第511話「昔から死なない」 ベルリク
リビス=マウズ運河を渡って以来、頭が気になる。あった物が無い。
帽子を無くした。銃弾で死んでいない処女の陰毛編み、弾避け呪いの品を”脚長”との戦いで無くした。久しぶりの首狩りが嬉しくて脱げたことに気が付かなかった。
三角帽じゃないとどうにも馴染みが無く、代用を被ってもしっくり来ない。
古参親衛隊の妖精が被っている三角帽は小さくて頭がきつい。型修正した物をわざわざくれた奴もいるが、どうもしっくりこない。ずれる。基本設計が人間用じゃないのだろう。
アクファルの予備、呪術師姿じゃない頃の赤い帽子を借りてみた。
「やっぱり俺に赤ってちょっと変じゃないか」
「ではこれにしますか?」
アクファルが脱いだ呪術師帽を被せてきた。貴石、鳥羽、牙飾り付きで毛牛の長毛。型は合うがもふもふ。
「これは俺の仕事じゃないな」
見た目を最適化するのも”頭”の仕事。
「赤でいいじゃないですか総統閣下!」
「赤帽党! 赤帽党!」
「赤き血潮が怒張する!」
「まるで男そのものですよ!」
いつからか目につくようになったプラヌールの変な姉妹。名前何だっけ? 乱戦で部隊が入り混じったのを良いことに最近ずっと近くにいる。決死隊みたいなのに混ぜて突っ込ませても生きて帰って来やがる。何なら狩った動物みたいに鞍から子供をぶら下げて戻ってくる。運が良い奴はいるよな。
赤も毛牛もアクファルに返す。チンポみたいと言われたので嫌。あの姉妹にガタガタ言われるのは嫌。
「これはどうですか総統閣下!」
「守護者様を犯した総統閣下にお似合いですよ!」
姉妹から房飾り付きの白帽党の白帽子が差し出される。野郎を認めたみたいで嫌。奴の下に入るみたいでかなり嫌。被るくらいなら殺す。
「次」
「私の帽子をどうぞ!」
「いやいやこの愚妹のは臭くて虱が集ってますから私のをどうぞ!」
「いえいえこの糞姉のは呪われて悪霊が集ってますから私のをどうぞ!」
黒軍の黒帽子。制帽だから別に何ともないが、没個性はちょっと考えもの。自分には役目がある。それからこの二人の帽子には変な人体加工飾りがあれこれ付いている。美的感覚が合わない。
「うーん」
「親父様、こいつどうです?」
若い奴が普通の三角帽を持って来た。戦場では時代遅れで、普段使いしているのは民間人くらい。民間基準でも流行遅れか。
貧乏人、徴収兵の安帽子は出来が悪いもので型崩れが早く、直ぐ脱げて邪魔というのが常識。ちょっと洗うと”削れる”。だがこれは縫製が良い。見た目は洒落ていないが縫い目が丁寧。工場製か?
「くさっ」
しかし嗅ぐとこれ、臭いで分かる。他人のおっさんとはどうしてこうも臭いのか。この世から戦争が無くならないわけだ。
イブラシェールは違って……クソめ、戦争は無くならないな。
魔神代理領風に今は黒布でも巻いておくか。
■■■
南北アルツレイン辺境伯領の間に挟まるブランシュッツ侯領内。そこの名前があるかもわからない辺境の高地に一旦黒軍は集結した。
この高地には地面が固い冬の内に大砲と砲弾を運び込んでおいた。登り斜面でも重砲を運び込めたのは毛象が頑張ったおかげ。えらい。
ここが今日まで隠し通せたわけではない。
斥候や地元住民がここに入って来たことがある。警備が大体殺したが逃した者も少数いる。見逃した者は痕跡から多い見込み。
その後、今日までまとまった部隊による攻撃は無かった。部分的な破壊工作も無かった。各地で暴れ回っていた我が兵がそれ以上の脅威になっていたのだろう。
失敗や間抜けをしでかすまでに色々あるが、対応不能なまでに奇襲、飽和攻撃を仕掛けるとこういうことがある。砂漠に落ちた砂金一粒を拾い上げるような感覚。
その高地に築いた砲兵陣地で敵軍を迎撃している。北アルツレインから引き続き我が黒軍を追撃してくる混成集団だ。ロシエの理術兵、人狼兵、一般兵の混ぜこぜ。指揮系統はどうなっているのだろうか?
