで広げる。鳥の羽は自然が作った芸術で古来より装飾品として珍重。それを妖怪の巨大な、見事なそれに触る? 触りたくないと言えば嘘だが、誓願したような婦女子に触るなど断固として、救助等を除いて有り得ない。
四十過ぎの、孫がいてもおかしくない歳でも。
「触りません!」
姉妹イヨフェネ、翼を振って、よろけて体勢を持ち直す。
「もう飛べないし邪魔もうこれいや」
飛べないのかあれ。
「どうやってここまで来たんですか。山ですよ山、高いんですよ」
姉妹イヨフェネ、深呼吸してむせる。空気の薄さを表現した。
「ヤネスとゲルリース」
少し離れたところに、口輪付きの人狼がいて、所属不明だが修道騎士装束姿。場違いなところにいるような所在無さげな感じから理性を感じる。
また立派に過ぎる白い角馬がいる。賢そうな目付き、無駄な動きをせず像のよう。凄い筋肉、輝く毛並みだが、あれは触ってはいけないのか? 邪心が少しでもあると殺されそうな雰囲気はあるな。
ギスケル卿がリュハンナ様の脇に手を刺して持ち上げて運んで行った。
咳払い。話が進まないな。
「それで姉妹イヨフェネ、それなりの方があんなところにいたのは理由があると思いますが」
「ランスロウ元帥にお伝えすることがあります」
「伝えるだけなら電信でも」
「直接です」
「では何故あのような戦いを?」
「ほっとけなかったんです」
戦闘要員ではないが、なまじ力を持っていたせいで、か。これについて追及するのは愚か。
「話が反れました。機密のようですが、何でしょう」
「はい……あ、文書に残せないので口頭です」
「ええ、はい」
姉妹イヨフェネが声を抑えて言った。
「聖府はロシエ帝国の指導に従い、主権を放棄します。間も無く停戦交渉が帝国連邦との間に行われます。こちらではベルシア後退の前線指揮権を持っているランスロウ元帥にも伝えるべきとされています。今後はその前提で行動してください」
宰相の怪しい雰囲気はこれが狙いだったか?
「まだ交渉前ですね」
「はい。上手く行っても後のことですが」
停戦を双方が望んだとして、その間にどれだけ戦果を積み上げられるかという競争が始まることもある。なまじ、先行きの見えない戦いの終わりが見えたとなれば、人員物資の使いどころも計算が付き、全力発揮の大作戦を惜しむこともなくなる。
警鐘が鳴る。敵だ。偵察部隊の発見より、歩哨が発見するのが早かったということは大部隊ではなさそうだが。
程良く防御し、次の工事中の陣地へ向かう用意を加速させなければ。この第一の飛行場を放棄して第二飛行場へ移る用意は少し掛かるな。
「あの……目玉鳥? の奇跡はまだ使えますか?」
「大天使と呼びます。疲れて寝ちゃってるので、でも、起こしてなんとかしましょうか?」
あの言葉が通じ無さそうな怪物を何とか出来るということは、姉妹イヨフェネはただの伝令ではなく化物の管理役か。猟犬には猟師がいるものだ。
「いえ結構。もしもの時は頼みますが」
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