第494話「マリカエル修道院の戦い・後編」 アリル
魔王陛下の御前にて軍議が開かれた。大天幕の下、首無し天使の旗を吊るし、絨毯を広げて、人数分の座布団が並ぶ。
奇形か新型か虫人の尾を背後に出して座る魔王陛下を頂点の上座とし、その脇に副官相当でバウルメア――魔尊師なる訳語が最近出回る――のウバラーダが魔なる獅子の四つ足で座る。人間のジルバナ州総督ムンタミッドは負傷から包帯巻きで介護者付き。そして役職から序列準に左右二列を作る。
このアリルはアルブ=アルシール卿を稽古にて撃ち殺し、結果ペラセンタ予備軍の指揮権を預かったので――サイールの騎士とはこうである――思ったより序列位置が高くなっている。出世を狙ったわけではなく、責任を取った。
開口一番は魔王陛下。
「ズィブラーン・ハルシャー」
『ズィブラーン・ハルシャー』
参加者が応じて魔神こそ全てと合唱。これは精神を集中し、己の重たい口を開くために魔神の御名をお借りしたようだ。
「この度は私の采配が躓きの原因だ。諸卿からの助言を求める」
俗なる極西の最高指導者が発言するには余りにも重たい。
「イバイヤース陛下は大宰相、何れは魔帝となられるお方! そのような弱気な……」
軽率な若い虫人騎士が言い、
「口を慎みなさい。求めておられるのは具体的な助言だ」
ウバラーダが咎めて黙らせた。
サイールの騎士が血気盛んなのは良いことだが、今のは余りにも教育が足りていない。本来なら資格無き者まで力を継承してしまっている現状が垣間見えた。この風潮、見るのも辛い。
「改めて、陛下は助言を求めておられる。職分の隔たりなく、今は忌憚なく申されよ。悪い案でも、その中に良い発想があるかもしれない。失言と恐れずに発言を求める」
ウバラーダが再度、この苦境を打破する案を出すよう促した。
先の軽率な発言の反動で皆が言葉を選ぶように考え出す。本来こんなはずではなかった。ウバラーダは顔に出すような歳ではないが、獅子の尾が一度絨毯を叩いた。
現在、北エスピレス地方の要害と言えるメルヴィラ市を包囲する魔王陛下の親衛軍は、相対的に戦力が不足して包囲陣形を完全に組めていない。
水路を封鎖して水断ちの一つが出来ている。しかし市内に湧き水、高所に湧く毒性の無い温泉があるので根本的解決になっていない。水不足対策の住民避難は包囲が完全ではないので防げない。
市北側に向けて敵は鉄道建設を実施中である。南側に本陣を構える魔王軍から見ると裏口。これは相対的戦力不足が時間と共に、更に差が開いていっているということ。
裏口を攻撃する時は都市外縁を遠回りに迂回することになる。一度この攻撃は実施されたが失敗した。
失敗の原因は攻撃用の陣地を構築する暇が無く、待ち構える敵砲兵からの先制砲撃を受けて対砲兵戦で負けたことにある。火力劣勢と攻撃の不利がある。
裏口を固めるロシエ本国軍と、工事完了地点までとはいえ高速で送られてくる鉄道機動戦力の追加、惜しまず放たれる潤沢な砲弾が敵の遠慮の無い火力発揮を助けた。
敵の力を支える輸送列車への襲撃も装甲列車と列車砲が相手では、包囲陣形から抽出した程度の部隊では阻止困難。車両の撃破や線路の爆破に成功しても直ぐに次の車両を送り修理して復旧する。破壊された物の始末も脇に転がす程度で惜しがらず。一か所の妨害では一日も停止しなかった。湧いた水が止まらぬような工業力だ。
現在進行中の再攻撃計画は、本陣をメルヴィラ市の東側に移してそこから直接裏口に攻撃しようというものだが、これは芳しくない。
前時代的な戦場なら苦労は少なかったが、現代では敵が配置する強力な長距離砲の射程を考えて、それに撃たれても良いようにと塹壕を掘って、逆襲に備えて堡塁を設けてと苦労が多く、時間が掛かって真に芳しくない。
時間を掛けて本陣を移している間に敵が次の対策を打って、この計画をご破算にしかねない状態でもある。考えて、準備をする時間を与える程に悪いことが起きる。時間制限があると見て良い。
