第518話「再洗礼、祝福」 マテウス

 包囲後、ベルリク=カラバザルの呼びかけで無血開城したイスルツ市。その大聖堂。美術品、貴重品、隠されても略奪されてもいない。

「協力出来ません」

「私はアタナクト聖法教会の誤りをセデロ修道枢機卿、あなたから学びました」

「幻想生物もしくは幻獣と呼ばれる存在を聖別し、聖なる存在であると認めることを否定しました。純粋自然の存在ではない魔なる力かそのようなもので改められた生物は聖なる神が創造されたものとはかけ離れていると。それらを政治的に認めて利用することに関しては俗なる事柄なので私のような修道士がとやかく論ずることではないとも」

「私は初めて千年以上の牙城を誇って来た彼等に異論を唱えることを知りました」

「常に提唱される教義、行いが正しいか疑ってかかることを不信心だと思いません」

「アタナクト聖法教会派とその象徴である聖皇、聖女が行う世俗統治、干渉は聖典に記載の無い行いで、信仰を守るという解釈を極限に拡大していると考えます。老いた親が、自立し家族もいるような子供に対し未だに行動の全てを監視、指導しているかのような歪さです」

「教会発足当時は自己防衛手段として考えられたことで、教義とは分離して実行されたことです。必要に迫られた結果ですが、確かに教義にはありません……自立している子もおりますが全てではないでしょう」

「教義であると知る者、知らぬ者をねじ伏せて収奪してきた事実があります。私もストレンツでそれに加担してきました。腐敗や不合理を見て、してきたのです」

「そのような罪が見逃されてきたことは存じております。罰が下されぬ、下せぬことも」

「今その手から離れる時です。全面的な世俗統治の復活、聖なる統治指導の廃止、聖戦軍などの戦時協力の強制力を伴う指導の廃止。教会税や聖戦税の廃止。これらは世俗権力が独自の利害に基づいて調整するものです」

「それが自然の姿でしょう。最善であるかどうかは歴史的評価を待つ必要あるかもしれませんが、歴史学の専門家ではないので現在の評価を下すことも私には出来ません」

「現在の評価は今、目の前にしておられます。悪魔的帝国連邦は今、信仰を試しています。私の提唱する聖典原理主義に改宗する者を生かし、旧教を堅持する者を聖戦主義者として、占領統治に叛旗を翻す反乱分子と見做して抹殺するとしています。あなたが改宗の音頭を執ってくれれば多くの信者が恭順し、助かります。その求心力はセデロ修道枢機卿、兄弟、あなたにあります。これはまるで教義に反するような行いかもしれませんが、考えるにそうではありません」

「迫る災厄が如き殺戮から信者を守るための改宗。マテウス殿の存在に関わらず殺戮は実行される。その被害を未然に防ぐために悪魔の恐怖を利用しているように見られてでも改宗を進める。そのような考えで間違いありませんか」

「その通りです」

「心からの改宗ではない、信仰の秘匿の下の改宗でも進めたいですか」

「その通りです。恨みを買うというのであれば私が一身に背負いたいところですが、私には求心力が足りない。兄弟セデロにも共に背負って頂きたい。同志に!」

「協力出来ません」

「あなたが改宗を呼びかけるだけで生き残れる人の数は何割も違うんですよ! ”親”がやるというのなら、納得せずともそうする者は出てきます」

「信念に反する言葉は出ません。マテウス殿が間違っているとも言いません。ことは聖なる領域を越えて政治と本能の領域に入っています。ただの神学の徒には理解が及びません。祈ることしか出来ません」

「成せること成さずに祈るだけなど責任放棄だ! 少なくともウステアイデン人民はあなたが預かっている」

「返す言葉もありません。私の力はこの程度なのです」

「そんなに信者の命に関心が無いとは思わなかった!」

 自分には弁舌の力が足りないのか?

 悪魔の舌を持つベルリク=カラバザルならば? 同席する彼に視線を送る。

「ん、私ですか? そうですね。聖戦主義という言葉は今、納得がいきました。聖皇、聖戦軍指揮官を兼ねる現聖女、彼等には一声で全――旧教徒としましょう――旧教徒を民兵に変えられる権威があります。世俗の権力を越え、本来ならもう抵抗すべきではないと現地政権に命じられているのにもかかわらず一斉蜂起を行わせるような発言力を持っています。それに従うかどうかは別ですが、百人いて零人ということはないでしょう。教義には無いでしょうが、そう訴えかける力を有しているのは疑いない。全く完全に生かしておく理由がありません。悪魔は試すというのであれば、今、神の鞭と呼ばれるような力を振るってウステアイデンの旧教徒を試しているのは間違いないでしょう」

「兄弟セデロ! 決断を」

「私はただ、幸多からんと祈ることしか出来ません」

 ベルリク=カラバザル、席を立った。


■■■


  聖なる神の祝福あれ

  聖なる神の祝福あれ

  聖なる教えを私は今日も信じる

  聖なる教えを私は今日も信じる

  聖オトマクからの信仰を貫く

  聖オトマクからの信仰を貫く

  諸人募りて礼拝へ来たれ

  諸人募りて礼拝へ来たれ

  篤き正しき信者こそ招かれん

  篤き正しき信者こそ招かれん

  教会の扉は開かれた

  教会の扉は開かれた

  聖なる教えを私は今日も信じる


 会談後、イスルツ市の礼拝呼びかけは、市内各所の尖塔から通常通り行われた。

 礼拝所に集まる人々へ聖典を手に行う説教は、今日は在地の聖職者に代わって我々新教の修士が行う。改宗聖職者は少なく、人の縄張りを冒す形なので人々の見る目は非常に厳しい。