まずはシルヴが重砲と野戦砲を交互に指揮、施術して教導砲撃。これはただの観測射撃ではない。
第一に通常砲撃、術砲撃双方による目的座標へ着弾させる諸元の素早い割り出しと、観測数値の隷下砲兵隊への共有。
第二に行軍隊形の先頭集団、指揮所に指揮官、観測機器に観測班、弾薬庫に弾薬運搬車を狙撃して敵の機動、砲撃計画を崩して動きを制御。
この二つに支えられた隷下砲兵隊の三個を、あの三馬鹿――名前何だっけ――が指揮して効力射を素早く加えて撃破、撃退に繋げる。
巧妙な砲撃に加え、春の泥濘で敵砲兵の展開は非常に遅い。対砲兵射撃で到着順、展開順に撃破可能。夜陰に紛れて一斉展開という手も取ってきたが、親衛偵察隊が前進して夜間に、間近で弾着を観測して破壊を可能にした。
痺れを切らして砲兵支援無しで突っ込んでくる敵部隊は良い的。面白いを通り越して呆れるくらい簡単に潰れる。
人狼兵はイスィ山地西の戦いから身体が異常に頑丈と知れたが弱点がある。アリファマ筆頭のグラスト術士隊が術捜索による探知で位置と進路を割り出せた。術妨害で頑丈さを取り除けば一般兵のように砲弾で死んだ。ちょっと突出してくるなら通常の銃撃で対応出来た。こうなるとただの目立つ的。頭に血が昇って運用が雑。
まるでここは無敵の高地要塞と化しているが弱点がある。砲弾在庫は残り少ない。敵地で鹵獲した程度では短期しか全力は発揮出来ない。
北からの攻撃だけでは攻略困難と判断した敵混成集団は、一旦攻撃を止めて全周を包囲するように各地からも部隊を集結させて包囲網を強化し始めた。その動きは親衛偵察隊が確認する。
……ルドゥから直接報告が上がることも無くなって少し経つな。
我々は間抜けにこんな高地に引き籠っているわけではない。
親衛偵察隊から川の水位の異常上昇を確認する一報が入る。対岸からの引き上げ合図だ。
そして竜跨隊が対空射撃を警戒した高空から通信筒を投下し、拾った兵から伝令伝いに手元にやってくる。
内容を要約すると、計画洪水開始、河川艦隊行動開始、全正面陽動砲撃開始。これを待っていた。
「シルヴ、もう遅いから帰って来なさいだってよ」
「あらもう引き上げ?」
「ちゃんと第二段階以降があるんだよ。第一次後退の第一ってのはハッタリじゃないぞ」
「へえ」
そして重傷者、幻傷痛が耐え難い者を殿部隊としてこの高地に残して去る。
余った砲弾は各砲へ装填したままにして、敵が近づいたら残った者達が使用不能にするため爆破する。それから有人地雷も砲弾改造で用意。
「楽しかったぞお前等!」
去り際、馬上から上体だけ後ろを向いて声を掛ける。
『総統閣下万歳!』
『大頭領閣下万歳!』
シルヴは帽子を脱いで掲げて返事をした。
「何か言ってやれよ」
「口が上手けりゃ女王になってたわよ」
「え、ホント?」
「あ、たぶん嘘。分かんないわ」
■■■
殿部隊に任せて東、運河西岸へ向けて移動する。
前線、沿岸要塞に向かう町村沿いの街道、補給路を通ったり、路外に外れたりを繰り返す。夜間こそ一気に脚を早める。進路は基本的に、単純には読ませない。
