第500話「白帽党軍」 ベルリク

 ゼーベ川を目指した突出部、その戦域から後退中。マウズ川西岸は放棄予定。後退作戦の前線はコスチェホヴァ市まで到達。また既にイスィ山地西部および東部南麓、レッセル市からは完全に破壊と撤退が完了している。置き土産も万全。

 軍は西から東へ敵の攻撃を抑えながら移動しつつ焦土作戦を実行。鉄道は西の最前線に弾薬を移し、住民と負傷兵を東に移し、最前線の動きに合わせて鉄道鋤を牽いて線路を破壊した。人と物の動きはこの程度。

 ゼーベ川まで一時到達した軍は、外マトラ軍集団――限界まで酷使して解隊予定――を除いて全てマウズ川東岸へ退避して休暇、人員交代、新兵補充、再編制に入った。再配置場所は検討中。

 帝国連邦軍はカラミエ人民共和国領を維持しない。名を残し、人を抜き、一度破壊する。再建は都合が良ければ行う。

 そんな状況下でカラミエ人民共和国は国土防衛戦を展開。人民政府は、我々が教えた全人民防衛思想に基づき無制限動員令を可決しており、成年男女全てを民兵に出来る体制を構築。その上で住民疎開を開始。

 国土消失後の再奪還を期してという名目で、帝国連邦は無制限で、協商各国は受け入れ能力に応じて難民を迎え入れる。

 歴史的、文化的にはセレード王国がカラミエ人の受け入れに積極的。セレード人とは遊牧カラミエ文化を通じ、ククラナ人とはカラミエ=ククラナ語族仲間という共通点があって親和性がある。

 カラミエ人は前線に突っ込まされるのと、疎開させられるのとを選択させられて、後者を選択する者が多い。最悪最低と困難なら、困難を選ぶだろう。

 意地を張って故郷に残るとなれば懲罰的徴兵か、敵勢力下で人的資源化しないよう抹殺ないし不具化。人民政府は国民殺しを避けるために住民疎開に血眼になっており、なりふり構わず軍も警察も有志民間人も使って強制執行中。

 強制執行に対しては住民抵抗が強い。ここで力を発揮し始めたのが、マテウス・ゼイヒェルの原理教会の修士達とその実働組織である聖オトマク軍。軍というが民兵というよりは民警。革命防衛隊と内務省軍が不得意にしている、敬虔な神聖教徒達に対しての説得力が強い。

 聖なる神を頂点とすれば、俗な人間の命令など聞く必要が無いと思っている頑固で敬虔な信徒連中でも修士――原理教会は聖職階位等を排して底辺で均一化――が説得すると聞くことがある。

 聖典は神の言葉が絶対と信じる者達であればあるほど、原理主義の言葉に逆らえない。こう、心の鍵と鍵穴の形がぴったりなのだ。

 俗な法処罰で脅して怯えない連中でも、神学を学んだ修士が信仰の面から脅迫すると怯えることがある。肉体の痛みには苦行のように耐えられても魂の痛みには耐えられない者がいる。

 原理教会は改宗事業を通じて新しい敵と味方を作り上げ、内務省軍指導の下で占領統治、治安維持へ貢献している。これはカラミエのみならず、エグセン、ヤガロ領内でも進んでいる。ベーア領内にも疫病のように浸透し、新旧思想で互いに神敵と罵り合っている。俗世の争いとは別に聖なる戦いも始まっている。

 カラミエ人民政府にこういうことをさせておいて何だが、指導者達の精神状態が良く分からない。人民を犠牲にしてでも自己保身を図っているのか、共和革命精神を発揮して徹底抗戦の努力をしているのか、混乱してただ言いなりになっているのか。最低最悪、困難、抹殺の三択から最善を選んだ結果なのか。

 一度政府要人達とはコスチェホヴァ市内で、砲声に着弾音が聞こえる中で会話目的の会食をしてみたのだが、下手な言動、顔色を見せたら死ぬより酷いと思っている者しかいなかったので何も掴めなかった。ヤズ元帥も、何をどこまで覚悟したのか己を殺しているようにしか見えなかった。恐怖、焦燥だけが見えてもつまらん。