 石、糞、投げられる覚悟でいる。いるが、街路中に帝国連邦兵、それも極東顔の遊牧兵が武装警戒しているのでそのようなことは暴動にでも発展しない限り無いだろう。西の人間から見るあの異相、本能に訴える。

「私達は聖オトマク軍を名乗る、聖典原理主義の者達です。今の聖都が唱える俗に塗れた教えや行いに異議を唱え、否定して本来の正しい教えを広めるものです。衝撃的でしょうが聖皇や聖女に敵対しています。

 帝国連邦軍のような怖ろしい悪魔に利用されているのは間違いありません。認めましょう。しかし今、形だけでも信仰を改めるという姿勢を皆さんに示して欲しいのです。そうでなければ、そうでない者は全て殺されてしまいます。

 今、まずは生き残りましょう。聖歌、プリワオスの星を思い出してください

 聖なる神は、種よ広がれと言われた。人よ集まれ、火よ高まれと言われました。先人達はこの教えを実践して今日まで我々の代まで繋いでくれました。生き残ってきました。

 我々も生き残らなければなりません。悪魔からの、未曽有の殺戮の手から逃れましょう。我々の弱さを自覚し、子孫の代へと繋げるために悪魔の試練を通過するのです。

 今、我々は誰の手の上にあるのか。悪魔の大王ベルリク=カラバザルです。弱くて小さい我々の力では到底、逃れることは出来ません。改宗して凌ぎましょう。殺されない条件は改宗あるのみなのです。納得するのは難しいと分かっています。

 聖都によって歪められた教えを皆さんにじっくりと説いて受け入れて貰いたいのですが、今は時間がありません……そろそろ」

 沈黙して待つ。

 角笛の吹奏、長音が六回。

「あれが五から四、三そして終わりの吹奏になった時、未改宗者は皆殺しにされます。

 今は心の内で聖都の教えを信じていても良いでしょう。これから表向きだけでも改めるために我々が再洗礼を施します。納得は後からで構いません。私達聖オトマク軍を恨んでも構いません。この説明が終わったら街から出て、子供や老人も、助けたい家族や友人を連れて再洗礼の列に加わってください。儀式を通れば己が身には何事もありません。

 これは脅迫で間違いありません。あなた達を救うためなら脅迫でも何でもしようと思います。

 まずは単純に考えてください。生か死か。生を選ぶなら外で出る列に加わりましょう。私達は生を選んで欲しいと考えます。今は死ぬ時ではありません。

 聖典には信仰の秘匿について記述があります。聖なる神の教えが虐げられている国にて、その身を守るために信仰を他者へ秘匿し、偽ることです。これは自分や家族、友人、隣人が危機に陥っている時において許されている行為です。かつて聖オトマクも、旧エーラン帝国と対立した時に用いた記述があります。力及ばぬ時というのは誰にでもあるのです。

 私達、聖オトマク軍があなた達を救う方法はこの呼びかけ以外ありません。出来ません。どうかまずは外へ……」

「セデロ様は?」

 市民の声。

「……皆さんの幸せを一心に祈っておられます」

 あの人の言葉に自分が、付け加える!? 騙すことは罪か? 罰は幾らでもいいが。

「生きていなくては幸福は訪れませんよ」


■■■


 我々の改宗は組織行動。共同体の長を改宗させて大枠を取り、個々人の改宗はその後、ゆっくり。全面的に浸透するまで数十、数百年後と考えていた。

 このイスルツ市では長であるセデロ修道枢機の改宗が失敗している。市長は別にいるが、彼を差し置く存在ではない。

 市内各所では同志、修士達による住民への説得が試みられている。

 心情としては九割以上改宗反対。脅迫により七割以上が改宗に賛成。反対暴動を起こそうとして即殺害されたのは全体から見れば少数。武装する東方遊牧兵の、言葉が通じない姿は怖気づくに十分。

 千年以上に渡って精神を占めてきたものを捨てることは難しい。”親”に従うのは自然なこととすれば尚更。

 街を一度出るか、出ないかが虐殺の境目になっている。猶予は一日も無く、すぐに出るように促さなければならないが、住民同士の話し合いや、改宗を覚悟した子供世代が老人を連れ出すところで揉める。もう年老いたのだから死の運命は受け入れると。

「お前等馬鹿か! あいつらが安らかな死などくれるわけがないだろ! どこかに詰め込まれてゴミみたいに焼かれるぞ!」

 市民協力者がいる。我々修士では口に出せない言葉を出せる。それから酷い臭いがする樽が街に運び込まれているのは確かだ。彼等は石油を使う。

 協力者は上流階級が多い。次の権力者側、議会議員になれる側。改宗と”解放”後も統治機構は存続する。邪魔者が排除されることは歓迎されようが、必要な人口まで排除されては施政に差し支える。それから単純にフラル伝統の都市毎の強い結束力の表れで、同郷人を救いたいという気持ち。

