第499話「ルモン・ハイベネク伍長勤務上等兵」 無名兵士達

 砲兵と車両隊が幾本かある街道を、進めるところまでは進む。両脇の道路外では歩兵と騎兵が警戒態勢を取る。

 先を行く軽歩兵隊が戦闘をしているらしいけど、後方ではまだ事故か何かの銃声くらいしか聞こえてこない。無人の野を行くような感じだ。反転攻勢中だから、敵の激烈な抵抗があると脅されてきたので不思議だ。

 この南エデルト軍集団は出来たばかりで欠員も少なく、人がたくさんいる状態。

 自分は瓦礫だとかを排除する工兵隊に、前に所属していた中部集成軍が無くなってから転属した。今はゼーベ川を渡った東側、悪魔が荒らした酷い道を直している。

 訓練兵の時に小銃で的を撃ったことはあった。耳元で痛いような音が鳴って、肩に当たって凄く痛かったぐらいしか覚えてない。

 初めは歩兵に配属されて、実戦で初めて撃った相手は民間人で即死。それ以降は構えるのも無理で、持っても直ぐに震えて落としてしまう。当時の上官に”構えてみろ!”と言われて、落として、どうやったか忘れたけど自分の足を撃って後送された。それで今は怪我が治って、戦場に戻って来て工兵をやっている。

 特に何もしなくても年季だけで昇進して二等兵から一等兵になる。負傷勲章も勿論、何も無し。

 道を塞ぐ倒木があって、これは引っ張って道路の外へ退かす。倒れた木はかなり重くて、切断して分けて軽くしながら運ぶ。

 皆に斧と鋸を研いで渡すと褒められる。家の仕事は研ぎ師。

 街路樹は土地の境界線を示したり、道自体がどこまで続いているかという標識になる。倒されると道もふさがり、見えなくなり困る。

「雪が積もった時にどこを進めばいいか分かりやすいから便利なんだぞ。お前等こういうのぼけっと見てるかもしれんがな」

 ということを今の上官に教えて貰う。

 これからやってくる冬に備え、倒木で作った柱を立てることもした。雪で道路の縁が分からないと段差で転んだり、車両が横転したりで大変。

 カラスと犬とネズミを良く見る。見たことがない大きい穴掘りネズミもいた。兎かと思ったら耳が短い。

 街道を川が横断していたり、水が溜まって沼や未干拓地のようになっていることがある。その水たまりに屋根が落ちて柱も倒れた廃墟が佇んでいる。悪魔の軍団が壊した街へ、堤防やため池を崩して水を流し込んだ後だ。上流から、建物から外された板が、再利用防止に折られた状態で流れて来てそこかしこに溜まる。

