第496話「ティートル・リンチェコーフス退役曹長」 無名兵士達
古戦場とは言わないが、春に砲弾で荒らされたコスチェホヴァ市の郊外で屑拾い。銃弾や砲弾破片、脱落した装備品を集めて回収係に渡すと金が貰える。土やゴミを落とすと籠にたくさん入って無駄な重さが無くなる。籠か包み毎に、種類を混ぜないようにすると高くなる。鉛は鉛、鉄は鉄、青銅は青銅。
春にできた死体は腐れ切って骨と土になっている。骨は金にならないが、集めた後で集団埋葬する。基本的に敵か味方かもわからない。獣人なら骨格が違うのでわかりやすい。妖精の身体は小さいが、ただの人間の子供よりは骨が太いので比べると分かる。
困るのは不発弾。赤や青に緑の塗装がされた物は化学剤入り。こんな物は触りたくないし、触らないし、触るなと言われている。近づきたくもない上、その近くの屑が怖くて拾えない。近くにいる現場監督に発見を報告して、小旗を立てて貰って、後から処理班がやってくる。
進入禁止の毒瓦斯散布地帯の標識はもう無いのだが、土を掘り返したら化学剤が飛散したという話もある。話の出元がこの現場でなければいいが。
「あっ!」
誰かの驚いた声に振り返れば、砲撃の穴に雨が降って出来た沼地に人が落ちていた。穴には板橋が架かっているのだが、踏み外して落下する者が時々いる。
あの沼は相当汚い。毒瓦斯散布の標識はあくまでも表土部分に毒性が無いと判断されただけで、沼のように毒が”保存”されているかもしれない場所は話が別。掘り返して出てきたという話のように。
毒が無くても死体が腐って溶け出したままの汁になっている可能性もあるし、小便大便を落とす便所にされた跡かもしれない。自分は絶対に遠回りになってもあんな橋は渡らないと決めている。
救助しに行くと汚れる。汚れの程度が死ぬかもしれない程度なのでとても沼に飛び込んで救助なんて出来ない。落ちた者の友人が、屑拾いで見つけた壊れた小銃を持って掴ませて岸まで誘導した。
落ちた者は咳き込んでいて――あれは飲んだな――友人に背中をさすられ、頑張って腹の中の物を吐き出そうとしている。赤痢になって広めないでくれればいいが。
そして自分は間抜けだった。彼等を見ながら、よそ見をしながら歩いていたら転んだ。割れて腐って半ば地面に沈んだ倒木に躓いて両手を突いた。
左が変な感じ。手を見れば泥はともかく赤、出血。地面から突き出た破片が手袋を貫通。今は痛くないが後が怖い。
手を突いたところから突き出る金属片。掘り出すと折れた銃剣だった。誰かを刺して折れたのか、砲弾で吹っ飛ばされたのか分からない。
運が悪い。回収。
集めた金属は川に浸して泥を洗い落としてから回収係に引き渡し、囲い付きの机の上に広げた。機械部品、刃物、銃弾、砲弾片、ボタン、金具、装飾品、硬貨など選り分けてそれぞれ計量。横領が無いよう、計量中は脱いだ作業服に手袋、長靴まで検査されてから洗濯係に回収される。自分で洗わなくて良いのは楽で、裸を晒さなければならないのは……もうどうでもいいか。
「手袋に大きな傷があるが、理由は?」
現場監督の下にいる、共和党員腕章付きの見張り兵に問いただされる。
「作業中に転倒して、折れた銃剣が刺さりました」
手の傷を見せると、穴の開いた手袋を突き付けられる。
「これは人民の税、労働によって作られた官製品である。私有財産ではなく、国家と人民の財産であり、たとえ消耗が前提の品であろうとも悪戯に傷つけることは許されないのだ。分かるかお前?」
「はい、以後気を付けます」
「今回はよろしい。手当てを受けるように」
くたびれた手袋一つでも傷をつけると共和党員に説教を食らう。
大体、監督だとか物の配分だとか、偉そうだったり管理する立場には共和党員がついている。彼等には革命精神に目覚めていない者達への指導的役割も課されている。
今回のようにはっきりと官製品損壊に対する応答が出来なければ、強い怠慢や破壊行為と見なされて処分される可能性すらある。反省の色がなければそうして良いという方針であるらしい。反抗的な態度で連行された者は何回も見て、以後見ていない。
回収係の事務担当から計量日時と成果報酬額と、回収人の国民番号と氏名ティートル・リンチェコーフスと年齢と性別と髪と目の色が小さな紙面にみっちり記載された成果証明書が発行される。それから食券が一枚つく。尚、報酬額の内訳は不明。特定の金属しか拾わなくなるからだと思われる。
横領を疑われるような物、拾った装飾品や現金を隠しておけそうな私服と鞄は事前に預かり証と交換で預けておく必要があり、帰り際に再度交換。”尻の穴に隠せばいい”とか言っていた奴がいたが、どうなったかな?
