第501話「好転する兆し」 ヴィルキレク

 御用列車襲撃から数えれば一年と九か月前まで遡る。

 ブリェヘム侵攻から数えれば一年と半年前まで遡る。

 ベーア帝国の存在を許さないというのが理由らしいこの戦争における、人的被害の推計はままならない。物的損害は計算不能。

 戦場で直接発生した軍人の死傷病者、行方不明者数は二百万と見られるが、不正確。住民は計測不能。

 計画洪水被害や、主に前線で発生した疫病が後方へ蔓延しての死傷病者も、軽症含めて百万越えは固い。時間差で症状が出る毒瓦斯被害も前線と重複しているのでやはり不明。被害者増加中の上混乱も大きく計測不能。

 南カラミエ地方、中部エグセン地方、ヤガロ地方の一時また長期、恒常的喪失による人口減は二千三百万を計上。こちらは傀儡国家成立による分断要素が大きい。こちら側に逃れてきた三地方の難民も計測困難。

 これら三要素の数値は幾分重複する。

 対象範囲の人数を正確に割り出すことが重要であるのは過去のロシエから学ばれている。一説によれば王国時代の人口調査では奴隷や使用人、女性や子供を数えないこともあり革命騒動に陥る程全国的な食糧分配に問題が起こったと指摘される。

 例として、困窮する百人の村に対して住民台帳に沿って正確に五十人分しか送らず、反発があれば貪欲で卑しいと貴族に官僚が見下し、蜂起したり村自体が盗賊化したら軍が弾圧する、ということが真面目に行われていたのだ。その結果が共和革命派思想の蔓延。

 ベーア帝国では被害者救済のため人数の特定を進めつつ、最大値を予測して医薬品を確保し、療養所と医師と看護婦を確保する努力をしている。またゴミのように屋外の地面に放置されている傷病兵を見て将兵達がやる気を出すわけもなく、前線銃後のことを考えて徹底。

 それにしても既に破滅的な長期戦、それも国民を分断するような内戦でも起きてそこに諸外国が介入したかのような犠牲を被っている。

 ベーア帝国一億人口の、約四分の一の喪失。近年では最も悲惨だったと言われるロシエ動乱を想起させるようでいて、あれの被害を人口比で考えても優に超える。

 ロシエでは当時の不正確で実数より下方修正される人口統計を基準に、人口二千万の内三百万前後が死傷病者、行方不明者に計上されている。大体七分の一の喪失。

 これはユバール王国の喪失、バルマン王国は喪失してまた復帰という要素がある上で、人口統計の再調査で実は当時三千万を優に超えていた、等という計算困難な要素が含まれているので少々信用ならないが、多目に見積もってもそれ以上の被害比率。

 ロシエでは終戦してからそのような被害が数えられた。我がベーアでは戦争の序盤――願わくは前半か中盤の終わりであって欲しい――が終わろうとしているところで四分の一なのだ。

 反攻作戦に移り、マウズ川から運河に続きリビス川に至る南北線の奪還に成功。死傷病者が発生するのは前線の戦場にだけ限定される状況に推移しつつあるが、内戦規模とはまだ言わずとも内紛の種が芽生えつつある。

 一つ目。ブリェヘム王国のヤガロ王国化により、帝国内のヤガロ人に民族主義的な反抗心が芽生えていること。ヤガロ人を民族敵として見始めたエグセン人との摩擦が発生していることでそれが顕著に助長されている。この民衆目線の敵視が無ければ大分マシだったのではと思うが、一般民衆一人一人の道徳観までどうにか出来る状況ではない。

 ブリェヘム王国外にも多数のヤガロ人住民は存在する。国家領邦は一単位一民族が望ましい、という論がまかり通れば凄まじい内戦や迫害に発展するぐらいに広く混ざり合っている。主にヤガロ人はモルル川沿いに広がり、東西合わせて二千万人程。

 東のヤガロ語話者、西のエグセン語話者、山間部の遊牧諸語が少し残る古ヤガロ語話者とに大別される。中央同盟戦争時にヤガロ人君主を招いたオルメン、下ウルロン王国などは近年になって西側でもヤガロ語、古いヤガロ語を話すヤガロ人を多数迎え入れている。