 礼拝呼び掛けの尖塔から遊牧兵による角笛吹奏。長音五回。

 時間制限がある。遊牧兵達と、壁外の不可触民等が集団処刑の準備を始めている。目立つのは、広場や交差点などやや広い位置への薪や藁、材木、布切れなど燃えやすい燃料の集積。

 焦りが出た修士が住民に詰め寄るように説得をしようとして殴られる。それを見た住民達が暴動の気配を出す。

 遊牧兵が暴行犯を射殺。それから周りの住民も共犯と見て銃撃を開始。勇気ある女性が身を挺して抗議するも、顔を値踏みされてから刀で頭を割られた。

 暴動ではなく恐慌、暴走、住民が群れになって逃げ始めた。

「見ろよ坊さん、これから門に追い立てて誘導して川に突っ込ませりゃ再洗礼もまとめて終わりだ。乾いてんのと濡れてんので生死分けるんだろ。幽地思想みてぇだな」

 刀に脳漿をつけたその遊牧兵、こちらにフラル語で言葉を掛けてきた。神学素養があるようで、セレード人だろうか?

「坊主お前、今、遊牧蛮族のくせに何でそんなこと知ってんだって思っただろ」

 肩を掌でどつかれる。痛い。申し開く言葉も無い。

 改宗者だけか分からないが、門から走って外へ逃げる人流が出来た。

 角笛、長音四回。

 市街地が混雑する。通りで倒れ、踏み潰される者も出て来る。喧嘩から、殺し合いもごく一部で発生したようだが遊牧兵達は見て嗤うか、さっさと両者共に殺してしまうか。

 女子供老人、体力に劣る者が移動しようとしても出来ない。

 修士達で手分けをして弱者保護に努める。動けないなら、安全な場所で一つに固まるように。それから遊牧兵には、彼等には手を出さないようにと、言葉が通じなくても顔と声色で。

 角笛、長音三回。

 人流も濁流のような激しさが衰えてから弱者を外に出して門の外へ誘導する。

 在宅捜査が行われ、家にいる者は待機改宗者、旧教者問わずに追い出される。空き巣疑惑がある者は発見次第殺された。

 遊牧兵による遺体の扱いはぞんざいで、足首に縄を結んで数体連れて馬に牽かせている。

 角笛、長音二回。

 赤い光、火の粉、黒煙、弾ける、異臭、暑さ。虐殺は始まっていないが既に死んだ者達の焼却が始まる。

 己等の未来がこれだと目、耳、鼻、肌に訴えかけられれば駆け込みの改宗者が増えた。

 説得は言葉だけで行われるわけではないのだが、これは。

 角笛、長音一回。

 市内には遊牧兵と旧教者以外はほぼいない状況になる。ここに来て兄弟セデロ、それから市庁舎に押し込められていた旧教聖職者達が表に出て来る。手を合わせ、瞑目、祈りの声。敬虔な殉教者という姿ばかりが目に付く。

 彼等の前に行く。既に言葉は不要だとは思うが。

「最後の機会です。取り繕わず、秘匿しても構いません。外へ行かれる方はいらっしゃいますか?」

 自分の言葉に対する反応は芳しくない。異教より憎い異端者には。

「殉教は称えられます。信仰を貫き、受難により昇天した聖人は数多くおります。ここで死んで列聖されるかは分かりません。名前も残らないかもしれません。私は貫きますが、皆さんはそれに従う必要はありません。己の考えに従って下さい。例えば聖オトマク、布教と救済のためには死を厭わず、しかし何より死を回避する知恵に長けていました。己に問うてみてください」

 こう言ったのは兄弟セデロで、

「若い君達。大人に付き合う必要はありませんよ。門は間も無く閉じます。私達はもう行きます」

 これを掛ける最後の言葉にした。

 市外へと進み、後から背中を追って来る者は泣く子供、縁故登用の幼い聖職者達だけ。その一人が「セデロ様だけ連れて行かれました」と言った。助命? 特別な処刑?

 各所では集団処刑の準備が整えられていた。血の気に走る遊牧兵達、臨時診療所、斧に槌と置き台、焼却場、堰き止められた水路。

 門を出る。市外ではあちこちに人が散らばらないよう、遊牧騎兵達が点々と立ち、その外と内側を軽く駆け回って見えない柵を作り、市民の群れを制御する。

 群れ、列からはみ出そうとする者には怒鳴り、馬鞭で脅し、槍先剣先を向け、熊のような牧羊犬が主人の意を汲んで咆える。

 角笛、高い音でとても長く。門が閉じられる。市内からは銃声、悲鳴、けたたましいようで、小さいような。死に際、最後の抵抗を試みた者達に対する攻撃が散発的に行われている。

 遊牧騎兵の見えない柵の一角が解放される。囲いの”口”が開き、その”底”側に”口”が開いた分の騎兵と牧羊犬が回って圧力をかけ、移動しろと急き立てる。我々修士、聖オトマク軍もそれに間に合うように走って、集団の先頭へ回る。

