第520話「第一次計画後退は佳境」 ノヴァッカ

 トレツェフ市北部郊外、モルル川南岸。北岸西部にエグセン人民共和国旧シュターカレル伯領、東部にマインベルト王国が見える三国国境地帯。ここに鉄道車道の併用橋が架かる。これは帝国連邦軍が建設した。

 併用橋は水上騎兵軍が運用する最も大きな河川艦でも通過出来る高さ。計画洪水に対応した橋脚と基礎工事もされている。

 水位の上げ下げの度に土壌流出で基盤が弱ってしまうため、ザモイラ術士隊が交代制で、合唱するような集団魔術である”詠唱術”で術工兵働きをしている。それによって橋脚基盤周辺を氷結した泥で凝固土並みに固める。

 敵水軍の船舶運航妨害目的で、かなり頻繁に周期性も無く洪水と渇水が繰り返される。普段は規律が弛緩して犬か猫みたいにふらふらしている彼女達も忙しい。

 最近では橋を渡って北の戦場へ向かう大砲、砲弾の数は減少している。

 補充兵はほとんど渡らない。

 食糧に医療品、消耗品の需要は尽きない。

 連絡将校や医療関係者の往来は増えた。

 代わりに野戦病院で応急処置を受けた大量の負傷兵が戻って来る。

 負傷兵達は、軽傷程度なら臨時休暇で済まされる。

 重傷なら一度、後方の病院に送られる。そこから長期休暇か除隊措置が取られて故郷か疎開先に送られる。

 疫病に感染している場合は隔離施設へ。

 不具から復帰する治療が必要な場合はスラーギィの病院団地まで送られる。

 疲労著しい兵士は無傷でも戻ってきている。戦線の後退縮小で人手余りになった者も同様。

 装備類は戦場から戻さず全て現地で使い切り、放棄。放棄品は全て地雷で破壊する予定。その爆薬も放棄品。帰りの列車の貨車を圧迫しない工夫。

 レチュスタル線と呼ばれたエグセン人民共和国最後の防衛線、中核のレチュスタル市は放棄された。第一次計画後退に従い、モルル川北岸は順次放棄される。

 併用橋を渡って戻る者達の一部、戦場帰りの尖兵、個別契約傭兵を迎える天幕張りの窓口がトレツェフ市北部、旧壁外地区に複数設置される。そこでは任期修了申請を受け付けている。以前に旧シュターカレルでも手伝っていた仕事だ。

「重たいよ?」

「お腹に力を入れます」

 型枠が入った書類鞄を資料課のラマフィーヤさんに手伝って貰って背負う。肩掛けでは大変になる程度の文書量。

「よいしょ!」

 腹に力を入れて、膝を使い、腰への負担を回避しつつ立つ。

「力持ちねー。でも士官さんに悪いわね」

「幼年教育課程の准尉というのはどんな仕事もするんです。将校で下士官、しかしどちらでもないって感じですね」

「まっ、頼もしい。でも出世は? 少尉さんより下なんでしょ」

「准尉のまま大学校に入って高級将校にもなれます。それと階級より役職、経歴ですね」

「上司になったらよろしくね」

「評価は働きに応じて下します」

「あら厳しい」

「つまりラマフィーヤさんは高評価です」

「まあ嬉しい。この前生まれた孫もあげちゃう」

 外回りの仕事を請け負っている。

 ここには各病院から個人認識番号、所属、官姓名と寝台番号が一致している書類が送られてくる。それを元に資料課で照合して作った任期修了証明書、銀行手形を発行して封筒に宛名を書いてまとめる。それを配達しにいく。

 旧壁外から旧壁内へ進む。

 疎開が済んでいるので民間人に見えるのは全て軍属。

 休暇中の戦場帰りが緩慢な動きで暇を潰している。

 憲兵が、嫌われ者の目線で見られながら巡回中。

 街灯の下でぼやーっとしているザモイラの同胞同志の頭を「よーしよし」と撫で回す。

 外套の被り物で顔を見せないようにしているのが基本で誰なのか分からないがそんなことは関係ない。同胞同志なのだから。

「んー? あっ、ノンノ?」

「誰がノンノだ!」

「ヴァーこ」

「ノヴァッカ!」

「うぬ」

 メリカのアホスケ、変なあだ名と一緒に自分の話を仲間内で広めているようだ。

 重荷を背負っての移動は暑い。汗が止まらない。帽子がむれる。内帽を被っていなかったら汗が目に入って大変だった。

 広場にはランマルカから持ち込まれた新型の自動人形が宣伝工作舞踏をする姿が目立つ。

「カワイイニャー! カワイイニャー!」

 猫を思わせる頭部、少女を思わせる体、猫を思わせる尾を持ち、しかし本物の姿からあえて遠くされたカワイイ型自動人形が、仮に猫少女型愛玩人形という玩具があって生命が宿ったら、と思わせる発声と動きを披露。にゃんにゃんねこさんが持つ宣伝効果の逆を狙っているらしい。