私服に着替えてから現場付きの労働者診療所を訪問し、手の怪我を医者に見せる。
「あー、これは痛いよ」
「はあ」
「麻酔は重症患者向けって決まっててね」
太ったゴツい修道女のおばちゃんに手ぬぐいを噛ませられ、机の上に左腕を乗せられる。
「男なら我慢しな」
低い声のおばちゃんの左肘が自分の左肘関節に体重が乗って掛かり、首を右腕で抱かれて嬉しくないおっぱいが背中に当たる。そして医者が傷口を、濡らして絞らない手ぬぐいでゴリゴリ抉るように洗う、擦る。
声にならなかった。鼻と喉が意識しなくても鳴る。
「ほら頑張りな。金玉ついてるとこ見せとくれ。ヒェッヒェヒェヒェ」
この姉妹糞ババアが!
血と泥が混じった物が掻き出されて、染みる酒で洗って、針で縫われて傷口が塞がれてから包帯が巻かれる。
「清潔にしなさい。感染症に罹ったら死んじゃうからね。はい次の人」
労働者には、生産工場、やや古い製造年月日も併記される管理番号、そして”カラミエ煮”と書かれた、大きい肉の缶詰が支給される。これは給食所で食券と交換で配られ、鍋で煮られた状態で渡される。熱い!
缶詰は渡されたら給食所の前にある食堂で食べ切らないといけない。中々大きいので小食、胃の調子が悪い者は隣の誰かに食べて貰う必要がある。食べ残しは共和党員に怒られる。
この缶詰は持ち出し禁止で、退所時には空き缶を回収洗浄の係に渡す。持ち出すと空き缶ですら横領で逮捕になる。空き缶は回収して再利用されるらしい。
缶は、食卓に紐付きで固定された缶切りで開ける。管理は厳しいが、こんな時でも肉をたっぷりくれるとは帝国連邦軍には余裕があるのか?
大量発生した蠅は一時期より減っている。春の内は生の食べ物を出すととんでもない勢いで集まってきたが、今では手を振りながら食べる程度で不快感は少ない。慣れたのもある。
それにしても食ったことの無い味だ。肉は味と歯ごたえが違う部位が混じってる。脂っぽい、硬い、柔らかい、軟骨付き、皮付き。味は塩胡椒と刻んだ香草で多少の臭みは飛んでいる。
”カラミエ煮”という名前だが、南カラミエ生まれで育ちだが聞いたことがない。郷土料理の汁物はあるが野菜と豚と発酵乳を使ったものだしな。分からん。
■■■
手続きが多い。これが社会主義ってやつなのか?
