第517話「剣術師範ユーク・ドリスタット佐官勤務大尉」 無名兵士達

 解放したブリェヘム王国の都、ニェルベジツの掃討はほぼ終わった。

 現在は住民慰撫、”やわらかい”制圧目的の軽武装のブリェヘム兵が家宅捜索、武装解除を実行中。これはをエグセン、エデルト兵が行うと侵略、挑発行為となって住民抵抗を呼ぶ。

 人当たりの良い女性兵士部隊なら? という妄言が聞こえてきたことがある。

 市街地突入時には大勢のエグセン、エデルト兵が踏み入った。殺戮、略奪、婦女暴行の誘惑に駆られているような馬鹿共は同行する我々憲兵が監視しつつ、任務終了次第、速やかに市外へ退去させた。

 脱走兵の捜索が一番忙しい。反ベーアで結束したのか、若年を哀れに思ったか住民に匿われていることもあった。友軍のブリェヘム兵相手にこの者はどういう所属で、だから引き取りに、と通訳と共に説明しないと所轄争いになる。

 そんな中、自分は休憩時間を使ってかの有名な”剥製城”を訪問した。

 ”剥製城”は市街中心部の森の中、更に湖に浮かぶ島の上にあった。渡し舟を操船するのは顔が半分無くなっている青年で一切口を利かない。

 島の桟橋には杖を突いた老人がいて両目が見て分かる白内障。それから解放時にこの城の攻略を担当したブリェヘムの貴族将校もいた。アプスロルヴェ王家の縁戚らしい。

「ご用件は?」

「我がドリスタット家のユーク二世”大将軍”へ、ユーク十世がご挨拶申し上げに来た」

 盲目の老人が無言で杖を突いて案内を始めたので後に続く。

 番犬達が音も無く、吠えもせずに道から外れるなと監視してくる。

 矮躯の男が途中で蝋燭を持って足元を照らすためについてくる。城内、窓は遮幕で締め切り、僅かな布の隙間から陽光が漏れるのみ。音は自分の足音、通路、部屋の陰にいる者達が息を押し殺すために飲む程度。

 間取り的に、食堂にあたる大部屋に到着。足元から灯りを放つ蝋燭に照らされるのは長卓四つの、剥製達が演ずるほぼ満席の宴。

 一人一人の仕上がりは生前を保つ。目と口が不意に動き出しそうな気がする。暗闇から話し声が聞こえてきそうだ。

 老人が長卓に並ぶ剥製に触れないよう、また手をかざしながら歩く。

 床に座る子供と犬の剥製を蹴飛ばしそうになるのを矮躯の男が身体を張って止める。

「失礼。怪我は」

 うっすら唸るだけ。

 老人が足を止めたところに、家の肖像画で見たよりは痩せている、己より若い姿のご先祖がいた。剥製の給仕から空いた杯に酒を入れて貰おうとしているところで、その手つきを見て鷲鼻に皺を寄せている。大層所作に厳しかったと聞く。

 抜剣して捧剣動作。

「お恥ずかしながら陸軍士官学校剣術師範、臨時の憲兵特務大尉、”大将軍”と呼ばれたご先祖様には及びませんがご挨拶に参りました!」

 グランデン大公軍における軍事改革を成し遂げ、対ブリェヘム戦争での連戦連敗を最終的に連勝に繋げ、和平を待たずに戦死した英雄。


■■■


 朝の整列はニェルベジツ市郊外で行われる。ここにヤガロ人はいない。

 ラッパ吹奏。

「懲罰大隊整れーつ!」

 先任特務曹長の号令。彼は人狼のため、人外の大声を無理なく響かせる。

 有罪が確定した一般、軍事、政治犯罪者に元人民兵共が並びに並んで四万名。一時期五千名以下に落ち込んだものの、司法関係者が送り込んで来た屑共三等兵で名簿が埋まる。新兵でも二等兵の、それより半人前以下。負の値、死ねば無に戻るごみが集積された。帝国下水道の蛇口を捻ればこの始末。困窮した難民犯罪者から由緒不明の反乱土豪まで含めて全く度し難い。

 その屑共を直近指導して各隊毎に整列させて回るのが暴力、汚職の不良警官、憲兵の屑共。警棒を振り回すこと二千名。こちらも本来有り得ぬ階級、下等軍曹とする。伍長勤務三等兵みたいなものだ。責任ある立場から堕落したのだから正に屑の中の屑。糞が腐ってもむべなるものの、腐らぬ心算で置かれて腐られては始末が悪い。だからここで始末をつける。

 整列作業を正規憲兵隊が巡回点検、包囲射撃準備。機関銃には装弾済み。ロシエ式の義肢をつけた復員兵もいる。

 法を心得ている純粋な憲兵は多くは無い。立場を与えられただけで司法教育を受けていない者が多数。

 カラミエ、エグセン占領地域に残るベルリク主義派、革命派民兵、独立派土豪相手に正規の憲兵は決して暇ではない。

 陸軍不足に対して海軍で陸戦部隊を編制する話はあったらしいが、全く無傷で準備万端のランマルカ、ユバールが北海にいる以上はどうにもならないようだ。屑共を収容所に入れている余裕は無い。