路上を中心に敵は警戒態勢。斥候が多く、監視所を留守にすることは無く、防衛部隊が比較的重装備で固まっている。
迎撃部隊は動けば分かるが迂闊に動かないで隠れている。先制攻撃を仕掛けて機先を制すことが難しい。何度も痛い目に遭わせたせいか中途半端ではない。
敵部隊の編制が容易に撃破出来る規模ではない。主力をぶつければ勝てるが、そんな大仰なことをしていると時間を浪費し、敵の包囲網に捕まる。
痛し痒しでどうしようもない。だから基本は無視。
アリファマが検知する。
「あっち、同地点」
「殿部隊に術捜索対象が食いついたので?」
「はい」
砲弾地雷の炸裂も遠雷のように遠い。さっさと引き上げて正解。
裏側を見せているとはいえ固めに固めた運河沿いの防衛線と、復讐に燃える混成集団からの挟撃は痛い。
素早く移動し、黒軍本隊は敵主力との接触を避け続けた。
どうしても接触しかねない時は牽制部隊を少数編制して当てた。日中は足止めし、夜間に原隊復帰して交代が基本。余裕があれば遠回りしながら電信線の切断、町村畑に放火して移動経路を欺瞞。
敵が行う、斥候から司令部への報告、司令部から命令の発行、攻撃部隊の出撃という手順より概ね素早く進み続ける。
火の点いた蝋燭の気分がする。動く度に、時間が経つ度に部下達が融けて消えていくようだ。エデルト横断の浸透作戦の時もそうだった。
運河から枝分かれする灌漑水路が氾濫し始めているのを確認。そこを跨いで行く。
第一次計画後退の完成へ向かっている。
今回の浸透作戦は浅いままにした。変な色気を出してファイルヴァインまで突っ込むなど、惹かれたが無茶が過ぎた。もしやればそれは面白かったが、皆は死に尽くし、わずかな生き残りも散り散りに逃げ回ることになる上、大勢に影響は無い。
セレード独立時のような類い稀なる”流れ”があればイェルヴィークへの一撃のような楽しい出来事が待っていた。今回は無い。
もっと凄いのは後にとって置いてある。熟成し切らぬ仕込みの段階で安売りなどするものか。
リビス=マウズ運河沿いの敵の複線陣地に近づく。そこへ到達するまでの道中、大要塞線を支える補給基地と化した町村が立ち並ぶ。最前線を維持するため兵士の宿舎、物資の一時保管施設、軽便を含む鉄道網。それからその各施設を維持するための”孫”施設などなど。
木の根のように無数に枝分かれする施設に接触、通過、軽い戦闘を交えていく。可能なら足を止めず、敵の先遣部隊との戦闘は騎乗射撃で勝敗に拘らず終わらせ、敵本隊が到着する前に去るのが理想。
段々と枝である施設が太く纏まってきて、”裏面”防御陣地と化してくる。今更背後をガラ空きにした間抜けな造りではない。
この突出部を容易に形成させてからの逆襲浸透の作戦には随伴させなかった、空飛ぶ竜跨隊が上空に確認される。親衛偵察隊が樹上から認めた程度なので戦場からは遠い。
この時点で相互確認がなった。進む東への脱出路を塞ぐ敵の複線陣地から、黒煙が地平の右から左まで壁になって現れる。手前の爆炎と、遥か運河向こうの砲炎が暗い夜空を明滅させ始めた。以降、昼夜途切れない。
帝国連邦軍ってこんなに砲弾を撃ち込む能力があったのか?
