第521話「サウゾ川渡河作戦」 ベルリク

 ウルロン山脈東部源流のサウゾ川。川にも種類はあるが、これは平野部をゆっくりと流れる型。山の急流と比べれば、ともすれば沼。

 流れには死体が浮き、沈んでまた岸辺に流れ着いてとゴミの山というか海、見本市。これは水流を鈍化、水位を上昇させ、水質を汚染。工業廃水口の付近のように油と灰汁が浮いている。特に下流部などは死体で河口が詰まっている。裸の肌の白さから土嚢でも積み上げたかのよう。

 鹵獲砲弾の中でも汎用性の低い規格――特にベーアと非共通――から優先し、鉱業用にして用途不明、梱包成形前の爆薬も同様とし、未改宗者と一緒に川岸に並べ、背中を押すように吹っ飛ばした。爆風は四肢と共に多くの服を破いていった。裸はそれが理由。わざわざ脱げと手間の掛かる命令はしていない。

 現在、サウゾ川越しにフラルの予備軍が西岸部に取り付き、陣地防御を固めようとしているので全正面へ工事妨害程度に砲撃中。配置に間に合った騎馬砲兵の小口径砲から順次、遅れてやってきた砲兵の大口径砲に転換中。

 次いで、まだ渡河するには準備不足で時間が掛かるということで糜爛剤も撃ち込んで汚染。この薬剤が活きている時に自軍を突っ込ませたくはない。これは間も無く使用中止。靴、服越しでも浸透するこの薬剤は無毒化を待たないといけない。

 外ヘラコムと外トンフォ軍集団、高地管理委員会軍はサウゾ川渡河に向けて最終調整中。

 敵勢力圏に鋭く浸透する奇襲向けの機動力重視の縦列形から、

 フラル東部軍を殲滅した包囲攻撃陣形に移り、

 そこから方向転換して川越しの敵陣地全正面を攻撃して対応能力を超えて迂回も狙う横列形に移っている最中。

 先駆けから殿から補給部隊に、空いて然るべき道路状況まで、各隊の前後列を整えつつ、道路状況を考慮して理想の形になるよう移動命令が出されている。個人の脳内で処理不能な動きだ。下部構成単位でも、己の領分を弁えて上層部では把握し切れない細かい位置関係を調整中。

 司令部で各隊が上げる報告を次々書き込んでいった配置図面を見たがパっと見て意味不明。とりあえず騎兵隊に”俺について来い”程度でやってきた自分に大枠以上は理解不能。

 敵陣地全正面への妨害前に、あえて砲撃を控えていた時間がある。フラルの報道関係者に死体流しを撮影させつつ、何か、砲撃出来ない事情があるかのように見せた。この結果、危機に駆けつけたフラル予備軍は隙があったと見たか川岸近くに防衛線の建設を始めた。我が軍が川岸にすら立てないよう直接的な脅威を見せる形で。そしてその半端な成果物に今は砲弾を撃ち込んでいる。

 こうはならない可能性はあった。フラル予備軍はもっと陣地を後ろに下げて、攻略を難しいものにするかもしれなかった。死体の川を見せて寸土も譲ってはならぬと思わせ、砲撃開始時期のずらしも上手くいったと思われる。とにかく可能性があったらやってみるもの。やらなかったらこうはなっていなかった可能性が、あるかもしれない。

 問題はその出来損ないの川沿い陣地の後方、砲兵陣地。これは流石にこちらの砲射程圏外で、その射程は川沿いを捉えてこちらの渡河を防いでいる。これをどうにかするのはこれから。

 このイスタメル横断の奇襲作戦が成功している時点でフラル軍にはまともな防衛線の構築時間が無かった。川沿いの陣地構築と領土を諦め、もっと西側で防衛線を作れば良かったはずだったがそうはならなかった。

 フラル軍は危機状態にある。兵力が足りないのは確実。増強するにはどうするか?

 ウルロン山脈より北の戦場で東進中の派遣軍を故地まで呼び戻すには時間が掛かろう。ヤガロ王国を占領していく最中に、最前線から引き戻すのは相当に道路、鉄道に負担を掛ける。戦線に開いた穴を埋めるというのも戦闘中では大仕事。まず短期で見込み無し。

 ヤガロの前線に回っていないベーア軍の予備でもフラルに回して貰うのが一応、効率が良い。しかしウルロン山脈南北を繋ぐ鉄道は山岳線一本が頼り。いくら鉄道の輸送能力が馬車などと比べようもないとはいえ、この奇襲作戦への対応に間に合うだろうか? 努力次第? 大編成の車両を到着先に残置したままにするような一方通行の輸送をすればいけるか。車両数に余裕があればの話だが。

