第516話「ベルシア防衛作戦準備」 ランスロウ

 ベーア国内からロシエ国境へ戻るまで敵地を進むような険しさだった。

 進む補給、補充部隊と戻る傷病兵が頭合わせる渋滞。道路は荒れ放題で冠水。処理し切れない地雷が埋没。地面が抜けたと思ったら、埋まった腐乱死体の肋骨を踏み抜いていた。

 道路の崩壊は計画洪水の戦術級の影響。水の力が怖いのは今更だが、砲弾が届かないところまで人為的に破壊してしまうとは驚愕、いや再認識。

 帝国連邦の土木能力の高さは以前から要注意だった。あの脅威に脅され、政治的要求を呑まされるようなことがあれば戦略級か?

 ベーアが疲弊しきって、しかし決着が付かない時、毎年これを食らうか降伏かと迫られた時に選択肢はあるのか? 龍朝天政との戦いではフォル江源流に大規模工事を仕掛けて脅迫をしたらしいが。

 ベーアは計画洪水に備え切れていなかった。堤防決壊箇所は数え切れているのか?

 我がロシエは? 以前は出来ていなかった。今は出来ているか?

 ロシエの水路は河川交通改造計画の推進でマシにはなっているが、この規模の計画洪水をウルロンからやられたら怖い。革命時の計画洪水と堤防崩しも酷かったがここまでではない。

 帰国の列車内。瓶詰の塩漬け目玉を、ギスケル卿は良く眺めている。回して見比べているが、特にある目玉の二つがお気に入りのようだ。

 しかし横顔が美しい。非現実、ここは現実世界なのか? これを流行りの写真とやらに封じ込めたらどれほど? いやしかしそれは偽物。しかし、しかし永遠の同伴がならぬのならばせめて瞬間を一つだけでも。

「大物ですか」

「老い先短ければ全盛期の期間も違います。勝負は時と運ですね」

「時と、ですか」

「老いる、長生き。配置替え、その日までそこにいる。そもそも敵ではなくなる」

 ギスケル卿の手が自分の顔に……ひんやりさらさら。

 内から魂が抜ける。

 は、は、発狂しないように堪える。

「少し違ったらこうすることもありませんでしたね」

 運を使い果たしてしまったかもしれない。

 しかしこれでいい! これがいい!


■■■


 列車を乗り換え、シトレ経由で帝都オーサンマリンへ到着。駅構内、操車場、整備場に待機車列多数。

 ベーア行きの貨物列車が休み無しに運行されている。あちらからやってくるのは負傷者ばかりだ。

 武器弾薬を中心に物資を送り、負傷者を輸入して治療して送り直すという奇天烈な交易が成っている。たまに金塊護送中らしき車両が見える。戦前の最高値と比べれば半値と言われる黄金だが。

 毎度思うが、通行人に鉄兜党が増えてる。

 愚かな本物の鉄兜被りがいて、それらしい帽子を被る程度の主義者だが常識人もいる。

 それから義眼装置付きの鉄帽被りもいる。視力を取り戻す行為は愚かではないものの、その技術供出元に感服しているのであれば実質鉄兜共の一党。

 頭の弱さを隠したいのは馬鹿特有の行動ではない。しかし脳を止めて全て宰相に委ねようなどと……あれが”故障”しない保障が何処にある? 修理業者は?

 ギスケル卿も片目が義眼だが……馬鹿な考えだ。

 駅の外、まだまだ都市部限定の舗装道路上では、金持ちの玩具である自動車が道路を走っている。蒸気機関を焚く、座席が載った程度の機関車が目立つ。

 あんな物は馬に牽かせた方が早い。未舗装道路を走ったら引っ繰り返りそうだ。

 自分はあんな機械を、なんとかして、輸送車両化しろと発言してきた。従来と異なる生産、供給、輸送組織を必要とする。改めて贅沢なことを要求している。だが必要だ。

 目の前で自動車が止まる。運転手が下車、敬礼。こいつは以前、馬車の御者をしていた奴だな。顔と声に覚えがある。

「レディワイス閣下」

 後部座席の扉を開いて、

「どうぞ」

 とお迎えだ。

「馬車ではないのか」

「馬は戦場と教練へ。流石に元帥をロバで牽くわけにはまいりません」

 しかしこんな臭くて揺れる玩具にギスケル卿を?