 一つ目の訪問先は一番の大病院。

 施設内では、普段は患者達が庭で空を眺めたり新聞を読んだりしているのだが、今日は何か催し物でもあるかのようにそわそわしている。騒がしいのとは違う。

 警備の兵士、警察、役人まで揃っている。

「こんにちはー。内務省でーす」

「はーい、ご苦労さまでーす。あっ、美人ちゃんだ」

「どーもー……どうしました?」

 窓口で受付係に挨拶。まずは出入時刻表に所属と姓名を記入して”入”の時刻を、玄関に置かれた振り子時計を見て記入。

「シュラージュ様がいらっしゃってるんですよ」

「慰問ですか、なるほど」

 この大病院には院内に配送組織があるのでそこの窓口にまとめて封筒をまとめた包みを預けて終わり。

 大きな荷物から、多少遠回りの道を行っても先に下ろして次への道中を楽にするのが配送業務のコツ。

 院内を移動する道中に噂のシュラージュ”姫”がお供に囲まれていた。人垣は護衛に侍従、院長に婦長、我が内務省からも将校。見た目だけでやかましく、玉体はほぼ確認出来ず。

 知り合いのうちの将校と目が合ったので会釈。そうすると視線が強い……いや、確かに、専門家と言えばそうであるが。

 目で会話して、書類鞄を背負い直して、仕事があるのでこれにてともう一度会釈で返事。

 ”出”の時刻を記入した次は、住宅や大型施設を臨時改装した通称病院団地へ。

病院団地も大病院同様、配送組織があるのでそこに包みを預けて終わり。

 次にこれから大変なのは独立した”小”病院。そこにいる歩行困難な重傷者宛ての配達。足腰の骨折、切断、銃創。部位にかかわらず寝たきり。這って来いとは言わない。

 封筒とは別に病院名と寝台番号――無いところも――だけまとめた用紙を挟んだ用箋挟を手に持って病室を回る。

 配る相手は集団代表がいない個人。傭兵隊や、ほぼ強制的に作らせている地方軍人組合に窓口を集約して管理するようにしているが、戦地登用となればそうもいかない。

 病院職員、主に看護婦に手伝って貰って本人、寝台まで案内して貰って封筒を直接手渡しする。銀行手形があるので責任能力のある組織以外に託せない。

 そして「退役が認められました。給与が引き落とせる銀行手形が同封されてますので確認してください」と簡単に説明するだけ。

 初めの頃は給与について説明を求められた時にいちいち、”給与額は作戦開始日を一日目として一か月単位で換算。勲章授与数で割り増し。精勤手当とは休暇が取り消しになった分の補填。突撃手当とは書類上、突撃発起命令を下された回数”であるなどと喋っていたら喉を痛くした。

 質問には”書類に書かれていることのみです”と事務的に返事するにとどめる。

 苦情も受け付けない。

 以前までは土地所有証明書の発行など帰農策も合わせて取られていたが、計画後退の最中では保証が不可能ということで廃止された。これで土地を約束されていたはずの者から当然苦情が来るが”書類に不履行分の補填金額が記入されています”と答えるのみ。

 求婚は断る。自分は私有財産ではない。

 性的嫌がらせは殴る。

 尻を触ろうとしたら手で払ってから鼻の下を殴りつける。

 袖を引かれたらみぞおちを踵で踏んで、相手の力も利用して胸部圧迫。

 死線を潜ったせいか遠慮が吹っ飛んでいる者が中々多い。それなりに対処。

 死亡していた場合は封筒に印を付けて持って帰る。

 カワイイ踊りに参加している妖精達に混ざる。

『カワイイニャー!』


■■■


「乳デカおっぱい!」

「こらメリカ! アホスケ! おたんちん!」

 大病院更衣室にて。

 非公式愛称”姫”ことヤガロ女王シュラージュ、看護婦見習いになる。宣伝目的であることは当然だが本人の希望でもあるらしい。何もしないで高いところから眺めていることは、辛い人には辛い。