 ウルロン山中には精鋭と言われるフラルの高地軍がいる。これが手強そう。この川沿いの戦いに間違いなく間に合う敵方の増援の一つ。

 もう一つの増援を増やす方法は新兵の増強。フラルは更なる動員に耐えられるか? 軍属を含めるが二百万の働き盛りの成年人口の喪失はフラル半島全体から見ても破格。血税二等兵の絞り出し、もう一捻りを聖なる神の威光だけで可能だろうか? 無茶な増税、徴兵は反乱を呼ぶ。

 フラル半島全域に散らばる沿岸防衛戦力の抽出。ペセトトの水上都市の脅威を無視することが出来ればだが。

 ベーア軍自体には余力が生まれてきている。ヤガロの戦場における混沌とした複雑な形の戦線が整理された。かの軍中心から見て、

 北。ラシージ指揮下の軍の集まりはエグセン人民領から完全に撤退した。五国協商の防衛条約を頼りにするマインベルトにベーアの圧力が掛かる。

 東。ヤガロの戦線は後退し、東は対帝国連邦用だった国境要塞線まで下がる。ヤガロ王国領は薄い線上に残った。フラルの派遣軍はこの戦いに参加中。

 南。ラーム川北岸から我が軍は完全に撤退し、南岸で防御を固めている。改宗者がこれから我が軍の兵力となるかは未だ不明だが、後レン朝から約五十万の増援が到着予定。後詰は十分。

 補給線その一、主幹。イスタメル領内を通過する我が軍の補給部隊は現在、堂々と往復中。ウラグマ総督からの抗議は聞いた。だがそこからどうするかは決めていない。宙に浮かすことで良い具合に回る。

 補給線その二、能力は弱い。マトラ山脈南西側から、ラーム川中流域を越える線。ここはウステアイデン領と帝国連邦領とイスタメル領の境が面倒な地域。道路事情も湿地帯が広がって悪く、バルリー攻めの時に現地住民を抹殺してから人口も回復しておらず、マトラ妖精の近所になど住めないとウステアイデン、イスベルス側住民は移住済み。開発の手から遠く原野に戻っている。フラル東部軍も健在中は本格的に進入しなかった。

 南西。ウルロン山脈東部では山道の破壊工作が済んでいて、敵山岳兵が復旧工事をしている。復興するまで通行不能。作業妨害部隊が少数精鋭で行動中。

 西。ヤガロ国内は政治的にあまり手が入らなかったが、出来るだけ焦土とした。鉄道、橋梁は破壊。住民は疎開。エグセンに撒き散らした疫病を引きずって蔓延中。

 ベーア軍が取り返せたものは広い空間程度という中、マトラ山脈へ突入するのか、封印してしまうのかは不明。あれだけの死体と廃墟を見て足を止めるなんて選択が出来るかはあちらの判断次第。

 現状を認識して、次とその次とそのまた先を考える……分からないことだらけだな。

 人間は分からん。何を言って、してくるか全く分からない。溝を掘って望んだ方向に流れて来ないかと祈るだけだ。大イスハシルは来たもんだが。


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 サウゾ川渡河作戦、まだ準備段階。

 海軍との連携が重要なので、海に面して河口部にあるサポリエ市に司令部が置かれる。

 自分と行動を共にする黒軍はこちらに向かっている最中。ラーム川北岸から南岸へ撤退する前に、一時的に川を突破したフラル東部軍の残敵掃討に掛かっていたので一足遅い。

 ここならある程度綺麗になった上流、中流と違い、死体が川の真ん中でまだ見られる。腐臭が発生し、風向き次第で街中でも臭う。

「来ちゃった」

 時が止まったような若さのセリン。前に会ったのがいつかは数えられないが、姿と声が記憶と簡単に一致して年月が無くなる。

 潮の臭いがする。つまり、

「うっげ、お前死体汁べろべろー、えんがちょー」

「あぁん!? うるせっ!」

 背中に抱き着かれ、足が胴に回り、髪の触手が全身の這い回ってチンポまで縛られる。

「うわっ、このっ化物!」

 後ろに手を回してその、下着みたいな下履きに手を入れてケツ掴んで広げて引っ張る。

「あっひゃっひゃっひゃ!」

 死体汁の話は別として、この可愛い子ちゃんは船に乗せている短艇など使わずに泳いだ方が早いと単身でやってくる。腐臭はしないがべとべとのまま、紙が積んである司令部へこのまま入れられないので水浴びへ。