 この西側半数のエグセン語を話す一千万のヤガロ人がエグセン人に囲まれ、今微妙な立場にいる。ヤガロ人同士でも言語違いで確執がある。整理不能。

 二つ目。エグセン、カラミエ人民共和国の仮成立により国内の共和革命論者達が革命熱を帯びていること。それと民族主義者、反戦論者との結託。同舟相救う様相。

 共和革命論者は何十年も前から存在した。馬鹿と勉強し過ぎの馬鹿が罹患する熱病程度というのが昔の認識だった。今では普通の学者、学生にも一定の評価があるなど、意見は様々だが。

 今回、傀儡とはいえ二つの人民共和国が誕生したことにより、熱病で見た夢のような存在が実現可能と認知された。それで理想主義者以外にも支持が広がる。選択肢が二つ以上現れればどちらかを選ぶ人間がいるのは当然のこと。

 ここで民族主義者が共和革命論を支持、転向せずとも利用出来ると考え始める。二つの人民共和国、そしてヤガロ王国も民族主義国家でもあったからだ。革命を起爆剤にしてベーア帝国から独立することが第一義と考えた者達が結託し始めている。

 民族主義者の中でも過激な復讐者達がいる。ベーア統一戦争時には南カラミエ人とエグセン人との間に衝突があって民族的不和が顕著になった事例があり、この時に殺し合いをした者達の怨念がまだ生きている。統一後にこの南の怨念が北にも多少伝播しているらしい。共和革命と民族主義にこの破滅的な要素が混じって思想を混ぜこぜにして奇妙な派閥が無数に形成されて実態調査も困難。

 反戦論者だが、帝国連邦軍を前にしてそんなことを言う奴は夢を見過ぎだ、と言われる。しかし、反戦のためにベーア帝国から独立することによって帝国連邦軍との交戦状態を回避出来るという論法を持ち出す者達が現れてきている。これを帝国連邦が是認し、友好国として扱うなどと言い出した時の連鎖反応は恐ろしい。

 カラミエ人感情を更に複雑にしているのは、民族英雄ヤズ公子がカラミエ人民軍元帥を務めているという”噂”。まだ確定情報ではないとこちらでは広報しているがほぼ確定。共和革命と民族主義者双方の反抗心を一つにまとめかねない。対応を誤ればセレードに続きカラミエも独立戦争という事態も有り得る程の危険因子。

 現在は秘密警察による弾圧の手で済む範囲だが、戦争が長引くと手に負えなくなるかもしれない。

 三つ目。昨今、宗教派閥名としては原理教会という名が定着しているマテウス・ゼイヒェルの聖典原理主義者の教えが、前線を突破して帝国内に広がり始めている。

 反聖皇、反アタナクト聖法教会という神聖教会の絶対的な頂上に反旗を翻す形は、そういった権威的な存在が気に入らない者達の心に刺さるようだ。アタナクト派は中央集権型で抑圧姿勢が強いので反発を買っているのも昔からの事実。

 それが反抗的な反政府主義者に広まるならまだしも、真面目に神学を学んでいる清貧な修道士界隈で流行り、そこから民衆へ広まっているのが面倒臭いところ。原理教会の単純素朴の論理は単純素朴の者達に受け入れられている。

 また良心的兵役拒否者となれる聖職者を希望する者が増えているが、大学で神学を修めずとも入院出来る修道院へ駆け込む者が増えている昨今、原理教会派やその支持者がこの状況を利用して拡大している。国家が加害者、兵役拒否者が被害者、原理教会派が救済者という構図になる。敵は政府だという論理が出来て、国家に従わない者の拡大が懸念される。

 教会、修道院には戦時協力をさせているが、そのように協力する論理を持っているのはアタナクト聖法教会派である。改宗や内心の改宗による消極的な妨害も懸念される。

 四つ目。帝国連邦軍に恨みを持って行動する民衆がほとんどであるが、奪還地域ではそういう勇気がある者はほとんど目を失うか、殺されるかしている。取り戻した市町村では数え切れない箇所で虐待虐殺が行われていた。それも全て、我が軍の行動を阻害しつつ疫病に罹患させるような目的で。