 陸軍はもう乾いた雑巾を、手から血を出して染み込ませてまで絞っている状態。

 経済的混乱、洪水被害による国内難民の存在で治安は悪化。警察も暇ではないので戦場への動員は難しい。

 近頃、学習範囲を限定することによって即席の専門家を育成するという風潮がある。自分のような対懲罰兵憲兵もその一種。

「気を付け!」

 先任特務曹長の号令。

 爪先揃え、肘立て間隔揃え、顎の角度揃え、目線は正面かやや上方。

 二百の四角形が二百個。人狼の喉でなければ全体に号令は到底届かない規模。

 ここに整列していない正規の砲兵、後方支援部隊もまた一万名規模で存在する。

 既に懲罰大隊は五万超の規模となり、特別作戦軍から指揮系統も分離されて参謀本部の命令を直接受ける独立軍となった。その名”懲罰大隊”は既に固有名詞と化している。編制される規模を示していない。

 巡回中。

 己の役割も理解出来ぬ下等軍曹の一人、列整理が今の任務であるのに三等兵を警棒で目玉が飛び出る程滅多打ちにして、おそらく撲殺。指導の範囲を越えた。

 野犬が母に野生の掟を学ぶようにこいつらは既にある種、暴力に恃むように調教済み。性根から教育し直している時間は無い。

「不心得者!」

 抜剣、防ごうとした警棒毎、その下等軍曹を脳天割り。愚か者を鉄剣征伐! 私は神を信じる。

「お前、指揮を代われ! 死体処理!」

「は!」

 該当部隊で指導に当たる副官相当の下等軍曹を指名、新たな指揮官とした。

 四万に対して二千、一人当たり四十名。下等軍曹五名で三等兵二百名を見る体制になっている。

「指導が甘い!」

 今の斬殺を見て、列整理を反抗的に怠る三等兵への棒打ちを躊躇った下等軍曹の胸に剣柄打ち。鞭は非人道的として軍隊では廃止されている。教育現場では廃れていないのだが。

「指導!」

 怠慢していた三等兵の顔へ袈裟、逆袈裟斬りで血の”ばってん”。反抗的な態度を崩さず拳闘の構えを見て取り喉突き。私は神を信じる。

「反抗確認! 死体処理!」

 次の隊を見に進む。

 お付きの憲兵中尉から小声で、

「ユーク先生、一応、今のようなことは法では……」

「論法は後で聞こう」

 任官し立てながら法学修士号を持つ彼のような専門知識は自分には無い。懲罰大隊流の指導を実行している。実際、この隊では杓子定規的な問題の解法は確立していない。

 これは本来の自分のやり方ではない。伝統のドリスタット流剣術、馬術、礼式、舞踏の師範である。生徒への指導は模範提示、口頭注意、平手打ち、鉄拳制裁、鞭打ち、やや婉曲だが保護者への手紙、などである。悪戯に決闘騒ぎを起こして殺傷事件を重ねる不逞の者を保護者承諾の下で強制的に決闘、誅殺したことはあるが例外。

 戦争が始まり、陸軍士官学校で三日に一度教鞭を執るようになり、戦況が悪化する中で簡易な士官教育を受けてくれと請われ――婉曲的な徴兵である――憲兵大尉を臨時で拝命。懲罰大隊赴任後の冬にロシエ軍との共闘を経て佐官勤務相当の特務大尉へ野戦昇進。法学も修めず、軍大学も経ずの旧家ではこれが上限。

 本来の自分、当えられた階級、過剰取り締まりの傾向有りとここへ送られてきた正規憲兵達の姿を見て役割を見出している。

 さて、巡回する中で気を付けの姿勢がふらふらしている三等兵がいた。顔は必死。

「筋肉ではなく、骨や腱で身体を制御しなさい。一本の杖を地面に立てるように、自分の身体を立てなさい。そして頭ではなく、首の後ろから糸で吊り下げられるように意識しなさい」

「はい」

 まあまあ良くなった。

「とりあえずよろしい」

 何をどこまでやれるかわからないが、この回って来た役割は運命。

 従軍司祭が三つの死体に祝福。死ねば負から無になるごみ。

 その死体の内、不心得者と反抗者二人に対して、綱引きで立てられた長い柱の上端部から逆さ吊りが実行される。見て規律が学べるのだが、正規軍の法ではあり得ない。私は神を信じる。

 軍は理性による抑圧と、暴力による解放の両面を使う。蛮性は否定されない。

「整れーつ休め!」

 先任特務曹長の号令。

 演壇に大隊少佐、人狼、アダンス・ヴァレン登壇。大きい、毛だらけ、狼面。

「気をつけ、頭ぁ中っ!」

 少佐敬礼……敬礼止め。

「直れ!」

 少佐が目配せ。

「休め!」

「諸君等の新たな任地が決まった。南方、フュルストラヴ地方を通りラーム川、フラルとの境界線。北岸にいる敵を攻撃する。そこまで強行軍で行く。幸運なことに我等の懲罰大隊には地雷処理装備が増強されている。冬からの生き残りの諸君は喜べ、以上」