 アクファルが用意し、綺麗な真水を使って洗いっこ。触手の髪が長く太く動くので手強い。櫛要らずで手櫛でも全く引っかからないが。

 こっちは足がもげて、筋力はちょっと落ちて腹は……まだ出てないが、五年後はどうかな? あっちは若いまま。魔族の否定、消極論が上から目線に感じる。

「聖都攻めるか」

「ねー、思い出すね」

 アソリウス島から聖都への初上陸を思い出す。

 砲撃で焼けたところに突入が理想か? 神聖教会が徹底抗戦を諦めれば、攻めではなく降伏交渉になる。

 降伏の条件に城壁を破却させるという故事がある。街の破却を条件にして、計画的に焼くのも有りだな。

「城壁突破からの突入と、降伏させてからの焼き討ち、どっちがいい?」

「突入。降伏させてからって、無抵抗ってこと?」

「直接圧し折る前に、精神圧し折ってからってのに趣がある」

「めんどくさ……白髪増えた。ジジイ」

 頭を洗われる。

「おリンちゃんは可愛いまんまだもんな」

「もう!」

 人間に戻す方法があったら面白いのにな。


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 司令部では外トンフォのクトゥルナム、外ヘラコムのアズリアル=ベラムト、高地管理委員会のデルムそして各上級将校が待っていた。鳥頭の南洋傭兵筆頭、スパンダ将軍なども目立つ。

 ここでは海軍が重要。提督辞任後のセリンは軍服を着ることはなく、昔通りの下着みたいな姿で参加。こいつなめてんのかという感じも無くはない。へそ見えてるぞ。

 この会議はクトゥルナムが仕切る。先任はアズリアルの方だが、彼は船に乗って先頭に立つことが多いのでこの戦線における最高責任者の座は譲る。自分とラシージが良くやった二頭体制に似るか。

 まずはセリンから報告書を提出する。これが要。

「極東艦隊からの報告を伝えます。

 艦隊は聖都沖から北上、サウゾ川西岸部への艦砲射撃任務に就きます。敵海上戦力からの有力な妨害可能性は微弱。増強の見込みが少ないことはこれから……。

 ペセトト帝国の水上都市群の最高指揮官、廃帝と洋上で連絡が取れました。あちらの攻撃目標を確認しました。

 主力は半島東岸部に一斉上陸を仕掛けます。これでフラル海軍は多忙になるでしょう。魔王軍との共同歩調を取った結果の行動ですが、合理的な戦略的思考の結果かは文化の違いで理解不能だったそうです。彼等の目的は勝利や征服、移住でもなく自身を死んだものと定義して、死ぬならば祭典の中で、という宗教行事とのこと。急な、不合理な方針転換があってもおかしくないと思われます。

 別動隊がいます。フラル解放軍が乗る水上都市はヴァリアグリ湾以東に上陸し、新たな現地勢力を立ち上げる予定だそうです」

「フラル解放軍とは?」

「南大陸で活動中のフェルシッタ傭兵団代表のアデロ=アンベル・ストラニョーラが代表を務める連合勢力です。指揮系統の上位は魔王軍。内訳、兵数に装備は連絡時に把握出来ておりません」

「情報部は調査を」

「は」

 情報将校が伝令を呼んで作業を指示する。南大陸方面の情報を把握しているのはナレザギーの南大陸会社。あちらから情報を吸い出して編集してとなれば少し時間がかかる。

 自分が覚えている範囲では、アデロ=アンベルは聖女によるフラル統一時に粛清されかかって逃げた人物。それがフラル解放を謳うとなれば共闘の可能性はあるか。

「アデロ本人と連絡は出来ていましたか?」

「極東艦隊が接触した応答可能な個人は廃帝のみ。その他の水上都市とは連絡を取っても愉快な妖精さんがいるだけです。亜神と呼ばれる異形、指導者層は外部勢力との接触に否定的で交渉窓口が無いような状態。廃帝はフラル語を話したので何とか話が通じたようです」

「一斉上陸日時は?」

「不明です。彼等が互いの位置関係を把握する方法は目視確認に限るようです。連絡船を使っている様子もなく極めて原始的。一斉上陸を仕掛けるというのは、同日同時刻という正確なものから程遠い可能性があります。水上都市間で隊形を取るようなこともしていません」