 ギスケル卿、先に乗る。なら良いか。

 こちらも乗る。屋根と壁がなんとも狭苦しい。馬車より設計に余裕が無いのか? 重量が増えると走れないのか? 輸送車両化計画など更に遠いのでは?

 前部座席に座る機関助手が蒸気機関を調整中。

「どうも」

 職人畑風か、挨拶は短い。まあいい。

 運転手が乗り、うるさくて煙臭い蒸気機関が唸り、機械が回って金属が擦れ、組んで離れてを反復する音が出る。

 馬は都内でほとんど見られない。騎馬の警察、伝令、郵便局員のような必要な仕事以外から排除されているかのよう。道端に転がる馬糞の量も記憶より遥かに、

「少ないな」

「帝都が率先して手本を……」

 運転手が交差点で回頭する度に操輪を「んぐ」と握り込んで回す。大型車両の場合は単純な装置では運転不可能かもしれない。補助動力が必要?

「……失礼、重量物牽引の自動車も、郊外の方からですが増えてますので」

「どう思う?」

「は。機械化こそロシエの未来と信じております」

「結構。前線で後ろの情報から離れていた。何かあるかな?」

「地雷処理用自動車が開発中と聞きましたよ。輓馬は前に馬がいないといけませんが、自動車なら後部に大事な機関部を置いて、頑丈にした前部処理装置にだけ衝撃が来るようにという設計が出来ます」

「それは画期的だ」

 先の戦いに間に合ってくれれば少し違ったかもしれないな。


■■■


 官舎へまず寄って手荷物を下ろすことにした。

 ギスケル卿は宮殿へ。彼女をこんなむさくるしいところへ案内出来ようもない。自分がどんな精神状態で行動していた、などと然るべき部署に報告でもするのだろう。

 監視は糞食らえだが、あの人なら良い。いっそ良い。

 自室の郵便受けに溜まっている手紙を確認しながら次々と捨てる。

 寄付依頼。未だに旧家は金持ちと思われている。

 講演依頼。国債なんぞ未亡人の泣き芸でも見せて買わせればいい。

 謝状。開封しようかと思ったが止めた。こんなもの阿片溶剤以下だ。

 苦情。敵に言え。

 葬式案内。戦時に墓場など巡回しようものなら仕事も出来なくなる。

 死亡告知。平時にまとめろ。

 意味の無いものを分類する思考すら無駄。

 その中の、弟インベルからの手紙。字が汚くて目についた。読めば文章が散らかっていて文意不明瞭だが、陸軍士官候補生になったらしい。

「嘘だろ!?」

 あいつに入学許可を出した馬鹿はどのくらい馬鹿だ!? このくらいか!? 声が出てしまったじゃないか。

 余計な情報を頭に入れてしまった。馬鹿がどうであろうと既に成人、自己責任だ。

 ごみ箱を紙で埋める仕事が終わるころ、伝令がやってきて”明日に登庁せよ”と宰相からの伝言を貰う。

 まずは寝るか。


■■■


 登庁せよとオーサンマリン宮殿に行き、あまりこちらと目を合わせたがらない陸軍卿から書類の塊を受け取り、嫌がらせでその場で署名して返せる物は、遠回しの抗議を聞き流し、無視しながら返した。

 それから案内があって都郊外の理術大学付属実験場へすぐ移動することになった。ギスケル卿はまだ来ない。

 芝の青い広場、障害物試験路、塹壕から水濠。陳列された試験兵器群。地雷処理車は? 何の目的で造られたか奇形ばかり。

 宰相ポーリがつばの広い帽子を被り、半ズボン姿、杖を一本持って散策姿で待っていた。作り笑い顔を向けられたかと思ったが、あれは悪戯。

 まず初めに指揮車両候補と呼ばれる大きい四脚型の巨大な機兵? へ試乗することになる。操縦手、機関手、砲手、指揮者の四人乗り。指揮席に座る。

 登り坂、下り坂、でこぼこ道、茂み、林中、泥の中で大揺れの上向き下向きの機動。

 機内設備が剥離しそうな反動と反響の機関砲試射も体験。

 移動、停止、迫撃砲発射、また移動という機動も体験。

 四脚機兵は胴体を地面につけて脚を横に広げると思った以上に姿勢が低い。悪路を進むためには蟹だか蜘蛛だか、そんな脚が必要ということは分かった。車輪には――何か技術的な突破点を越える必要がある――真似出来ない動きだろう。