 そんな中で生き残っているのはまともな臨時自治組織ではなく、偏狭な思想を持った自警組織という任侠、山賊だったりする。反抗的というより制御不能という連中は簡単に罪人と決めつけることも出来ず厄介。なまじ抵抗し切ったという自負が強く、民族主義以下の地元主義者が発生している。軍の物資を強奪しにくる案件も多数報告されている。部隊が消滅するまで戦った歴戦兵が含まれているのがまた厄介。

 内紛の種の他に、内側に浸透する被害もある。帝国連邦が実施する計画洪水だが、その悲惨さが増した。

 我々が反攻作戦に移って前線を押し上げ、渡河作戦を実行しようとした時に洪水が発生して中断される。今回は今までのようにモルル川だけではなく、マウズ川とリビス川も合わせた強力なもので洪水被害は甚大。

 以前までのモルル川だけで行われた計画洪水被害を基準に沿川では堤防を強化したものの、それを超過して浸水した箇所が幾つも報告されている。突貫工事で整備不良だったと指摘される箇所が続出。多くの橋と船が流され、破壊された。

 洪水後は逆に流入量が絞られて渇水状態に陥り、著しく水量が減じて水資源が見通し不能な状態で失われた。農業、工業、水運用水不足で沿川産業が壊滅状態。船が動かせず物流は停滞。いつ水量が回復するかは帝国連邦の胸先三寸であれば復興計画も立たない。

 また水量が減じた状態で著しい水質汚染が見られた。魚や水鳥の大量死が川と河口、沿岸部で発生。敵は渇水後に大量の屎尿と工業廃棄物を流し込んでおり、水が少ない分汚染物質が濃縮された状態になっていた。生物の腐敗臭だけではすまない悪臭が沿川に広まり、飲み水の汚染からも発疹、高熱、下痢、下血が住民に広がっている。本来は鉱山に近い住民にしか発症しなかった鉱毒病も見られている。

 更にこれは情報統制がされているが……。

「本当に黒死病かね? 流感とか天然痘とか傷寒とかの複合の、合併症だとか」

 そうであって欲しいという願望が口に出てしまった。

「間違いありません。過去の症例と、黒死病患者が今でも毎年出ている龍朝の者に確認させました」

 南カラミエ地方の一部を除いた奪還以外、全く希望の無い報告書の束にもう一枚絶望を重ねに来たフェンドック参謀総長がそう言った。

「外国人にか?」

「計画洪水対策に招致した治水技師達に随伴している医師にです。政府関係者なので信頼出来ます」

 過去大流行したことのある病が、今になって再流行している。人為的だろう。

「帝国連邦が持ち込んだのか」

「まず間違いないでしょう。元は東方草原地帯の風土病と言われます。そんな病人を保存して前線で解き放つ、それぐらいはやる連中です」

「隠し切れるか?」

 黒死病の流行被害は当然脅威であるが、それ以上に過去の記録、語り継がれて伝説的に、実態以上に怖ろしくなってしまったその病は人心を狂わせるに十分な威力がある。

「隔離治療施設を充実させて、各種病の正しい知識を民衆に啓蒙してからゆっくりと段階的に公表し、その時には完治患者の実例も紹介するという段取りがついています」

「上手くいくか?」

「成功する方法は確立しました」

 人事は尽くしたか?

 内憂外患は留まることを知らない。広い帝国など持たなければ発生しなかった憂いに満ちている。魔神代理領など、どうやって数千年も持ち応えてきたのだろうか?