最後の一息。夜間の内に裏面陣地を突破するための陣形を整える。
ここまで進む間に生まれた重傷者を集める。西から追撃してくる混成集団の牽制任務には人数が足りないので戦場に特化し過ぎた精神異常者達も追加。指揮はキジズくんに任せる。
「役目を果たしたら戻ってきてもいいからな」
「お土産は生面百枚でいいですか?」
「重いから捨ててきなさい」
前面にシルヴ等砲兵が、ここまで使わず牽いて来た騎兵砲を並べて砲撃準備を整え、裏面陣地へ突撃準備射撃を開始。対岸からの友軍砲兵の弾着と一部交わる。
親衛偵察隊の観測と、シルヴが持っているベーア軍式陣地構築への”勘働き”によって弾薬庫爆破の火柱が上がり、飛び散った砲弾による小爆発連鎖が観測される。
黒煙混じりの赤い花火。衝撃波で照らされた煙が押し退けられる。
川沿いの最前線のような地下への掩蔽措置も無く、露天管理の弾薬に当たりさえすればこうもなる。
シルヴはエデルト式現代砲術の母とも言える。教本は私が作った、と言える立場。ベーア軍の大砲と弾薬部隊の行動論理を把握しており、何なら教え子に当たる者すらいるだろう。
「全隊……化学戦用意、前へぇ!」
騎兵砲の砲列の背後から本隊、防毒覆面を付けて前進。
砲列の発砲が互いの列と交わる時に一時停止すると同時に、撃ち残しの火箭を一斉発射。更に暗い空で一際発光する信号火箭を空へ打ち上げる。
同様の信号火箭が敵陣地内からも上がって合図を中継。潜伏していた工作員の手による。いると聞いたが本当にいるんだな。
そして対岸からも打ち上がっていると思われる信号弾は距離感から確認出来ないが、再び敵陣地内から往復の信号火箭が上がったのでこちらも返して二発目を打ち上げる。
前進を続ける。こちらの夜襲に対応しようと出てきた敵兵と暗闇の中、互いの銃火を目掛けるように射撃。擲弾矢の射撃が互いに視認が難しい中で撃ち勝っている様子。
倒れた部下、人馬の救出は無し。倒れても死ぬまでその場で戦い続けるよう指導済み。足を止めたら折角動きが砲撃で鈍っている機関銃の的になる。
前進する本隊の頭上を超越し、シルヴの砲列が放つ砲弾が行く手を耕し、やがて少ない砲弾は底を突く。砲兵装備は破棄され、本隊の後方に続いて前進開始。
散々前日から、カラミエへ到着する以前から観測され続けたこの要塞、防衛線。内外に拡張され続けながらも基本設計に変わりはない。どこを砲撃すれば効果的かは研究済み。
対岸の友軍砲兵が射程限界、最奥から手前に引き始める移動弾幕射撃を開始した、と思ったら爆裂音が近い。耳に来る、破片が高音鳴らして近くを通り過ぎた。
誤射! 着弾と人馬の声から直撃間違いなし。横隊形の我々に被さるように、横一線で砲弾が落ちた。
榴弾、榴散弾、こちらの呼吸に遠慮した程度の非毒の煙幕弾。三種を浴びる。笑える。
「よくあることだ、気にするな! うぇっはっはぁ!」
馬の背に立って声を張り上げた。
死んだ人馬は暴れない。重軽傷で暴れ出す馬はいるが、暴れる兵士はいない。訓練されている。
弾幕射撃が東へ引いていき、我々の進路を示す。彼等は自分にぶち込んだことを認識しているだろうか?
我が黒軍の、複線陣地を横断する道を友軍砲兵が砲弾で舗装。
家屋、堡塁を潰す。塹壕を崩して埋める。機関銃、大砲を弾き飛ばす。敵兵を八つ裂きにして穴だらけにして服と肌の裏側を散らして標識になる。内臓と炎、ふかふかの土を追って踏めば抵抗は軽微。
ここは東から迫る敵を迎撃するための陣地だ。西からの攻撃は想定外。敵砲台の多くは背後に砲口を向けられる設計ではない。
友軍砲兵の射撃量、マウズ川上流を渡河した時よりも多いように思える。制川権を取った強い水運能力が活かされている。
移動弾幕射撃は初め、横一線が西から東へ向かう形を取っていたが、段々と鏃型の直角線に移行。我々の進路前方だけではなく左右も守るように砲弾の遮幕を張った。
塹壕線でも正面で攻撃を受けてから後退しての、左右からの挟撃という手段がある。それを抑制している。
見事な腕だろうが、しかしこちらの隊列幅に比べて狭かった。先の誤射が無かったら大幅な隊列の変更が強いられていたくらい狭い。丁度、誤射で死にまくって出来た隊列の穴を詰めたぐらいで……それでもちょっと狭いようだ。
先行して自分が先導する本隊は密集隊形を取らざるを得なくなった。二度目の被誤射を避けるように隊形を狭め、確認させたら攻撃縦隊一歩手前くらいに横が狭まり、縦が長くなっている。
この幅が渡河可能地点、脱出口の幅だろうか? この自分に隊形を強いるとは生意気な砲兵指揮官だな。
更に進む。黒い空が西へ追いやられ初め、青く明るくなってきた空が東から迫る。
明るい東の空に気球の横列が見えて来た。何だあれ? 観測するにしても密集し過ぎだ。空の壁?
