第502話「ベルリク抹殺準備」 ランスロウ
ベーア帝国の戦場、リビス川戦線の後方地域に進出。現在、独立戦略機動軍が駐屯している。
初めに広い敷地を確保。良い土地はベーア帝国軍が先に使っていたので、必然悪い土地、市街地から遠いところを使うことになる。その点で不満はない。観光客ではない、居候はそんなものだ。
確保した敷地には補給基地を建設した。事務所と宿舎、屋根付き倉庫と露天置き場。掩体壕や地下倉庫までは設置しない。
キドバ兵は直接雪が降っているわけでもないのに寒いとうるさい。厚着しろと言って放っておく。
ここは防御の拠点ではない。マリカエル修道院のように防御工事を頑張る必要は無い。
今は独立戦略機動軍が駐屯出来る規模で限定。他所から必要分の補給物資を受領して保存できる規模である。将来的には数個軍でも駐屯出来る規模を想定して、周辺の土地を測量して開発計画だけを立てている状態。
最終的にはその数個軍を、ロシエが送った物資のみで支えられるだけの兵站線を確保するのが長期目標。実際に道路工事をするのは基地周辺で、多くはベーア帝国の列車運行計画との調整が主。
それからベーア帝国軍に警告されない程度にここまでの道と周辺地図の作成。馬鹿正直に奴等から貰った地図だけを信じて使う程馬鹿ではない。教えたくない道があったらこちらの生存に関わる。それから、計画洪水で道が変わっているので貰い物では正直不足している。注意程度では引かず、銃口向けられる警告があるまで作り続ける。ことあらば、ロシエ帝国がベーア帝国を征服出来るように作るのだ。
帝国連邦軍の計画洪水以来、水の確保が急務となっている。
水路、護岸整備で本流から支流に流れる川を閉じる。汚染水は本流にだけ流れるよう絞る。
本流に流れる支流は行先を変えて取水池へ集める。雑用水は布漉しでごみを取る程度、飲料水は浄水装置を通す。雨水も水槽へ別に確保。
洪水の影響で家屋を失い、その辺をうろついていた周辺住民が邪魔なので仮設住宅を設置してやらなければならなかった。野良犬を柵に囲う。ウルロンの山で初降雪が観測されたとか言うから板塀の隙間を無くした。処分が一番だが飼い主がうるさい。ん? 野良じゃなくて放し飼いか。最悪だな。
一般の病人が糞以下に邪魔なので隔離病棟を設置。悪臭だけではなく疫病まで振り撒くのだから汚物未満の存在だ。傷寒に流感、情報統制されているが明らかな黒死病諸々、汚いといったらありはしない。狂犬病の検査もするべきだろうな。
野良犬みたいに住民が残飯を漁りにきそうなので食糧配給所を設置。馬鹿みたいに薪や柴を取って邪魔くさいので大型の竈でまとめて作った料理を配り勝手な煮炊きを防止。
またベーア人の料理というのは犬の餌であることで有名で、飯が不味いと有名なバルマンより酷い。食べ物の体を成していない。ロシエが人間の料理の残りを犬共に与えた。請求書はベーア帝国。手数料はきっちり取る。
ただの犬に餌をやるのは勿体ないので基地建設、洗濯などで働かせた。畑だとか工房だとか、元から仕事のある奴はいらない。目も手も使えない役立たずには低出力の労働用義肢、義眼を使わせて役立たずなりに役に立たせた。
糞ガキ共からお礼の手紙。住民代表者ではないところがあざとくて醜い。鼻で鳴いて下手に出ればもっと何かを貰えると勘違いをしている。尻を拭く紙にも薪にもならん物を押し付けられても困る。ごみが散乱しているのは気に食わないので適当なごみ箱にまとめて捨てる。
物資の消耗が住民を巻き込んで規模が拡大しているのでベーア帝国にはきっちりと請求。不足したら犬共には食わせないと脅しておく。
独立戦略機動軍の運用方法には緊急展開からの局地戦だけではなく、災害派遣も想定されていた。高い独立性を持った機動力で離島や植民地に急行する。救助活動しながら、これ幸いと暴れる犯罪者や周辺部から蠅や獣のように集まってくる蛮族を殺すのだ。
その独立戦略機動軍が、ロシエ人より先にベーアの犬を助けることになるとは不本意に思えて来る。ただ我々は”戦術”ではなく”戦略”。ベーア帝国での行動が”戦略”に寄与するなら目的通り。
しかし犬の相手は面倒臭い。たまにこういうことがある。