「さあ皆さんこちらへ! ゆっくり焦らず、でも確実に!」

 市民の群れの移動が始まる。

 最寄りの川、イスルツ市より上流側で水が綺麗な川岸へ改宗のための、再洗礼の行進を行う。

 丸に近かった集団の形が、進むに連れて縦に、棒状に伸びる。またそうなるように遊牧騎兵達が臨機応変に移動し、群れが崩れないよう形を整える壁になる。どうしても足が遅い老人子供などは一旦脇に集め、後から列最後尾に回す。群れが縦列になっていく。

 人が羊の群れだ。

 聖オトマク軍は我々原理主義者の実働組織名。目指す姿は遊牧民そっくりそのままではないが、牧者のようでなければいけないだろう。

 迷える人々に道を示して誘導する。荒野のような質素な環境に身を置いて行動する。本能に従うなら残酷にならなければならないが、理性と信仰に従って遡るように慈愛となる。

 天啓下る。

 悪魔は信仰を試す。荒野で信仰を試す。

 これを文章にして整理して聖オトマク軍の教範としなければ。

 左前腕に帳面を置いて持ち、筆で書く。覚え書きでも、後で思い出してまとめられる程度に。


■■■


「これより聖都、聖皇、聖女、アタナクト聖法教会により歪められた聖なる教えを改め、聖典にのみ従う教えを信じると誓う者は川に浸かって再洗礼を行いなさい。生まれた時に施された小児洗礼という誤りを捨てなさい。入ろうかどうか迷う者はいるでしょうが、ここからは時間や武器に追われることはありません。考えてください」

 人の、羊のような群れが縦の列から川岸に沿って横列になり、水に浸かる。一人一人に祝福するのは困難であるから、川の中に立った修士達が洗礼の祝詞を繰り返して唱える。


  人間を創りし聖なる神、誓約を永遠に守り、魂を安らかなるところへ導く神よ

  この者達が原理の信仰心に基づいて告白をあらわにし、洗礼を受けることにより、産まれの穢れを濯がれ、分かたれぬよう正しく誓約を結び給え

  聖典により、

  ”種よ広がれ、彷徨う跡は活かされた

  人よ集まれ、導きの地は表れた

  火よ高まれ、彼と彼とは結び付いた

  水よ流れろ、みなぎる命は生じた

  獣よ参じろ、更なる力は得られた

  穂よ実れ、聖なる国は開かれた”

  この者達が水に濯がれ、産まれ直し、聖なる永遠の魂を得んことを

  我等の初めの宣教者聖オトマクの原理に拠り願い奉る

  聖なる神よ守り給え


 髪から服、靴まで濡らした改宗者、老若男女が川から岸へ上がって来る。所在無さげに仲間同士で集団を作ってたむろう。

 再洗礼の集団化は、互いに改宗していると確認し合える。これで新旧の信仰を持っているかどうかを知り合え、結びつきが強くなる。否応無く。時には共犯者のように。

 歓喜は無い。悲しみと疲労、焦燥、狼狽。負の感情ばかりではないが基本的にはそれは押し殺される。

「見分けがついて、中々よろしいではないですか」

 ベルリク=カラバザルが馬上から声を掛けてきた。

「どうです? こんなはずではなかった、ですか?」

 心臓が苦しい。

「かつて異教を改宗する聖戦においてはこのような姿が見られたのでしょう」

 言い訳が出てきた。何か勝負だというのならば自分は負けた。

「マテウス殿はこれだけの命を助けた、と考えられては。それから、本人の口から言うのは憚られるでしょうが、そういう宣伝もすべきでしょう。元々、街は空っぽにする予定だったのですが、神聖教会というと語弊があるかな? 聖都、聖皇に逆らうということで生かすことにしたのです」

 ベルリク=カラバザルが指差すのは市民協力者達で、身形が良い者が多い。再洗礼に積極的で、濡れた姿で川に”入れ入れ”と促す者は修士以外にもいる。

「彼等がいれば行政機構の再建はそう難しくはないでしょう。内務省軍がお手伝いします」

「俗事に関してよしなにお願い申し上げるしかありません」

「はっは! 丸投げに聞こえるのはアタナクト派に馴染みがあるせいですかな? さて、聖オトマク軍に暇はありませんよ。あの再洗礼を施したという証が無ければ我々は占領後でも、武装せず抵抗せずとも反乱分子として全て殺します。街から村へ、各地に散らばって新旧の振り分けをしなくてはいけませんね。私は明日にでもニッツ市に向かいます。私に同道するなら今日中に再洗礼の意義を説明出来る聖職者、いや、修道士じゃなくて修士? 神学生? でしたか、の皆さんを各隊進撃経路に同行出来るよう計らって下さい。話を通す時にお困りなら私の名前を使って貰って結構。きっと未来の議員達も村やお隣の街の力が無ければ経済的にやっていけませんから、そこから協力を取り、聖、俗、悪魔の三要素取り揃えてやっていかれるがよろしい……いや、やはり最初は私が付き添いましょう。外トンフォの極東の将官達とは言葉も考えも通じんでしょうからね」