 カラドス=レディワイス家の名にかけ、嘔吐物は飲み込んだ。喉が焼ける。

「んぅ……揺れが酷い、普段から乗れませんね」

「指揮官を守ります。乗るなら離脱時、銃火の下でしょう」

 もう一度声を絞り出して宰相に意見する。

「慣れた乗員は一応平気そうにしてましたが、健康は考慮していないように思います」

「四脚輸送機のように外から動かせます。馬車とは違う使い勝手を活かして下さい」

 馬匹が不要で動力が自己完結しているのは評価したいが。

「革命末期のことです。ペセトトの自動人形をあまり理解しないで流用して造られた木製の多脚機動兵器というものがありました。当時は逼迫する戦況に間に合わせた急造で、製作者も同機に搭乗して戦死しまして設計図も無く詳細は不明だったのですが、この度再現しました。脚の数は八本とも六本とも言われましたが、重量との兼ね合いで四本です。

 戦列装甲機兵はその姿で塹壕も乗り越えて戦線を圧迫するのが主眼。この多脚装甲機兵は、低い姿勢で動き回り、搭載火器で敵兵を掃射します。最終的には歩く砲兵にしたいところ。馬に牽かせるような、脆い動力装置が全面に来ることなく正面射撃が可能です。ただし」

「乗り物酔いが酷い。長時間動けないようでは使いものにならない。拠点防御用ならただの大砲でいいのでは」

「そうですね。当時はきっと、良く分からないまま、限界まで頑張って、我慢したのでしょう」

「射撃型なのに指揮用とは?」

「元帥の強力な護衛と思ってください。銃火の下でも動き回れる。榴散弾を受けても穴が開かない上面装甲を採用しています。乗らない時は、これが座った背後にでもいればよろしいでしょうか。部品取り用とある程度割り切った同型機を三機運用して貰います。中々、構造的に無理があるので故障前提で」

「装甲馬車の方が良いのでは。構造も単純、修理も簡単、身を隠せる」

「作ってしまったものはしょうがないですね」

 この豚野郎が。

 次は装甲機兵の小型仕様である。強化外骨格よりは大きいので中型と言うべきか。人間はどこに乗る? 頭に乗る砲手もいない。

 動きは非常に軽快で、関節部の動きも柔らかい。走る跳ねる、伏せて起き上がる。工兵装備も巧みに使う。中型機仕様の機関銃、機関砲を持って執銃動作などやってみせた。

 戦列型ではなく散兵型と見た。そのまま、まるで甲冑を着ける巨人。

「従来の装甲機兵の操縦方法は、管風琴奏者の如き腕が必要とされてきました。砲手や随伴歩兵に機外から手伝って貰っても戦闘機動となれば限界が生じます。だから単純な動作以外を封印するような”戦列”型や、妨害の無い状況での”工作”型に留まってきました。

 この実験機は直接念じて動かす事が出来ます。既に義肢、義眼によって人体欠損部を動かす技術は普及していますね。赤目卿の義眼もそうですから、お分かりですね」

「ええ、まあ」

 整備員が、宰相の合図で実験機の腹部装甲、乗員席を開いて解放する。そこには”袋”? 中核的な部品? 機体自身が敬礼した。

「これに両目両腕両脚を失った者を乗せています。まるで己の身体であるかのように、先程のように操縦出来ます。義眼義肢たる機体構成部位は人体より離れた位置で動かし、操縦者を腹部装甲の奥に仕舞い込んで死傷率を下げています」

 ”袋”じゃない。

「悪魔の技ではないですか!」

「何か、試されている感じはしますかね。信仰よりももっと根幹の、良識ですか。もしかしたら死体を見つけてしまった時のような危機察知、生存本能」

 この豚野郎が。

「腕と脚は、言ってしまえば脳髄機能以外はこの機体にとって邪魔な存在です。目に腕や脚が三つ以上ある状態は脳髄への負担が大きく、暴走や誤作動の危険があります。それでも操れる者がいたとして才能に依拠します。天才には頼れない。負担ぐらいちょっと我慢すれば、というものではありませんので一応。眩暈、吐き気、集中力の著しい欠如からの気力喪失、失神、鼻血、脳内出血。死亡例もあります。四脚に乗った時に感じた乗り物酔い、あれより劇的に酷いものです。