 身体の動きを拘束して労働に向かない伝統的な非生産的西方式胴部補正下着の代わりに、マインベルト製の新式胸部下着を”姫”が着用するのを手伝っていたところ。

 しかしこの表面積が比較的広いところに重たい液体にも思える”モノ”を連式凸型乳帯に詰め込んで固定するのだが、何だこれは? ぷるんぽよんどころではない。どたぷん。娘の体幹、母の乳。

 この様子を、看護らしい服装もせずいつも通りの軍装、外套を着ているメリカが茶化す。休暇中なので勝手に遊びに来ているのだ。

 ザモイラに軍規はあるのか? 余計な思考に囚われては術者としての能力が落ちるという哲学だが。

「ノヴァッカ准尉、彼女も?」

「彼等は比較的自由なのです」

「はい……?」

 対外的には彼”女”達など、情報を漏らすのは推奨されない。

「おっぱー」

「メリメリ、良い子にしないと絶交!」

「のー」

 自分の指に口付けて、同志メリカの唇へ当てる。

「分かった?」

「ぬ」

 白衣白頭巾の白前掛け姿になったシュラージュ姫。胸は下着が抑えているのでそこまで目立たない……押すと広がるものなのか?

 自分は黒い内務省軍の軍帽軍服の上に白前掛け。拳銃は前掛けの裏に携帯し、抜く動作は練習済み。

 姫の仕事は、婦長が仕事をしつつ見守りながら出してくる指示に従うこと。それ以外はしないこと。背後から気配を消して近寄らないこと。

 相手にする患者は治療も終えて自然治癒を待ち、精神が落ち着いて来た者達のみ。そして水を飲ませたり包帯を変えたり、汗を拭いて、失禁した服と布団を運び、着替えを手伝い、食事を補助。後は会話をした時に手を握って「ご苦労様でした」と声を掛ける程度。

「血だろうが糞だろうが触れることに躊躇してはいけません。後で洗えばいいのです」

「はい」

 血を飛ばしながら叫んで暴れているような患者の相手はしない。別病棟に隔離されている奇行奇声が目立つ神経症患者の相手もしない。

 自分の仕事は姫の護衛で看護の手伝いはしない。手が塞がっている時に暗殺者の襲撃があったら大変だ。

 ヤガロ側から護衛も侍従も派遣されていない。姫の要望であり、内務省の小細工。

 しかし箱入りのお嬢さんが、手足に目玉、顎までもげた成人男性の身体を触ってお世話などと慣れない仕事も重なって震えが止まらない。見ていてそわそわする。

「手は震えていてもいいですが、相手の目は見ることです」

「はい」

 横から口を挟むのはどうかと思ったが、声を掛けていないと姫が参ってしまいそうだ。背後から無言の圧力などかけたら眩暈を起こして倒れかねない。

 報道記者が看護の風景を写真撮影しに来て姫に取材。記事が書けるだけ聞き取り。

 自分の写真も撮りたいという申し出があって、うちの将校から取材を受けるように言われているので撮られる。こちらへの取材だが、機密事項に抵触しまくるのでほぼ拒否同然の対応になってしまった。

 あとメリカのおたんちんはいつの間にかいなくなっていた。猫かあの同志。

 昼休みの時間になったので病院の食堂まで移動。身分問わず、その現場の食事を取るのが帝国連邦軍。その慣例に倣い、宮廷料理人の手が掛かっていない物を姫も食べる。

 食事の前には姫の手を取って洗いっこ。


  洗いっこしましょ、洗いっこ

  お手手を滅菌、病気を予防

  指の間に爪の先まで

  きれいきれいで大勝利


「大勝利!」

 姫は赤面、看護婦達は爆笑。周囲に暗殺者の動き無し。

 病院配給の黒パンと豆の汁を食べていると、いつの間にかいなくなっていた同志メリカが戻って来た。

「メリちゃん、あなた員数外よ」

「かんかん」

 そう言って卓に並べたのは帝国連邦、マインベルト、ザカルジン、ランマルカ製の戦闘糧食の缶詰。同志メリカは短剣を取り出して「かんかん」と言いながら四つとも開封。

 香辛料で色づいた焼き飯、縦詰め豚腸詰、鶏野菜汁、黒い汁……なにこれ?