「痛み入ります。ところで、兄弟セデロは別に連れて行かれたと聞いたのですが?」

「剥製にして私の部屋に飾ります。ちょっと、有名人は集めてるんですよ。アプスロルヴェのまねっこです」

 聖なる神よ、彼を守り給え。


■■■


 馬の蹄は地面に深い跡を残す。馬糞が転がり、潰れ、未消化の草片だけがただの土と見分けをつける。

 その上を、人の縦長の靴跡が薄く残る。何度も踏み固められ、水気が混じって崩れて、舗装用の砂利が撒かれて。

 それを車輪が作った轍が一線で潰す。細い線から、太く抉って両脇が盛り土になるようなものまで。

 大小の、真鍮の空薬莢が散らばる。誰かの落とし物、紙屑、糸屑、金属片、汁が少し底の端に残った空の缶詰。

 ここから足跡の方向が前後左右入り乱れる。何度も踏まれて土から草の根がほじくり返されている。薬品臭、便臭。

 布がへばり付いた泥塗れの肉片に蠅がつく。蛆はまだ生まれておらず、新鮮と言えば新鮮。

 破損した装備が転がる。遺棄か、持ち主まとめて散々になったか。

 大きな穴、泥溜まり。焼けて燻されて、泥を被る折れた木。

 要所が切断された鉄条網。茨の鉄垣にはまた布と肉、油、武器。油の燃え滓。

 縦と横に掘られた塹壕、底には泥が溜まっているがそれだけではない悪臭がする。土が穴からこぼれた跡が目立つ土嚢で壁が固められて、そこかしこが崩れている。今はネズミが走っている。矢が立っている。

 空箱が目立つ。木製、鉄製、それらの壊れた物。原型をとどめない何だったか分からないもの。

 毒瓦斯漏れの警告。化学汚染地区を隔離する、杭と色付札、結んだ布切れ、とにかく何か目立つ物が提がった縄を使う囲い。警告看板。

 砲弾痕より足跡と轍が目立つところに移る。集められた泥被り、煤塗れの武器弾薬、食糧雑品。

 捕虜と柵。作っている最中の物は、戦火を潜った鉄条網の一部を再利用している。男女を分けるという配慮を帝国連邦はしておらず、中の敗残兵達が統率して内部で分けている。修道女、看護婦、酒保女、売春婦、その他現地協力者。

 電信柱と電信線が修理中。捕虜の中にいる技師も遊牧兵に混じって仕事をしている。

 不発弾の爆破処理の轟音。戦場で精神を病んだ者が突然怯えて狂う。

 湯気が立つ食べ物の安心する温かいにおい。遊牧兵達が手洗い、うがいをしてから配食されたものを食べている。

 敵味方の将校が混じって、天幕内で通訳を交えて話し合っている。

 物資集積所。膨大な箱の山。遊牧兵達が中を確認して帳簿に記録し、選り分けている。

 ベルリク=カラバザルの妹が書いた紹介状を現場指揮官に見せ、修士達を派遣して戦場改宗を試みる。補佐には帝国連邦内務省軍の者達が付く。

 基本的にはイスルツ市民改宗の時と同じような文言で説得する。改宗しない”反乱分子”は帝国連邦軍が皆殺しにすると脅す。

 改宗対象は連隊長から。地方毎の共同体単位で編制される連隊の指揮官は、その地方の名士である。云わば”親”。

 領主の信仰は領民も共有するという構造は、史上各地、国家部族でも見られてきたこと。

 まずは長から救う。責任者たる長は預かる兵士達、”子”を救わなければいけない義務がある。上から下へ流れるその構造を利用する。集団改宗の要点。

 勝者の軍の武威を借りて、敗者の軍を改宗し、次に現地住民の長から改宗に入る。

 長に限っても改宗対象は数多く、手順を修士に教えて分担させ、内務省兵によろしく言う。

 次に捕虜が掘った穴へ集団埋葬された戦死者達の墓前へ行く。

「聖なる神は無から全てを創られて世界としました。創られし者は死んで無に還るのではなく、この世界を巡ります。巡った長く苦しいあなた達の旅はここで終わりました。苦痛の全ては生ある内に終わり、今あなた達は解き放たれました。家族、友人にそれが伝わり、受け入れられることを祈ります。死から始まる新たな始まりを見送らせてください。その始まりは喜ばしいものなのです。そうであると先の人々は語ります。長く語られています。あらゆる負担は取り除かれました。あらゆる穢れは濯がれ、勇敢なるあなた達の俗なる穢れは拭い去られ、聖なる魂のみを残すことになりました。先の人々と同じく聖なる神に近づき、安らかなところへ魂になって入ります。今後は聖なる神の決して破られぬ誓約の下に永遠に守られます。聖なる神よ守り給え」

 次の地域へ進む。救わなければいけない者達が多過ぎる。全修士、協力者達に各地を回るように指示する。その改宗行脚の道程は、街道と市町村を把握している内務省軍が手伝ってくれた。

 丘を越え、畑を渡って防風林を越え、川を越える時に橋が落ちていたら水中に分け入った。


■■■


 ラーム川の中流部へ進む。そこが一番の激戦地で、ベルリク=カラバザルから「原理主義の”頭領”が行くとしたらまず中心地でしょう」と言われた。道案内でもある。その通りにする。