 我々が後退してから敵の反攻作戦が始まった。あちらの主導ではなくこちらが主導したと思い込みたいところ。

 しかし新設された南エデルト軍集団、エグセン中央軍集団を編制して投入してきた後にこちらが後退を決めたので、あちらに強要されたとも評価出来る。はっきりしない。常に主導したいと思っているが、今回はどうだったかな? 死後の歴史評価が気になる。

 ベーア軍が動員段階を引き上げたことは広報で知られ、自身の目撃で知る。

 具体的な数値は、情報部によると少なくとも新兵が五十万名増員。また現役の中で兵役期限がある者は一時延長を奨励され、期限切れでも再登録が奨励された。奨励金が出ると同時に、国内工作員が精神的に追い詰めて戦場へ戻るよう宣撫している。世論では兵役は義務である以上に使命で、兵役拒否者は人間に非ずという論調も作られる。

 新兵の水増しというのは己の腹を切って食うのと同然。水源豊かな井戸から無限に水を汲むようにとはいかない。代償と改革が必要で、ベーア帝国はこれを、とりあえず表面上はやってみせた。

 就業可能年齢の引き下げ。労働時間の延長。女子労働者枠の拡充。傷痍兵、難民への就労斡旋。無職、浮浪の厳罰違法化。強制と言わない強制労働の一部導入。健康保険制度の強化。医師、看護婦資格の取得条件緩和と教育制度拡充。これで男子労働力五十万の喪失を埋めるらしい。

 新兵教育制度改革。模範的な熟練兵を一度後方に下げて、集めたばかりの新兵と教育班を作って訓練させ、そのまま解隊しないで現場に配置。新しい戦場を知る者の肌感をそのまま教えつつ、教育中に出来上がった団結力をそのまま持ち込み、新兵が孤独から能力を発揮出来ない状況を解消する。

 軍、師団、連隊付き教導隊の創設及び拡充。前進後退の激しい戦場ばかりではなく、膠着中のある種暇な時期に練度が下がらないようにされた。

 初等教育課程以降の中に軍事教練を導入。幼年軍学校枠の拡大。

 この三つの軍教育改革は、熟練兵の前線配備率を低下させて一時的に戦闘能力を下げるが、兵の質を高い水準で消耗戦の中でも維持出来ると考えられている。

 対応の速さは流石と褒めておこう。

 こうして敵は占領地を奪還する作戦を開始した。

 マウズ川からリビスマウズ運河からリビス川沿いの南北縦断線。ウルロン山脈東部分水嶺、フラル方面のラーム川沿い南の全線で将兵推定二百万名、火砲一万門を超えると見られる戦力を投入して反転攻勢を開始。予備兵力と弾薬の集積も相応の規模で完了していると偵察結果が出ている。ベーア軍がそれでも不足すると見られる分は、エグセン地方にフラル軍を入れて補足している。

 これでこちらの前線兵力はほとんど拘束された。今まで存在感が無かったフラル軍も目立てる段階に移った。

 こいつを捌く。


■■■


 コスチェホヴァ市から引いて、マウズ川を渡った先のキュペリン市へ移動。ここはエグセン人民共和国焦土化の起点になる。

 そこで手紙に電文で各所とやり取りをしていて、後退作戦においてヤガロ王国の処遇に悩む。

 エグセン、カラミエ人民共和国は破壊前提で作り上げた傀儡国家。上から下まで内務省軍が統制しているので反乱があっても最小限。思うがまま。

 ヤガロ王国は三割は屈服、七割は寝返りで帝国連邦の共戦国になったと言える存在。大体その割合で属国であり独立国。内務省が行政支援をしているが傀儡化したわけではないので、思うがままではない。

 そんな状態で焦土化しながら後退しようとした時の反発は二つの人民共和国の比ではないだろう。反乱、内戦は不可避。折角手に入れたヤガロ人をベーア帝国に転がすのは勿体ない。慎重、丁重にお迎えしたい。