屑拾い以外の労働者も集まる給与支払所へ行って成果証明書を渡し、カラミエ人民共和国中央銀行発行の新紙幣を給料として受け取る。
紙を金と見做して受け取るのは未だに変な気分だ。ブランダマウズ大司教領発行の聖領共通硬貨、ベーア帝国発行の新硬貨、そしてカラミエ人民共和国発行の不換紙幣へと手に取る物が変わって来た。
不換というのは銀行に持って行っても金や銀と交換出来ないものらしい。じゃあ何と交換できるのかというと、取り扱っている商店で商品と交換出来る。取り扱っていない商店、商人、個人とは……相手が価値を認めると交換出来るかもしれない。
折角貰った紙幣だが、コスチェホヴァの商店、市場を見ても商品がほとんど置いていない。物流が途絶えているわけではなく、紙幣を大量に持った帝国連邦兵が買い漁り、荷袋にはち切れそうな程詰めてから鉄道駅に向かっているからだ。遊牧騎兵の連中など馬を複数連れてそれぞれに荷物を載せて隊商を形成して容赦が無い。
略奪とは言わない略奪行為。きっと彼等の故郷にいる家族は仕送りを喜んでいるに違いない。
生鮮食料品はほとんど出回っていない。帝国連邦の社会主義的な給食所が買い上げていて、兵士と住民の口に入っている。
食事の公平性が保たれている点は美徳だと思うので、悪戯な非難は少々苦しいか? 軍人である認識票、労働者である就業証明書、どちらかの扶養者である被扶養者証明者を提示すると給食所の食堂で無償で食べられる。どこも持ち出しは禁止。
何を買おうか、まずは包帯の替えを持っておかないと、それから傷を保護する手袋か。
包帯は自分で作るか。綺麗な布を買って、煮て、か。
手袋は売れ残っているか? 帝国連邦兵はわざわざ自分で買わなくても支給品だとか持ってそうだが。
商店を見て回っていると、棚が寂しくなっている店主が値札を書き換えている。
「今上がったんだよ。嫌なら他行くか、硬貨出しな」
「まだ何も言ってねえだろがアホかてめえ、通報するぞ」
仕組みはさっぱりだが、社会主義経済に移行しているカラミエ人民共和国での不当な値上げはたぶん不法行為。硬貨を出せと言う、紙幣受け取りの拒否を示唆するような言動もたぶん不法行為。これもたぶんだが、見せしめにするために多少疑わしい程度で吊るすことも有り得る。
「あ、いや、すいません……この裏切り者!」
「ほれ手袋」
紙幣を出す。買えた。こいつ商人のくせに馬鹿だな。抵抗組織みたいな言動でも通報して得点稼ぎが出来るぞ。
後は煙草。無い、無い、どこにも無い。煙草のみの兵隊が買いあさった後じゃあるわけがない。
新しい清潔な手袋を左手に嵌めて、次はどうするか? 暗くなるまで酒場で飲んで宿に戻って寝るか。
宿、公営宿の近くにある酒場に入る。屑拾い仲間ばかりが目に入る。明るく楽しく飲むなんてことはなく、仕事の愚痴と給料の低さを喋り続けている。
給料が低いと言うのは正確ではない。店で買える物が無いのだ。闇市に欲しい物があるのだが、値段が高騰し続けていて相対的に給料が足りない。紙幣は安く見られ、旧来の硬貨が珍重される。硬貨の方だが、新政府が回収しているのでかなりの勢いで姿を消している。
酒場では出す量が制限されている酒は多くはない。ちびちび飲んで節約して楽しむのがやっと。栄養法だったか穀物法だったか何かの法律で、穀物を醸造するのは食糧難を招くとか、そういう理屈らしい。
酒よりも話に屑拾い仲間が酔い出す。
「待遇改善のためにいっちょやってみたいことがある。政府にな、意志を見せつけてやるんだよ」
酒を飲み干して、料金を払って出る。
「皆いいか!」
自分は良くない。
「おい待てお前! 話を聞け半エグセン!」
面白くも無いあだ名で名指しされ、わざと下手にしているエグセン語で「うるせえ眠い」と答えて出る。