包囲の長期化は攻め手の魔王軍に不利。食糧が不足してきており、輸送手段はマリカエル修道院要塞の部隊に暫時攻撃されて失っていき、もう次は無いと言える状況。軍馬を輸送用に回すか検討している段階。
この芳しくない苦境を打破すべく、予備兵力であるムンタミッド総督のジルバナ州軍四万でマリカエル修道院を攻めたが失敗した。
魔王軍に制海権があれば海路からの補給を受け取り、もっと陸運距離を短縮して輸送効率を上げ、包囲軍の現戦力六万を超える兵力を置きつつ、非戦闘員も置いて臨時の街に市場まで建設して本格的に攻めることも出来るのだが出来ない。制海権の無さは、島のようだと言われるエスナルでは決定的だった。
エスナル海軍はともかく、ロシエ海軍の強力さが恨めしい。
犠牲の多い勝利で南エスピレスの前線を押し上げた。軍民複合の熱狂的な抵抗に消耗を強いられた。物資の現地調達も焦土戦術で防がれている。前時代では石の壁が堅固と見られたが、現代では血の壁が分厚い。
このエーラン再征服戦争に実現可能性を示したペセトト帝国軍であるが、未だに連携どころか連絡も取れていない。皇帝の異形を見たという情報はペラセンタ以来、魔王軍には入っていない。新大陸側のエスナル植民地攻めに戻ったという推測もある。
水上都市襲撃を続けてロシエ帝国が全戦力を最前線に差し向けられないのは彼等のおかげであり、今も尚その状況が続いているので批難するのはお門違い。だが、日時を合わせて同時にとはいかないものだろうか?
残留ペセトト妖精で結成したペセトト団を各地で増やすことで一応は連携を取り始めていると見做せるが、彼等との協力方法は研究中である。上下関係があるわけでもなく軍隊式の命令が通じる相手ではないので組織行動が取り辛い。イレキシとイノラが答えを出してくれればいいが。
とにかく陛下の頭にもこの言葉があるだろう。攻勢限界。
軍議の発言は様々あって、当事者の耳に痛いものがあった。
「マリカエル修道院要塞に対する過小評価がいけなかった」
「ランマルカの大砲の輸入増加と前線配備の優先度を更に上げるべきだ。アルへスタ海峡にある要塞用の超重砲を転用するべきだ」
「そもそも補給基地の数と、支える入植者が前線には足りていない。侵攻作戦という字義に囚われず、武装入植くらいの心持ちで一歩一歩地場を踏み固めれば良い。再征服に時限が無いのであれば十年、百年の計を取って悪いことは無いはずだ」
「メルヴィラ市攻略を優先したのがそもそも間違い。包囲を解除して失敗の傷口をまだ癒せる内に閉じるのが肝要」
魔王陛下の耳にも刺さる発言があった。これが出るのは若く、組織が活発な証拠だ。
「一つ重要な視点がある。敵はロシエ帝国軍ではなく、ロシエとエスナルの連合軍であること。連携、思想が不和を成しているのは南エスピレスの諸戦闘で実感した諸卿も多いのではないか。そこが衝突するような手を打てば思わぬ綻びが見られると考える。
これは情報としては真偽を確かめたものではないが、マリカエル修道院要塞の指揮官であるランスロウ元帥は己が立てた作戦計画を優先するあまりにエスナル人と仲が悪い。あの要塞を、エスナル人を見捨ててでも建築したという経緯がある。南エスピレスの戦いに全く参加していないのが一つの証明。そこを刺激すれば、大軍を動員する前に防衛設計から覆せるかもしれない」
やや突拍子もない情報分析が出た。可能性としては無くもないといったところだが。
これ以上に様々な意見が飛ぶ。ウバラーダが帳面へと膨大な意見を書き入れて、時折整理のために「発言、少々待たれよ」と言って止めて考え込むことが幾度とあった。
■■■
軍議は理想と実現可能性の狭間で議論が長期化する運びとなった。