 帝国連邦軍が眠気も疲れも知らないかのように通り過ぎていく。歩兵、騎兵、砲兵、大量の砲弾。常に地面が揺れている。遥か行き先の彼方から砲声、昼は上がる黒煙、夜は暗い空に光が反射して白い雲が浮かび上がる。雨の無い雷雲のよう。

 今、最も救わなければならない、敗北確定とも帝国連邦軍から言われているフラル東部軍二百万と、その軍を維持する大事業にかかわる軍属大勢、戦場になっている地域の現地人。

 改宗のために熱を、焦燥に駆られる勢いで我々聖オトマク軍の修士達は上げる。罪なき者達の生死が掛かる。

 少し前に得た天啓から、牧者が使うような杖を持って歩くことにした。剥された爪はむしろ前より厚くて頑丈なものに生え変わっていて、握ることに問題は無い。

 あの程度の軽い拷問と監禁で、あの迷える魂達はストレンツ司教だった自分に何をしたかったのか。

 さて、杖とは徒歩旅を支える道具。歩行を助け、草叢の穴を見つけ、蛇を追い払い、高い段差を降りる時には下の地面を突いていると安全で、小川程度なら走って川底を突いて跳ねれば濡れずに済む。戦場跡を歩いた時、これを持っていれば苦労は半分だったかもしれない。

 この杖に別の意味を添加する。迷える者達を導いて救う道具だ。羊の群れのような状態から救い出すという決意を込める。込めてあると思えばある。例えば王の冠なども込めなければただの金属塊。

 馬に乗って鞭で追い立てるなどは我々がすべきことではない。

 時間が経つ度、改宗する度に改宗者が増えた。脅迫が成功しているが、それだけではない。

 以前から聖俗両輪の聖都統治に伴う聖職者の腐敗は批判の的だった。俗世の金権などにかかわれば清い者も穢れていく。

 聖女による強行的なフラル統一策は我の強い”都市っ子”にとって屈辱。

 異教の妖怪を聖別して取り入れた前回の公会議の結果は神学界を動揺させた。

 今、帝国連邦占領下において聖都の異端排除圧力は無く、現地聖職者達による自発的な、聖典原理への回帰活動が始まっている。我等、聖オトマク軍に接触するより前に。

 しかし理想の形とは言えない。悪魔の恐怖を借り、改宗か死かと脅迫してこその勢いだ。自治都市復権の世俗勢力の後押しもある。心からの改宗だけではない。

 イスルツ市の一件もそうだが、道中見かけた。白い虎毛皮を被った者達が異国の祝詞を唱えながら斧で捕虜の顔を削ぎ取っていた。獣でもない、異端と違う。

 論理だけで改宗は不可能だったか? 比較してどちらが正しいか、見分けすらつかない者ばかりではないか?

 第二の権力者、対立聖皇に自分がなろうとしているのでは? と言われたことがある。

 改宗しながらの道中であるが、段々と修士希望者が増えて来た。

 初めは自分の話も良く遠くまで届くものだ。やはり正しい教えは全てに通じる。正義の勝利、などと浮かれそうになって足腰も軽くなったがそんなわけはない。何か勘違いをされている勢いで、成年男子からの希望が凄まじいのだ。

 帝国連邦軍の占領統治下では、我々聖オトマク軍に加入して修士になりたいという者を人民軍兵士として徴兵しないという施策が取られている。悪魔による聖俗分断策の一環である。これを罪とするなら我々は共犯。

 罪罰の話はさて置くとして、徴兵逃れの口実に、もうこの段階で修士になることが利用され始めているのだ。臆病風に吹かれたわけではなく、信仰心からの良心的徴兵拒否であると言えば面目も立つ。親も薦める。嵐が過ぎ去ったら還俗すればいい、そのような考え。

 説明しても良心的徴兵拒否希望者には都合の悪さからあまり話は広まらないと思いながらも、一度、人々が集まった機会に野外で、辻説法とも言えない話をすることにした。

「改宗の同志達に修士について改めて説明させて頂きます。

 修士とは神学生とも言える存在です。修道士のように敬虔なる俗人ですが、修道院のようなある種の領主、権力者のような振る舞いをすることはありません。隠遁もしません。服装は自由です。

 階級が存在しません。教会の司祭や司教などというものはありませんし、修道院での院長なども存在しません。

 聖典原理の教えでは複雑な儀式や道具など必要ありません。あるとすれば聖典と、再洗礼のための水だけです。だから階級があるような組織は不要です。教会税や、何かにつけて名目をでっち上げて課してくる税金など不要です。

 かつて聖典、本は高価でしたが今では印刷技術が発達して、そう、求めることに労は少ないでしょう。

 我等の上には聖なる神のみがおわし、教師は聖典のみ、修士は皆、同志である学友です。それ以外は普通の一般の民と変わりません。

 独身を貫く必要はありません。農業、工業、商業。たとえ不可触民と呼ばれてきた者達の、いわゆる賎業に就いていても良いのです。聖なる神の下において、手の美しさなど何の意味もありません。自衛のために武器を持つことも許されます。ただ刈り取られることを待つ藁ではありません。それは特別な存在ではないからです。普通の父母が、話を聞けば実は修士であった、ということがあっても良いのです。神学の教養が有り、聖典原理を尊ぶだけでは敬虔な信者です。