「気をつけ、頭ぁ中っ!」

 少佐敬礼……敬礼止め。

「直れ!」

 少佐は演壇を降りた。

「分かれ!」

 傀儡エグセン人民共和国、残る最後の激戦地行きではなかった。あそこには訓練された精鋭と最新兵器だけが望まれている。

 傀儡ヤガロ王国、東方への突破前進の先駆けでもなかった。補給線が伸び切っていて我々のような使い捨て部隊に物資を回す余裕が無い。

 などと事前に聞いている。


■■■


 ヴァレン少佐に懲罰兵共の全体的な調子、行軍に支障が無いかどうかの報告書をまとめ、所感も添えて報告。疫病の流行は「局所的ながら」と伝えると「万全は有り得ない。それで良し」とされた。

 懲罰大隊、強行軍開始。ニェルベジツでの一時停止が最後の休暇になるような行動予定が立っている。

 まずはフュルストラヴ公国の中心都市セナボンに到達する街道を行く。解放されたエグセン旧占領地域と違い、あの、不具者と死体と地雷や廃墟だらけの焦土地帯にはなっていない。

 まだまだ味方の勢力圏内。性急に広げた圏内なので、民兵の抵抗や罠の危険性はある。

 日に二十二回の小休止と給水、二回の大休止と食事。野営作業無し、就寝無し。大休止時にうたた寝が出来る者は熟練兵。

 己の得意とする剣術心得だが、強行軍時には教える暇も無い。休日でも本当に簡単に、帯刀する士官達に「もっと踏み込んで、刃の根本で切る心算で」と腰が引けて刃先すら相手にかすらなそうな者に一言添える程度になっている。

 強行軍で落伍しようとする、する言い訳を探す者達に気合を入れに行く。

 肌がところどころ削れ、服と擦れて出血。そして風邪だと言い、休息を要求してきた者がいた。何の皮膚病だこれは? 火傷?

「気合が足りん! どうせ死に体ならこのまま駆け抜けろ!」

 病人判定は失神昏倒するまで。医師不足から懲罰兵の健康基準はこんなものになった。以前、献身的な軍医三等兵がいたがいつの間にかいなくなってしまったな。

 水虫と靴ずれで足の皮が剥けて「立ち上がれません」と言う者がいる、

「気合が足りん! 黙っても動いても痛いなら動け!」

 靴は消耗品。しかも支給される軍靴は戦死者から回収して雑に洗浄された中古ばかり。既に縫合糸が切れ、靴底が剥がれている者がいる。布を素足、靴に巻いている者もいる。供給不足は上層部の怠慢だろうが、そこに言及する立場ではない。

 口が利けず、立っても膝がすぐ曲がってまともに歩けず、下等軍曹からの鉄拳制裁で顔が腫れている者がいる。だが失神までしていない、基準では病人ではない。

「気合が足りん!」

 ゆすっても押しても倒れる。力を入れようとしない。

「都会に出てきた奥様みたいな神経症気取りか!」

 水をかけても駄目。

「せめて自害する気合くらい見せろ!」

 その場で失禁するのが返事。せめて泣き喚けばいいものを! まるで人形、無気力症状、

「はいばってん!」

 筆でその顔に墨でばつ印をつけ、路肩に転がして晒し者。

 全くこんな奴等への対応は、父、祖父から習っていない。授業を嫌がる生徒は数多くいたが、こんな極限状態に追い込まれてはいなかった。そもそも個別指導可能な人数しか見て来なかった。陸軍士官学校では助教が付いたし、全体指導だったので個人の心情まで汲む必要は無かった。

 何をどこまですればわからないが、わからない姿は見せられない。

 父祖父からの教育、軍からの簡易教育で学んだ憲兵精神、現場で会得した懲罰兵の取り扱い精神、差があって辻褄合わせが未だに出来ていない。馬や犬の扱い、調教の方が”人道的”である。

 まったくこの立場ではドリスタット家の師範らしい指導も出来ない。憲兵将校へ自分が選抜された理由は厳しい指導を多くの生徒達に施し、そこから派生していった様々な感情や評価の集合体であろう。逆恨みも感じられる。