何も知らないふりをした外国人の真似をして騒動から逃れる。友達も早々出来ないが、仲間も早々出来ない。しがらみから逃げる。
自分は飯が食いたい。お前等は思想でも食ってろ。この占領下でカラミエ民族主義かそのもどきなんて持ち出して何になるっていうんだ。発揮するなら戦闘中に発揮しろよ。終わってから発揮してるんじゃねえ。
火を点けない煙草を吸って弱い香りを頑張って胸に入れる帰り道で、脇道の陰から「ねえお兄さん、ちょっとお散歩しない?」と声を掛けられる。
立ちんぼだ。公営の売春宿以外での行為は禁止されていて”おマンコしない?”なんてそのまま喋ると現行犯逮捕相当。
こういう”もぐり”は病気を持っていたり、性格や盗癖が営業を妨害する程だったりする。保護者や夫の許可が下りないというのもあるらしい。ただ安い。
「幾らだ」
あと不細工とは限らない。うーん、食うに困ったご夫人風。
「一クルーレ」
「あ? 戦前ならともかく、今のここで銀貨一枚だ? 百ズウィンだろ」
ズウィンは新紙幣の単位。百ズウィンは大体、十分の七クルーレぐらいの交換比率らしいが闇価格だとたぶん、百とか二百分の七クルーレとか、だと思う。何にせよ、銀と”ケツも拭けない”紙とじゃそういう違いが出る……実は拭けないこともない。
「せめて缶詰一つ買える値段出しな、あの変な肉の、あ、缶詰出せ! この!」
この立ちんぼ、商売の仕方も知らないのかいきなり包丁を取り出して脅してきた。値段交渉の段階でチラつかせるとか何のためにやってるんだこいつ。娼婦どころか強盗以下だ。
「うっせぇ腐れマンコ! 摘発されて死ね!」
走って逃げる。野良犬と喧嘩しても狂犬病を貰うだけだ。
革命で財産を失った食い詰め未亡人ってところだろうが、相手にしたらしたでどんな因縁をなすりつけられるか分かったもんじゃない。
■■■
次の朝、屑拾い現場に感覚的に行きたくなくて、手の怪我が痛むという言い訳を頭に入れながら仕事を休んだ。日雇いなので裁量が効く。
昼過ぎまで寝て、広場に行くと見知った顔のある男達とあの未亡人風の女と他の女達が集団で拘束され、住民から罵声ついでに石を投げられていた。顔が分かったのは投石が始まったばかりだから。次第に痣と出血、腫れと切り傷、皮が剥がれて分からなくなっていく。
看板には四つ表記がある。
”悪しき資本主義社会への対抗手段たる同盟罷業を正しき社会主義経済活動へ濫用した罪。判決死刑”。
”公衆衛生を侵犯し、人民規律を乱し、軽率な横領を促し、人民に定めた労働義務を怠った罪。判決死刑”。
”強盗殺人を犯した罪。判決復讐刑”
”以上を正統な人民共和国政府が設置する革命裁判所が宣告した。革命万歳。全世界の労働者は団結せよ”。
死刑判決を受けた彼等には執行が開始されるまで時間がある。その時間までは投石が暗に認められており、鬱憤晴らしや潔癖症の満足に利用される。
投石は特に女達から、非公認の違法娼婦である立ちんぼへの攻撃が激しい。特に公認合法娼婦達は総出で隊列を組んでの戦列投擲などしている。
復讐刑の方は、被害者家族が犯人を棍棒で滅多打ちにして痛めつけている。死刑執行人の手を使わず、被害者感情へ”温かく”配慮するあたりが帝国連邦的で変に人間的。この混沌とした状況下ではウケが良い。
南カラミエはカラミエ軍集団の完全敗北後、ベルリク=カラバザルの宣言により軍民諸共完全に抹殺されるはずだったが、未だにこの程度で済んでいる。大量虐殺ではなくちっぽけな集団処刑止まり。
大量虐殺は人民共和国政府の樹立宣言による、共和革命派の売国奴とも愛国者ともつかない者達が帝国連邦に隷属することで免れているようだ。
本当か?
