第510話「便利屋」 ノヴァッカ

 土の地面を踏めば足形。泥。

 暖房が効いている部屋では視界の端に、時々蜘蛛。虫が出て来た。

 動物が動き出している。早朝から鳥の鳴き声。変な猫がいると思ったら合体連結中。

 ラシージ軍集団、イラングリ方面軍は前線を支えながら計画後退を実施。敵がリビス=マウズ運河を渡って形成した突出部を完全に制圧。これは総統閣下の黒軍が西岸の砲兵陣地と補給路を潰しつつ東岸の渡河戦力を誘導、引き戻した影響で早期に叶う。

 敵が懲罰大隊という組織で万単位の尖兵を運用していることがこの戦いで発覚。大量の投降者は待遇の悪さからベーア帝国に反発心があり、武装捕虜としての運用が計画される。だが痩せて弱り、疫病が蔓延していたので中止。検疫簡略化、後退路に加工散布処分。

 計画後退の最前線へエグセン第一人民軍を送り込む計画が立ち、実行と同時に現地エグセン人住民と結託しての暴動、反乱が多発。

 一度解体して再編した第一人民軍は質が低くなっていた。疎開を拒んだ住民の情緒的煽動、ベーア帝国工作員の影響も大。また計画後退という作戦形態が彼等には劣勢に見えて敗色を感じたようだ。勝ち馬に”乗る”のは本能的なこと。

 この農民行動形態は軍務省にとって少々、感覚違いだった様子。これは自分の私見なので的が外れているかもしれない。

 反乱勢力の処分はカラミエ人民軍で対処する。計画後退に含まれるムンガル方面軍とユドルム方面軍の投入は検討されたが、完全撤退して再編作業へ移った。

 分かりやすい反乱。

 指揮系統から外れて独断行動している部隊。勝手な移動、待機は目立つ。

 その別種として略奪暴行。規律を失っていて、住民は苦しんでいるしベーアの工作員も頭が痛いだろう。

 帝国連邦兵、軍属に対して銃口を向け、更に発砲している部隊は言わずものがな。

 分かり辛い反乱。

 反乱を起こす計画はあるが行動に移していない部隊は厄介。

 指揮官が優柔不断で、何か事件があったらなし崩しに反乱する雰囲気が出ているだけの部隊は困る。

 指揮官を殺して長の位置を奪い取ろうと画策している副官以下の者達が存在する部隊も困る。

 その他諸々。複数の形態があって、それにも対処しなければならない。

 地道な聞き取り調査。盗聴。逮捕、拘禁者の尋問。手紙の検閲や暗号解読。潜入工作員からの情報。密告者からの情報提供。特別任務隊の同僚達の活動。

 未だに誰が誰だか分からない特別攻撃隊からの情報提供と思わしき何かもある。内務省系列ではないマトラ共和国情報局の同志妖精職員達の動きは、やはり似たような生活を送って来た自分達にも異質。こう、勘に触れないというか。

 様々な経路から入手した”生”情報を情報部が分析にかけ、分離結合、整理を繰り返して実働部隊に”加工”情報として提供する。

 提供される情報はカラミエ語やエグセン語ではないので、それを間違いのないよう翻訳して伝える役職が必要になる。

 今の自分はこの翻訳作業を行っている。あちこち部署を点々として支援する”助っ人”役をルサンシェル枢機卿担当から外されて以来任せられているが、少し前に離任したヤズ元帥の下へすぐに戻ってくるとは思わなかった。前回と違い政治将校は別の人物が就いており、自分に指導権限は無い。

 あれこれお仕事が出来てしまって引っ張りだこなのも困りものである。異動作業に時間が取られて祖国に奉仕出来る時間が短い。

 今日も届いた加工情報を翻訳してヤズ元帥に提出。翻訳の際に表記が曖昧になる箇所は、特筆して何故曖昧かを解説。

 それから渡すべき情報とそうではない情報の選択も任されている。ヤズ元帥を観察しつつ、カラミエ人民軍の反乱を阻止するため。実際に顔を見て話を聞いている人物が匙加減を決めるべきという現場主義の表れでもある。

 文書を渡し、それから新しい命令文書を作成している時にヤズ元帥から相談されることがある。文化伝統、教育の影響から、今更ながら残酷な命令に抵抗感があるらしい。

 残酷な命令を出す己への言い訳に自分との対話が必要な時があるようだ。ルサンシェル枢機卿との経験から、これを怠ると精神疲労を起こしかねない。彼は今、エグセン人を犠牲にしないとカラミエ人が代わりになることを分かっている。心の摩擦係数が強い。