 ヴァレン少佐から”先生は模範ですな”などとは言われている。あの怪物の賞賛など素直に受け取ってはいない。皮肉だろう。

 夜も近づき、暗闇から規律が乱れ、脱走を試みる時間帯になればヴァレン少佐の駆り立てる声が始まる。

「ハウ! ハウ! ハウ! ハウ!」

 舌の印術とやらでで洗脳するらしい。奇跡ではないだろう、いかがわしい魔術、邪教の妖術。

 軍規模の懲罰大隊が取り憑かれたように鈍った脚を活発に動かして歩き出す。体力の限界に達した者は歩きながら失神する。

 しかしあの喉自体は素晴らしい。遠くにまで響いて濁りの無い低音、稀有ではなかろうか。引退したら歌手になれば良い。


■■■


 ウルロン山脈北東部突出部と、ソフリーン高地の間、一区間。谷という程狭くなく、川が切り裂いたわけでもないので斜面でもない。

 そこに敵味方の塹壕線が対峙して敷かれている。ここは東へ拡大するヤガロ戦線の、南東部における膠着地点。

 真東へ向かう攻撃の流れの一支流で、敵味方の数は少なく、弾薬も少なく、大口径砲も無い。

 こんな時に、いち早く増援を受けた方が攻撃を可能にする。

 懲罰大隊所属の正規砲兵が、攻撃準備射撃のために位置取りを開始する。この動作を見た敵から先制砲撃を受ける。

 塹壕に入り込んだ懲罰兵達に、斜め上方から小銃、機関銃弾が落ちて来る。銃口をやや上に向けて撃つと相手の塹壕に届く距離感。

 そして塩素瓦斯砲弾が撃ち込まれた。刺激臭、黄緑の霧。総員、防毒覆面着用。

 以前と違い数が揃っている。多くが中古品で、一応は修繕済みだがちょっとした衝撃で隙間が出来る可能性がある。装着後でも咳き込んで苦しむ者が散見される。不良品に代わる物は手拭いで、水か酒か間に合わなければ小便を掛けて口元に巻く。

 こちらからは地雷処理砲撃が実行される。敵塹壕線の破壊や制圧の手間を取らないという条件が付くことで速やかに砲撃計画が達せられる。

 破片効果より爆発力重視、金属量より炸薬量を重視した榴弾を使用。射撃時、一度地面に当てて跳ね返ったところで信管が起動し、やや高い位置で炸裂。正規の砲兵がつくだけでこれだけの仕事をしてくれる。以前と違う。

 爆圧で土砂が飛ぶ。敵陣手前に仕込まれた地雷が起爆。鉄条網がなびく、支柱がずれながら健在。

 上手く敵の塹壕直上で爆発した榴弾は敵を潰すが、余勢を駆った程度の射撃量なので期待してはいけない。

 円匙と銃剣で地虫でも探すように掘って、場合によっては先頭走者の足一本と引き換えに地雷処理していた時と隔世の感。冬のあの時にこれがあれば……。

 後ろから煽るのがヴァレン少佐。なら前から引っ張るのが自分。

 憲兵特務大尉、貴族の模範として先頭に立って剣を掲げる。この白刃を合図にラッパ手、突撃ラッパ吹奏。各隊指揮官、号笛を吹いて拳銃を振って部下を塹壕から引き出して前進。

 地雷処理榴弾が作ったでこぼこ道を走る。懲罰大隊はあまり、足を失わずに陣地に突撃出来るようになった。

 敵陣地から榴散弾射撃。空中で炸裂、鉄の雨。ただ弾けるのではなく指向性が見られた。

 敵陣地からの小銃、機関銃射撃。正面から横に銃弾が通り過ぎる。伯父は士官を銃弾で狙うのは無作法と言っていたが、時代は変わった。剣に当たって火花が散る。刃が少し欠けた。

 左右確認。死傷者、恐怖からの麻痺者、これらの世話は下等軍曹共。自分が注意するのは、首振り左右の確認、突撃横列の先頭から十歩前程度かどうか。

 先行が過ぎると引力が失せる。横列と同等でも同様。本当に引率出来ているかどうか真後ろを見るのは無駄。自信喪失の仕草にも見られる。

 胸に衝撃。胸甲をつけている。大分痛い、防弾着も着ているが少し刺さったか。骨折は無いと思うが。

 首が横へ勝手に曲がった。鉄帽の側面にかすった。これくらいなんてことはない。共に高張力鋼を使っている。

 地形の起伏、地雷処理榴弾が作った穴に懲罰兵共が伏せて敵陣に向かって射撃を始める。恐怖で足が止まり、一応は戦いを諦めていないという姿勢表示に銃撃。下等軍曹共もその流れに身を任せつつある。新任の憲兵もその流れに身を任せようとしている。

「馬鹿者! そんなことは教えていないぞ! 撃って勝てないから突撃しているんだろうがっ!」

 防毒覆面では声もそう遠くに届かない。

 ズボ、ビチ、バツ、バチ、バン、ボッ。

 銃砲火の光。血と肉が弾けて、破けた服の下から脂肪の白黄、筋肉の赤と白、血の黒赤が見える。骨が突き出て四肢が曲がる。

 夜襲なら見える恐怖を誤魔化せたかもしれない。ただ懲罰兵も増えて損害許容の度合いも増え、日暮れを待たずに攻略しようという判断になっている。

「ハーウ!」

 ヴァレン少佐の大声が先頭まで響いた。へっぴり腰の伏せ撃ち共が腕で身体を持ち上げ、駆け出す。

「ハウ! ハウ! ハウ! ハウ!」

 良い声だなぁ。野外劇場でも良く響きそうだ。毒瓦斯など吸って喉を潰さないといいが。

 これでも足が止まる懲罰兵には、後列の督戦隊が威嚇射撃を開始。前進後退を迷っている馬鹿には棒打ち、尻蹴り。脱走、寝転がり、死んだフリには命中弾。

 銃声や足音、倒れる音や物を落とす音とは別に、銃弾が懲罰兵に穴を開けて、骨を砕いていく音が聞き分けられるようになってきた。ただの悲鳴や怒号に混じって、あれは肺が潰れて喉から押し出された声だろうか? あんな間抜けでげっぷみたいな断末魔は嫌だ。せめて死ぬなら文明的な声を。