 その上で同志達と学び合う意欲があり、教えを実践して人々を導こうという意欲がある者こそが修士と名乗るのにふさわしいでしょう。

 それとはまた別に、その修士達に限って参加を呼び掛けている組織があります。偉大なる宣教の始祖、聖オトマクの名を借りた聖オトマク軍です。

 聖オトマク軍には義務があります。私はそれを”聖勤”と呼んでおり、正しい教えを広めて再洗礼による改宗を進めていく務めです。

 これは、今の世を思い浮かべて頂ければ想像できますが、死を厭うては出来ない難業です。

 今我々の信仰を試している悪魔、帝国連邦軍ですが、この聖勤に理解を示しています。聖オトマク軍の者からは徴兵しないと、エグセンの地では方針が決められていました。しかしフラルではまだ分かりません。後に説明があるか、無ければ何も無いでしょう」

 付け加えて。無用な争いを避けるため。

「皆さんの多くが誤解しているだろう聖典の記述について語らせて下さい。今、帝国連邦軍と接していて異国の獣人や妖精を見かけることがありますね。それについて。

 聖典では、”小さきかの者達は主にとり働き手である”という記述があります。妖精種は奴隷として創られたのだから人間が支配すべきだと、かつてはそのように扱われてきましたが、妖精種族は人間の奴隷である、などという記述は一切ありません。古エーラン帝国の時代から奴隷として活用されていたという事実はあります。これは世俗的な理由からです。

 聖典にある物語の中ではこうです。ある中産階級の家庭がありました。主人は奴隷を持っていて、人間の奴隷が二人、妖精の奴隷が一人いました。家族は一人娘だけ。

 妖精奴隷は大変に仕事熱心です。年長の奴隷は主人が見ていないと仕事を怠けます。買われたばかりの若い奴隷は働き者であり年長の奴隷に不満を持ちます。そしてその有様を聖なる神は見ておられ、年長の奴隷には不徳による罰が下って無残に死に、若い奴隷は美徳により報われて主人の娘と結婚して跡継ぎに、一番に働いているはずの妖精は聖なる神に愛されていないので何の報いも無く奴隷のまま。というお話です。勤労の美徳、傲慢や怠慢の不徳について語る物語で、妖精は比較の対象にされているだけです。

 聖なる神の教えでは人間原理を説いています。聖なる神が創った人間と、魔なる神が作り直した妖精や獣人がいるということになります。

 聖なる神の後に魔なる神に作り直された、ここが重要なところ。教えでは妖精や獣人などは聖なる神の手の外の存在だとしているのです。

 魔なる神の手がかかった彼等を聖なる神は救いませんが、罰することもありません。特別に扱いません。ただそれだけです。我々と違う、そう述べるのみで、物語の中で脇役として登場するだけです。古エーランの妖精将軍ゼクラギスなど目立った人物はおりますが、例外です。

 これは彼等の存在を否定しているのではなく、肯定もしていないのです。ただいる。

 人間と家畜の関係にあると考えては誤解があります。人間と彼等の関係はそう、猫と犬でしょうか。両者の間に子は成せませんが、友人になれないわけではありません。

 獣人に関しては、古くは今日より遥かに恐ろしい敵として存在していたので、そのまま敵として描かれています。これは敵だから怖ろしいのであって、敵でなければ妖精種と同様、友人になれることもあるでしょう。

 さてしかし特に狼頭、何度も恐怖の対象として伝えられる敵。今はもう絶滅したと言われています。ただ、聖都が今、人為的に異形の姿で復活させました。その罪科、彼等も自身で分かっているらしく先の公会議では披露すらせず、聖別もせず、しかし使役しています。正に聖なる神の教えに反する大罪、恥ずべき所業で卑劣な行為。正々堂々としてすらいない。

 エグセンでは人狼と呼ばれる怪物、大勢のエグセン人を戦争以外でも虐殺しました。何より今現在、聖女ヴァルキリカを名乗る者は巨大な人狼とのことです。聖女にして聖戦軍指揮官が怪物、何事でしょうか? 殊の外嘆かわしいことです。彼等は行いにより不徳をさらけ出しています。曝け出すことすら恥じず、傲岸不遜な態度を取っています。そのような姿を一番取ってはいけないのが本来の彼等であったはずなのです。

 聖なる神の教えを人間の手に取り戻しましょう。怪物がフラルに今回の戦争を強要しました。彼等の聖戦主義が無ければこのような戦いに巻き込まれることは無かったのです」


■■■


 天啓をまとまった文章にしたかった。街に入れば少し、腰を落ち着けてやれると思ったがそんな様子ではない。

 戦いの中心地、ニッツ市は廃墟だ。焼け焦げて白黒になってまるで白骨死体。

 崩れた煉瓦の斜面。元が何だったか、多少彩りがあるゴミ。布切れに混ざる肉片。遊牧兵が捕虜、市民も使って火ばさみで肉を拾わせている。

 時折銃声、それより大きめの爆発。遊牧兵に囲まれて両手を上げた、煤と傷塗れの顔の捕虜の列。

 歩き通しだったので座るところは? と考えてしまったが、窓枠と壁だけの家には屋根に椅子どころか床も残っていない。

 今、杖を手にしているように、文字より実践の形で伝える方が良いかもしれない。同志たる修士達も杖を持ち始め、意味を込めて持つという趣旨を理解している。中には聖なる種の形の飾りを杖に付け始めている者もいた。