 ならばいっそ、凡人を必要最低限の状態にし、部品とすることによって機体の能力を現状出せる最大限にまで引き上げました。初めから無ければ誤作動の危険もありません。

 あれで幻肢のような症状すら無くなります。機体に搭乗、接続している状態であればこそ身体を取り戻した状態になり、そちらの方が健全、健康であると認識するようにさえなります。健常者と違い、あのような機体こそ自身の居場所と認識して士気の高揚が見込めます。ある種、魔族にも比する超人化でもあり、陶酔症状も見られますね。剣に甲冑を身に着け、馬に乗った時のような、ある種万能感。強くなった気がする、あれです。廃兵院で、喉から下まで物を流すだけの生活より遥かに健康的。

 本来ならペセトトの自動人形のような水晶、硝子製の人造脳髄が至高ですがあの呪術刻印は未だに解析不能です。純度の高い素材を組み細工にし、内部に迷路のような空洞を作り、立体的な呪術刻印を形成。彫刻で脳神経を形成するような職人芸が要求されます。

 何が我々に不足しているのか、見本は鹵獲して分解、模倣、組み立てと行ってもただの彫刻止まり。捕虜にした妖精は口を割りません。そういう精神構造ではない。

 これが今、戦場に間に合った兵器です。未来の歴史家が非難するかもしれませんが、今の我々にはこれなのです」

 独立戦略機動軍、早くも被害過多で底に落ちたと思っていたが、もう二度と這い上がれないところに来た。

 この解説は、一応は非道を認めていると言うことか。それから加担させるので論理は知っておけと。

「強いロシエは、強さのためなら倫理を踏み潰しますか」

「勿論」

「ベルリク主義者と言われても?」

 顔が近い。あの悪魔大王と個人面談したと言われる、一番弟子疑惑者。

「お互い色々ありましたね」

 魔王イバイヤースの、元捕虜。

「ベルシア防衛作戦に就いて貰います。正式な文書は陸軍卿から貰っていますね」

「読みましたが、フラル東部への派遣ではないのですか? あちらの電信が混乱しているという話は、帝国連邦軍が奇襲を仕掛けたということです」

「他人に構っていられる程の余裕が無くなってきました。廃棄水上都市の大規模回収事業が魔王軍によって行われているようです。エーラン復古が真の目的であるなら聖都……から山奥側でしたね。旧エーランを目指すはず。一時占領ではなく恒久的に維持したいとなれば、目的地の海岸に上陸するだけではないでしょう。海岸堡とされそうなロシエの弟をここで見捨てる選択は勿論、ありませんよね」

 魔王軍の大規模上陸作戦に備える。

 我が独立戦略機動軍は、艦隊組織を除いて壊滅状態。殺され過ぎ。死を厭わず戦ったせい。

 敵が士官や熟練下士官狙撃を率先したことも重なる。戦闘服装で上下階級の違いはほぼ無いが、目立たぬようにしてあるものの階級章で区別された。また仕草でも判別されたようだ。自信にあふれていたり、顎が上がって手振り指差しが多かったり、前ではなく横や後ろを向いて背筋が立っていたり。狙撃時の状況を生存者に、詳細に聞き取りするとそのような光景が思い出される。仇はギスケル卿が幾らか取ってくれたが。

 この状態で派遣。員数外の扱い辛い者達の追放に見える。

 補給と関連する沿岸防御は艦隊と水陸共同作戦で行くか。海上から砲兵火力を補うようにしようか。

 陸上戦体制はこれら実験機を中心に組み上げるしかない。現地で演習する時間が欲しいが、悪夢のようだ。

「演習、実戦評価情報はかなり細かくまとめた方がよろしいですね」

「はいお願いします。機械化部隊に一番詳しいのはランスロウ・レディワイス元帥です」

「ベルシアを本気で守るのですか? これで」

「それは勿論です」

「フラル軍に押し付けられれば楽になりますよ、ベルシア軍を撤退させて本土、エスナルに回す。ベルシア防衛という義務からの解放は、強いロシエとしての判断では」

 宰相の言う強いロシエというのは損切を許容するもの。それこそ、四肢切断も厭わない。ロシエを新型に改造する気か?