その中でロシエとエスナルの不和を助長する作戦は準備少なく実行出来るとして、マリカエル修道院要塞のランスロウ軍との間に戦闘経験があるペラセンタ予備軍がまずやってみる、ということになった。
我々の補給業務は、親衛軍がメルヴィラ市への攻撃を差し控えることによって、主に砲弾輸送の減少により大幅に軽減された。その分を戦闘行動に回すことが可能になっている。
ペラセンタの騎士達を集めてこちらでも軍議を行う。
「魔王陛下御前の軍議ではマリカエル修道院要塞圏内で、ランスロウ軍がわざわざ出動する必要が無い規模で民間人へ攻撃すれば救助作戦も行われず、両者の感情を悪化させられるという計算があった。またこれを継続すると、感情の悪化が看過できない規模に達してその方針が改められるのではという推測も立った。改められた上で更に継続するならば彼等は本来の、中央道を封鎖しつつ中東道における親衛軍の補給を妨害する作戦を実行できなくなるという論理に至る。
マリカエル修道院近辺での民間人を標的にした攻撃計画を立てる。これは魔王陛下の命令である。諸々、不安はあろうがとにかく敵に失敗をさせるよう動き続けることは正解だと確信している……意見を聞きます」
エスルキア卿が発言する。
「民間人への攻撃とは、騎士道の範囲内で、ですか」
「エスナル人は全住民を民兵として戦う方法を選択しました。それでも戦う意志の無い者はいます。そこに考慮を置かずに攻め立て、住居や畑を焼いて住めなくさせて追い散らし、難民を作って被害の拡大を殊更に宣伝させます。選んで殺して焼いて、選んで生かして恐怖を広める。確かにサイール騎士道のやり方ではありません」
「では別の方法を考えましょう」
「先の捕虜交換時、ランスロウ元帥はベルリク主義者ではないのだから、という発言をしていました。同意しますが追従する必要は無いと考えます。彼が我々の思考を操ろうとして、意図して発言したとは思いませんが」
捕虜時期の話を出すとエスルキア卿始め、過去にもロシエ軍の捕虜になった経験のある者が意気消沈の気配を見せる。言葉が強過ぎたか。
「こう捉えることもできます。そう言うのだからそうされると困るという事情がある。はっきり自覚していなくても、無意識にして欲しくないと言っていると。精神鑑定のような話ですが、現状に照らし合わせると考慮に値すると思います」
「騎士道に悖る非道を、よろしいのですか?」
「お集まりの諸卿もアレオンでの惨状で、我々の言葉ではありませんがベルリク主義という残酷な戦争哲学を目にして反発を覚えていることでしょう。実際に戦った、人々を救助した等の経験がある者もいるでしょう。それでもやらねばならない時があります。攻撃を仕掛けているという状況において、我々は追い詰められました。窮地においては窮地にいるなりの行動を取らねば名誉以前に命が無く、再征服も達せられません。我らが首の無い天使の旗の、首を繋げることが出来ません。
民間人へ攻撃を仕掛ける部隊は、まず志願者のみで編制します。また始めは少数精鋭の騎兵のみで行って段取りを確認します。補給部隊の護衛は引き続き、ランスロウ軍以外からの妨害もありますので砲弾の量が減っても厳重なままで続けます。
民間人への攻撃部隊は私が指揮を取ります。名誉を損なうというのであれば私がまず失います。思うところがあると思いますが、イッスサー卿は引き続き補給部隊をお願いします。貴卿をそこから外すことは出来ない」
「あい分かった。大将」
補給部隊を管理するという知識と経験を攻撃作戦で無為にするのは騎士道以前の問題である。彼の意思はともかく、ここは飲んで貰うしかない。
しかし”大将”などと、意地が悪い。
「エスルキア卿、貴卿にも思うところはあるでしょうが、あえてこちらに同行して下さい。私と別のことを考えている人物は必要かもしれません」
「それでは同行します」
騎士達に最低限の模範を示すために来て貰う。打算が臭うか?