 まだ周囲に火の手が残っていて煙が這っている。集められた死体がまとめて焼却されて、遺灰になる前ぐらいの焦げた肉が手押し車に盛られ、川の流れに投じられている。川沿い、ある程度開けた場所に出れば似たような光景。

 見逃す、見捨てることも出来ず川に向かって……再洗礼、祝福、いや両方すべきか。それが望まぬ形であったとしても、信じる人間として送る。

 ここまで連れ添ってきた同志達も、目を合わせて頷くだけですべきことは分かり合った。

 さて、同時にするならどう言葉を……。

「おい坊主、何してんだ?」

 声を掛けてきたのはあの神学の遊牧兵である。偶然という程でも無いかもしれない。

「せめて救いあらんと……最後の、爪先程のかけらでも救いを。何も無いより、神と誰かが最期にでも気にかけてくれるという救いです。ただ、ぉおんふん、薪のように放り投げられるのではなく」

 薪ではなくゴミと言いかけた。いけない、本当にいけない。

「良いこと言うじゃないか。言わなきゃわからんこと、分かってるのは当たり前みたいな糞態度してるから糞坊主って言われんだよ」

「あなたお詳しいようですが、信者ですか?」

「ババアが救世神の修道女だったんだよ。知ってるか? オルフの」

「神学の徒としては一応」

「はっ、救われねぇ」

 人生には汲み取り切れないものがある。


■■■


 再洗礼、祝福。死者ばかりの市内では終わりが無い。

 現実逃避をしていた、と気付かされたのは遊牧騎兵に「総統閣下がお呼びだ!」と怒鳴られるまで。

 そしてこの廃墟に”映える”ような悪魔大王の下へ連れて行かれた。

「どうです、流石はウチの兵隊、仕事が早いですね。あそこなんか砲撃じゃなくて地雷の跡ですよ。分かります? 戦闘開始前にあれが発破して指揮系統が麻痺すれば瞬殺ってやつですね。私も昔陣地毎吹っ飛ばす地雷食らったことあるんですが、あれは思考が止まりますよ」

 先に市内へ入っていたベルリク=カラバザルが何やら解説をしている。笑ってはいないが面白がっている。不意に拳銃を抜いて建物の陰に発砲。

「おっと失礼。戦場跡にはいるんですよ」

 傍付きの彼の妹が周囲の兵を手招きで呼んで伏兵がいた場所を指差し、捜索するよう指示を出す。

「……対岸のあれは?」

 川向こうに、何かの防護柵のように柱が並んでいる。鉄条網のようで、こう影が人型のような。

「何でしょうね。おいお前! あれなんだ?」

 ベルリク=カラバザルが通りがかりの遊牧兵に声をかける。

「はい、総統閣下万歳! はい、マトラ方面軍の奴等が前に、きゃーきゃー言いながら磔を並べて遊んでました! ここ攻撃する前です!」

「おお分かった、ご苦労さん。マテウス殿、詳細は分からんですが、あれですね、念願のラーム川突破を成功させて北進していった連中があれになって戻ってきたら絶望するかもしれない、という感じの演出でしょう」

「ベルリク=カラバザル殿、死者に祝福をしたいのですが」

 してもしてもキリが無いかもしれないが。

「市街は後で使うから清掃するんですけど、その辺に散らばってますから個別に対応するより……都市対象の葬式? 祭壇みたいなのでも立ててニッツ市民全てにって具合ですか? 後で慰霊碑でも立てては? まとめてやるのは無礼でも不徳でも不信心でも無いと思いますが」

「そうさせて頂きます」

「うーん、でもマテウス殿にはあっちに関わって欲しいですね、あっち」

「はい、何でしょう?」

「見ればすべきことが分かります」

 ”あっち”に招かれる。

 この市内には南口から入った。今度は西口から出る。

 門を潜って、人通りに塞がれた視界が開けるところへ移れば目前には捕虜の群れ、群れ、群れの連続。見える限り、奥の方まで隙間無く、人の息で詰まって野外なのに臭いも含めて息苦しい。

「葬式よりもまずは生きている連中をどうにかしましょう。アクファル」

「はいお兄様」

「うぉ!?」

 急に浮き上がった。馬上の、彼の妹が自分の脇を掴んで子供みたいに持ち上げて、鞍の上に立った。

 高い視点。どこまで続いているか分からない、一面、地平、捕虜の大群。立てようもない柵の代わりに、周囲を遊牧騎兵が回っている。

 黒い渦のようにあちこちから遊牧騎兵に誘導される捕虜が流入してきて、この”溜まり”へ泥水のようにゆっくり流れ込んで混じる。

 森林を高い視点から見ているかのよう。フラル東部軍二百万の生き残りが、渦を巻くように駆り立てられて集められたのがこれ?

「このラーム川で再洗礼か、西のサウゾ川で祝福か、その分かれ目ですね」

「この人数を?」

「こんなはずではなかったですか?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る