「子供が生まれました ランスロウ様のお名前頂いてよろしいですか」
「その名はロシエ貴族、それも十六英雄の名前で我がレディワイス家の祖先である! お前のようなエグセン庶民の名ではない。お前のガキに相応しい名前はゼブルだ。今月はゼブロイ月、エグセン語だとゼブルだな。そのまま当たり前の普通の名前をつけろ。庶民が不相応な名前などつけようと考えるな。親の知性品格どころかその子の人格まで疑われるのだぞ。庶民は凡庸にしていろ。凡庸が悪などとおこがましいことを言うのならば去れ」
「女の子です……」
「……エグセンで初雪は何と言った。今年最初に降る雪だ。それにしろ!」
この農民め! 私の名前から男だと思ったじゃないか。十六英雄の名を女性系にしようなどと非常識極まりない。
工事中の区画もまだ多い基地内は、軍民が混じって歩き夜でもうるさい。男を戦場に取られた女ばかりの行商人などやってくれば尚更うるさい。
夜遅くまで起きる習慣は無いので寝ようとしても外がうるさく寝れない。代わりにギスケル卿が至上の美声で手紙を読む。読む手紙があの糞ガキ共のものだが、何か適当な仕事に関わるものでもない文章といえば現状そのくらい。
全く、農民共の言葉何ぞ心にもひび……。
■■■
エスナルから撤退した経緯。
魔王軍がメルヴィラ攻略を諦めて後退した。これに我が戦略機動軍は多大なる貢献をしたとしてマリュエンス陛下より勲章を頂いた。
一時的な危機が去った途端、こちらへの非難をエスナル人共が以前に増して繰り返すようになる。野蛮人に恩着せする趣味も無いが、しかし恩知らずも甚だしい。犬より記憶力が悪いか、屑人間のように底意地が悪い。
キドバ軍もやかましくなってきて嫌気が差す。戦場でまで女のご機嫌伺いを強要されるとは苦痛そのもの。おまけに兵同士で仲良くなって妊娠して結婚するだのどうのと騒ぎ出した。
ガンベ女王は不犯の誓いを破ったと棍棒で腹を殴って堕胎させるし、男の方には去勢を求めてきた。
軍法があるので、兵士には規律を乱した罪と姦通罪で法に則った裁きを受けさせた。野蛮人と一緒にするな。
物理的な嫌がらせも始まって独立戦略機動軍の人員整理補充、兵器整備補充に支障が出た。糞馬鹿共が列車が運んでくる物資を盗み出し始めたのだ。請求書類を出し、発送書類を受け取り、実際に届く物資の量が全く合わない。食糧、医薬品が著しく合わない。酒類や煙草、砂糖などは根こそぎ存在しないことがある。代わりに糞を詰めてくるということもあった。
マリカエル修道院周辺での出来事なら賊として討伐可能だが、後方の司令部が置かれるプエルドス市での出来事では盗賊行為にも手が出ない。そこで鉄道車両点検整備、給炭給水作業をやるようになっている。その内にやられている可能性が高い。
汚職か嫌がらせか脳足りんの管理能力不足か、全部かその乗算か全く馬鹿げている。魔王に寝返って北エスナル総督の称号でも要求しようかと思った程だ。
プエルドスにいるチタク枢機卿と、鉄道で前線と司令部を行き来しているモズロー元帥に対策を願い出たが、賊の行為は無かったことにされているそうで文明人の手より遠いところ。
こんな前近代の野蛮人共を栄えあるロシエ帝国の下に置くとは嘆かわしい。一度魔王軍に駆除させてから奪い返すのが良いのではないか。
宰相ポーリから引き揚げ命令を受けて帰還作業に移って、帰路でも嫌がらせを受けた。
帰路途中の駅で給炭給水を拒否された。足止めされる謂れは無く強制徴発で対応した。
プエルドスでは抗議集団が駅構内まで殺到した。野獣との対話など馬鹿なことをする気は無いので、威嚇射撃と発煙弾の投射。憲兵は警棒、銃兵は銃床、キドバ兵は素手で集団を撃退した。殺さなければいいと指示を出した。
そして装甲機兵の機動による追い散らしと、機体を壁にしての通路確保。被害を抑えるようにして大砲は、壁などに向けて空砲発射。獣は音で散らすのが手っ取り早い。
港まで押しかける連中には艦隊による執拗な礼砲で蛮族を退かせて海に脱出した。手漕ぎ船まで出して騒ぐ連中は無視して掻き分けた。
全く、一応友軍の管理下にある主要都市の中で暴徒鎮圧をせざるを得なかったとは馬鹿げている。非常に馬鹿げている。
そして今度はこんな嫌がらせを受けている。