 少佐の声に煽り立てられ、無防備な程に立って走って鉛弾の交差点に入る。

 敵陣に迫る。一番に突っ込む者は事前に決死隊として編制されている。死を覚悟した者への恩賞が用意されることでその志願者枠は埋まった。

 懲罰期間を遡及して給与発生。恩給法の適用。懲罰大隊からの除隊。正規軍復帰、不名誉条項の削除。命より重たいと感じられるものがある。

 決死隊には鉄帽、胸甲に防弾着が支給される。重たい防具は近年の塹壕戦で再注目されている。

 決死隊が銃撃を受けながら導火線を引く爆薬筒を持ち、鉄条網に差し込んで後退。起爆、有刺鉄線部を焼き切る。

「押し通れ!」

 各所突破口、切断された鉄条網の隙間から懲罰大隊突入。ここまで来たら、機関銃の交差射撃範囲内にいるより敵兵がひしめき合っている塹壕内の方がいっそ安全。

 狭い塹壕内、突き出される銃剣。手で銃身を払い流して塹壕側面を刺させ、喉突きから捻り抜き。

 銃撃は、銃口の向く先が近くて良く分かるので脚捌き、腰捻り、銃身打ち払いで容易に回避。冷静に見れば対槍術の延長線上。

 短槍のような銃剣付き小銃とは間合いが違うので一度、刺突か銃撃をやらせない姿勢に持ち込んでから、目や口から脳、喉、肺、心臓、肝臓、腎臓突き。致命傷ではなく即死させないと死に際の反撃があるので抉って傷口を広げながら抜いて更に死に近づける。次の敵と刺したばかりの敵に注意を払っていかなくてはいけない。倒れた敵の刺し傷に踵蹴りなど入れ、まだ動く気力、筋肉に力を入れる余裕があるか確認。あれば再度刺す。

 怖いと言えば、いっそ小銃より拳銃の方がどこに飛ぶか分からないので怖い。

 塹壕戦で注目されている武器は、円匙と棍棒である。時代を一体幾つ遡ったらこんな武器が、と思うが、狭苦しい室内のような塹壕内ではこれが素人に扱いやすい。恐怖と殺意に突き動かされて技術も無く叫んで滅多打ちという戦い方に合致して侮れない。

 円匙と棍棒は基本的に短い。防御行動をさせる間も無く先手、刺し、斬る。

 抜刀する敵士官。打ち払い、巻き上げから刺し、斬る。

 実戦を知らずに作法、嗜みで終わる剣術は恥ではないかと父に問うたことがある。くだらぬ痴話喧嘩や学生の度胸試し、決闘と言う名のたまに死人が出る程度のお遊び剣術など意義があろうかと。

 父はほぼ実戦を知らず、代闘士などで殺人は知りつつもそれで一生を終えた。

 自分はこう言える、やはり実際に無数の人を斬ることこそが誉れよ! 私は神を信じる。

 続々と懲罰兵が入り込む塹壕内。自分と敵だけではなく、他の敵や他の仲間の動きも見ながら剣を振る。

 剣が血脂で切り辛くなってくる。切っ先を敵にねじ込んで、骨を削って鈍くなっていくのが分かる。戦いの間隙に出来る短い休憩時間を使い、血脂を拭い、砥石で刃を改める。予備に敵士官が使っていた刀を使って鈍くなったら捨てることも。

 少し不満。現在、自分が戦っている相手はヤガロ人ばかり。折角あの東方の騎馬蛮族と戦っているのだからもっと東方の剣士はいないだろうか。

 塹壕の第一線から二線、逃げる敵を追って町村部へ追撃。

 建物一つ一つが堡塁。土嚢を盛ったようなものではなく、家財道具やら樽やらを並べた応急も良いところ。窓の奥を見せ辛くするためか植木鉢まで置かれる。これだけでも射撃戦では劣勢。突撃して白兵戦に持ち込まないと勝てない。

 そして見慣れぬ敵が見えた。白い帽子を被って、肌が浅黒く、目が異様に大きく見える……いや、あれはジャーヴァル人か! 街に異国の商人として訪れていた記憶がある。あっちの顔だな。

「おいそこのジャーヴァル人、こっちだ!」

 防毒覆面を外し、剣を向ける。その男はこちらを見て、小銃を投げ捨てて曲刀を抜いた。

「粋や良し!」

 異国の剣術だ! この機会に感謝! 私は神を信じる。


■■■


 勝利、敵軍は降伏して武装解除。しかし一時の煌めきは過ぎ去った。

 異国の剣術、一応堪能はしたが名人級ではなかった。そう、剣の名人というのはそうそういない。初めに剣闘に応じてくれた彼はそこそこの使い手で、自分の知らない動きを見せてくれたがそれ以上の使い手はいなかった。