 海軍の要素を加えた上で、現在の予定計画を調整。

 休憩を一度挟む。

 この間にルサレヤ先生が会議に参加。魔都帰りで、途中で列車から降りたのか飛行後の疲労感と、何とも言えぬ風を切ってきたにおいもした。

 セリンが畏まって背筋を伸ばし、今更自分の服装に気付いたように若干あたふた。

 再開。

「上流。山側からサウゾ川西岸へ降りるように高地管理委員会軍が、既にそのようには動いてますね」

 ”変な”デルムより。

「もう動いているが、一度山から下りた主力を再度登らせているから出だしは遅い。例の高地軍とも山中で戦闘中だ。弱兵ではない。素早い動きは望むな」

「下流。渡河作戦前に極東艦隊の艦砲による攻撃準備射撃後に、水上騎兵が河口部西岸に海から上陸して敵陣地南端部を攻めます。川岸の前線、渡河を直接阻止する陣地ではなく、後方の砲兵陣地を攻撃しつつ後方連絡線を遮断。この攻撃の初期段階で河口部東岸に対応する砲撃能力が低下したところでグラスト術士が川を凍結させ、黒軍を先頭に渡河作戦開始。水上騎兵と連携して二正面攻撃で南端部を占領します。

 南端部の確保後はそこから北に向かって敵陣地を順次、側面攻撃の形で攻略していきます。砲兵陣地を攻略していけば、敵が川岸を砲撃出来ない状況が順次南側から現出するので、安全確認後に東岸の部隊は順次、水軍の支援下で渡河を開始して前線陣地に正面攻撃を仕掛けます。黒軍が開いた渡河の突破口から続々投入される部隊が側面攻撃を持続させ、先行して砲兵陣地を攻略している水上騎兵も背面攻撃に余力があれば参加し、可能なら二正面以上、三正面を理想として攻撃を継続していきます。

 全体的に、陣地の完全な制圧は続々到着する後続部隊に任せ、完璧に拘らず速度重視の無停止攻撃を心がけて下さい。このフラル予備軍を、可能ならば全面撤退を阻止する形で撃破します。敗走する兵士より早く進み、順次、敵陣を洗い流す形で逃がさないように。フラルの総力を削ります。

 このフラル予備軍は全般的に重装備数が少なく火力が不足しています。手応えが無さ過ぎて困惑する可能性すらありますが、しかしそれで規律を失わないよう指導してください。過ぎる勝ちは兵を弱体化させます。

 黒軍には初めに水上騎兵と連携して南端部を攻略して貰いますが、そこから北進して陣地攻略を続けるか、西進して浸透作戦に切り替えるかは総統閣下にお任せします。

 フラル解放軍との接触は優先事項と判断します。余程に、渡河後の抵抗が激しく逆襲で追い返されるような状況に至らない限りは海岸線を意識して西へ進んでください。騎兵単独の砲火力不足は極東艦隊との連携で補って下さい。

 先頭に立って戦うことで勝利の鍵となってきたことがあるヴィルキレク皇帝が出征したとの情報があります。現代戦でも局地的な戦況を打開できるかは怪しいですが注意が必要です。

 幻想生物部隊の出征も確認されています。有翼軽騎兵、有角重騎兵、空が飛べる術使いの天使の三種が確認されます。騎兵二種はともかく、空を飛ぶ天使は偵察から漏れる危険性があります。指揮官狙い、弾薬庫狙いの奇襲攻撃に注意してください。ロシエの飛行船より遥かに視認が難しいでしょう。破壊工作に注意して下さい。

 天使が取る高度は不明です。高射砲や機関銃による対空射撃の用意は怠らないで下さい。

 それから……」


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 会議終了。淹れたてのお茶が皆に配られ一息入れる。

「それで先生。魔都は何と? 謝罪文で済んだら楽なんですけど。アクファルが書くだけだし。ねー」

「お任せ下さいお兄様。ちょちょいのちょいです」

 ルサレヤ先生の翼の手で頬を抓られる。

「大宰相の声明はこうだ。指導能力に疑心を抱き続ける関係は難しいと考える。共同体たるを維持し瑕疵の修復を願うならば、今後帝国連邦権力に関わらないこと」

「公職追放? 州総督は失敗を挽回した経験が必要とかいうあれはどうしたのって思いましたが」

「州総督は管制下にある。帝国連邦総統はあったか?」

「おちゃんけぴろぴ」

「そう、わけが分からないな。何をしでかすか分からん」

「無職のおっさんお兄様」

「あっはっは! この歳で就職活動はキツいな。経歴を言ったらドン引きされる」

 クトゥルナムが発言。

「閣下、親父様は黒軍頭領、イューフェ=シェルコツェークヴァル男爵、ウルンダル王、遊牧皇帝、復天治地明星糾合皇帝、蒼天王、そして国家名誉大元帥ではありませんか。辞めると言って辞められる肩書ばかりではないのでは」