状況に応じて共同作戦を取るようにと指示された、ベーア帝国軍のある軍の駐屯地を訪問し、指揮官との面談を求めたら目の前にいるのは人狼だ。それも軍服姿ですらなく、異教の祭祀服姿の変な奴。
「冗談は仲間内だけにしろ。私が会いに来たのは職業軍人たる指揮官将校だ」
「きゃうーん、こーわーい」
「指揮官と面会させろと言っている。難しいことは言っていない」
「わーたーし、だよっ!」
苛つく糞女喋りの人狼、化物、糞女。でかくて臭くて毛だらけ足趾の糞犬もどきの人間もどき。
特別作戦軍”盾乙女マールリーヴァ”。ベーア帝国軍では特戦軍などと略して言われている。現皇女と同名なので正式名称は書類上以外で使いたくないようだ。伝承から名前を引用するとこういうことはありがちだろう。
かの軍は化物である真の人狼、乱暴者の類という意味の人狼、法秩序を軽んじるエデルト古信仰者で構成されていると事前に、オーサンマリンに訪問していたベーア皇帝ヴィルキレクから聞かされていた。
また突発的で衝動的な暴力で死ぬ可能性すらあるということでギスケル卿が今回は付いてきてくれているが。
「そこの吸血鬼は何しに来たの? 血ぃ臭いんだけど、ババアのくせに生理?」
自分の知っているギスケル卿は表情に何か出す人物ではない。
「お座りっ!」
「きゃう!?」
やってきた人間の将校、中尉の一声。人狼化物糞女が反射的に犬のように座り込む直前、ギスケル卿の爪先が獣の顎先をかすめる。
「アースレイルそこまで!」
ギスケル卿軸足跳び、足腰捻り出し、突き上げ横踵蹴り。人狼化物糞女の喉へ持ち上げる直撃。
「そちらも待った!」
涎吐きながら獣の唸り、牙を剥いた人狼化物糞女が四足の構え。中尉がその逆立つ毛、首に腕を回してわざと前腕を口に入れ、噛み付くならこの腕を噛み切ってからにしろと抑える。
「どうどう、良い子、良い子だから」
「何者?」
思わず言ってしまった。
「エルドレク・アルギヴェン中尉、特戦軍連絡将校です」
人狼化物糞女の涎に血が混じって暴れようとして「そこまでと言った!」と注意して止める。流石皇太子、喉からの出血で興奮する獣を抑えるとは、度胸と権威の双方持っている。
「ギスケル卿?」
様子を窺うために一言掛ける。何も言わず、表情も変えない。靴裏についた抜け毛を気にして床を踏みにじる程度。美しい。
さて相手方を見るに、会話はこの皇太子中尉殿とすれば良いだろう。人狼化物糞女は実務担当か? 管理能力には一見して疑問があるが、化物ならず者の長となれば尋常では務まらないのだろう。
「お初にお目にかかります。ランスロウ・カラドス=レディワイス、独立戦略機動軍司令です殿下。一端仕切り直しませんか」
「そうしましょう」
■■■
貴婦人と雌の顔が偶然でも合わないようにした。一度分かれて特戦軍の駐屯地から出て、喫茶店でする話でもなく、近くの修道院の一室を借りた。
皇太子中尉と互いに出来ること出来ないことを話し合う。
装備と編制については、重大機密を除いて話し合った。
理術兵器については出来ることと出来ないことを教えた。何故出来るか出来ないかの原理は伏せる。もっと深い技術的なところは流石に分からない。
あちらからは新しい術、印術について。エデルト古信仰に基づいた哲学、詩文、古代文字を使った入れ墨で施術者に発現し、矢弾避けだとか、勇敢になるだとか、野蛮な異教徒が戦いの際に愚かにも非科学的にまじなうような術が身に起こるらしい。その哲学とやらが何かは、口伝でのみ教えられる古エデルト語表現で理解されるとか。古代文字があるのに口伝とは、どこまで真実か分からないがお互い様だ。
それから互いの軍の活動実績について話し、あちらからは最近してしまった失敗談を聞いた。反攻作戦時におけるベルリク殺しの失敗だ。
後退を始めた帝国連邦軍との戦闘、弱体なヤガロ軍への重点攻勢、黒軍の予備投入、ヤガロ軍の立て直し、予備戦力として特戦軍の投入。そしてベルリク=カラバザルの発見。
「……と、そこから首狩り作戦に失敗した理由の一つとして、殺そうとしたベルリク自身が囮になって部隊を立て直す時間を確保したから、ですね」
「……なんだそれ? 失礼、説明を」
どういうこと?