 孤独な上級指揮官には癒しが必要。自分のこの顔と声が効く、と思われている。実際はどうだろうか? 態度から邪険にされていないのは分かる。

「ノヴァッカ准尉。逮捕、生け捕りではなく射殺でいいんだな?」

「抹殺です。銃弾に限らず、物資を濫用せず、効率的に殺処分してください」

「エグセン人民軍の懲罰隊に送らなくていいんだな? 陰謀など知らない兵士も大勢いるが」

「現在の方針は”最速”です」

「降伏、投降は受け入れていいんだな?」

「反撃能力の一時的喪失という意味では」

「人的資源は有限ではないのに?」

「管理費用の抑制が求められています。病のような反乱機運が更に高まらない内に”感染者”を排除してください」

「それで反乱が収まると思うか?」

「優しくして収まるか、恐れさせて収まるか、哲学問答の域です。人によって違うでしょう。今はこちら側の管理限界内に頭数を抑制しておくことが肝心です。限界内にとどめればどんな対応も出来ます」

「それではその頭数とやらを示して欲しい」

 変な問いをしてきた。困らせたいのか?

「未知数です。計算不能であるから抑制方向に持っていっているのです」

「是正して貰いたいが」

「管理する側に理想的な万能を求めるのは間違っています。奇跡と呼ばれる何かはありません。出来るだけ円滑に物事を進行させようとする膨大な作業があるのみです。時間が我々にだけ無限に存在するならやぶさかではないでしょう。しかし、ありますか?」

「……ぬ」

 ヤズ元帥は机を指先で叩いてから呼吸を軽く整え、各隊へ発行する対反乱軍作戦への命令文書全てに署名を入れて仕上げた。脇に文鎮で止めてある雑用紙には修正文章の草案らしき走り書きが複数。

 今の人民軍に隠すべきとされているのは戦線を後退させる後方組織の状況。計画通りで余力が有り、これを告げると最大限まで余裕がある行動を取りかねない。余剰は常に確保せよとの方針である。故郷が壊されているような連中に冷静な判断は早々望めない。

「そうだ、肩揉んであげましょっか?」

 これで喜ばない奴を知らない。


■■■


 旧突出部南側からマインベルト王国に渡る最前線より後方。

 この中部エグセン地域では一番発展していたブランダマウズ大司教領を焦土化し、放棄した。一度奪還した突出部は勿論放棄。

 そして軍は全体的に拠点の確保に困るようになる。現代的に城壁を撤廃し、高規格道路が巡らされた都市はここからはほとんど存在しない。城壁囲いで迷路のような狭い街路の要塞ばかりで、旅団や連隊程度が籠城するには丁度良い程度。防御陣地には使えるが、しかし司令部や補給基地には不便で使えない。

 カラミエ人民軍司令部は要塞近郊の農地を潰し、野戦陣地内に築かれた。ここは後に最前線として利用される。

 以前まで、司令部と言えば物流の中心になっている都市に置かれていた。今はこの有様で、計画後退は成功しているのだが目に見える風景が劣勢を演出しているように見える。反乱機運の高まりはこの見た目も影響しているに違いない。

 悪辣な封建領主は己が居城を重税で飾って権威を示してきたのには理由がある。無教養の農奴は偶像崇拝的な呪術の影響を著しく受ける。大きい、凄い、服従という流れがある。

 ヤズ元帥の天幕から離れ、食堂に向かう道中にジャーヴァルからやってきた白い帽子の白帽党軍が暴動でも起こしているように騒いでいた。大声、楽器、踊り、染料の投げ合い、空への発砲。

「よいしょ!」

『ヨイショ!』

 一斉に『ワァー!』と大歓声が上がる。

「よいしょ!」

『ヨイショ!』

『ワァー!』

 人垣の向こう側で何が行われているか分からない。彼等の士気に多大な影響を及ぼす宗教儀式らしいが……とりあえず、言い表せない程の酷い臭いなので近寄らないようにした。腐敗や便臭の類ではないがどうにも。

 砲弾でも着弾したかのような揺れが一度あって、思わず振り向いてしまったがそれもまた人垣の向こう側。大砲まで使ったような煙は上がっていなかった。

 彼等は送り出した側も把握していないような数十万規模の軍というか”群衆”。一応は各縁故集団毎にまとまっているそうだが、しかし無秩序気味に対ベーア戦線各地へ配置がされているとのこと。整理好きの将官が苛ついている姿が目に浮かぶ。