 橋を渡すか、どこか堤防になっている土手を崩して別のところへ排水する必要がある。調査をするためあちこち歩いて回る。靴からズボンまで、水が跳ねて股まで濡れる。

 水の中には住民と豚や家鴨、鶏の死体が浮いたり沈んだりしている。裂けた布が集まっていると思ったら流れて来た腸だった。魚、蟹、カワウソが食っている。

 水面には汚い油と泡が浮いて、虹色が出ている。日中は蠅がうるさい。虻と蚋も混ざってて、噛まれると痛い。

 悪臭が酷いから口と鼻に布を巻くけど、跳ねた水が染みてきて、口に入ってきそう。蠅はそれで口に入ってこないが耳に入ってくることもある。

 水没した街の井戸の中には、また色んな死体とうんこがぎゅうぎゅうに詰まっていて、一瞬見ただけで顔が反れる。

 水浸しは街から畑に続いて、歩くと泥と藁が浮かぶ。たぶん腐っている、腐ってなくても食べたくない水を吸った、刈った麦が浮いたり沈んだり。

 仲間の一人が底なし沼に嵌って救助活動。沼から引きずり出したところ、とんでもなく臭い泥が一緒に出て来た。肥溜めだった。彼は後で直ぐにお腹壊して後送。

 崩せば水抜きが出来る自然堤防が見つかり、上官の命令を受けて鍬で掘って排水。水位はある程度下がっても水浸しのまま、泥溜まりと川が残った。

 水が抜けると死体が鮮明になった。皆、腹を切り裂かれている。水を吸って膨れ上がっていて、元がどんな顔で体形だったかよくわからない。

 死体を丁重に扱っている暇は無く、鉤竿で刺して骨に引っかけて引きずって集めた。崩れるまで腐っていなかった。

 死体集め、墓穴掘り、埋葬の次に優先するのは、折れた枕木が重なって、軌道が曲がって太い螺子が弾け飛んだ後の壊れた線路。鍬のお化けで引っ搔いた後に見える。

 線路の土台、固めた盛土は残っているところもあれば水で流れたところもある。ここも水を止めなければいけないが、どこから水が漏れているのか上流を突き止めるためにまた歩く。

 その辺の水は飲めない。井戸も駄目。小川も遡れば死体漬け。良く分からない薬品が撒かれていて、嗅げば腐敗とは別の何かの臭い。そういうところの近くを歩くと手と足が被れて、赤くなって腫れる。痒いけど、掻いて血が出て、そこから汚い水が染みると思うと我慢した。

 薪や石炭に、林も焼かれていた。焚火をするのも一苦労で、水浸しの廃材は薪に使えない。乾いた枝や板を探す。それから死体漬けかはともかく煮沸出来る水を飲用に使った。塩や香草でお茶にしないと駄目と言われている。茶葉、珈琲は貴重品。

 お腹が呪われそう。悪いのは悪魔達なのに。

 廃墟の中には住民が生存している場合も多いが、ほぼもれなく目が抉られ、手の骨が治療の見込みもないほど砕かれている。あとは爆弾の破片を食らったような怪我が多少。

 住民を確認すると小さな子供はほとんど見ない。大怪我――目と手以外の――をしていたり、病気が重そうな子供は目を抉って置かれている。

 目の無い証言者によると「こうなる前に無理矢理離されて分からない。どこにいるか教えて」とのこと。組織的に誘拐しているらしい。

 彼等を保護するために、互いに肩を掴んで……手が砕けて掴めないから手首を乗せて列を組ませる。悪魔との戦いで、こんなことまで軍の教範に乗っているらしい。

「おい俺の後ろにいるの女だろ! やめてくれ!」

 と叫び出す男がその中から現れる。触られた手首の感触で分かるのか?

 何がどうしてそんなことを言うのかと思ったら、廃墟の中に腹から上下真っ二つに、爆発したような死体がある。服装は女性。

 人間爆弾、話は聞いていたが本当にこんなのあるのか。

 教範に対処方法は、たぶん載っていない。上官もどうしていいか分からず「うるさい早く進め!」と怒鳴るだけ。

 新しい列は女性だけで組ませることにしたら女は女で年寄りが「股に爆弾突っ込まれてるの若い女だよ! 若いのは別にしてくれ!」と耳に障る高い声を出す。

 若い女は文句を言うより黙っている者が多い。その中、若い女の人の腹が爆発、内臓と骨が周りに飛び散って刺さる。いつ爆発するか分からない時限爆弾が女の人の腹に入れられていうのは聞いたことがあるけど……。

 列が崩れて、目が見えない住民が闇雲に暴れ、手当たり次第に周りの人間を殴ったり蹴り始める。もうどうすればいいか分からない。

 上官が拳銃を空に向けて撃てば、今度は悲鳴を上げてあちこち逃げ出して、廃墟に突っ込んで転んで、瓦礫に刺さって怪我人が出始める。手が砕けているから立てない者ばかり。

 男に胸を、折れた手で触られてから「お前女か!」と怒鳴られてから肘で殴られ始めた女の人が「助けて!」と叫んでいる。

 どうすればいいのこれ?

 焦土戦術は、建物を燃やして井戸に毒を入れて畑を刈り取ったり焼いたりするものらしい。でもこれはそんな生易しい規模とやり方じゃない。

 本当に悪魔の仕業だ。

 手を合わせる。神様、信仰を試す試練って本当にこんなのなんですか?