「こちらから指名するのはその二人まで。他は、非道の攻撃に参加される騎士は挙手を」
サイール騎士道、道理に反すると思えば意地でもやらぬと我がままを通して良い。そしてやるとなれば死んでもやるという頑固さがあってこそそれが許される。
挙がる手、顎を触る手、膝に置かれた手、様々。
「機会があれば再度、諸卿に参加を問います」
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マリカエル修道院要塞周辺の町村部への非道なる攻撃、騎行戦術を開始。こういった敵国の弱いところを残酷に襲撃するのは騎士ではなく、無報酬の代わりに略奪を許可された非正規騎兵の役割というのが慣例だった。魔王軍には、少なくともエスナルへの渡海戦力には存在しない。
町村部への襲撃は偵察と軽い包囲機動から初めて、常時小銃を手にしているような見張り要員へ目星を付け、連絡を出来るだけつけてから同時刻同時襲撃を行う。
まずは騎士による飛ばし矢での長距離狙撃で見張りを、番犬から狩る。
異常を察知して戦おうとする者と、避難しようとする者に分かれる。ここは戦おうとする者をまた狩る。
一当てを繰り返して戦闘員、消極的戦闘員、非戦闘員を分離していく。エスナル人の士気の高さを利用して前後に分離し、殺さなくて良い頭数を減らす。
包囲を狭めながら畑を焼き、家を焼き、倉庫を焼く。食糧も焼いて地面に撒いて馬で踏み鳴らして土砂と混ぜる。逃げる非戦闘員は追撃しない。
降伏により獲得してしまった捕虜の扱いは少し迷ったが、武装解除して放逐。少数精鋭では面倒が見切れない。あまり殺してしまってはランスロウ元帥に悪評を擦り付けるのが難しい。かと言ってベルリク=カラバザルのような目玉抉りは我々に、非道と言えども出来ない。
遊牧民出身の騎兵に羊、山羊、牛、馬など草原の家畜をまとめさせる。豚や家鴨など連れて行けない家畜は殺処分しつつ腹を裂いて井戸など水源に投じて汚染する。
とにかく住民に住処へ戻れないようにする努力、騎士道に反するような行いを繰り返す。騎士道の師や同輩、叙勲して下さった亡き皇帝陛下の顔が過って言い訳を考え始めてしまって気分は悪い。
休息の時間にはサイール騎士道とは何ぞや? という哲学論が、この時にこそ盛んになった。エスルキア卿のようなあまりにも若く――何と聞けば十代後半で力を継承した者も――理想が空回りするように熱い。その割には合理的なことも言って隔世の感があった。
正々堂々として筋を通すもの。
権謀術数を軽んじてならず、間違った筋まで通すのはおかしい。そもそも筋とは誰が定めるのか?
正直さと誠実さを重んじるもの。
馬鹿正直さは愚かさで、誠実さは時に頑迷さに繋がって目的を見失う。であれば意志の薄弱さとは?
正義と名誉は誇りとするもの。
正義とは常に変動している諸刃の剣のようなもので、誇りは傲慢さに繋がりかねない。しかし傲慢と見えた者がその場の独裁者として最適であれば?
まずは武芸を嗜んで達人であること。
武芸に通じていなくとも筆や算盤に優れ、弁舌や政治に優れていることでも騎士として評価されないのはおかしい。騎士の概念とは何だ?
義務を負ったら全うすること。
騙されて強制されて父祖の代からだと考えもせずに、理不尽な義務まで全うするのは真の騎士の姿だろうか。魔神、皇帝、魔王ですらその疑いの対象か?
騎士であればまず勝利を追及すること。
勝利の基準が常に明確ではなく、論功の過程で怠惰と評されるようなことがあったとしても真の評価が出来る者が存在するか。不名誉な勝利は勝利か?