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本当か? 静かに、戦中のわずかな平穏に見せかけて徐々に虐殺をやっているのではないか?
探るか? 誰に報告して対策して貰うでもないのに諜報員の真似をするのか?
屑拾い現場に近寄り難い雰囲気が昨日の集団処刑で出来てしまった。自分は一日休んだだけだが、これを罷業扱いされて追加で投石を食らうのはごめんだ。
違う現場へ行く。
コスチェホヴァ市郊外には新設の工業団地や集団農場があるらしい。住民の自由な移動は労働効率上禁止されているので直接の目撃談は出回っていない。
その工業団地、集団農場では先進的な制度と設計により、身体弱者でも十分に義務を果たす事が出来るという。
あからさまに怪しい。怪しいが、怪我人や老人に生まれついての障害者で労働義務が果たせない者達はそちらに移る。
屑拾いから、屑運びの仕事へ移った。その郊外へ、この前まで拾っていた金属屑、それからあの肉の缶詰の空き缶を運ぶ。先導、監視役のカラミエ人民軍兵士が複数ついてくる。指揮官は軍曹、しかも若い。臨時編制時には良くある。降伏前のこいつは自分より下っ端かよ。
牛馬で荷車を引かずに人間が引く。四つ足は大体軍事行動に取られている。並行する軽便鉄道上を走る機関車は白煙を吐いて貨車を引いての往復を繰り返している。あれに我々は乗れない。
左手の傷に当たらないよう持ち手を掴んで引く。身体弱者は荷車に手すら付けない者が多い。歩くだけでやっとなのだ。中でも一応元気な者、片腕欠損程度の者が荷車を後ろから押す。
工場が吐き出す煤煙がまず目に付き、そして団地の外観が見えて来る。壁は無いが有刺鉄線で囲っている。
金属屑の上に落伍者を乗せながら工業団地入口、検問所に到着。ここの警備や荷物の受付担当は共和党員ではなく帝国連邦の内務省職員だ。黒い制服で分かる。
屑と弱者を引き渡せば「荷物を積んだら直ちに戻れ」と空の荷車に、出来立ての作業服や帽子に手袋、長靴を積まされてから帰る。団地の給食所での食事も無し、休憩も無し。水は流石に水筒に詰める時間を貰った。
その帰り道で気付いた。
あの缶詰を自分はもう食わない。ただ、喜んで食っている連中に何か言ってやる必要は無いと思う。腹一杯に肉が食えるのは戦前でも無かったことだし、あれが無くなったら何を食うんだ?
■■■
工業団地から帰る途中。市街地が遠く見えて日が傾き始めた頃、銃声が騒がしく聞こえてきた。機関銃の連射に、爆発の音も交じる。コスチェホヴァの市街地から煙が昇る。まさかベーア軍の反攻作戦じゃないだろうなと考える。そんなわけはない。
帰って来た仕事仲間達の足が止まる。カラミエ人民兵も足を止め、指揮官は拳銃片手に「動くな、その場で待機」と命令してきた。他の人民兵も担いでいた小銃を腰だめに持ち直しているので逆らうなんてありえない。
規模は知らないが住民蜂起か暴動だろう。外からの援軍が来るわけでもないのに蜂起してどうなる? 巻き添えで殺される者がどれだけいるか考えたか?