「お前、祈ってないで手貸せ!」

「あ、うん、はい」


■■■


 線路修復のための準備工事を優先しろという命令で、ひたすら穴を埋めていった。

 本格的に線路を敷き直すちゃんとした建設工兵は、まだ鉄橋を直しているか、川を船で渡って測量中。

 東から西に向かって扇状に凄い威力で爆発した箇所が幾つもあった。浅くて広い穴で、その先に色んな皮とか肉とか骨とか、服の切れ端、潰れたボタン、金属屑に木片が散らばって混ざり、踏むとふかふかの層が広く出来ている。何人混じっているんだろう。

 昼はまだまだ暑くて陽射しが痛くて汗が出る。慣れたつもりでも死臭がかなり臭い。頭の中が重くなって疲れる。皆も辛くて吐いたばかりのゲロが目立った。

 配置転換が多くて理由が良く分からないけど、今は奪還したミッテンアノル市の工事に参加している。到着した時に解放を喜ぶ市民は一人もいなかった。歓迎無し、まるで無人の廃墟。

 兵士以外だとやっぱりカラス、ネズミ、蠅があちこちで目に入ってくる。犬は犬でも野犬に混じって飼い犬がいた。人間の肉片を食べてるくせに尻尾振って寄ってきて頭を撫でろとせがんでくる。嘘だろ。

 建物は全部潰れていた。屋根が地面の高さで、その瓦礫を退かせば潰れた死体が汚水に浸かって漬物状態。火事の焦げ跡があるのはかなり少なかった。

 建物に住民を「閉じ込めて屋根を落として一斉に潰したな」と、誰かが言った。言わなくていいのに。

 市内にも生き残りの住民が、やはりもれなく目を抉られて手を潰されていた。

 それからまた若い女性限定で身体が上下に分かれる爆発で千切れている。

 また同じく女の人が邪険にされていて、見ていられない。救いようもない。

 祈れば神様が救ってくれるとか、掛ける言葉が分からない。

 たぶん殺してあげるのが一番だけど、誰もやると言わないし、上官も命令しない。

 石に頭をぶつける自殺は、あまり止められない。

 市内では水が更に制限された。外より街の方が水が汚い。汚くない水は、落ちた屋根の隙間に埃混じりで溜まった雨水ぐらいかもしれない。

 臭いは鼻が疲れて慣れて来たかもしれないけど喉の渇きは酷い。日中は特にきつい。秋も過ぎたのに熱中症で倒れる人がたくさん出た。「水不足が原因」だって医者の先生が言ってた。

 そんな中で、ここでも鉄道修復優先の準備工事。氾濫した川に盛土を流された場所よりは作業が簡単だった。手と腰は前より楽だけど、水不足が辛い。綺麗に見えるなら飲んでもいいんじゃないかと思ってしまうぐらい。

 煮沸した水以外は絶対に飲むなって言われていたけど、腹を下して下痢で尻を濡らしていた人は多かった。吐いて下痢もして脱水症状で後送され、いなくなる人も多くなってきた。この出来たばかりの南エデルト軍集団は、今は戦うより病気で離脱する人が多いと思う。

 列車運行が再開されている地区では給水車がやってきて綺麗な飲み水をくれるらしいという話を聞いた。羨ましい。

 夜は寒い。寝る屋根が無くて壁はある。壊れていない衣装箪笥だとか、そういうところに入って寝るのが賢い。ちゃんと戸が閉まるやつじゃないと寒がったネズミが潜り込んでくる。

 毛布だけだとやっぱり寒いから、廃材の焚火で炙った煉瓦を温石にすると良く寝れる。何人かでぎゅうぎゅう詰めだともっと良い。おならくらいもう臭くない。寒くて途中で目が覚めない。ただ虱が移る。

 寝ている時にネズミが来ても慌ててはいけない、と自分に言い聞かせないと駄目だ。慌てて叫んで、手で払ったり蹴とばそうとして噛まれた人が何人も熱を出して倒れた。


■■■


 道路工事にこれまで従事してきたけど、前線で兵士が足りなくなったらしいので最前線まで移動することになった。

 カラミエ人諸邦の一つ、バラメン司教領南部に築かれた悪魔の防衛線を突破したいそうだ。ゼーベ川に築かれていたような凄く立派な要塞ではないけれど突破が出来ず、こっちの陣地とあっちの陣地の間の荒れようが酷い。