「発見は偶然に近くて、目の前にぶら下がった餌に焦ったこともありますが、元から殺そうと狙ってきた目標が囮になって、それが原因で失敗したんです。後一歩と言えるところまで行けたとも言えますが、その一歩が遠いと思っています」
囮というのは目立って、矢面に立って、一時攻撃を一手に引き受けている状態だ。非常に危険な状態であり、決死の覚悟が必要で、死傷捕縛の確率はとんでもなく高い。それを特別強力な化物兵が集中攻撃した。それで失敗した?
「もう一度説明してくれませんか。何か聞き逃した気がする」
「いえ、聞き逃してませんよ。術で特別に仕上げた精鋭が喉元まで迫っても、にわかの、準備不足で殺せない相手ということです。次はロシエの理術兵器群も交えてもっと正確に、高い火力と機動力で集中的にベルリク=カラバザルを狙えば後の一歩が詰められる、かもしれません。私はランスロウ元帥と、ベルリク=カラバザルを抹殺したいと考えています。ご賛同頂けると思っておりますが」
「この度の共同は、軍事的な親善交流が目的と聞いています。そのような特別な攻撃作戦に集中して問題ありませんか」
「それは問題ありません。親善交流目的ということで他所の指揮系統から余計な口出しが出ないようにされています。前線の戦いぶりはご存じの通り苛烈で悲惨。援軍を寄越せ、支援を寄越せの大合唱。非常事態、緊急対応としての命令違反に物資強奪、枚挙にいとまがありません。そんな余計な口と手出しを避けるための、正面作戦から距離を取っている素振りをして、帝室の御旗を掲げ、自由に動く。そちらも何か言い訳が必要な時はこのエルドレク、父ヴィルキレクの名前も使って下さい。きっと相手は嫌な顔をしますよ」
流石は軍人皇太子か。若さの割りに生意気風だが。
「それで具体的に、戦ったことがあるそちらから準備の第一歩を聞いてみたいですが」
「賛同頂けたということで……少々お待ちを」
それから皇太子が兵棋盤を出して当時の戦場を判明している範囲で再現。当時の状況でこれ以上のベルリク殺しの機会を掴むことは困難だったと思わされる。弱体のヤガロ軍以外を攻めて黒軍を引っ張り出せたかは怪しい。
実際の現場の話を聞いて気付いたことがある。
「そちらの兵士がベルリク=カラバザルを殺せなかったのは歩兵の散開が原因では? 火力衝撃力密度が単純に不足していたせいで倒せなかったように思えます。砲撃被害を避けて散らばれば攻撃力の減退は必然です」
「……あぁ! そんな単純な失態を、確かに。砲弾を恐れ過ぎていました」
「並の兵士ではないというのなら、並ではない戦い方も出来るのでは? 時代を戻して戦列歩兵の横隊……より縦隊、攻撃縦隊形であれば可能性はかなり上がっていたはず。ベルリク=カラバザルの首一本に全てを捨てるという本来の目的に絞れば可能性が上がります。
革命時に、こちらで新兵が多い軍で混成隊形というものが一時採用されていました。中央に射撃が得意な訓練された銃兵横隊、左右に最初の一発以上は銃剣突撃が出来れば良いと割り切られた新兵縦隊を配置します。これを参考に首狩り編制、考えることが出来ると思いますが」
「であれば実際に演習してみるしかないですね。場所の確保と、そちらの兵器関連以外の物資の調達はこちらでしましょう。反攻作戦中ですから私の顔と名前を使わないと難しいでしょう」
「希望が見えた気がします、殿下」
「こちらこそ」
皇太子と握手。チタク枢機卿といい、若い奴等は話が早くて助かる。
■■■
皇太子と両司令部将校達と演習計画を練って、まずは互いの実力を知り、具体的に測定するところから始まった。
独立戦略機動軍六千、海軍陸戦隊一千、キドバ軍六百。特戦軍四千。前線で指揮を執る将官が見たら激怒しかねない程に万端。
演習で互いの機動力を測った。
行軍と強行軍。その後の陣地展開、砲兵配置。仮想目標の観測、射撃、突撃準備、火力衝撃力密度の整った突撃発起までの時間を計測。それから逃げる遊牧軽騎兵を想定した長距離無休の追撃。
こちらは理術兵器群で早く、あちらは印術と人狼の体力で早い。互いに常人、訓練が行き届いた普通の熟練兵では不可能な機動力を発揮。
しかし膨大な馬数に支えられた帝国連邦軍の重火力騎兵隊と比べると遅いだろう。やはり四足獣の機動力には勝ち難い。
皇太子は言った。
「我等特戦軍は特別に強いですが、しかし戦場を塗り替えるような強さではありません。局所的に数値より二倍程度の実力を発揮するのがおそらく現代の戦場では限界でしょう。ランスロウ元帥が教えて下さった密度の向上でもう少し、瞬間的に三倍発揮ぐらいはいけるかもしれませんが。その程度ということは念頭に置いて下さい」
課題は多い。
先の状況が再現出来たとして、火力衝撃密度の向上だけでベルリク直掩の黒軍を撃破出来るか?