 構想としてはこの三か国が抱える人口二千五百万程度を完全にベーア帝国から奪って一億ベーアを、戦傷者も引いて、七千万ベーアぐらいに弱体化させるのがベーア破壊戦争第一次攻勢の初期目標だ。

 ベーア側の死傷者数ははっきり分からない。今のところ鉄火と病気で二百万程度は殺したんじゃないかと推計されているが本当に分からない。戦後でも分かるかどうか。

 カラミエ人民共和国は仕上げの段階に入っている。焦土化と疎開と尖兵戦術により三百万を奪うことに成功しつつある。

 エグセン人民共和国は、カラミエの前例通りに行けば更に一千万を奪える。

 残るヤガロ王国一千万の奪い方が問題。協力的なヤガロ人は虐殺もせず不具にもせず、全て疎開させたいところ。

 ベーア帝国から人口を吸い取って帝国連邦を強化したい。我が国土は広大過ぎて人を入れる隙間だらけだ。開発可能な土地だらけ。食糧は化学肥料から始まる農業改革で有り余っている。

 当初は、我が軍が不利を見て素早く後退するように、ベーア帝国に無人の荒野を明け渡して”砂漠”で苦しんで貰う予定だった。カラミエでは上手くいっているが、ヤガロで素早くは無理そうだ。

 無理と分かったら地道に後退する算段を立てるしかないが、何かこう、理想的な方法は無いかと悩む。地道な後退はこちらの戦力の消耗に繋がって予後が良くない。

 ”砂漠”で苦しむベーア軍を攻撃して主力撃破を目指す第二次攻勢を達成する戦力を保持しておきたい。かと言ってヤガロ軍だけにヤガロ方面の第一戦線を任せたらあっという間に崩壊するし、不義理の姿勢を見せればやはり反乱、内戦。

 ヤガロ軍を守る使い捨ての戦力が欲しい! こう、特大の尖兵が。神様に祈ったら届けてくれないかな?

 悩んだ時は散歩するのが良いのでキュペリン界隈を回ってみる。

 市内では原理教会による再洗礼活動が活発。街頭に剃髪した男女、修士――修道士との違いはたぶんほぼ無い――がいる。集会場で説法など出来るような者は博士と呼ばれる神学教授資格者で、基準として聖典の暗誦が出来て、基準は知らないが解釈講釈が出来る。その二つしか肩書は存在しないらしい。

 再洗礼とは、アタナクト派等による洗礼、特に生まれたばかりの赤子に施す強制的な洗礼は無効なので再度、正しく本人の意思で洗礼をして原理主義の教えに帰依するという儀式。”異端の汚れを洗い流す”という言葉が聞かれる。

 コスチェホヴァのような文字通り死ぬほど忙しいところで彼等は活動をしていなかったが、川向うが戦場程度のキュペリンならやる余裕があった。前に見た時となんか服装やら活動方針が変わってきている気がするが、ようやく組織として統率が取れて活動方針が明確になったのだろう。

 噂の聖オトマク軍だが、足腰が悪いわけでもないのに杖を持っている男の修士がそれだろうか? 喧嘩の仲裁ぐらいは出来そうだが。

 アクファルと二騎で、馬に乗って教会の近くを通りがかれば、目の周りに丸く、頭には線状に痣がある剃髪の修士が話しかけて来た。差別化したいんだろうが一々用語を変えられるとややこしいな。修道士でいいだろ。

「帝国連邦の遊牧兵の方ですね」

 荒っぽいその遊牧兵相手に普通の修士は、騎乗しているのもあってあまり近寄らない。馬は蹴ったり噛み付くかもしれないし、騎手は馬上で気が大きくなっている上に馬を止めるのは面倒臭いしイライラするので、丁度その痣のように殴ったり鞭を入れたりする。