 同志メリカは黒汁以外のものを、短剣を食器代わりに食べる。姫が、歯に刃が通ったらと想像したのかえらく痛そうな顔をする。

 想像……なんか歯に染みる。

 黒汁だけが残った。

「メリちゃん、お残しは駄目よ」

「ノン」

 食え、と差し出された。

「ノンじゃありませんー」

「ぬ」

「食べられるものですよね?」

 姫が今日、初めて私語と思われる言葉を発した。

「缶詰の蓋にはランマルカ語で戦闘糧食一号と書かれています。食べられます」

 姫、匙で黒汁を掬って口にした。

「ん゛!? え゛っ!」

 咄嗟に口元を手で覆い、右左窺い、涙目になって飲み込んで「んあっ」と言ってから豆汁の椀を手に持って、作法を無視して嚥下。

「そんなに不味いの? ちょっと、メリカ、あんた、何これ?」

「かんかん」

「ええい、このザモっ子め」

 姫はまだしかめっ面。何だか鼻摘まんだり、鼻を啜ったり、高貴な仕草が台無し。

 あそこまで激烈な反応をされると気になってしまうもの。こちらも黒汁に手を付け、口に入れる。

 ――曇天の夜空

 ――雷鳴の一閃

 ――この世の絶望!

「いぎゃっぎゃ!? うげっ、マジ糞! べっ!」

 しょっぱ、くっさ、重たっ、しつこっ、ぷるくちゃ、にゃんぷー。

「くっさ、くっせ! んぐぁっ」

 姫がまだ辛そうな顔で笑う。おっ、笑った。

「んぇー、ちょっとあんた食べもんこれ!?」

「ぬぬ?」

 同志メリカ、黒汁缶を手にして口の中に流し込み、平気な面で咀嚼開始。

「大丈夫、無理してない? 嫌ならぺっしなさい、ぺっ。お腹壊さないのも軍務だよ」

 同志メリカは飲み込んで、口を開けて舌をべろっと出す。

「えん」

「あんた頭おかしんじゃないの!?」

 勢い良く食堂に踏み込む足音。姫の侍従が顔を出し、怒られるかと思ったら「陛下がこちらへ!」と一言。

 苦しそうな顔だった姫の瞳が輝いた。そして絶望。

「口の臭いどうしよう!?」

 後に聞いた話。

 ダシュティン市の放棄が開始された。モルル川南岸の戦線が後退する。


■■■


 モルル川南北の岸に渡る併用橋のお役目も最終局面。

 車道は馬車が行く。鉄道の役目は終了し、その線路上を兵士が歩いている。

 橋の裏側では爆破のため、工兵の手により爆弾が設置されている。

 複数張られた電信線も一部撤去、巻胴に巻かれて回収。通信員が綱引きするよう、加えて断線しないように緩ませ、慎重に引っ張っては巻いてを繰り返す。電線は金属、まとまれば塊。重量物。

 通信隊の同志サマラが同僚達と汗だくになっているのを遠目に応援。頑張れ、と握り拳を上げて見せたら「ふげぇらぁ」と鳴いていた。

 ダシュティン市放棄からの計画後退は進んで敵軍はトレツェフ市に迫っている。制御されてはいるが、シュラージュ姫がヤガロ東方国境線にまで退いた程度の戦況。

 怒涛の勢いでニェルベジツを落としたベーア軍の一部、ヤガロ横断の中央戦力の前進は停滞していたが、防衛線の一つを破って東進再開。停滞時の砲弾投射量が少なかったにせよ二十倍以上に膨れ上がったそうだ。

 第一次計画後退も佳境。間も無く我が故郷、マトラ山脈西部が戦場になる。バルリー人を駆逐して以来、今日の戦いに向けて無制限拡張された山岳要塞へ。

 今回の仕事は内務省軍の実働部隊と共に、この併用橋を渡って”偽兵士の盾”を管理しながらエグセン革命防衛隊へ引き渡すこと。偽兵士の構成員は捕虜や犯罪者、生存が望まれない者達。

 今戦争では捕虜を基本的に取らないが、処刑処分待ちであったり、一般犯罪者だと思われていたが後に敵国軍人や工作員だと発覚するなどの経緯で発生することはある。

 反乱分子。ベーア主義者、旧バルリー主義者、ブリェヘム主義過激派、反原理教会主義過激派、反疎開過激派。政治犯でもあるが、過激な政治活動の結果一般犯罪者になった者もいる。

 脱走、抗命、汚職、私闘など軍事犯は何時でも出て来る。

 彼等には故障、加工して使用不能にした小銃を持たせる。軍服も型は気にせず中古を着せる。鉄帽も穴が開いたり、割れたり、凹んだりで使用済み。尖兵、民兵、兵士ですらなく偽兵士である。対砲兵戦で大砲の偽物を用意する要領。