この段階でベルリクを殺傷捕縛出来れば言うことはないが、逃げられた場合も考える。
次に軽騎兵と化したベルリクが全力で逃げた時に追撃出来るか? また竜に乗って上空へ離脱したらどうするか? どうにかして後背、上空への道を断つ方法を考えなくてはならない。
一番の課題は最前線に黒軍を引きずり出す方法と、我々両軍がその位置に急行出来るかどうか。
常に主導権を取ってきたベルリク=カラバザルを誘導しなくてはならない。最前線にべったりと張り付くよりも、先行して浸透突破を図るか、予備兵力として後方待機していることが多いと見られる。その行動形態から、最新情報を収集して次に現れる確率が上がった個所で誘導作戦を決行して予備兵力としての黒軍を引きずり出し、対決するのが一つの策。
帝国連邦軍全体に言えることがある。
指揮系統の頂上が不安定だ。軍集団までは指揮系統が確立しているが、その上が定まっていない。総統ベルリク、先任元帥ラシージ、軍務長官ゼクラグの三名が間違いなく各軍集団長より上位だが、三者共に己の任を全うしていて専任ではない。
全戦線で忙しくなると横の連携が弱くなる可能性が高い。ベーア帝国軍が全線に渡って一斉反攻作戦を実施している現在、押し勝ち始めれば綻びが出て来て、ベルリク=カラバザルがその綻びを補修するために出張ってくる可能性はある。
連携の悪さと言えば、帝国連邦軍の主力以外の多国籍な傭兵部隊がある。正規軍とは半従属的に仲は良いかもしれないが、傭兵同士はそうでもないだろう。
使い捨てにされている尖兵部隊、人民軍も正規軍が統制しているが、傭兵達と仲が良いわけはない。
横の連携が全般的に悪いという見立て。隙はあるはずだがまだ現れていない。構造の欠陥が判明してもそこが崩れるまで時間は掛かるものだ。
皇太子と各前線の情報を収集してベルリク=カラバザルの襲来予測を立てようとした。
情報との対価のように、前線のベーア帝国各軍から支援要請が飛んでくる。
対岸の帝国連邦軍の防衛陣地を破壊する砲撃が連日続き、渡河作戦も複数箇所同時に実行。成功、失敗、成功後の失敗を繰り返している。
汚染された、渇水状態になった川が、船を通さず、人の足も容易に通さない水と泥の濠と化している。そこに死体が溜まり、疫病の蔓延も加速。
皇太子が要請を蹴り続ける。表向きに断っているのは特戦軍のアースレイルというあの人狼化物糞女で、話が通じないと言う短所を長所に転じている。
「お辛くありませんか」
特別な地位を併せ持つとはいえ、一中尉が年配の貴族将官達からの圧力を受けているのだ。
「父が怪物に手を出した時点で、こんなものではないでしょうか」
ベルリク抹殺準備、まだまだ足りない。
■■■
特戦軍の増強部隊として酷い連中が参加した。懲罰大隊である。
大隊指揮官は火傷だらけで禿げが多い人狼の少佐で、管理職員だけで大隊規模。そして員数外の懲罰兵は埒外の二等兵未満、物品扱いの三等兵で一万人越え。ほぼ師団だ。
懲罰兵は軍規違反者と一般犯罪者の集まりだ。眼球の白目に入れ墨、髪型は左半分が丸剃り、右半分が長髪。見て分かるようになっている。
この者達はベルリク=カラバザルと黒軍が出現しそうな位置へ突撃させ、誘き出すための被害担当部隊。たとえその突撃が失敗して黒軍を誘導出来なくても被害ではないという論法。どのくらい使えるのやら。
そんな懲罰大隊も黒軍の出現位置をある程度特定しなければただの無駄飯ぐらい。肉弾ですらない。
そして皇太子の紹介で人に会いに行く。基地から一時離れ、鉄道でファイルヴァインを訪問した。リビス=マウズ運河線を攻略する司令部が設置されるエグセンの中心。