 染料や埃が何となく帽子に軍服、髪にかかっている気がして手でしつこく払い、近くの人に確認して貰う。払い残しを落として貰った。

 それから配食の列に並んで、手洗いをしてから給食を受け取って空いている席を探す。

 ここは屋内ではない。戦闘部隊も座ることを考慮してかなり広いのだが。

「サマー! いたら手ぇあーげて!」

「んお、ほー!」

 奇声と手が上がったところへ直行。彼女が所属する通信部隊の人達の輪の中にいる。

「お、可愛い子ちゃん、またきたね」

「はい、可愛い子ちゃん、またきました!」

 隊長とも顔なじみ。席を代わって貰って同志サマラの隣に座る。

「よっこいしょのやっほ」

「はい可愛い子ちゃん、おじさんの膝に座らないかい?」

「こんな可愛いおじさんがいるか!」

 同志サマラの頬を突っつく。

「あれあれ、サマー、バシィール官語の練習だとか言ってたあれ、どうなったの?」

「うーん、緊張する」

「はいはい、出せ出せ。先生が赤筆入れてしんぜよう。良く出来たら花丸あげるね」

「うん」

 同志サマラは手鞄から紙を出そうとして、唸って、高く唸って、取り出した。受け取って読む。

 まずバシィール官語で横書き文章であった。

 使い分けは決まっていないらしいが、現状ではおおむねの使い分けはこう。

 縦書き、左上端から下に向かい、右行に移る。これは文化的な用法が適当とされる。たとえば詩文、小説、個人的な手紙。総統閣下の聖勅、その代理人が書く場合の聖旨は行政文書として機能しながらも縦書き。

 横書き、左上端から右に向かい、下行に移る。これは作業的な用法が適当とされる。たとえば行政文書、事務書類、教科書。

 内容は?

”私の大好きなノヴァッカへ。

 この度は、バシィール官語の練習に付き合って貰うのと同時に、日頃からの気持ちを伝えようと思い、手紙を送ります。

 幼年教育課程の頃から一緒でしたね。勉強や訓練に中々追いついていくのが大変だったけど、何時もノヴァッカが傍にいて励ましてくれたり、手伝ってくれたりしました。そのおかげで挫けずに課業を進めることが出来ました。

 いつもあなたからは助けられてばかりです。どうやってお礼をしようかと思っても私より器用にこなせてしまうあなたにあげられるものが見つかりません。もしこの心が悪徳な資本主義社会構造を成していたのなら巨額の利子を背負って破産しているところでした。社会主義精神は偉大ですね。

 財として蓄積される目安も無い行いの私有、独占には度量衡も無く大変測ることが難しいです。ですから文章でただ感謝を申し上げます。それ以上は公的身分を逸脱してしまいます。

 ナイツェベルトでは、私は突然の別れを感じました。駅で分かれただけではなく、もうあれで今生の別れなのではと後から思ったのです。そう思うと心が重くなり、寂しさに包まれました。

 もうあなたの言葉や笑顔が、これからの人生から無くなってしまうと思ったら感覚器官がおかしくなってしまったのです。その間も無く、健康診断があれば前線勤務から外されたのではないかと思う程でした。既にあなたは私の魂の一部なのです。

 今はベーア文明の破壊に向かい、使命を全うすべく全力を傾注しなければいけない時です。大儀のために私情に囚われてはいけない時です。それでもこの機会にこのことを伝えなければ同胞同志達へ純粋な気持ちで奉仕出来ないと思いました。これもまたあなたの負担になってしまうでしょうか? 昔からの至らぬ私がまたこのように寄りかかってしまっているのかもしれません。

 あなたより非力で非才ですが、公共の秩序と福祉に反しない限り全力でいつでも支えになりたいと思っています。これは一方的かもしれませんが、あなたとの絆は高張力鋼撚線に匹敵するものと自負しております。

 最後に、総力戦下では健康を維持することも困難で、鉄の雨がいつ降ってくるかも分かりません。それでも戦後、共に顔を合わせ、言葉を交わし、勝利を祝うことが出来るよう勤労精神を振るっていきたいと思っています。

 心から、サマラより”