 目線も合わせなくなった宰相は何も言わない。水筒に口をつけて、散歩でもするように実験場を去った。

 林檎酒の香り。

 この豚野郎が。


■■■


 ロシエ南部のポグレ湾、その中で現在では一番の規模となるヴェラコ港を列車で目指す。貨車には実験兵器群。我が艦隊は現在、同港に集結中。

 先の革命戦争ではアソリウス軍に略奪され、住民も減り、それが再開発の契機となった。かつて廃墟になったシトレのように、旧市民の一時排除は破壊の後の再生ともなり得る。

 始発駅でギスケル卿と合流。もしかしたら来てくれないのではと思ったが杞憂に終わる。とりあえず死んでも悔いは無い。

「その飾りは」

「ええ」

 多くは問わないが、彼女の首から下がるのは目玉飾りである。生臭さなどは感じず、光沢の具合は硝子? それはまるで”妖精趣味”のようだがご婦人にあれこれと言うのは愚か。

 ベーア支援から引き揚げ、今危機に瀕するフラル支援へではなく、ベルシアの防衛へ赴く。

 陰謀の臭いがする。豚野郎が帝国連邦などと裏取引している気がする。

 次は我々になるかもしれない。いずれ”ロシエの破壊”などと宣告されかねない。

 一つの考えとして、あのベルリク=カラバザルも五十歳程になる。”老い先短ければ全盛期も。幸運でした”とギスケル卿が言ったように、蛮軍の再編期間なども考慮に入れれば寿命待ちというのも戦略の内だ。一過性の災害と見做す。

 時間稼ぎ、戦略的持久、内戦待ち。積極性に欠ける。積極攻勢でどうにかなる目途が立つならそうするから、最善手か?

 一方の魔王に魔族、寿命もおよそ数百年と途方も無い。本格的に事を構えるべきはこちらに思えて来る。

 正直ベーア、フラル人共の死などどうでも良いが、緩衝地帯として役割を果たさなくなるのも困る。ではやはりベルシア作戦など……。

 ギスケル卿が耳栓をして、耳覆いを被った。聴覚に優れるフレッテ人でも、蒸気機関の駆動音などしばらく聞いていれば慣れるもの。なら別の音。

 たまらず後部車両を見に行く。四肢切断目玉無しの”糞袋”共が騒いだり泣いたり、頭を振って唾を飛ばして介護の看護婦達を困らせていた。臭いからして抗議がてらの糞、小便漏らしをしている奴もいる。

 堪え性が無いと言うべきか、こんな”不良品”と言うべきか。下品、下劣でもある。

「黙れ馬鹿者共! 誇り高い兵士なら黙れ、ただの肉の部品でも黙れ。廃兵院に機乗不適と書類に書かれて送られたくないなら尚更黙れ」

 次に口を開こうとした者の口に手拭を突っ込み、平手で打つ。興奮の泣きから、自己憐憫の泣きに変わったところで貴賓の車両に戻る。キドバ女達に世話させようか、という言葉は、あまりにもあまりに、なので慎んだ。

 体が動かない分は赤子に戻ることで何とか、解消しようというのか。

 自分はあの豚舎の”糞袋”共の指揮官に相応しいということか。

 ベルシア防衛作戦準備、これしか出来なかった。

 補充兵の調達失敗。予測の範囲内。

 エスナル作戦以降に独立戦略機動軍から後送された傷病兵の原隊復帰手続き失敗。全て別部隊に回されている。ベルシアで玉砕しろという流れ。

 キドバ軍は従軍続行……。

 マリカエル修道院のように撃退されては困る?

 我々は独立した指揮系統下の戦略、機動する軍。目前の勝利だけを考えるのではない。最終的な勝利を目指す。

 そう言えばあの豚野郎、正装じゃなくて平服だった。まるでこれは公務ではありませんといった風体。自分と接触していないという言い訳。飲酒!

 あの独裁糞豚野郎、鉄兜の頭は無謬で、失敗は前科ありの自分に押し付け”事も無し”の心算か。

「いらっしゃい」

「え?」

 頭に手、寄せられる。優しい、強い。

 耳がギスケル卿の膝の上。良い匂いに温度が混じる。

 下腹部に寄せられる。息遣いに合わせて膨らんで、しぼんで……。

 わ、わ、わ。

 死ぬなら今! この瞬間に誰か殺してくれ!

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