 あの戦いは民間人居住区にまで拡大。脱走兵が多発するぐらいには戦場が広がってしまった。

 脱走兵狩りよりも優先されるべき任務があり、後続部隊へ通報する以上の手間は取らなかった。

 さて懲罰兵、懲罰対象なだけあって悪辣な者が多い。市街戦で良くある略奪に関しては住民からの通報も積極的に聞き入れた上で公開の銃殺刑を実行。執行猶予だとか、懲役刑だとか、懲罰兵には適用されない。早急に、資格のある正規の憲兵が正しく射殺した。

 もう一つ別の問題。懲罰兵は悪辣であるが、全てが暴力的であるわけではない。

 例えば汚職の会計官。眼鏡、小太り、薄い爪の白い手。

 例えば窃盗の難民。子供に見える……。

 例えば信仰に反する同性愛者。ここで彼氏を作ったとか、何とか。

 突撃に参加して、銃弾や砲弾の恐怖には耐えた。しかし、敵を殺すとなると全く暴力を振るえなかった者達がいる。可哀想で無理、などと泣き出すような非暴力主義者共。

 度胸試しとして、敵の死体を使って銃剣突きをさせても失神、嘔吐、気力消沈とろくなことにならなかった。

 犯罪は犯すくせに! 平和も戦争も無理なら何が出来るんだ?

 最後に捕虜問題。懲罰大隊としては身軽に、次の任務地へ行きたいのだが捕虜は足枷である。

 捕虜拘束のために部隊を少し分けるのが通例で、憲兵の領分でもあるが、あいにくこちらは万体の罪人を抱えていた。

 あの白い帽子のジャーヴァル兵、宗教的な白帽党という組織らしいが、その一つの指導者がジャーヴァルの藩王だとかなんとかと主張し、王族待遇でもてなせとごねている。その人物の指導で他の白帽党捕虜を動かすことになるので無下にするのは効率の悪いこと。とりあえず将官待遇ということになった。

 捕虜を監視する兵の数を増やさなければならなくなった。ソフリーン高地西麓地区へ先に到着していた正規部隊だけで、今回獲得した大量の捕虜を御すのは困難という判断が出された。邪魔だからと皆殺しには軍法上出来ないので、懲罰大隊から部隊を分けて少し残すことになった。

 法はどこまで守るべきだろう。

 剣術では、武器を捨てて降伏した相手を切るという作法は無いが。


■■■


 また強行軍。落伍者は距離に応じて増加する。気合でどうにも出来ない傷病者、自殺者、脱走兵。

 先の戦いで負傷者、疲労者が出たので落伍者の割合は更に高い。いわゆる神経症も多く、落伍理由になっている。そろそろ、気合が足りないというだけで済まないことは理解出来ている。だが、軍の法としては存在しないことになっている。

 ソフリーン高地西麓通過後は敵勢力圏内を、主街道を進んで突っ切る形になる。街道を維持するため、要所に警戒部隊を分散配置することになった。

 初めにいた五万以上の懲罰大隊も、セナボン市到着時には四万程度。強行軍と突撃と脱走で懲罰兵共は一万も消し飛んだ。正規軍の装備と作戦なら被害も五分の一以下で済みそうだ。

 まずはセナボン市の偵察結果。都市自体は元から規模の大きな要塞であり、現在は住民協力の下で更なる増強工事が行われている。

 最近の都市というのは城壁を撤去して規模を広げて経済的にするのが流行りだが、ここは古くからの城壁がそのまま残っている。

 セナボンは一度、帝国連邦軍の前身である傭兵軍が住民を完全抹殺したが防御施設だけは残して利用したという場所。新住民達は悲劇を繰り返さないようもっと守りを固くしなければという感覚を持っているだろう。

 防御機能は高いと判断された。強行軍そのままの勢いで突撃して陥落させるという選択は除外された。

 我々は街道沿いに南進してきたので、その北部から包囲を始める。中心になる防御陣地を造って、徐々に両翼へ広げる。

 別の道からやってくる敵の補充部隊、補給部隊に攻撃を仕掛けて足止め、入城を阻止。

 基本的に対峙する敵はヤガロ兵かジャーヴァル兵。ここより南にいるというマトラ方面軍、妖精兵共とは遭遇しない。

 こちらから出す降伏勧告に対してセナボン市は、市長よりヤガロ語で返って来た。

 ”ここがお前らの墓場だ便所の糞豚エデルト野郎、エグセン人のオカマ掘れ、馬鹿”。と通訳が訳す。

 かの民族とは歴史的に友情を育んできたわけではない。

 包囲陣を広げる中で伝令が到着、それも南方から。

 その騎馬伝令はフラル語を話すということで貴族士官が対応し、方言が強くて不明。神聖教会を通じてフラル語を学ぶ者は聖都界隈のリゲロニア方言を解す。

 更にフラル語に堪能な従軍司祭が対応。話し言葉はともかく書き言葉には大きな違いが無いので解読成功。

 フラル東部軍、ラーム川の渡河、北進成功。しかも流域東部最大の主要渡河点とも言えるニッツ市を占領しての大業。防御を担当していた妖精兵ばかりのマトラ方面軍の一隊も東西へ散り、扉が開いたとのこと。