 壁掛けの時計を見やる。

 帝国連邦によって目玉抉りと虐殺と焦土化がされた奪還地域の復興計画を話し合う議会がもう少しで始まる。発案者はこれを機に戦争税を二倍にすると言っていたな。

 そう言えば拉致された住民が戻って来た時に備えて名簿を作って、彼等の不動産が維持出来るように証明する仕組みを作るとか言っていた議員がいたな。

 あとは守勢思考で攻撃精神が足りないといわれた将軍を罷免するかどうかという審議が……議会でやることか? 吊るし上げのためだが。

 参謀総長の”贅肉を筋肉に”する動員令は実行されているが、それを更に先鋭化させて児童労働の合法化や末期傷病老者の安楽死法まで提案していた奴が確かいたか。普通は即刻潰すような馬鹿げた議案だが、今は本当に、どうなんだ? だから議会で話し合うのか。

 こんな状態で、いかなる犠牲を払ってでも攻撃前進して、国土国民を食って肥大する人食いの化け物を止めなければいけないのだ。

 今更対応するなど遅過ぎた話だが、これ以上遅くすることは神も歴史も国も皇帝も許さない。


■■■


 少し前にベルリク=カラバザルが襲撃して破壊した線路の上を御用列車が通る。通過時にガタついたような気がしたが、たぶん気のせい。

 安全のために海が見えるザーン連邦を経由しない路線を行くので少し遠回りだ。沿岸に出るとランマルカ海軍が何かしかねないとのこと。

 大袈裟だと言いたくなるが、騎兵の爆弾特攻と毒瓦斯も食らった当人が警護責任者に言うことではないか。

 苦境を打開するためにロシエ帝国の帝都オーサンマリンまで行く。娘に頼るとは情けないだろうか。

 セレードで破壊された物よりは一等劣って作られた、製作中だったエグセン宰相用の列車を有償で譲り受けた物に乗っている。今日の旅程に合わせて外装は整えられた。内装は宮殿からの家具持ち込みで間に合わせ。

 長女マールリーヴァとロシエ皇帝マリュエンスの婚約が内定したため、先ずは顔合わせに行くと言う名目を利用し、両国の窮状に鑑みて利害調整をしにいく。

 両国感情がまだ良くない中で、当たり障りなく皇室交流を利用して宰相ポーリ・ネーネトへ会いに行くためだ。

 妻のハンナレカも連れる。彼女はバルマン王の娘でロシエ界隈に顔が利き、折衝役として働いて貰う。変な嫌がらせをしてくるような連中も無神経な気合で押し退けてくれるので頼りになるのだ。

 その昔、彼女には大声で”気に入りません! 何か分からないけど絶対に企んでいる!”とロシエ有利に持って行かれそうな交渉の場を潰して貰ったことがある。どんなに弁舌巧な外交官相手でも、喋る傍から怒鳴って”白状しなさい!”と胸倉を掴んで持ち上げて華麗な外交術を潰していくのだから見ていて面白かった。悪意がまるで無いのも格別。

 政治、経済、軍事面で具体的な交渉をするため、皇族の中でも議員や企業重役、軍将校を務めている者達を”親しい親戚”という名目で連れて行く。男ばかりでは”くさい”ので全て夫人連れ。

 車内では一応、政務から離れているということになっているので陰鬱な報告書は目に入ってこない。

 個人的な手紙という名目で政務はしているが、中にはちゃんと個人的な物も含まれる。

 拉致されたハンドリクからの手紙だ。軟禁されて人質状態といっていいか。

 現状報告をする内容で、魔都での暮らしは快適だという。見張られているわけでもなく、部屋に鍵が掛かっているわけでもない。見知らぬ土地なので外に出る時は誰か案内が無いと言葉も通じないので引き籠り気味らしい。

 そしてベルリク=カラバザルの子供達との話も書かれていた。

 長男のダーリク=バリドは、歳は同じくらいだが水兵で海軍士官で戦場にも出ていて、自分より大人に見えたらしい。船の仕事があるとかで今はいないそうだ。

 次男のベルリク=マハーリールは元気な子供で遊んでくれと遠慮が無いらしい。

 次女のリュハンナ=マリスラは、異母姉ヴァルキリカの養女ということで一応初対面ではなく、知り合いがいて安心したとか。毎日のように悪戯してくるとも。

 そして最後に長女ザラ=ソルトミシュに関しては”この想いは罪でしょうか?”と書いている。眩暈がした。

 ベルリク=カラバザルについてそこそこ知っている。あれだけの東方の実力者達を一代で手懐けたのだから相当な、指導者としての魅力、求心力があるのは間違いない。好き嫌いはともかくだ。