この大都市はベーア統一戦争終結時には、無謀な突撃を強いられた民兵の死体だらけで酷いことになっていたらしい。しかし建造物の破壊は限定的だったようで、シトレのように新しい街並みにはほとんどなっていない。
土地勘が無いのでそもそもどこを進んだのか分からないが、列車から降りた後は窓の外が見えない馬車に乗せられ、心なしか遠回りした道を進んで、ある一軒家に到着。
家の中には召使女が一人だけ。案内された寝室には、安楽椅子に座って窓の外を呆けたように眺めている病人が一人。
「貴方がシアドレク卿?」
召使女が安楽椅子を回して、こちらと対面させる。身体が不自由か? 口の端から涎が垂れていて召使女が手巾で拭く。
「がっかりしたでしょう。ランスロウ卿」
「負傷ですか?」
「私の予見の奇跡、ご存じですね。良くも悪くも本物でしてね。セレード独立戦争の頃には破綻をきたしました」
「破綻?」
「現代の戦場はあまりにも広い。人と動物に乗り物が分からないくらい動くので頭が追い付かないという現象が起こったんです」
「我がロシエとの頃は」
「その頃は若いせいだと思ったんですが違います。規模が違います。帝国連邦が世界中から兵士と物資を集め、魔王軍との共同歩調を取るという全世界規模の大作戦が準備されていました。それがこう、必要ないくらいに一遍に流れ込んで鼻血を出しながら卒倒してしまいまして。あの時影武者を立てて現場指揮を代行させたのですが、ベルリク=カラバザルの騎兵隊に、二度目の敗北……セレードとの戦いの時に、彼等の騎兵隊の位置を予測して迎撃しようとした時の話です。情報の取捨選択が苦手でして、このざまということです」
敵の動きを先読みするシアドレク獅子公の奇跡、あてにならないのか。
「次は難しいですか」
「予感としては死にます」
「ではベルリク=カラバザルの直近の、こちらが待ち伏せ奇襲を出来るような機会が無いか探って下さい。頭を潰して最終解決するとは思えませんが、遊牧帝国崩壊の引き金の一つであることは確かだと思っています」
「この病人に遠慮なく死んで役に立てと言ってくれるのは大変ありがたいですね。他の人は皆、お大事に、と言います。せめて前線の近くと言ったら、この扱いですよ。もう一度奇跡を見せてくれるかという期待混じりで、生殺しで。しかし、今日が来て良かった」
シアドレク卿が腕を伸ばし、立たせてくれと促したら召使女が己の服を掴んでにわかに拒否。自分が手を出そうとしたら召使女が譲らないと掴んで立たせ、室内の机まで歩行補助。どうやら左半身があまり利かないようだ。
「利き手が無事で良かった」
紙と筆を用意したシアドレク卿、目を開けたまま瞬きを止める。
病人の白い顔が赤くなる。目がみるみる充血。呼吸が荒くなる。口の端から涎、鼻水が垂れる。
紙に絵と文章を書き始めた。召使女、見ていられないと顔を手で覆う。
歯を食いしばり、歯ぎしり、涎に血が混じる。鼻血が垂れる。
筆が折れ、紙がやや裂ける。それは気に留めずに筆を取り換えて再開。
異臭、失禁。シアドレク卿に手を出そうとした召使女の肩を掴んで止める。最期の仕事を邪魔するんじゃない。
シアドレク卿、机に突っ伏していびきをかき出す。紙を手に取り、召使女の仕事を邪魔しないように家を出る。
車内で予見の一枚を読むが。
「エグセン語ならまだしも、これは……」
知らない単語が多すぎる。ただのエデルト語ではなく、南エデルト方言を口語で書いてる上に綴字を省略しているのではないかと思う。音に当て字をしているような文章が見られる。機密性から……皇太子に読んで貰うか。
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