遂にリビス=マウズ運河が見えてきた。
砲弾が荒らした塹壕の複線を渡り、盛り土を凝固土で固めた第一線が崩れて低くなった位置から、水位を上げた水面に朝日が反射。
移動弾幕射撃、我々の左右を並行で守る形に変わって進路上に砲弾を落とさなくなった。
川淵で着弾が無くなって、完全に爆煙が視界を遮らなくなる。対岸の我が軍の陣地、発砲する砲炎、着弾する爆炎が良く見える。
両軍砲兵は絶滅していなかった。弾幕の中を進んでいたせいか、もうこの地域は平らに耕されていたと一瞬勘違いしていた。
進路はまだ途上。ここで運河上に展開した水上騎兵軍の河川艦隊が、直接照準で艦砲射撃を沿岸部に開始した。
望遠鏡からも、排水量の大きそうな砲艦が煙突から煤煙を吐く姿が見える。
敵に撃ち返されても装甲で砲弾を弾く程度の重装甲艦も浮かぶ。計画洪水で削った川岸、上げた水位が運用可能な艦型を引き上げている。
続いて上陸部隊が揚陸艇で川岸に向かって突入開始。砲弾が破壊した突破口、我々の脱出口に続々と着岸、上陸開始。
上陸後、船首に取り付けた自走爆雷が岸を噴進装置で車輪を回して進み、まだ最前面に張り付いている敵兵、施設を爆破。鉄条網を爆破時に左右へ飛ばす新型。
揚陸艇に取り付けられた旋回砲座、機関銃座からの射撃が始まり、その下を突撃兵が潜って最前面に取りつき始める。
友軍の十分な支援を受けながら、瓦礫と死体と負傷者を人馬の足裏で踏みつけながら遂に川淵に到着。突撃兵に挨拶しようとして、帽子を脱ごうとして巻いた布に指が引っ掛かり、手を上げ直す。
「諸君ご苦労!」
「総統閣下だ!」
「おお!? 総統閣下万歳!」
遂に川岸に出る。自走爆雷が弾いて左右に広げた鉄条網と支柱が絡み合って茂みになっている。
モルル川の水位が非常に優勢で、南から北へと流れが逆流している。水中に小さくなった雪塊、氷片、冬の枯葉が混じっていて流れが見て分かりやすい。冬の間に溜めに溜めた雪、雪解け水だ。
馬の状態、怪我が無いか確認して健常と判断された者から泳いで渡り始める。北への流れに沿って逆らわず、斜めに。馬体から湯気を上げて。
冷たい水でどうなるかと見守っていたが、流れの速さと管理された運河の、丁度良い狭さ。泳ぎ切るまでに凍死することは無かった、
河川艦隊をにわかの川中の陸地、中洲と見做した長い舟橋が建設されている最中。こちらの西岸には一部、まだ接続されていない状態で形成されている。また、出来ている橋の部分の周りには分厚い氷が余白のように形成されている。術架橋。
見たところ、各連結部も凍り付いて揺れず、浮力も増しているようで本物の陸地とまではいかないが大分安定して見える。
続々と黒軍が川岸に集結。頭上を陸と川の上から放たれる砲弾が飛んでいく。川岸からやや突撃兵が前進し、水面を拝む我々の背後を固め始める。砲弾で崩れた塹壕の一部を掘って成形し始める。
橋頭保を確保してしまった。このまま作戦計画を捻じ曲げて突破を図りたくなってくる。しかしそれは魔性、後が続かない。そんなことはしないと決めているから今の在庫を気にしない砲撃が出来ているのだ。
浮かぶ艦艇、甲板上に並んだザモイラ術士の少女達が合唱を始める。美しい声ではなく、演奏者からすれば不快に聞こえるだろう歌のような詠唱術が展開される。
西岸と舟橋の未接続部、水面が霧を上げて氷結して連結。工兵がその新しい氷上に路装を施し始める。
自分は最後まで西岸に残る心算。
毛象は、あの体重では舟橋でも転覆しかねないので泳いでいった。鼻を水面から出していて面白い。