 その因子を受け継ぐザラ=ソルトミシュは学生救済同盟という組織を若くして作って長をやっている手腕があり、相応の魅力があろう。剣で頭を叩いたら血が出るくらいの論理で、そんな魅力がある者に若い男が心を掴まれるという論理を否定出来ない。

 キツくその”罪”を否定したいところだが文通程度ではどうにもならない。無思慮な否定は反発を生む。”立場が固まるまで胸に秘めておくのが賢い”と助言する程度が限界だ。

 ベルリク=カラバザル、息子の身体だけではなく心まで奪っていくつもりか。

 この手紙を読んだハンナレカは、

「あら素敵! もうハンドリクったらそんな歳なのねー」

 と言っていた。こんな風になりたいと思うことが最近多い。


■■■


 御用列車はバルマン王領を通過中。車体の装飾がそのままロシエ帝国への入国許可証……ではなく、事前に鉄道部門同士が運行計画を擦り合わせているだけなのでそんなことはない。

 義父ヴィスタルムに妻と娘の顔を見せたいところだが今回は急行。これも警備上の問題。そこまで神経質になる必要は無いと思うが、襲撃可能地点を極小化することによって、という思想らしい。

 調べによると義父ヴィスタルムはロシエ動乱中、ランマルカの妖精や化け物を本城に招き入れたらしい。当時の混乱と政治状況を考慮すれば然程おかしくないが、その時に仕掛けられた時限式のとんでもない罠があってもおかしくはない。

 以前の訪問ではそんなことは気にしなかったが、今は気にする時だ。セレル八世、アシェル=レレラを同時に暗殺した事実がある。

 妻の実家すら疑ってしまっている。礼節を持って交流し合うのが仕事の皇室業務でも相互不信がにおう。だが今回はこれを払拭しに来たのだ。

 車窓からマールリーヴァが「お爺様のお城見える?」とハンナレカに問う。そうするとハンナレカは窓に顔までつけてちゃんと探す。自分には無いものが彼女にある。

 ヘルムベル市街地が見える。城が見える位置はあったか?


■■■


 御用列車はロシエ本土を通過中。旧都シトレを中心に、ポーエン川沿いの工業地帯が並んでいる。ベーア帝国でもこの都市設計は参考にされている。

 かつてシトレは破壊され、数十万人の死傷者を出した。我々の破壊された街もこのように復興出来るだろうか?

 ロシエは確かに大勢殺されたが、しかし生き残りも大勢いた。帝国連邦軍は通り過ぎただけだった。

 この戦争で帝国連邦軍が居座って破壊したベーア帝国の地域は、何もかも破壊され汚染され、不具の者以外全て殺されるか連れ去られるかして健常者が一人も残っていない街が幾らでもあった。

 帝国連邦軍は占領統治機構と連携して徹底的に奪い去る組織を作り上げている。執拗で容赦が無くて抜け目が無い。その仕組みは姉の元部下のジルマリアという女が作ったという。

 災厄の種は我がアルギヴェン家が撒いたのか?

 ベーア人という発明、それ程までに罪かベルリク=カラバザル。

 当時、お前を出奔させたのが悪いのか? 救いの手は出したんだぞ。


■■■


 工場が立ち並び、労働者が行きかうシトレと違って閑静な街並みを意識して作られている新都オーサンマリンに到着。景観重視と祝賀行進用に人口に対して道がかなり広い。今日のような催し物がある時に一時的に人々が集中しても対応出来るように設計されている。

 元は私掠艦隊の隠れ家で、海と山と島嶼部でごちゃごちゃしているイェルヴィークとは大違いだ。

 儀仗兵の徒列、軍楽隊の演奏。マリュエンス外務卿を筆頭にしたカラドス家の者達や、皇宮警察隊が作った人の壁の背後でベーア帝国国旗を振る仕込み済みの民衆の歓迎を受ける。