 顔に血が昇ってくる。読んでいる最中、身体がもじもじして足の上下が止まらなかった。

「ちょっとなにこれ!? めっちゃ恥ずかしんだけど!」

「だって! 駅で別れてもう一生会えないかと思っちゃったんだもん!」

「途中で結婚申し込まれるかと思ったって!」

「チンポついてりゃもう突っ込んでるわよ!」

 隊長さんが横から手紙を覗く。

「借用語以外ぱっと見てわかんないね。どういう内容?」

「やだ! やだ! 言わないで!」

 従来の作業言語は魔神代理領共通語。科学分野ではランマルカ語の影響大。

 この官語は魔神代理領の共通文字を使ってはいるが、遊牧民達のために統合された標準語で文法から違う。新造語も多い。

「内緒です。あと字が下手糞です」

「下手って言うな!」


■■■


 既に便利屋扱いされていることは分かっている。

 異動が激しい。少し仕事に慣れたと思ったらすぐに別の任地へ飛ばされた。

 エグセン第一人民軍の反乱鎮圧がある程度進み、全兵力がベーア帝国軍との戦闘に投入された。これで細々とした情報合戦も砲火にくべられ、ほとんど不要になってしまった。そしてあの農地を潰した野戦陣地、司令部跡がもう最前線になっている。

 次の計画後退の到達位置はリビス=マウズ運河沿いをも放棄し、レチュスタル司教領まで。そろそろエグセン人民共和国領土が消滅する。

 自分の新しい仕事は、翻訳の次は通訳になるだろうか。

「ノォノ―!」

 再会した同志メリカが突撃してきた。どう見ても理性が薄い。これはどうする?

 仰向けに自ら倒れ、両足の裏で同志メリカの肩を抑えて体当たりを防ぎ、一瞬腰が浮いた。泥で滑る。殺す気かこいつ!?

 上からのしかかられ、手が顔に伸びて来たので袖を掴む。

「メリちゃん! どうどう!」

「べぇ、ぼええ!」

「見てわかるでしょ! お仕事中なの!」

「ノノの、ノー!」

 同志サマラの何と奥ゆかしいことか!

 同志メリカは涙と鼻水を垂らしており、どうにも同志サマラと似たような感情を抱いていた。何とも獣のように包み隠さず。迷惑、迷惑千万!

 寝技続行……。

 準正規軍である水上騎兵中央軍、その司令官との打ち合わせにモルル川とリビス=マウズ運河の合流地点までやってきた。この辺りも次の計画後退で放棄される。

 春なのに水量が回復していない水面、計画洪水によって出来上がった半自然段丘がここから見える。

 西岸の陸地はヤガロ王国が回収出来ていないわずかな旧ブリェヘム王領。あの奥には浸透作戦を実施中の総統閣下の黒軍がいる。

 計画後退の最前線に回されるべきと一見して思ってしまう程の、大量の大砲と弾薬がモルル川上流から船で運び込まれ、この地に集結している光景も見られる。

 合流地点から少なくともモルル川上流水域はこちらに制川権がある、

 その状況で実施される作戦の概要を聞き、次に正規軍であるザモイラ術士隊はどの段階でどう動くかという話を水上騎兵中央軍の司令から聞き、帳面に書き取っていた。

 正規軍と準正規軍の橋渡しに、内務省軍の自分が挟まっている。命令系統に混乱が出てきやしないかと若干の不安を覚える。

 そんなところにこの激しい体当たり。ザモイラの同志達が口下手なのが悪い。

 ”何喋ってるかわからない。返事もまともにしない。顔と手振りもさっぱり”。

 ”文書は説明がごっそり抜けて、精々はい、いいえだけ読み取れる。変な記号使う、何あれ?”。

 ”犬みてぇに騒いだと思ったら寝てるし、責任者が誰だかはっきりしない”。

 と司令官から聞いている。

 ……泥遊びもこの辺にしなければ。同志メリカが相撲ごっこと認知し始めたら瞬間的に負ける。あんな血塗れの白兵戦前提で訓練して、戦場で実際にやってきたような奴に敵うわけあるか。

「ええい、このおバカ!」

 足を組み替え、首肩を挟んで腕を一本取りの三角締め。

「落ちろ! アホ! メリメリ!」

 締め上げる……力が抜けた、よし勝利。同志メリカから抜け出し、近くにいたザモイラの同志に「メリカあっち」と言って連れて行かせる。

 泥で髪と服がべっとり。洗濯が大変だ。新品申請は時間が掛かる。死者から回収した服はすぐに受け取れるが型が合わないことがある。洗濯済みでも酷い臭いがすることもある。服装規定で何か言われるかもしれないが、しばらく野戦服で何とかするか。

「うわっへぇー、あー、疲れる、しんど、失礼っ。うえっ、あー、お話の続きを」

「女の泥相撲っておもしれぇな! 今度嫁共にやらせてみるわ」

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