方向性はあるものの明確な答えというのは、サイールで騎士道という言葉が出た頃から出ていなかったと記憶する。一つ、個人的に決定的だと思う言葉としては”議論が続く限り騎士道は不滅”というものだ。議論の最中、どこでこの言葉を引用しようかと待ち構えていたこともある。
ランスロウ元帥が、ロシエにもある騎士道精神から、やはり住民救助にと軍を差し向け、醜い戦いを繰り広げる我々をも救ってくれはしないかとも甘い考えを思い浮かべた。
住民を追い出し続けた結果、各町村に散らばったエスナル正規兵、民兵が集まって一団を結成したこともあって野戦を仕掛けて撃破した。それでもマリカエル修道院要塞のランスロウ軍は彼等と我等を無視し続けた。イッスサー卿が管理する補給部隊への襲撃は相変わらず行われていた。
一つ工夫。マリカエル修道院要塞と補給部隊間にある町村を襲撃した場合、ついでにこちらへの攻撃を仕掛けてくるかどうかである。
試してみたところ、見事に我々を抑えようとしなかった。無視はせず、警戒部隊を置き、偵察部隊を出し、飛行船で常に見張るという行為をしながら一切我々には手を出して来なかったのである。ランスロウ元帥とこちらとで何か共謀しているのではと思わされてしまいそうになるほどだ。
徹底している。規律の高さと、ある種の狂気も感じられた。国は守っても国民は守らないという意志が伝わった。無用な消耗の抑制は悲劇より優先された。
エスナルはロシエに臣従したばかりである。互いにどう良い顔をして、どうわがままを言い、どう悪態を吐けばいいか分かっていない。
この騎行戦術を続行していけばランスロウ元帥は更迭されるのではないか?
メルヴィラ包囲中の魔王陛下の親衛軍もこれからどうするか。
やはり、攻勢限界。しかし希望はまだある。
南大陸軍は西岸側の黒人国家を全て滅ぼしたのでこちらに転用出来る。
魔神代理領からの魔戦軍は増強中で人的資源に困っているわけではない。予定では魔神代理領側から強力な魔戦軍指導者がやってくる予定。
エスナル南部を占領地から策源地に移行する植民事業が順調に進んでいる。ランマルカ式――帝国連邦と共通規格――の鉄道網の整備が測量段階だが進展中。
ペセトト帝国によるエスナル植民地征服を妨害する勢力は現状存在せず、進展する度にこちらの戦線に回航してくる可能性。
帝国連邦によるベーア破壊戦争の影響は何とも言えないところ。ロシエとベーアを分断するのか融和させるのか、どちらにも作用しそうだ。
今は綺羅星のような成果を望まず、汚く地べたを這うように敵の人口を減らして、奪っていくしかない。
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長引いた軍議、実行可能性を検討して計画された作戦が実行される。
魔王陛下の親衛軍を後退させるための支援作戦の一つとして、ムンタミッド総督のジルバナ軍によるマリカエル修道院要塞への再攻撃だ。
親衛軍が後退するにあたり、機動力と戦闘力双方を兼ね備えたランスロウ元帥の独立戦略機動軍という存在は不安要素の結晶体。一万に満たない兵力だが理術装備率はロシエ軍の中でも随一であって数だけで評価出来る戦力ではない。これまでの戦いで理解している。
ランスロウ元帥の評判を下げて更迭させる流れを掴もうとしている中で逆行するか追い風を吹かすかは分からない。ただ、ランスロウ軍の消耗と弱体化、戦線から離脱して再編せざるを得ない状況に追い込むことは、次の戦いに影響すると思われる……何もかも不確定。
マリカエル修道院要塞を再攻撃するジルバナ軍二万五千の支援に参じる各予備軍の戦闘部隊一万が結集。
ペラセンタ予備軍からはそのまま我が騎行部隊が出陣する。再度騎士達には参戦するか問い、多くの者達が集まった。まともな戦ならば迷える騎士道も定まる。
前回の要塞包囲は、広く全周囲を時間を掛けて囲うことによって失敗している。