「どうした坊さん」

 この、帝国連邦の下部組織と言っていいか微妙だが、そんな連中がどういう活動をしているのかは気になる。丁度、相手が誰だか知らずにやってきているのは面白い。

「あなたは聖なる神の教えをご存じですか」

「一般教養程度には知ってる。知らんと上手くフラル語が通じないからな」

「ご存じですか。では教えを信じておりますか」

「俺みたいな中年の兵隊にも宣教してるのか?」

「教えを遍く広め、魂を救済せんと志しております」

「話はあんまり聞いて貰えないだろ。救世神教みたいだ。その目、殴られたな」

「はい。ですがそれは救わぬ理由になりません。定期的に聖典を読み聞かせる集会があります。参加してみませんか? 話を聞いてみて、何か心に残るものがあると信じております」

「そうだな。俺が勉強して、人生を経験して感じたことを言おう。強さこそ全て。蒼天の神はとりあえず、そうしても何の文句も言わない。聖なる神は六徳十戒だなんだと横から本の癖に口を挟んでくる。どう言い繕っても所詮俗人のくせに坊主すら何か言いたがる。基本的にやかましい。その教えは自由よりも外套が欲しい者達のためにあるし、共通の価値観を持った者同士じゃないと難しい。俺が今それを着たら、逆に裸だ」

「誰しもいずれ、老いて弱ります。その時はこちらにおいで下さい」

「その前に戦って死ぬ。寿命を寝て待つ気はない」

「いつか、何年でも何十年か先でもお待ちしております」

 思ったより難しいことを言わないな。入門してから面倒臭いこと言って来る手合いか?


■■■


 市外の各駐屯地、新しい衛星都市が複数誕生したような規模で展開する。

 引き上げた各軍、ユドルム方面軍、黒軍と予備隊、新大陸義勇軍、ザカルジン軍がここで一時休息を取り、エグセン放棄を前提に再配置予定。

 中でもヤガロ軍――第二軍の訓練編制が終わったので第一軍となる――は早々に本土へ帰国。武器弾薬など荷物になる物は全てカラミエ人民軍に譲渡済み。新しい装備は再編作業で受け取るので問題ない。

 エグセン人民軍も第二軍が編制されて配備が進んでいる。第一軍は西岸で消滅し、また同名の第一軍がほぼ新規で、この界隈で編制作業が進んでいる。

 その中で黒軍の駐屯地を最初に訪れる。

 こいつらの損耗は著しい。特に騎兵は遂に四千騎を切った。まだ無傷、復帰可能な傷病者、自爆特攻要員、傷は無事だが頭がイカれて駄目になった者など様々。次作戦に健全な状態で連れて行ける人数が確定するまで時間は掛かるが、大体三千名弱と見込まれる。

 エデルト浸透作戦から半分以下になった。こいつらは腕が良いから集めたのではなく、平時では地元に置いておけない暴れん坊の屑だ。その辺の魅力が並の指揮官じゃ統制が出来ないから最高権力の自分が率いているというだけで絶対に失いたくない精鋭ではない。

 勿論、本物の精鋭である親衛偵察隊、竜跨隊、良く随伴して貰ってるグラスト術士は失いたくないが。

 黒軍の補充要員候補としては全軍を見て、今日までの戦いで幻傷痛が酷く発症した者、血に狂った者、それから”砲弾”病患者など。

 生きていても困る者がいる。殺して暴力を振るえなければ苦しむ者がいる。死にたがっている者がいる。死にたいという意志すらはっきり掴めない者がいる。少しでも多く苦しみから解き放ってやろう。

 馬の糞だらけの広場で、投げる殴るの相撲か喧嘩か何か分からないことをしている輪に加わって観戦。

 どの辺で乱入しようか考えていたら、誰かが気付いて「総統閣下万歳!」と歓声を上げたら、中からキジズくんが犬みたいに駆け寄ってくる。

「待て」

 手の平を見せる。

「お座り」

 手の平を下に向ける。キジズくんは座って上目遣いで待機、頭を撫でる。

「よし立て」

 手を離すと立った。

「しばらく直接面倒見れないかもしれんから、他の将官と仲良くやるんだぞ。お前は俺じゃない、分かるな?」

「はい総統閣下万歳!」

『総統閣下万歳!』


■■■


 黒軍駐屯地と近隣の駐屯地を適当に見て回ってからキュペリン市内に戻る。

 昼飯は司令部付きの食堂。手洗いをして、食事を受け取って、誰の隣がいいかなぁ、と座席を眺めていると仮面を被っていないシルヴを発見。隣の寝ている子の頭を撫でている。うらやましい。