 砲弾で凸凹。草も藪も引っ繰り返って泥の下。枝葉が無くなって、折れて削れて杭みたいになった林が並ぶ。一時休戦の交渉も拒否されて回収されない死体、吹き飛んだ服、散らばった武器でぐちゃぐちゃ。

「カラミエ人同胞の諸君、聞きなさい! 帝国連邦軍はバラメン司教領において君達の家族、友人を殺し、目を抉って手を潰した事実を知っているか!? グランデン領のエグセン人にだけあの惨劇が繰り広げられたわけではないのだ! 今や帝国連邦は劣勢に立ち、今、敗走の最中にある! もうその最前線に立って、悲しい戦いを続ける必要はない!」

 拡声器で行われるこの宣伝で戦わされているカラミエ人達が寝返るのはいいけど、この対峙している状況で寝返ったとして、どうするんだろう?

 自分のいる工兵部隊が、戦闘工兵として突撃に参加して鉄条網破壊の任務に参加すると上官から告げられた。

「穴を埋めてまたほじくり返される仕事は終わったぞ! くそったれめ!」

 こちらの砲兵陣地は、大砲が置かれていないけれども敵の術砲兵が操る列車砲に何度も土台から破壊されている。こちらの大砲の射程圏外から一方的。鉄道が復活すれば列車砲をいっぱい持ってこられるらしいけど、どこまで工事が終わっているか分からない。ちゃんと工事が仕上がるまで現場に張り付いたことはない。

 夜を待って砲兵隊が大砲を、空の砲兵陣地まで前進して砲列展開。敵陣地へ砲撃を開始。

 砲撃と同時に歩兵も頭上を砲弾が飛ぶ中で前に出て、あのぐちゃぐちゃの荒地を進むことになった。前まではこれを見送っていたけど、今度は参加。塹壕の中に待機して自分の部隊の出番を待つ。

「いいかお前等、この街道沿いの正面以外でも戦っているからな、この失敗続きでも意味があるんだぞ。くそったれめ!」

 上官が説明している横で、塹壕の隅、手榴弾を転がして落とす穴に小便をする。

「おい研ぎ屋、お前、良い度胸してるな」

「うん」

 号笛が鳴り、この工兵隊が追従する歩兵隊が塹壕を乗り越え始めた。

 皆の尻と足が地上に出ていく姿が見えて、急に地面が横から落ちたみたいだった。皆の足や下半身が泥と一緒に塹壕の中にぼたぼた落ちる。

 塹壕からちょっと頭を出して見てみる。月明かり程度で良く見えないけど、浅くて広い穴が前方に開いていた。さっき塹壕を越えた歩兵隊が消えている。後ろを見ると混ざった物がふかふかな感じで盛り上がって広がっている。

 他の位置から前進している兵士がたくさんいて、暗い中、砲弾が破裂する光が点滅。

「誰かー?」


■■■


 突撃しないで後ろに下がった。

 戦いに参加しなくて怒られるかと思っていたけど、怒る人がいなかった。

 配給された”カラミエ煮”って読むらしい、食べたことない感じの肉の缶詰を食べる。カラミエ人って料理上手?