 式典行進装飾の馬と天蓋無しの馬車の扉を儀仗兵が開け、それに乗って宮殿まで進む。

 先導、警護は鏡面のように磨いた兜と胸甲を装備するバルマン人近衛重装槍騎兵。五十歳近い古参の者がいたら、先の聖戦のアレオン戦線で肩を並べていた可能性がある。「先導します!」と敬礼していた騎兵隊長が年嵩だったからこの人物がその可能性はある。

 どれだけ生き残っているのか。

 仕込みと分かっているので間抜けに手を振ったりしないようにした。しかし「ヴィルキレク陛下ぁ!」と若い女が黄色い声で叫ぶのでチラっと見てしまう『キャー!』と顔を赤くする女達がいた。立ち眩みをした様子もあった。演技じゃないのかあれは。

 ハンナレカが手を力強く握ってきた。凄く痛い。この歳でも妬いて来る。

 マールリーヴァの方にも声が掛かって、こちらは訓練通りの笑顔で手を振って盛り上がる。

 開門された宮殿前に到着。儀仗兵が馬車の扉を開け、降りる。

 門前では宰相ポーリ・ネーネトが出迎える。ビプロル人なのに、痩せてはいないがそこまで太くない。理術の探求により種族的な不健康を乗り越えたと言われるが、他のビプロル人を見ると違いは一目瞭然。

「ようこそいらっしゃいました。両陛下、王女殿下」

「少し世話になります」

「どうぞこちらへ」

 案内されて幾何学的に整理された庭園を抜ける。

 宮殿の窓の一つから怨念が籠った視線を感じる。一瞬目線だけ動かして、見て目を離すが、あれが最終国王夫人のユキアだ。暗殺騒動でほぼ死産だった我が子の代わりのようにマリュエンス帝を育てたと言われる。

 マールリーヴァが虐められないといいが。

 宮殿に入り、謁見の間へ入る。

 玉座に座って待ち受けるのはマリュエンス皇帝、国王から数えれば九世、皇帝から数えれば一世。十五、間もなく十六歳の少年がかった青年の間。緊張した顔からも毒の無い人の良さそうな雰囲気が漂う。人の親としたら一先ず安心か。

 マリュエンス帝はちょっと考える顔をして、侍従官達が”あっ”という顔をする中、玉座から立ち上がって早足でこちらまで来た。儀礼を一気に省略したな。

「御機嫌ようヴィルキレク陛下、ハンナレカ陛下、マールリーヴァ殿下」

「御機嫌ようマリュエンス陛下」

「私はこういうのが苦手で、あんまり我慢する気もありません。田舎の粗忽者でして。陛下は宰相とお話したいことがあると思います。ですからもう退散したいのです」

 そう言って娘のマールリーヴァにマリュエンス帝が手の平を上に向けて差し出し、誘った。

「裏の離れた庭に僕の果樹園があるんですよ。葡萄、林檎、梨も収穫時期です。森に行けば栗も拾えますよ」

 そして屈託ない笑顔。

「えっと……」

 マールリーヴァが迷ったので、肩に手を掛けて「行ってきなさい」と背中を押す。そうしたら「はい」と婚約者の手を取り、引かれて連れて行かれた。

「生まれたばかりの子犬がたくさんいるんですよ。そちらも見に行きましょう」

「たくさんですか」

「えーと、十四! 三匹がほとんど同じ時に生んだんです」

「わ」

 並んで歩く若い二人。娘の方が背が高いな。女はそろそろ背は止まるが、男ならまだ伸びるか。

 あっという間に行ってしまった我が娘十五歳。今日まで他家の子息達と婚約も何もしてこなかったのは帝国統一と中央集権化でごたごたしていたせいだ。人狼に襲撃させる家へ嫁がせるわけにはいかず、内偵の完了を待っていたらもう成人直前。

 ロシエの侍従官達には、宰相ポーリが手の平を上げて見せて、少し首を振ってもう終わりにしようという合図を見て、段取りは切り上げようと耳打ちで一瞬話し合って動き始めた。