 あまり喜ぶということの無い懲罰大隊司令部でも盛り上がった。

 フラル兵など腰抜けの弱兵ばかりと言われていたが、ついにやった。

 どうもフラル東部軍の攻撃を失敗させるための計画洪水が中途半端な増水で終わり、水位が丁度河岸段丘を水没させる程度で渡河しやすくなってしまったらしい。

 ただし、そのフラル東部軍は南方から包囲されつつあるとのこと。食糧弾薬は大規模に集積されていて、二百万もの大軍であるからしばらく持ち応えられるらしいが。

 伝令の朗報だけに浮かれず、ニェルベジツに設置された参謀本部直下、上級の司令部にラーム川突破の件で問い合わせる。電信が直通しているわけではないので騎馬伝令が行く。

 返答を待っている間に突破してきたフラル東部軍の一部が続々とセナボンに到着し、懲罰大隊の包囲陣に加わり始める。南北連結、我々の優位、成功が目の前に現れているようだった。

 そして上級の司令部から参謀達が作った返事が返って来た。

 ”フラル東部軍の突破は総合的な判断から敵の策謀、肩透かし。ラーム川渡河点の明け渡し、勝利の栄光への掛け橋を現出させたのは背水の陣で決める死の覚悟を打ち消すための誘導である。

 懲罰大隊は北への退路を死守し、フラル東部軍を可能な限り北へと脱出、誘導せよ。帝国連邦軍は捕虜を取らず、一切皆殺しにする可能性が極めて大。フラル将兵二百万の完全抹殺は復讐の火を燃やさず、各地方の自己防衛的な士気崩壊に繋がりかねず、統一フラル戦線離脱の可能性を示唆する”。

 包囲陣に加わりつつあるフラル軍将官にこの事実というか解釈を提示すると納得のいかない顔をした。

 死臭を嗅ぐ現場の認識と、遥か遠くの会議室でお茶を嗅いでる”筆入れ官僚”共の意見、どちらに説得力があるのかということを将軍はフラル語で力説。地図に各軍を模した駒を置き、これから我々が敵を殲滅するのだと言った。

 まず、この包囲するセナボン市を陥落させ、南北の道を開く事には両軍一致。

 街道警備に更なる部隊を派遣して懲罰大隊を弱体化させることは、これはフラル東部軍が続々と北上しているからそれはそれで構わないということで一致。

 強面の極地、人狼という化物姿をするヴァレン少佐もフラルの将軍閣下相手には語気を強く出来ないでいた。あくまで序列ある軍隊。扱いの悪い懲罰部隊の佐官、それも年下では何とも、議論でも勝てない。

 セナボン市攻略には砲兵が必要。懲罰大隊の砲兵では足りず、フラル砲兵の到着を待つ。

 フラル東部軍の渡河成功は本格的なもののようで、榴弾砲がしっかりと南方からやってきて砲兵陣地を築き始める。

 上級司令部、参謀本部。紙の書類でしか知らない戦場を本当に把握出来ているのかというフラルの将軍が言う言葉に信頼感が出て来る。懲罰大隊お得意の肉弾突撃も不要と将軍が言い出す。何なら東部軍が保有する物資を、補給が間に合っていないベーア軍に分ける用意があるとも。無補給で二年戦える分があるらしい……ずっと戦線が動かないままラーム川に釘付けにされていた事実が嘘と思わせない。


■■■


 セナボン包囲が進み、フラル砲兵が攻撃準備射撃を開始。要塞の破壊状況をつぶさに観測。

 そして破壊状況から市内突入の日付はこれ、と予定表が組まれた。

 全体的な戦況は更に進展した。

 北からベーア正規軍も幾つか投入され、変わらず脱出作戦を実行するよう、遂にはフェンドック参謀総長の署名付きで命令文書が送付されるに至る。

 それからソフリーン高地西麓からセナボン、ニッツに至る街道を中心軸とする。窮地が訪れた。

 西側の状況。マトラ方面軍半個が、ウルロンから降りてきたワゾレ方面軍と合同で攻撃。フラル東部軍の一部が防御配置に付き、塹壕の形成も間に合わない状況。兵員の逐次投入で突破を防いでおり、大量殺戮が行われているに等しい被害を受けている。

 東側の状況。マトラ方面軍半個が、旧バルリーからやってきたユドルム方面軍と合同で攻撃。フラル東部軍の一部が防御配置に付き、西側と同様に被害甚大。

 ソフリーン高地南側をムンガル方面軍が攻撃し、西麓地区に到達して占領。

 細長い街道沿いに我々は閉じ込められた。敵軍の個別名称が判明している分だけ、軍情報部は優秀なのかもしれない。

 セナボン市を陥落させれば救出に来る友軍を、要塞を利用して待つことが出来るとして、陥落のための突撃命令を発することが会議で決定される。

 そして甲高い飛翔音を立てる砲弾が次々とフラルの砲兵陣地にある弾薬庫を破壊し、小山のような爆炎の柱と、あちこちに遅れて炸裂する砲弾を散らかして突撃命令が実際に発せられることなく会議が止まる。

 弾薬庫の誘爆で最初は気付き辛かったが、それからの大砲と砲兵を狙う砲撃の一発が大きかった。どこから撃ってきているのか、周辺警戒の部隊が上げて来る報告は一律”敵砲兵の所在不明”。発砲音が聞こえない遠距離から、ほぼ直上より異音を放って落ちてきている様子。