 隣にいるのは救済同盟の医療助祭として活躍中の、アソリウス島のマルリカで、卓へ突っ伏して寝ていた。記憶より太い。それから寝ている頭の横に食いかけの料理が乗った皿があるので、食事中に居眠りということになる。そこまで忙しくならないように組織を作れと思う。何やってんだサリシュフのボケ。

「この子こんなに太ってたっけ? 腹摘まんでいい?」

「圧し折るわよ。母親似ね、そっくり」

「シルヴは仮面被らなくていいのか」

「は? ご飯食べれないでしょ」

「”顔無し”はどうした。ちゅーしちゃうぞ」

「はいはい」

 救済同盟は、帝国連邦軍の前線より一つ手前程度の位置で傷病者治療に当たっている。差別せず誰でも助けるという名目だが、我々はまともに捕虜も取らないから目下、我が軍の医療従事組織と化している。

 ベーア帝国はこの組織を名指しで敵だと公言していないが、接触することがあったらどう振る舞う心算なのか。頭領サリシュフには何が見えている?

「サリシュフってこっち来てるか?」

「さあ? あんたのこと嫌いだし、金も物も要りようだからマインベルト辺りで掻き集めてるんじゃないの?」

「なんだぁい」

「私がいます、お兄様」

「そうだな」

 肉野菜の煮物を突っついて、これあんまり美味くねぇな、と思った。ぐずぐずに煮過ぎというか、野菜が古くて痛む前か既に悪い物を誤魔化した、といった様子。

「何、何か喋って欲しいの?」

「愛してるって言ってくれ」

「寝言は寝て言えって言われなかった?」

「シルヴに言われた気がする」

「じゃあ寝たら」

「膝をどうぞ、お兄様」

 アクファルの膝に頭を乗せる。

「頭をアクファル、尻をシルヴに置いてみたいなぁ」

「寝ろ」


■■■


 アクファルの膝でちょっと寝て起きたら朗報が来た。

 中央総監シレンサルがザカルジン軍に次いで送り出してきた、ジャーヴァル帝国版国外軍のベーア破壊戦争への参戦が決定。一先ず、あちらでの騒乱に一区切りがついたそうだ。

 ジャーヴァル宰相ベリュデインが大仰にならないようにと簡単な電文を送ってきており、”この度の派兵は我が帝国救済の返礼であり、裁兵を兼ねる人口整理事業の一環。何もかも遠慮なさらぬように”とのこと。

 軍司令官が先遣隊と共にヤガロの王都ニェルベジツまで来るということでこちらも早速移動する。

 現在帝国連邦軍は全線で攻勢を受けているが、ラーム川防衛線を突破しようとしたフラル軍は計画洪水で攻勢を一時頓挫させたと報告を受けている。新しい軍を受け入れる余裕はあると判断された。

 キュペリンの鉄道駅で列車に乗り、駅構内で待機中に窓を開けて人々の雑談を拾って聞いた。

 エグセン人民共和国での疎開は、領内へのベーア軍の侵入を待たずに始まっている。エグセン人民の受け入れ先は主にマインベルト王国と聞いていて、実際に会話でもマインベルトの地名を口にしていたり、出稼ぎみたいなものだから、あっちに親戚がいる等という会話が耳に入る。

 それから革命思想が強い者、特に共和党員は君主国家では嫌がられるので、受け入れる土壌が整っている帝国連邦、オルフ王国へ行く。そして本場へ留学したいと強く願う者はランマルカまで行って偉くなって戻ってくるぞ、みたいな気勢を上げている。