 ハンナレカが腕を締めてあげて来る。重心も崩してきて片足が浮く。

「う゛ーもうマルちゃんお嫁にいっちゃうのー」

 腕が痛い。

「あっ、マルくんとマルちゃんなんだ!」

 二人の愛称に共通性を急に見出して上機嫌になったハンナレカに掴んだ腕を振られた。両足が一度床から浮く。体重移動で投げられるのは防いだ。

「お二人の世代は平和にしたいものですね」

 二人の背中を、遠い視線で見送る宰相ポーリが言う。

 余りはっきりした情報ではなく噂程度だが、このポーリ・ネーネトはセレル八世とユキア夫人を動乱の中、マリュエンス帝の母である第二聖王マリシア=ヤーナのところまで秘密裏に移送する作戦に加わっていたと言われる。その後に暗殺があったのだから思うところはかなりあるだろう。

「全くです」


■■■


 儀礼式典が一気に省略され、道具類が片付けられる足音が鳴り続ける中で宰相の執務室へ行き、まずは自分と宰相が対面する席に座り、それぞれ一人ずつ武官を隣に座らせる。書記官は後方待機。

 ハンナレカには、マールリーヴァの予後のためにユキア夫人を牽制してくれと言っておいた。二人は知り合いなので、たぶん大丈夫だろう。

 会議が始まり、書記官二人が準備良しと頷いた。そしてポーリ宰相が、初めに我々が相互認識したいことを言ってくれた。

「互いに国境線で主力級の軍を張り付け合うのはこの窮状で愚かな行為です。そうせざるを得ないのは過去の出来事から信用出来ないから。過去に引きずられた時、死者を、墓の下の英雄までも過剰に慮った時、我々の魂が地の底のような分からないところに引きずられてしまいます。

 聖典には死後、悪いところへ行くという記述はありませんが、新大陸にある異教では地の底に死者の国があると言われています。そんなところに落ちそうです。エデルトの古信仰では月と地上の間の夜空に行ってしまうのでしたか。

 望んで不可思議な霊界に行くならまだしも、あのような思想と思考の狂った蛮族共に送られるのは我慢なりません。共にこの悪魔の釜の底から這い上がりましょう」

「同意します」

 悪魔の釜の底。帝国連邦、魔王、ペセトト、ランマルカ、異教の悪魔化物共に囲まれた我々はそこにいる。

「その言葉を聞けて良かった。陛下と王女殿下のご婚約と成人後のご結婚、大衆向けの主張をする前に、互いに信を示すことが可能です。具体的には相互の軍事支援、利益よりも戦争勝利を前提にした通商条約の発効などです。

 まず、こちらからはランスロウ・カラドス=レディワイス元帥の独立戦略機動軍を即時、派遣する用意があります。最新の、実験的な理術装備も含めて運用する部隊です。実績としてはファロン内戦で暴走する軍閥を止め、エスナル戦線では魔王軍の侵攻計画を頓挫させています。いかがですか?」

 事前協議では無かった話が入る。仕掛けてきたな、動揺させる気か。それに相応しい対価を引き出したいのか。

 即時に部隊を派遣するとなると参謀本部の戦争計画があるから返答が難しい。アースレイルの特戦軍、人狼共なら参謀本部との調整も最短で出せるが、今はベルリク殺しの失敗で再編中であるし、何より下品な連中だから駄目だ。あれは人様にお見せする部隊ではない。

 隣に座っている武官に目配せ、即答は出来ないと考える顔で顎に手をやって「参謀本部と調整しなければなりません」と答える。

「即答は出来ません」

「海軍は陸軍より忙しくありませんね。そちらは陸、こちらは海で特に困っています」

 艦隊の派遣、それから旋回砲塔設計の戦艦と魚雷技術のことを言っているのか。

「そちらも即答出来ません。後で連絡を取ります」

「そのようにお願いします」

 それから、

 戦時通商条約の制定。

 部隊派遣とは別の軍事研究目的の軍事顧問団の相互派遣。

 ベーア籍船で避難してきた南大陸の黒人住民のロシエへの引き渡しと、それへの返礼を名目にした緊急食糧支援。

 龍朝天政とロシエ間の貿易交渉の仲介、協力を主に話し合った。

 状況が好転する兆しは見えて来たが、現場が見ている光景はどれほどか。一端は緒戦と帝都襲撃に見たが。

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