「列車砲?」

 誰かが言った。帝国連邦に占領されてから月日も大分経っていて、我々が地図上で知らない線路が幾本か引かれていても不思議ではない。想像を越える距離からの射撃と言えば列車砲。

 あんな物を食らってフラル軍は大変だという他人事の考えが過って、こちら懲罰大隊の砲兵にも着弾した時、逃げ出す足がある者はそれだけでも十分に気合が入っていた。

 表層舐める爆風。草の切れ端、枝、砂利、虫と小動物。

 人と馬、武器、木製品、石ころが横から、時に燃えながら放物線を描き、転がる。もしくは上空から落下。

 ヴァレン少佐が「とにかく逃げろ!」の一声。

 自分も走り回って「逃げろ!」と「散れ!」と「隠れろ!」の連呼が精一杯。

 基本的に自由意志を許さず、寝起きも行軍も固まって行動させている懲罰兵共に砲弾直撃。一度に何百か何千かもしれない、爆心地から霧、破片、四肢分断、打撲に切創と形を変えて即死から致命傷、重傷に軽傷に、恐怖で硬直か離散。

 周辺から煙が立ち上る。幾数本、十、百? 砲弾に比べると悠長な勢いの飛翔音。

 包囲陣全域に飛翔体の飛来、着弾、跳ね返り、炸裂、塩素瓦斯の黄緑霧。かさばる防毒覆面は寝所に置いてある者ばかり。咳き込み、くしゃみ、嘔吐、嗚咽。

 辺騎兵の駆ける姿。周辺警戒部隊から騎馬伝令でもやってきたかと思ったが数が多い。装束が黒い、人も馬も防毒覆面着用。騎乗から銃撃、炸裂矢、槍と刀を振るって殺戮。

『ホウゥファーギィギャラァー!』

 列車砲で指揮統率が崩壊、毒瓦斯火箭で個々人を麻痺させ、奇声上げる騎馬突撃で壊走。

 剣術は通用する? 敵の装備は様々。一番近くにいるのは馬上で二丁拳銃を構える騎兵。

 いや、無理、逃げる! 防具は寝所に置いてある。戦闘状態ではなかったんだ。

 馬蹄に混じって車輪の音。敵は荷車に載せた機関銃を並べた。逃げる我々に向かって交差射撃、幾重にも。

「アーヒヤッヒャッヒャー!」

「ダーリク様、大猟ですよ大漁!」

 皮と肉が弾けて、骨が砕けて、潰れた肺から空気が声のようなものと一緒に絞り出される。それから悲鳴と苦鳴、赤子のような号泣は広がる塩素瓦斯を吸い込んで潰れる。

 敵の、機関銃が載った荷車が手押しで前へ。死体の絨毯を作り終えたらまた馬に繋いで次の位置へ走り出す。

 地下倉庫があった。中で難を凌げる。

 私は神を信じ切れるか?


■■■


「何かお前、声がデカいらしいな!」

 捕虜になった。帝国連邦軍が何のために自分を捕らえたのか理解は難しかった。懲罰兵達の復讐の的にでもするのかと思ったが違った。

 長々と連行されて、ラーム川にまで連れて来られ、川淵に立たされ、水の中に叩きこまれてから転がされて「きれいきれい!」にされて十字架に縛り付けられ、上部に結んだ綱が引かれて高く立つ。正面にはフラル東部軍の、どこかの部隊の陣容が見えた。

 あの黒い騎兵達から、自分は妖精共の手に渡っている。

 何か駆け引きに使おうというのだろうか? 自分のように磔にされている者は川沿いに、柵でも作るかのように並べられているが。

「おい人間、お前、面白いことを言ってみろ!」

「何だと?」

 きゃっきゃ、と妖精共が笑う。

「おい人間、お前、面白いことを言ってみろ!」

 別の妖精も同じことを言い、きゃっきゃと笑う。

 誰が言ったか知らないが、声色に言葉を真似て、遊んでいる。

 川向うにこちらを眺めるフラル兵。銃砲弾が届く距離だが、今は戦闘状態には無いらしい。

「ベーア帝国軍はフラルを見捨てないぞ!」

 届いたか?

『きゃー! ぎぃやー!』

 妖精共が盛大に笑って喜んで、この股間に銃剣を突き刺した。

 激痛、鈍痛、神経に障ってせり上がって来る。睾丸……。

 ズボンを濡らして裾、踵を伝って爪先から血が落ちる。

「おい人間、お前、面白いことを言ってみろ!」

 きゃっきゃ。

「おい人間、お前、おちゃんけぴろぴって言って……はっ!?」

 妖精共、口を己の手で塞ぎだした。

「おい同志、お前、面白いことを言ってみろ!」

「にゃんぷー」

『きゃー! にゃんぷーいやー!』

 妖精共、走って散り散りになる。

 何のためにこんな……遊び半分で。


■■■


 参謀本部直属独立”懲罰大隊”

 剣術師範ユーク・ドリスタット佐官勤務大尉

 オトマク暦一七五五 ~ 一七九一

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