 彼等に対する命令違反防止措置は主に三つ。

 にゃんにゃんねこさんを乗せた輿を担がせる。

 武器を捨てようとした者の手に穴を開けて、錆びた廃鉄線で巻いて武器を固定。鉄帽の場合も似た処置。

 軍服を脱ごうとした者は、背中を針と糸で縫い付けてから石油を塗る。化学火傷と布地を巻き込んだ自然治癒、乾燥で張り付く。また毒性もある。その苦痛から自殺志願が多い。

 脱走者にはその両方を適用する。抽選でにゃんにゃんねこさんに加工。

 現在、後退したレチュスタル線、モルル川北岸で行われている最後の戦いでは殿部隊を務めるエグセン人民軍内で反乱が多発している。それも組織的に指導されたものではなく、個人の自発的行動が顕著に見られるということから根が深い。

 反乱原因の除去は困難とされた。人民共和国領完全放棄への動揺、疲労の限界、生命の危機。虐げてきた者達への復讐の機会が激戦の中に生まれている。

 敵の宣伝工作の影響も強い。ベーア主義者に転向して降伏すれば無罪放免、故郷へ帰し、人民兵期間の給与も支払うという約束を謳っている。

 反乱の動機を幾つも持つ彼等を、状況を変えずにある種救う方法がこの”偽兵士の盾”。最下層だと思っていた自分達より格下の集団を置き、後退する最前線の殿として全滅するまで戦わされるのではないかという疑念を払拭させる。

 道中、カラミエ人民軍総司令官ヤズ・オルタヴァニハ元帥の姿が見えた。エグセン人民軍を督戦するエグセン革命防衛隊を、更に督戦するカラミエ人民軍の長。怒りも悲しみも通り越した無表情。目線は合ったが。

 前線まで”偽兵士の盾”を監視、適宜措置を施しながら砲声轟く最前線の近くまで移動。エグセン革命防衛隊に引き渡す。

 少し懐かしい、ジョハ・アンネブローさんが受取人を務めた。以前から毒にも薬にもならない私信を送ってきていたのだが、意識の下では死んでいたものと思っていた。

 エグセン人民兵の消耗率は九割越えであり、革命防衛隊も七割程度。背後からの督戦もあれば前に立つ先導もある。カラミエ人民軍の督戦もまたある。

「受け取りの署名を下さい」

 受領証を挟んだ用箋挟を差し出す。

「受領?」

「彼等は兵士ではありません。資材です」

 アンネブローさんが偽兵士達を見やる。壊れた小銃、ボロ中古服、変形した鉄帽、体調不良や精神不安定さから震えている。

「こんな部隊を本気で?」

 部隊扱い……説明しないと使いどころが分からない?

「人民軍の前に、盾として配置してください。平服姿ではないので敵の攻撃対象になります。従来の”人間の盾”は民間人の姿をした弾”避け”ですが、この”偽兵士の盾”は弾”寄せ”です。計画後退時に有用でしょう。生還させなくて結構です。逃がさない方法は指導しなくても分かりますね」

「君はこれでいいと思っているのか?」

「その私の心情を掘り出そうとする私的な発言は止めてください。仕事の邪魔です」

「……あと、噂か嘘だと思うんだが、人民軍が一旦解散になるというのは?」

「エグセン及びカラミエ人民軍はマトラ山脈防衛線に配置されない予定です。軍事機密の多い施設を使わせたくないということでしょう。この計画後退が終われば一度両軍は解散となり、疎開先に送られます。再度軍を編制するかどうかは全て状況次第ですので断言することはありません。

 それから、負傷者の後送処理に少し前まで携わっていましたが、もうそういう流れです。終わりがちゃんとあると人民兵にあなたの口から告げてあげてください。無用な反乱で死ぬことはありません。こちらの広報部から伝達がありませんでしたか?」

「あんな宣伝紙、誰も信用していない」

「過酷な環境に追いやったのは事実ですが、騙したことは無いはずです」

「人民共和国!」

「建国は嘘ではありません。亡命政府広報はご存じでしょう。それに祖国は戦線を押し返した時には復活します」

「焦土でか!?」

「声が大きいですよ。その通りですが。では署名を」

 用箋挟の受領証に署名がされ、こちらに返そうと、しない?

「アンネブローさん?」

「大声を出して悪かった」

「そういうこともあるでしょう」

「最期になるかもしれない」

「はあ」

 アンネブローさんが膝を突いて、懐から小箱を取り出し、開いて指輪を見せてきた。

 西方の習慣では……。

「ダメっ! 私は私有財産じゃないの!」

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