腹が減った。
「軍曹、座っていいかい?」
「あ? 逃げるなよ」
「伝令出さんのか軍曹。状況くらい掴んだらどうだ」
「あ……うるさい」
軍曹が伝令を出した。
疲れた。着た服を緩め、道端の大きめの石に足を乗せて高くして寝転がる。
伝令が戻ってきて、詳細は軍曹と耳打ち小声で会話していて不明だが、とりあえず待機することになった。
雨が降らなくて良かった。
そして市街地に入れないまま夜が明けた。夏とはいえ布団も被らず地べたに寝転がるのはちょっと辛かった。
作業服を布団代わりに使いたいと仕事仲間が言ったが人民兵は許可しない。汚して納品なんてしたら怒られるどころではないのだろう。それにあの作業服、たぶん反毛した再生品だ。きっと呪われている。
逃亡や横領阻止のためか、寝ずに見張りを続けていた人民兵はかなり疲れている。交代で寝れば良かったのに、新米軍曹殿は肩肘が張り過ぎている。
■■■
屑拾いに運びも行い、民衆蜂起というか暴動の鎮圧後に決心が付いた。
鎮圧され拘束された暴徒集団が丸太を引く「バオォ!」と怪物のように鳴く毛象に踏んで轢かれて潰される集団処刑を見せられて決心が付いた。
その様を見るよう強制された住民が、砲弾に砕かれるより原型を留めている分悲惨な死体、呻く死にぞこないを見て、泣いたり失神、失禁したり無気力状態に陥っていて決心が付いた。
降伏後に軍籍から離脱していたが、カラミエ革命防衛隊に志願する。下っ端の人民兵よりも精鋭意識の高い、上の立場から見下ろせる勝ち組に入るべきだと考えた。
人民軍と同じく革命防衛隊も人材を欲している。市内事務所に行けば採用試験が受けられる。
履歴書に氏名や来歴に、もと曹長であったこと、国民番号を記入して提出し、その場で書類審査がされて明日行われる採用試験案内を受ける。
そして次の日に試験会場へ赴き、昼前に学力試験を行った。
カラミエ語での筆記試験は数学が難しかった。それからエグセン語の筆記試験もあって、こちらは未記入で提出してしまった。
確かに南カラミエ地方では長らくエグセン人の影響があって、知識階級や士官級以上ならエグセン語は必修だった。喋るだけならいけるんだが。
昼後からは身体試験。身長と体重に不足は無いか、呼吸や心音に雑音は無いか、身体に欠損が無いか、関節の動作に異常が無いか、体力は十分にあるかと調べられる。
身体の方は問題ないだろうと思っていたのだが、妙に関節が固くなっていた。持久走をやらされたが息切れが異常に早かった。それから汗がかなり出て、動く以上に熱が出た。
「その手の傷は何だね?」
試験官に尋ねられる。
「仕事で。医師から処置は受けました」
「うーん、治してから来た方がいいね。もし合格しても訓練は激しいし、傷が開いてどうのとなれば君が辛いよ。色々苦労あったと思うが、見た目以上に体力が落ちてる感じだ。体調整えてからまた受ければいいよ。このご時世じゃ満員でもう採用しないなんてことはないし、一回不合格になったらもう駄目って決まりはないよ」
■■■
試験が終わり、不合格と告げられた。
明日から屑拾いか屑運びの仕事に戻って、労働診療所で不調を見て貰おうかと宿に戻ると部屋で待ち伏せされていた。
袋を被せられ、殴られて蹴られて転がされて縄で手足から猿轡代わりに口まで縛られて運ばれる。待ち伏せした二人か三人以上の誰かは一言も喋らない。通りがかりもたぶん道中にいたと思うが気遣ったり、通報するような声を発したようには思えない。
身体が震えるような、硬いような。砲弾に比べて全然恐くないのに、なんだ?
分からない内に、少し肌寒いところに転がされる。たぶん地下室。
「座らせろ」
「は」
若いが明確な意志のある堂々とした命令口調。良いところの貴族士官か。
下っ端に抱え上げられて椅子に座らされる。猿轡の縄が外される。
「何を探っている」
諜報員か何かと勘違いされているのか?