 今、生まれて初めて誰にもあれしろこれしろって言われてない気がする。色んな階級の人達がいても、誰もこっちを見ていない。

 おっぱい大きい看護婦もいて、あの人を見ながら食べると幸せ。

 頭を軽く叩かれる。

「おいルモン」

 振り向くと、街区から訓練隊から前の隊まで同じだった幼馴染。兄の同い年。

「レクタスくん生きてたんだ!」

 ブランダマウズ軍が滅茶苦茶になって、中部集成軍が解隊されて、南エデルト軍集団になって、あっちこっち移動してから会えるなんて奇跡みたいだ。聖なる種の形に手で切る。

「お前、誰じろじろ見てたんだ、相変わらずアホ丸出しだな。前みたいに変態にさらわれるぞ」

「大丈夫」

「あーん。徴兵嫌がってたくせにまだ退役してなかったのかよ。その撃った足見せれば、今の工場ならどこでも身分証明しなくても入れるぞ」

「うん、でも、工兵! 戦闘工兵? 建築は、勉強しないと」

「うーん、部隊どこだ?」

「大砲で消えちゃった。誰もいないよ」

「ああ……じゃあ、俺のとこで鉄条網斬れよ。銃無理だろ」

「うん無理」

「一番先頭に突っ込む役目だぞ」

「撃てないからいいよ」

 食べてから鋼線鋏の刃をやすりで削っておこう。良く切りたい。

「お前、まだ一等兵か」

「レクタスくんは軍曹? すごい」

「休暇中に下士官試験受けて、新兵預かって伍長。訓練して連れて来たんだ。でさっき軍曹、部下は十人な」

「へー、すごい」

「お前あれだ、伍長勤務上等兵やれよ」

「ん、なに?」

「あー、分かんねえか? 俺の副官やれ」

「え、いいの?」

「このバラメン戦線じゃな、自分で兵隊拾わなきゃ何にも出来ねぇんだってよ。下士官相当の奴でも下にいないと追加の兵士と武器の要求もままならねぇ。充足不足だなんだってな。小銃一本で突っ込みたくねぇよ」

「分かった。なんか、どうするの?」

「書類と階級章と腕章は俺が持ってきてやるよ。お前、字書けないだろ」

「読めるよ」

「文章書けないだろ。ルモン・ハイベネクって名前書くぐらいで」

「あー、うん」

 レクタスくんの家は卸問屋さんだから頭が良い。こっちの家は研ぎ師。金属擦ってるだけ。


■■■


 新しい上等兵の階級章を軍服に縫って、伍長勤務の腕章をつけて、レクタスくんの部下達に「ルモン・ハイベネクです。よろしくお願いします」って自己紹介したら笑われた。なんで?

 自分がレクタスくんの班に入って、補充兵が五人来た。それから装備を、軽機関銃が一丁、拳銃が三丁、手榴弾を三十個に肩掛け鞄、爆薬筒を二本を追加で貰った。

 レクタスくんがそれぞれ役割を決める。指揮官、小銃手、機関銃手と助手。突撃兵は拳銃を持って肩掛け鞄に手榴弾を詰める。自分は戦闘工兵として爆薬筒を持った。使い方は、爆薬筒に貼ってある防水紙の説明書きをレクタスくんに読んで貰った。

 また夜まで待って、塹壕の中でネズミと待機。レクタスくんの上の小隊だとか、中隊だとか、なんかよく分からない。とにかく集まって突っ込めって感じの命令が出ているらしい。足を撃つ前はもっと、上から下まで順序が立っていたと思ったけど。

 後ろの方から砲撃が始まる。また吹っ飛ぶ?