 実態はどうかなというのもあるが。

「先生?」

「権威を貶めることは出来ない。権力の座から降りて、手打ちだ」

「イスタメルの通行は?」

「触れないで曖昧なままにしたままでいい。ベーアが州に介入してからウラグマがどうにかすることだ。その時の反応を見る」

「しばらく総統代理は本当にお任せですね」

「無職代理」

 ルサレヤ先生がアクファルの頭をぐりぐり撫でる。

「次は誰がいいか……議会が決めることになってるが。お、クトゥルナム、お前やりたいか?」

「分は弁えていますので」

 尻尾出さねぇなこいつ。ケリュン族の尾骶骨を掘り出すなら刺さなきゃならないかな。

「公的な発言ではないが、中央はザラ=ソルトミシュを後継に推すのが望ましいと考えている”かぜ”だ」

 ルサレヤ先生が感じる”政治かぜ”なら本物だろうな。

「辞任強要の恨みは血統重視で無かったことにしてくれ、ですか? 古臭い。魔都通だとしても長女を後継に推すとは遊牧民の結束に一撃入れたいように見える。亡き夫の名代たる妻でもない。男子が皆死んでいるわけでもない。臨時でラシージとか、中央は考えてなかったりしますか」

「妖精軽視は、会議は年寄りばかりだからな。私も言われないと中々頭に浮かんでこない」

「お、最年長が言うと説得力が違いますな」

「それで、初代総統が推す二代目は誰だ。体制を組むなら早い方がいい。空位にして実質初代のまま戦後まで持って行くのが簡単だが」

「暫定空位でお任せします。先生相手なら魔都もウラグマ総督もあれこれ言うのは嫌でしょう。年齢を笠に着る嫌がらせクソババアでお願いします」

 翼デコピン。

「いっぎゃ!」


■■■


 砲兵、全正面全力射撃開始前。艦隊は沖で動いている。川に水軍、沖に極東艦隊、中間にセリン艦隊。

 グラスト術士が川の近くに到着。敵砲兵陣地攻略の合図はまだ。

 聖王親衛隊の手の者から手紙がこんな時に届いている。ヴィルキレクの位置情報についてで、本人の所在は不明だが近衛兵はメノ=グラメリス枢機卿管領で目撃。予備軍の位置より一地方後方。ここから前に出るか否かは不明で、幻想生物含むフラル兵と演習中らしい。

 ヴィルキレク、こんなつまらんところで死ぬなよ。

 エグセン側には白帽党軍を呼び込んだように、フラル側に回天軍を呼び込んだ。後レン朝から来た五十万の、民兵程度の戦力。彼等の練度は高いものではないが、このウステアイデンに留まる間に第二教導団が時間の許す限り訓練、強化する。民衆蜂起でもあれば実戦訓練相手、”未経験者”の度胸試しにする。過不足無い。

 しかし回天という名前は、この西方に新王朝でも作る気かという感じだが、その辺りの話を聞いても変な論法を聞かされるだけになりそうだ。

 来客が二人。髪を切って帝国連邦基準の軍装姿になったソルヒンと、おしゃれ帽子ではなく頭巾を被ったジュレンカ。

 女帝の用事が先か、と思ったら顔を見せないでうつむいているジュレンカへ、ソルヒンが気遣わし気に目配せ。この女が配慮?

「どうした?」

「やっ」

 ジュレンカの肩に触ろうとしたら避けられた。

「お前が俺を嫌なわけがないだろ。顔ぐらいちゃんと見せろ」

 抱き上げて確認。老いが始まって、髪も剃っている。

「尼将軍って感じだな。格好良いぞ」

「髪も抜けて、白くなって」

 顔を撫でる。皺、たるみ。

「骨の形から美人だからな」

「ずるい人!」

「正々堂々のはずだ」

 胸の中で丸くなった。頭を撫でる。

 ソルヒンを見る。随分と穏やかな顔、悩みが消えた? それに髪は黒くて長ければ長い程良いという文化圏の女帝が肩口の長さというのは厄介毎の気配。政変でもあったのか? 報告は無い。

「話があるみたいだな」

 ジュレンカを下ろすと「失礼します」と下がる。

「待つのは止めました。総統を辞したのも聞きました。次を考えました……」

 耳元で、口の動きを手で隠し、ささやき。


■■■


 砲兵、全正面全力射撃中。椀に入れた汁物、窓の縁、花瓶がずっと震えている。西風が吹くと埃っぽい、対岸が見え辛い。

 グラスト魔術戦団が川を凍らせる準備、予習をしている。詠唱術の文言をアリファマの言葉を、術士隊が好き好きに寝たり座ったりしながら聞いている……あんなに行儀悪い連中だったっけ?