凍る船橋の接続、補強が順次成って渡河脱出が始まる。
シルヴが合流。
「よお! 弾幕射撃の初弾、もろに食らったの聞いたか?」
「へえ、何で死ななかったの?」
「下手糞」
「はっは! アクファルは怪我無いの?」
「ありません、お姉様。お揃いですね」
「あーん、そうね!」
シルヴが自分とアクファルの頬を指で順に突っついてから舟橋を渡って行った。続く三馬鹿、鼻無しだけが血の染みた包帯巻きである。
「死ねば良かったのにな!」
「お前の骨でシルヴ様に酒飲ませろよ!」
「本望だろ変態下劣野郎!」
「誰に向かって口利いてるんだあ!?」
馬上から三馬鹿に殴りかかる。二人は鼻を殴って血を流させ、鼻無しだけは包帯巻きの負傷箇所を殴ったら「ばぁああ!?」と叫んだ。気分が良い。
黒軍予備隊も撤収し、最後にキジズくんが率いる少数の、血塗れボロボロの部隊が到着する。
「お土産です!」
キジズくんが、折れた槍の柄に生面を三枚通した状態でやって来た。
「良くそんな余裕があったな」
「首に刀当てながら髪掴んで引き千切った首から、削って作った分がこれだけです」
「器用だな」
■■■
およそ脱出されられただけの黒軍が三千以下に減じて西岸から東岸に渡った。河川艦隊もその後に撤収。沿岸要塞と正面から殴り合う形になり、轟沈、大破の損害もあった。
自分は東岸に渡った後、何を言いたいか把握が難しいザモイラ術士の少女達に囲まれて食事会。滅多にこの子等と一緒になることは無く、ちょっとした記念行事。
手の込んだ料理が、下げ渡し前提の宮廷料理のように配食される。死者分まで余裕を持って作ってあり、かなり余りそう。グラスト術士に続いて彼女達は体格以上に食べる量が多いので食い尽くすかも。良く食うなぁ。
先輩達に倣って、秘密の魔術の達人となるべく寡黙である。隣に座っている子に話題を振ってみよう。
「今日のご飯は凄いな。どうだ、美味いか?」
「んーう」
ほぼ唸り声のみで肯定された。
「お前等、前線に出てみてどんな感じだ? 何でも言っていいぞ」
注目が集まった。多数の視線を感じる。そして、考えているようには見えるがお返事が無い。脳内で返事はしてそうだな。
「アリファマ殿から、妹達の働きはどうでした?」
「問題無い。閣下?」
「いや見事ですよ。大量の流水を凍てつかせるっていうのは、凄いのでは」
「は」
ほほう。自分は分かるが、他の連中と意思疎通出来てるのかこれ? ここの司令官は彼女達とどう連携したのか。
「たしか通訳官が手配されるよな。通訳いないか?」
はいっ、と手を上げた子がいた。術士だが。
「君かい?」
「ノンノ!」
「ここにいるのかな?」
「んーノーノ」
いないらしい。しょうがない。
浸透中は手の込んだ料理も口に出来なかったことを思い出しつつ、今日は腹いせのように一杯食べた。腹がキツいので横になってゴロゴロしていたところ騒ぎ声が近づいて来た。
様子を見ると、以前に”私もいい子いい子して下さい!”と言ってきた内務省職員。あの美少女があの姉妹に担がれてやってきた。
「総統閣下どうぞ、滅多に見ない上等な小娘ですよ!」
「助けてください! このおばさん、変なんです!」
「何だお前等?」
「何だですって?」
「そうです、私達が」
『ファガーラ姉妹です!』
言われて名前を思い出したところで変なおばさん二人の腹に蹴りを入れる。
■■■
帰還のための渡河作戦を東岸から指揮していた水上騎兵中央軍司令部に出向く。ちょっと待たせ過ぎたかも。