 号笛が鳴って「突撃!」と他所の士官が塹壕から乗り出し、拳銃や刀を振って先導。

 レクタスくんも「行くぞ……前へ!」と叫んだ。塹壕をよじ登って前に進む。

 暗い。足元がぐちゃぐちゃ。泥か潰れた肉か内臓か分からないけど、とりあえず踏んで抜く度に臭い。

「転ばないで―!」

 遅れる新兵の背中を押して、転びそうだったら引いて。

 暗い向こう側から銃声。あちこち泥が跳ねて、人が倒れて、爆発。あちこち跳ねる。いっぱい跳ねる。

 敵からの砲撃が自分達の周りに集中し始めたらレクタスくんの号令。

「伏せろ!」

 で伏せる。砲撃で服が吹き飛んだ裸の男の死体と抱き合うことになった。髭が顔に当たる。ちゅーしそうになった。うえっ。

「前進!」

 起き上がって進む。

 いっぱい跳ねる。

「伏せろ!」

 隣に伏せたのは同じ班の新兵。

「大丈夫?」

 返事しない。背中を揺すると力が抜けてる。

「前進!」

 起き上がって進む。

 敵陣地が暗くても見えて来るぐらいの距離。いっぱい跳ねる。

 自分の出番だ。爆薬筒を準備する。

「臆病者だらけか!? 訓練を思い出せ!」

 レクタスくんが振り返ってそんなことを言った。

「みんなー?」

 自分も振り返る。皆倒れてる。

「レクタスくん」

 前を見直すとレクタスくんも倒れている。駆け寄ると息はしてるけど喋れる感じじゃない。目は開いて、息はしていて、声は出ていない。

 とどめ刺せばいいの? 勝手に殺していいんだっけ? 分からないから出来ない。

 とりあえず、装備は捨ててレクタスくんを引っ張って戻ろう。また誰もいなくなるのは、どうだろう? レクタスくんは嫌だ。

 人間は重い。一回レクタスくんを寝かせて、装備を全部外して軽くしてもう一回担ぎ直す。

 まだ跳ねる。逃げてるのに撃ってきてどうするの?

 他の部隊の兵士は前に進んで倒れていってる。本当にこれって意味あるの?

 足が泥濘で疲れてきたから、もう一回レクタスくんを置いて、誰かの死体に座って休む。

 休んだらレクタスくんを担いでもう一回戻る。

 戻るのは自分だけだと思ったけど、周りの皆も負傷者を連れている。一人だけだと目立ってた。

 塹壕まで戻って、今度はレクタスくんを背中側から抱いて、足を引きずって歩くようにする。使う筋肉が違うからちょっと楽。

 野戦病院のところまで引っ張っていくと憲兵が「列を作れ! 負傷兵を置いて持ち場に戻れ!」と交通整理しながら叫んでいた。

 並べられた負傷兵を医者が見て「あっち」「こっち」と選別。

 あの看護婦が負傷兵に大きいおっぱいを当てながら抑えて、もう一人の医者が足を切断しているのが見える。うらやまー……。

 自分のところにも、あっちこっちの先生が来た。

「レクタスくんは?」

「あっち。僕、形見は取らないと持って行かれちゃうよ」

 ”あっち”を見ると、死体置き場。

「うん」


■■■


 前線陣地勤務から一旦離れて後方陣地に異動。新しい部隊も決まらないまま待機。何となく、前にやっていた道路工事を横から手伝う。たぶん工兵隊に復帰。

 冬もかなり近くなって木の葉っぱが大分落ちた。風で飛んで、どっかに行く。皆あんな感じだなあ。

 それからあの戦いは何だったのかと思える移動命令があって、皆が死んだ道を通った。敵が一人もいない、全然突破出来なかったはずの陣地に入って道路工事作業が始まった。

 イスィ山地を南に見ながら作業を続ける。死体回収の作業も出来なかったからすごい数が泥に混じっていて、しかも一人が一つにまとまって繋がっているわけじゃないから時間が掛かった。

 あの陣地の先を行ってもまた焦土戦術の後で、何だかどこも風景が変わらない。

 行く先々の街は潰れているし、あちこち水浸しで、人肉食べてる動物と虫だらけ。

 死体とか荷物とかを退かすと爆弾が爆発するのはしょっちゅう。土の塊と思ったら土を被せた死体で、それを退かすと爆弾ってやり方だとちょっと油断してしまう。

 少し変わったのは、目が無い人と人間爆弾は一般人から兵士が多くなっていること。鉄条網の切れ端でまとめて巻かれていることもある。鋼線鋏の出番。

 またもう一つ少し変わったことは、道端の見えない溝に銃弾が捨てられているのが見られるようになったことだ。レクタスくんを運んだ時もそうだったけど、装備は重たい。長いこと足場の悪いところを歩いていると疲れる。小銃と違って目立たない銃弾は数えないと分からないし、確かに隠れて捨てたくなる。

 看板も残っていないし、地元の人間以外は地図を見ても現在地が分からなくなってくる。迷子の部隊が幾らでも出て来る。

 迷子の兵士が、目が抉られて手を潰されてその辺に放置された姿で発見されることも増えてきた。

 それから風邪になる人も増えた。咳と熱、首が腫れたり、肌が腫れたり、血が出たり。ネズミを殺すと懸賞金が出るようになった。

 遊牧騎兵が時折その辺を走っていて、遠くから銃や弓で撃ってきて、直ぐに逃げる。

 あいつら悪魔はその辺にどこにでもいる。馬はこっちの馬が食べないような草も食べて、悪魔は馬の乳と血と小便を飲む。動物を狩って食べて、人間も食べる。馬の上で寝て、武器も殺して奪うから死ぬまで戦い続けるらしい。絶対悪魔だ、人間じゃない。