 列車が発車。車窓からエグセン、ヤガロと風景を見ていくと、腕章を付け、手旗を持った共和党員が模範人民として若い人々を率いて徒歩で疎開先か、鉄道駅まで進む列が見られた。細かく分割し、統制下で段階的に故郷を捨てさせている姿だ。

 遊牧民なら馬に乗って、荷物は駱駝や車に載せて牛に牽かせ、財産の山羊、羊を犬と一緒に誘導していくだけでいいものだが、彼等は動かせない家、畑に後ろ髪引かれながら歩いている。振り返る姿が良く見られた。

 ヤガロ領内ではエグセン領内に比べて移動する疎開民の数は少なかった。ほとんど出稼ぎ労働規模でその雰囲気。

 列車でニェルベジツの駅に到着。降車して駅前広場へ行くと、この辺りでは集団として見ない南側世界の顔をした一団がいた。白い房飾り付きの帽子を制帽として被っていて、自分を迎えるために徒列していた。

 ヤガロ政府から許可は取ったのか? 駅員と乗客の往来を邪魔しているのは明らか。

「帝国連邦総統、リンナーの化身、ベルリク=カラバザル・レスリャジンに捧げぇ、刀!」

『噴き出す精の白帽党!』

「ハッ! ラハ、ラー。子等を捧げよ。

 ヤッ! シャー、ラー。血肉にして捧げよ。

 エー! ベレ、ラー。再生のために捧げよ。

 三女神が使命の殺戮の後に回して戻されるぞ! 妻達が夫たるリンナーを助ける我等神兵を助く!」

『捧げよ! 捧げよ! 捧げよ! 捧げよ! 捧げよ!』

 エグセン地方では響いた事の無いジャーヴァル、ナシャタン語の合唱。かつて聖戦の時に見ただろうヤガロ人の目からも、魔神代理領兵よりも異教異民の雰囲気が溢れる。臭いも実際違う。

「我が夫よ、これから御山の力の体現を見せよう。突き出る巌に冠する万年雪はリンナーの精とされてきた。世界男根たるジャーヴァルより出し、範を取りし白の色を吐き出してみせよう。まずそれがこの白帽子」

 立ち振る舞い、口調から男装の麗人風だがただの美男子、聖地守護者イブラシェールが先頭に立っていた。藩王の座は息子に譲ったと聞いている。

 その脇には、口は挟まないが礼の仕方が慇懃なメルカプールの狐頭。聖戦士の秘術の準備も万端か。よろしい。

「夫ではありません。白帽党軍はどれだけ動員出来ますか。はっきりした数字を聞いていませんが、概数だけでも」

「十でも二十でも三十でも。軍令をアイラシャータとするなら幾らでも投入出来よう。我等は噴き出す無数の精である、我が夫よ。何度も折れて曲がっては立ち上がる。幾度も試行を積み重ね、遂には一つに一つが到達するように。私とあなたの息子達が生まれるまで諦めはしない」

 どういう意味だったか、比喩表現だがどうにも考えたくない。

「リンナーから注がれ生まれる我等は毎季百万人。一人一人は一掬いの弱卒だが、百万度で冬明けのように氾濫しよう。母なる濡れそぼるジャーヴァルの子宮を乾かすことなど出来はしないと西方世界へ、共に知らしめよう」

「大体わかりました。夫ではありません」

 ジャーヴァルの彼等は兵士というよりは武装移民と考えている。アイラシャータ戦術による無規律兵は真っ当な戦力ではない。戦線を築いたり、作戦に乗ったりしない。とにかく広範に散らばって、飢えた野生動物のように戦う。

 今のところは兵士として働いて貰うが、いずれはエグセン地方に入植して、ベーアの地をベーアでは無くす。全く通じない言語、文化を築いて具体的にも破壊してやる。これが”私とあなたの息子達”だ。頭がちょっと回ってきた。

「我が夫よ、あのダカスという山も良き男根である。白く精を被っている。そこから溢れるモルルという川も良く水を吐き出している。新たな聖地として頂くに不足はないな。あの山の名を改めてカラバザル、川の名をイブラシェールとしようじゃないか」