アクファルがまとめた浸透作戦の報告書を読ませながら、色々話は尽きなかったが、頭上に浮かんでいる気球の列について司令に聞いた。
「ユバール製の阻害気球とかいう物です。鋼線付きで上げた気球という単純な物でして、飛行船の爆撃経路を妨害出来ます。完全阻止は不可能でしょうが、絶好の攻撃位置を取らせない、らしいです。あれは旋回半径が大きくて、一度位置取りを失敗すると大変らしいですよ」
「へえ」
取り扱い説明書を貸して貰って読む。ユバール製か。ロシエと国境を陸で接していると、高射砲といい対装甲銃といい、発想が違ってくるようだ。
ロシエがベーアを軍事支援していることは間違いない。浸透作戦中に飛行船基地を破壊していなかったら、この朝に頭の上から何かを落とされていた可能性はあったし、この東岸に揃った膨大な数の大砲、弾薬に火が点いていた可能性もあった。
それから雑談だが、泳いで渡った者の話だと川の水が”少ししょっぱい”らしい。
「それは高地管理委員会がリビス川東岸からの計画洪水で、岩塩鉱に水を経由させたのが原因ですね。これにより土壌に塩害が発生して更にベーアの農業生産量に打撃を与えるらしいです。流石の水量なので効果は覿面ではないと思いますが」
「何でも試してみるのが帝国連邦軍だ」
「はっ、仰る通りです」
それから第一次後退計画の進捗状況を聞く。
この浸透作戦による敵後方地域の混乱。脱出のための陽動も兼ねた全面への”大”砲撃作戦が作った攻勢発起線の一時破壊により、リビス=マウズ運河、モルル川の合流地点から軍を後退させる初動に十分と判断された。ラシージ軍集団の南下しながら後退する計画との連携は順調とのこと。
このモルル川北岸西部を放棄し、レチュスタル司教領の線まで後退すれば疎開に消極的なヤガロ王国国民感情も動くだろう。西のリビス川正面に加えて、この北のモルル川側面まで接敵すれば危機感は増大する。冬宮がある第二の王都チェストラヴァが本格的に最前線となれば尚更。
今回も生き延びた。何万もの将兵を使って自分の首を狙ったような計画があったと思うが、それでも生き延びた。不思議と昔から死なない。
若い頃からの記憶を辿ると、色々自分を試してきたように思える。
エデルトを出て仕官先を変えた。
次は自前の軍隊が欲しくなった。
遊牧民族の錬成を成して自前の民族も欲しくなった。
バルハギンを越えるというのは少し雑な目標だ。あの人物が存命中に出来たことと、その子孫が出来たことの境界線は曖昧なところがある。
今はどうだろう? ぱっと反射的に思いつくのは関連被害者を含めて一億人の殺戮だろうか? バシィール城主になってから数えて、今のベーア破壊戦争の途中で一千万に届いたと推測はしている。
今一千万ならやはり次の一億。何とも数値のキリが良い。
あと十倍……十倍? 生涯かけなければならない。まだ五十歳にもなっていない。あと寿命は半分、死なずに生涯を費やす必要がある。
しかしこれらの目的、変わったところであまり心は痛まない。何を止めたら痛むだろうか? 目的が二の次だとすれば手段のみ。
戦争の放棄は有り得ない。これは死んだ方がマシというもの。寿命の限り、無限に続ける方法は無いものか?
術の才能が無いことから魔族化は出来ない。出来たとしても何か、違う気がする。
先史時代からの謎の化物共に、常人として勝ってみたい、か?
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