 極東艦隊の艦砲射撃も始まり、誘爆の火球も確認され、確実に有効弾を送っていると観測気球隊から報告。

 かなり艦砲射撃がされている位置は遠く、サポリエ市の鐘楼に登った監視員からでも見えず、海からの風が砲煙を内陸に運んで空気が澄んでいる時間帯にエルバティア兵が見て、ようやく着弾の煙が上空で拡散しているような”もや”を確認出来るくらい。

 黒軍が河口部東岸に到着。遅刻したのではなく、ここよりもう少し後方で短い休暇を満喫してからの到着だ。

 さて、送り出したるダーリクの顔はどうなった? 海軍が忙しくなかったらセリンに成長した姿を寸評して欲しかったが。

 騎馬でお出迎え。歓声が向こうからやって来て『総統閣下万歳!』の斉唱。伝わっていないかな? まあいいや。

「ダーリクこっち来い」

「はい」

 顔を見る。そう簡単に変わらないか? 大量の敵を殺す命令を下して、実際その手で殺してか? ん? この歳で元々こんな顔ですってか?

「お前、生意気だな」

「意味が分かりません」

 口応えもしやがる!

 次はシルヴ。手で誘って、その辺を馬でぶらぶら。

「ダーリクどうだった?」

「逃げたって話はないし、死んでないからいいんじゃない?」

「そうだな! いや、もっと何か無いか」

「うん……弾薬使い過ぎ? 処刑に銃弾使えって命令してるみたいね。即死しなくてもとどめも刺さない、みたい。あんたお得意の目玉抉りで放置とかもしてない。そういう話」

 速度重視。黒軍のラーム川北岸での状況は、大急ぎではないにせよ、前線を押し上げているベーア軍は憂慮すべき。接触前に引き上げるのなら手早く動くのは悪くない。

「命令違反?」

「じゃないけど」

「指導に反する?」

「別に。何、息子叱ってみたいの?」

「いやいや、失敗してないかってな。何かあれだよ、俺に遠慮してちょっと隠してないかってよ」

「あんたと妖精と、あと白い虎の読経連中? のやり方がしつこ過ぎるの。ああいったのは誰もやれなかったんじゃなくてやらなかったの。分かる?」

 シルヴに叱られた!

「で、総統辞職ってホント?」

「ホント」

「辞職って意味あるの?」

「分かんない」

 黒軍の部下共の世間話を、風に乗って来たものを耳で拾う。

「もう総統じゃねぇってどういうこと!?」

「めんどくせぇ家の仕事は女共に任せて戦場に専念してくださるってこった!」

「うぉおお! 大元帥、復天治地明星糾合皇帝万歳!」

 こんな感じ。

「シルヴ分かる?」

「さあ。あんたが死んだら良く分かりそう」

「だな。次の総統お前やるか」

 シルヴに襟首掴まれて引き寄せられた。馬が驚いて止まる。

「昔、板切れの上で駒遊びしたことあるわよね」

 この声は半笑い。


■■■


 水上騎兵左翼軍がサウゾ川西岸部へ海上から上陸して少し。極東艦隊の艦砲射撃と合わせて、この河口部を担当する敵砲兵陣地の無力化がほぼ成ったと信号火箭を発射。炎色反応の鮮やかな花火であるそれが観測された。

 渡河作戦開始。

 サウゾ川河口部の凍結をグラスト魔術戦団が開始。流水を制御せずとも詰まる死体で水位が上がっており、水流も鈍化。上流側では灌漑水路が制御されて水位が下がっている。絶対水量、流量が減り、凍らせるべき容積が減少。氷面に出る死体は踏むと崩れるので凍っている必要はあるものの氷中はその限りではない。好条件。

 どうせ死ぬならばとジュレンカを隣に「死ぬなら傍で死ね」と連れてきた。騎馬捌きが衰えているような感じはしない。

 第二教導団の団長の引継ぎは簡単に終わっている。帝国連邦軍は集団の長の一人二人、三人四人と死んでも動き続けるのが基本だ。回天軍の能力は……現状、正規軍同等になった方が良いと考えている。

 中々、早死にすれば良かったと後悔させてくれない。

「前へ!」

 渡河開始。氷を馬蹄が削る。

 浮いて凍った死体を踏めば骨が砕けて肌が破れる。

 氷下にある無数のバラバラ死体、変形した顔の一部が上を向いている。女は髪が流れた形。爆発で入水させた結果だ。

 こちらの前進に合わせて、東岸の砲兵が友軍誤射を避け、別目標の破壊、移動の牽制のため着弾位置を修正し始める。

「化学戦用意!」

 攻撃準備射撃で散らばった塩素瓦斯雲が広がる、造りの甘い敵の前線陣地。塹壕の一角、堡塁が丸ごと潰れている箇所多数。飛び散って地面に刺さった砲弾片の中にはまだ煙が上がっている物がある。