「何も。生き残ろうとするのがおかしいか」
「密告屋は儲かるのか」
「かなりくだらないことを聞く。行き当たりばったりだな」
何か情報将校とかそんな感じがしないな。
「工業団地で革命防衛隊は何をしている」
「入隊試験は落ちた。あと工場だが、聞かない方が幸せだぞ」
「言え」
「確証は無いが、皆大好き謎肉の缶詰は妖精さんの大好物だ」
黙りやがった。
「この素人抵抗組織が、あんな一夜で潰れる蜂起なんかやりやがって。死んだヤズのぼうずも浮かばれねぇな!」
袋を剥される。貴族士官と目が合う。あれ、ヤズ公子? 前に閲兵式でにおいが嗅げるぐらいまで近くに来たことがあるから覚えている。
殴られる。椅子ごと倒れる。
「誰が死んだだぼうずだ!」
情報屋じゃなくて騎兵かよ。そりゃあ尋問なんてこんなもんしか出来ないな。
「何笑ってんだお前」
腹を蹴られるが、相手があのヤズ公子だと思うと何だか痛くない。むしろ何故かありがたい。
高級将校は大爆発から狙撃から何からでほとんど死んだと聞かされていたが、この方が生き残っていたか!
「引き続き情報を集めろ」
は? 何なんだこいつ? 迂闊だな。良く今まで生き残ってこれたな。
■■■
生き残る心算だ。
体中が痛い。対して拷問されたわけではないが痛い。何だろう、拉致された時に乱暴に扱われたからか?
くそ、同志だとか同胞だとか思うなら優しくしやがれ。
夜も寝られず迎えた早朝、夜でも灯りが消えない革命防衛隊の事務所へ行って通報する。やっぱり腹を蹴られたのが気に入らん。体が辛いのが頭にまでくる。
「まだそこにいるか分かりませんが、ヤズ公子らしき人物を見つけました」
と言うと応接間に案内されて、帝国連邦の内務省職員の制服を着た、ちょっと信じられないくらい可愛い女の子が隣に座って酒を杯に注いで出してくれた。対面じゃなくてとなり、肩と脚が触れる。
「飲んで落ち着いてから話してみてくださいね」
笑顔も素敵。こっちに転んでもいいな。
一口、何か飲み辛い。
「強過ぎましたか? もう少し飲みやすいのを持って来ましょう」
「い、いや結構、あ、あれ」
「緊張なさらず」
手巾で顔を拭ってくれる。動いて汗を掻いているわけでもないはずだが、緊張で脂汗かな? それにしてもすっげぇ良い匂いがする。ヤズ公子は、何にしても男だったしな。
「ゆっくり聞きますから、話しやすいところからどうぞ。あ、お菓子もありますよ」
美少女職員がお菓子箱を取り出す。
「これは私のとっておきです。友達と食べようと思っていましたが今日開けちゃいます」
美少女が箱を開けて、甘い匂い。彼女の方が先に一つ食べて笑顔で「んー、おいし」とか言っている。
なんて可愛いんだ! いやもう、好きだ。好きになった。
緊張か何か分からないが、変に口が回らなかったが、何とかあの地下室までの行程を、目隠しされた状態だが距離感だとか音だとかを喋って伝えた。
こんなに自分が他人と、女の子と喋るのが苦手だと思わなかったが、彼女は一生懸命聞いてくれた。
手が震えれば握ってくれた。母ちゃんだってこんなに優しくない。泣いたら顔まで拭ってくれた。
■■■
コスチェホヴァ市内にある教会系列の病院は新進異端の原理教会派が引き継いでいる。
体調不良が明らかだったのであの美少女の紹介で検診を受けたところ”破傷風が発症してますね”と言われた。それを聞いた途端、最後の力が抜けて寝ているしか出来なくなった。
病床で”あの子に会いたい、最期に”と、まともに口も開かないが、唸り声を医療助祭様が聞き取ってくれている。
「名前や所属などは分かりますか? 出来るだけ望みは叶えてあげたいですが」
名前、所属、知らない。革命防衛隊事務所にいた内務省職員のすごく可愛い子、話を聞いてくれた子。
「問い合わせてみます。まずはこの痛み止めを飲んでください」
飲むのも難しい。口に粉薬を入れられ、水差しからぬるま湯で流し込まれた。
段々、眠くなってきた。
■■■
カラミエ人民共和国在住
ティートル・リンチェコーフス退役曹長
オトマク暦一七五九 ~ 一七九一
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