「止めて」

「我が夫よ、否定されるがいい。この愛は見返りを求めるものではない。無償で捧げるもの。言葉だけでも許して欲しいとも言わない。しかしただ言わせて欲しいのだ。この一方通行の橋、対岸に届かずとも私の方で伸ばし続けていたいのだ」

 何故か周囲からの視線が責めるようなものと感じてしまう。しかしこれはまやかし。大体、周りのヤガロ人に通じる言葉じゃない。白帽党兵など知るか。

 騙されるなベルリク=カラバザル。こいつは結構良い歳のおっさんで、何ならたぶん年上だ。ケツの穴も変なことになっている変態だ。

「お兄様、去勢してみましょうか」

「むしろ望もう!」

「もう止めて!」


■■■


 白帽党軍による護送でニェルベジツの宮殿へ直行。今後、そういうことだという姿勢をまず見せた。

 ラガ王、ブレム宰相、イブラシェールと集まってヤガロ方面、第一戦線について話し合う。

 ブレム宰相が初めに言う。

「カラミエで行ったような焦土化は受け入れられません」

 ラガ王もその意見だと、半分は顔に書いてある。ちゃんとヤガロ人も愛しているようで結構。

「理解しています、そうでしょうとも。しかし、敵国土を占領して破壊して後退し、そこを復興させたらまた占領して破壊するを繰り返してベーア総力を払底させる戦略方針は変わりません。そうでなければそもそも勝利が無い。負けないだけならともかく。そんな心算はありません」

「少なくとも我らがヤガロの指導部、全てをその意見に賛同させたとしても将兵民衆、絶対に納得などしません」

「それも理解しています。人民共和国のような骨を抜かれて造られた傀儡とは別だと認識しています。ですが主力は全て第二次攻勢準備のために、段階的に後退します。その時のために万全の状態に戻しておきます」

 第一戦線で損耗した内マトラ、外ユドルム両軍集団は絶対に一度はマトラ山地の東に戻す。解隊した外マトラ軍集団と新兵で補充して設計改良、新規設計の最新装備で完全復活させる。

「そうしたらエグセン人民共和国でも後退が始まって第二戦線が消失していく中、ヤガロ軍だけで第一戦線は支えられず、この国はベーアによる再占領と裏切り者を裁く罰を受けるでしょう。並の敗戦国より厳しい処置が想像出来ます。妥協案のようにブリェヘム第二王国を造って、罪から逃れるための反乱を煽動するでしょう。内戦は悲惨、避けたいでしょう。なのでこちら、ジャーヴァルの聖地守護者イブラシェールの大軍と、私が率いる黒軍が残り、徹底抗戦して結果的に後退を強いられるようにします。ジャーヴァル兵の補充は長期的に見て百万超、兵士の訓練がおざなりでも、最低でも塹壕掘りでかなりの助けにはなります。大切にしなくて良い大軍ですから防御戦闘では侮れません。これで徐々に退きます」

「見ての通り穴掘りは得意だ」

 イブラシェールは妖艶な仕草で足を組み替え、首を傾けて言う。こいつここで笑わせようとしてくるんじゃないよ。

「えー……徐々に国土を蚕食されれば、今は馬鹿げたことと思っているヤガロ人も疎開に対する理解が深まるでしょう。土地は渡しても人まで渡す必要はありません。疎開先に屋根、食べ物、仕事は用意してあります」

「故郷を破壊しろという残酷な命令を本当に出すのですね?」

「感づかれないように演技して下さい。責任を取って自害もせずこの私と戦争を遂行するというのであればその位は覚悟して貰いましょう。出来ませんか? それとも誰かに任せますか?」

 ラガ王が、吐き尽くすように唸るブレム宰相の肩を掴む。苦労を共にした信頼関係が見えた。

「総統閣下。ヤガロの苦難に報いてくれることを誓ってください」

 ラガ”くん”とか可愛い呼び方はそろそろ出来ないな。

「勿論です。アクファル、記録に」

「はいお兄様」

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