 悪魔がその辺をうろつく。皆で周囲を良く見ていても、隙を狙って襲ってくるからどうしようもないみたい。

 悪魔は怪我をしても戦いを止めなくて、死にそうな状態でも穴の中で待ち伏せていて銃を撃ってくる。近寄れば自爆する。

 朝起きると人が減っている。作戦とか移動命令が下っていない時に、部隊丸ごとじゃなくて誰かが一人、二人といなくなっている。脱走兵騒ぎはいつもある。

 自分の家はマウズ川東岸だから逃げても帰れない。

 今日は仕事があるかよく分からないから、その辺を掃除しながらぶらぶら。いつもより人が少ないから、何かの作戦中かな?

「えーと、おほっほん」

 喉を作って、フラル語。


  聖なる神は、種よ広がれと言われた

  薄暮に彷徨い、盲目のように彷徨った

  嘆きは悲惨に、万年続く


  聖なる神は、人よ集まれと言われた

  愛に導かれ、恵みの地に我々は辿り着いた

  賛歌は赤々と、それより続く


  聖なる神は、火よ高まれと言われた

  弱きを知り、人と家と家々を結びつけた。

  彼と彼とを、今から永遠に


 まだ出る高音で聖歌を歌っていたら、勲章だとか肩章だとか凄い人、たぶん将軍に「君は何をしているんだ」って言われたから「お掃除です」って言った。

 あのおっぱい大きい看護婦が荷箱の物陰で煙草を吸いながら昼寝をしていた。見ていると煙草が落ちて火が消えた。

 本当におっぱいが大きい。横に流れてる。凄い、何あれ?

 触る勇気は無い。顔、無理。おっぱい、怖い。近くに行って落ちた煙草を拾う。これは宝物にしよう。

 拾って顔を上げると、銀色の仮面の人が目の前にいて、女の人の声で、優しくないけどゆっくり、値踏み? するみたいな喋り方で何か言っている。髪はぼさぼさで、胸にちんちん一杯ぶら下げていて、ちんちんのお化け? 昔見たお化けは一本だった。

 聖歌隊にいた時に大司教様から”君は男の子だけど一人で歩いてはいけないよ”って言われたのを思い出した。

「あっ、悪魔?」

 顎掴まれ、首触られ、服掴まれて腰が浮いて「ウっ」てなる。


■■■


 白い、張った布が見えて、その向こうに太陽の光。天幕? 寝ている。首と腹の奥が痛い。

 変に騒ぐ声が聞こえて「ニャーニャー」っぽいことは言っているけど、後は聞いたことの無い外国語。べろべろべろって音にしか聞こえない。

 隣に見たことが無い生き物がいた。毛が取れた犬、猫、人間の赤ん坊? 顔が変、おっぱい大きすぎる……横に流れて。

「お願い殺して」

 起き上がって、近くの工具箱を掴んで――金属で重たい――持ち上げて、殴る? 仲間を?

 殴ったら看護婦が「ぎゃ」って言ってちょっと暴れる。手足が短くて動かない。

 全然死なない、たんこぶ出来た? あの時は一発だったのに!

「ニャーニャー」

 左右から二人に押さえつけられた。顔が二つ、三角耳、妖精、悪魔!

 転がされて縄で腕と足と口を縛られて、一人に背中から抱かれ、正面に回った二人目はやすりを持っている。

「んー、と、カラミエ? エグセン? 舌の整理? 転じて、お前と歯磨き! うー、ちょうちょ?」

「蝉?」

「ニャンニャンの蝉! 歯磨きでニャン」

 やすりが、縄で閉じられない口に入る。金属の味、歯に染みる。「ふぅぐぅ」としか声が出ない。

 お父さんには”カネは口に入れるな。気違いになる”と言われてきた。


  ゴリ


■■■


 南エデルト軍集団旗下 書類不備に付き最終所属部隊不明

 ルモン・ハイベネク伍長勤務上等兵

 オトマク暦一七七五 ~ 一七九一

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