 砲弾を撃ち込みまくっても形を保っているのが現代に求められている塹壕だ。これは不合格。

 先頭部隊が適宜下馬し、時に高い視点を得るため馬の背に立ち、塹壕を南から北へ進む。

 先ずは遠くから、塹壕の陰から頭を出しているような不用心な、疲れ切って集中力の無い敵から小銃狙撃。狙撃を警戒して頭を引っ込めたり移動するので、そこへ擲弾矢で曲射。そのもう一区画向こう側には毒瓦斯弾頭の火箭を撃ち込んで追い塩素。この支援の下に下馬兵が手榴弾、火炎放射器を多用しながら前進する。

 抵抗微弱、敵兵の射撃は陰に隠れて照準もつけない盲撃ちが多い。

 砲撃による死体ばかり。生存しても震えて怯えている、祈っている者が多い。

 防毒覆面を装備している兵士がほぼいない。口を濡らした手拭いで覆っているばかりで咳き込んで、窒息寸前、死んでいる者も多数。装備不足が顕著。時間稼ぎの生贄か?

 それから半分少年のような青年が目立つ。徴兵年齢を偽ったような少年から、腰が痛いが口癖のような老人まで。フラル東部軍には少なくともこんな連中はいなかった。だらしない大人はいたが、そこまで。

 下馬兵の前進に合わせ、騎馬兵が側面に回って半包囲、また適宜下馬。砲撃によってほとんどの敵兵は塹壕に隠れている。角度を変えると姿が見え、銃と擲弾矢で隠れ場所から追い出し、追い出された先で別の部隊が殺す。

 この要領で潰して敵前線陣地南端部を粗方制圧したら後方の砲兵陣地へ向かう。

 沿岸陣地を突破し、南端の砲兵陣地も攻略した水上騎兵隊が進んでいく姿を確認。連絡して現状を確認し合う。

 この間に黒軍の後続部隊が騎馬砲兵を伴って河口から渡河。黒軍の占領地域を譲る。

 水上騎兵、上陸部隊の先頭に立つアズリアル=ベラムトと接触。砲声、銃声が喋る時にはうるさい。

「黒軍は直ぐに西へ行く、フェルシッタ市だ! あれが解放軍の中核になる! 予備軍はかなり無茶な、残念な動員で出来てる。精鋭を置くべき陣の端でもこれだ! 強力な予備はいるかもしれんが何とかしろ!」

「はい、大元帥万歳!」

「アクファル! ルー姉さんに竜跨出せ。艦砲で先導させる」

「はい無職お兄様」

 竜跨兵は東岸で待機しているので伝令が行ってから飛行して、と少々時間は掛かる。

 水上騎兵の砲兵陣地攻略、河口部からの後続部隊の北進、東岸からの渡河上陸、三方からの攻撃を、砲弾と毒瓦斯を浴びつつフラル予備軍の前線は端から縮んでいった。

 意表を突く速さは時に火力に優り、火力を伴うと大体の敵に勝る。

 上流、高地管理委員会との接触までどのくらいかかるか? それなりに距離はある。二日で花丸、三日でそこそこ、四日でばってん。

 フラル解放軍が気になる。

 何となくこの準備万端、己を最強にして敵を最弱に貶めた後では力押しでフラルの戦場も解決しそうだがもっと工夫する。

 やはり何でもやって、油断しないで突き詰めて工夫して、徹底的に勝って条件を飲ませるかその口自体を消滅させるのが戦争の楽しさよ。

 バラーキたる魔王、イバイヤースのお手並みも拝見したい。手が届く範囲の親衛隊が忠実で強いのは当たり前。管理困難な属軍がどんな役割を担って働いているかで大国の器が知れる。


■■■


 状況報告。

 サウゾ川西岸陣地制圧。ヴィルキレクも幻想生物も、神聖教会の象徴とも言える奇跡を扱う術兵もほぼ確認されなかった。こいつらは時間稼ぎの生贄だった。

 さて、聖都で目撃された”凄い奴等”はどうしたいのか。凄い強い少数精鋭部隊でも使ってこの無職の首でも取って遊牧帝国伝統の内戦も引き起こせると思っているのか?

 上流山岳部でのフラル高地軍との戦闘は継続。下流から上流にたどり着いた部隊が麓から包囲し、補給線を断てば先は長くない。

 壊走する敵兵は騎兵が殺害を前提に、全体方針と異なり捕虜は部隊毎の余裕に応じて取っていく。進路上の市町村、全てに逃げ込んだ前提で攻める。フラル解放軍の動向を確認後に処分を下したいが、急いでいる時は抹殺処分。進路上に民兵が散らばる危険性を排除。

 黒軍は、極東艦隊の艦砲射程圏内を意識して西進。

 水と食糧の補給目的が無い限りは町村程度の居住地は無視するか、外出禁止の警告を発する。黒軍単体では全てに攻撃を加える余裕は無い。

 そして道を進む者、農作業中であろうと、居住地外を歩く者は殺していく。何か、こちらの重要な情報を手にした斥候伝令、通報者かもしれない。

 進路上に都市規模の居住地、多少小さくても要塞機能を持つ。艦砲射程圏内にあれば攻撃できる。以前までの浸透作戦は退路を無視して突っ切るような無茶をしたが、本来はこのくらいの安全措置は取りたい。

 竜跨隊、クセルヤータがルーキーヤ姉さんにこちらからの砲撃指示を送る。沿岸に立って手旗信号で済めばそちらでも良い。

 戦艦の砲弾は凄い。頑張って前線に運んだ列車砲がのろのろ撃つような砲弾を、何隻も集まって釣瓶撃ちが出来る。

 エーラン式の伝統的な凝固土の塔、城壁など乾いた粘土のように崩れる。着弾箇所は元より、衝撃が伝わった範囲に亀裂。脆弱化すれば自重に耐えられず倒壊が連鎖。隣り合う壁材が支え合う構造であればある程崩れるのが早い。大砲を塔、城壁に設置していて重心が高い程壊れやすい。

 都市の位置が岩陰など直接照準が出来なくても砲弾を撃ち上げ、曲射で破壊可能。前時代の大砲など子供の豆鉄砲。

 教会鐘楼に直撃すれば割れた鐘の音すら残さず吹き上がる瓦礫と埃に換わって市街地に降り注ぐ。

 大き目の地図に名すら記載されない非主要都市は艦隊一斉射撃でほとんど機能を停止する。

 着弾地点は粉々、巨大な弾痕は敷石だろうと剥して周囲に散弾となって飛ぶ。

 爆風、轟音、破片の雨の組み合わせで住民の気力、判断力などは消し飛び、ただ怯えるだけになる。

 着弾の外でも地面に伝わる衝撃で高層建築、掘っ立て小屋は倒壊。屋内で火が使われていれば火災。巨大な焚火になる。それが輪になれば炎が合体して火災旋風。

 屋根瓦、窓硝子は割れて刃の雨になって窓際、軒下の通行人に注ぐ。

 橋は直撃しなくても割れて歪み、通過困難。橋の上に家が建っているようなところなら更に悲惨。

 降伏勧告はすんなり通らないことがある。指導者層の気力まで粉砕してしまって、火災が市街地各所に広がって統率を欠いて交渉どころではない。

 西進を続け、極東艦隊と連絡を出来るだけ頻繁に交わしていると目当ての情報が入る。

 ペセトト水上都市がフェルシッタ市を意識した位置への着岸を確認。連絡船を派遣したところ、南大陸種族が混在する編制でペセトト妖精は少なく、代表組織名称はフラル解放軍。代表者は北フラル総督アデロ=アンベル・ストラニョーラ。

 代表からの手紙も預かる。挨拶の文は読み飛ばして……、

 フラル諸国民の解放。偉大なるバラーキ、エーラン帝国の正統後継であるイバイヤース魔王陛下の御威光の下、聖なる神を悪用する神聖教会を打倒して自由と民主共和制を復活させる。

 聖皇や聖女、枢機卿に司教のような領国を統治する強権的な存在は廃止。しかし神聖教会自体は廃止しない方針。

 ……マテウス・ゼイヒェルの原理教会派の活動には言及していない。事情を把握していないか、多少分かるがそこは交渉次第と考えているかのどちらか。

 それから、互いに海の向こう側にいたので是非とも相互理解を進めたいとのこと。

 場合によっては魔王からも独立、こちらと両天秤に掛けた両属、などなど選択の余地はあるか? ロシエにも声を掛けているだろうか? 何の事前交渉があったとしてもどれだけの権力と権威を最終的に手にしているかで形態が決まる。

 返事。

 捕虜、占領下の民間人からフラル解放軍参加希望者を募集出来る。

 フラル軍、いや区別をつけるために神聖教会軍と呼び方を変えた方が良いか? その鹵獲兵器を譲渡することも可能。

 原理教会のマテウス・ゼイヒェルとの会談も望むか?

 後は? 書くことが多すぎるかな。

「アクファル」

「はいお兄様」

「手紙は一応書くが、たぶん色々と抜けてる。俺の代理で行って不足は補っておいてくれ」

「無職代理します」

 クセルヤータの竜跨隊、出発用意。

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