今回の要塞攻撃は、正面に三本の縦隊を構築して大砲の集中運用で土塁と凝固土の城門城壁を一点突破で破壊し、数的優位を持って突撃して一気に勝負を決めるというもの。
中央縦隊は数任せに突破口が開いた後に突撃する。雑というか単純というか純粋というか。
左右の縦隊は中央縦隊への側背面攻撃の阻止のためにおり、突撃兵力の予備も兼ねる。
ペラセンタ予備軍騎行部隊は、三本の縦隊より外側で、マリカエル修道院要塞から出撃してくるかもしれない逆襲部隊の警戒と阻止、遅滞をする役目を負った。各予備軍の仕事はこれだ。
軍議には最後まで参加していなかったので全容は不明だが、あまり良くない雰囲気がする。”筋の悪さ”は見る方角で違うが。
ジルバナ軍の行動をお見通しのように、要塞が視界に入る前から敵飛行船による焼夷弾爆撃が中央縦隊に向けて行われる。火の雨が降って、火の海が広がって、弾火薬に誘爆して火の花が咲き、火だるまの人馬が暴れ、火災の黒煙で逃げ惑うという景色。
砲兵陣地など構築していては対砲兵射撃で負けるということで、夜間に砲兵は行けるところまで馬や駱駝に大砲を牽引させて、敵が打ち上げる照明弾の灯りの下で砲撃を受けながら前進。死と轟音の恐怖は喚声で薄まる。
『ズィブラーン・ハルシャー!』
『バラーキ・カイバー!』
家畜が死んだり混乱すれば人力で、とにかく前進しては直接照準射撃で城門城壁に砲弾を撃ち込むという肉弾突撃式の砲撃が敢行された。中世のように、矢ならぬ破片避けの置き盾が無数に持ち込まれる。
膨大な損害が出続ける。大砲も砲兵もここで使い切ってしまおうという気配さえ見せる。ここまでやけくそ気味になる必要があるか?
突撃式の砲撃も損害過多で鳴りを秘める中、夜間になり損ないの――魔なる眷属に連ねるべきではない忌むべき存在――虫人雑兵が疾走し、こちらの砲撃によって穿たれた城壁の破孔へ到達。得るべきではなかった単純な愚かさと従順さから爆薬を詰め込むように設置し、ロシエ兵に散々撃ち殺されながら自爆。
夜が照らされる火柱が上がって土と凝固土が吹き飛んで虫人雑兵の生き残りの多くを巻き込んで潰して土と撹拌して飛ばす。
低くて分厚い城壁はそれでも大きな突破口が生じるとまでには行かなかったが、筋の悪そうな今回の作戦では遠慮が無かった。
中央縦隊が突撃ラッパと同時に前進を開始する。
『ズィブラーン・ハルシャー!』
『バラーキ・カイバー!』
城壁大爆発の衝撃からロシエ兵の抵抗は一時小康状態となっていた。
中央縦隊が突破口に到達し、崩れて斜面になった土の上に梯子を掛けて登っていく。梯子の先にもまだ土の斜面が続くこともあれば、内部通路の内壁が足場にもなる。そこが破損していれば内部へ突入。
続々と中央縦隊の構成員が広い要塞内に飲まれていく。機関銃の連射音が多重に鳴り、霧でも出たかのような猛烈な催涙瓦斯が巻き上がる。
こちらの兵がやったか敵が意図的にやったか不明だが、猛烈な火の手が上がって黒煙、火の壁が吹き上がる。
これは成功か? 小細工を捨てたムンタミッド総督の思い切りの良さを賞賛するべきか。
中央縦隊のほとんど、一万名以上がそっくり中に入ってしまった。マリカエル修道院要塞は元の建物に比べて面積が広いのでそのくらいは余裕で入ってしまうが。
左右の縦隊も追加で要塞へと突入を開始した。内部から制圧した城門が開かれ、多方面から入り出す。
遂にムンタミッド総督から我が騎行部隊に折を見て突入せよとの命令が、伝令を通じてやってきた。
要塞から脱出する敵の捕捉や、解囲の敵増援部隊の警戒は重要。要塞への過度な人数での突入は効率が悪い、と反論する伝令でも返そうかと考えたが指揮権はあちらにある。
騎士道を発揮して命令を拒絶するか。
騎士道をゆるやかに曲げて言い訳をして様子を見るか。
騎士道を奮って突撃するか
中々悩ましいことを言ってくれる。
伝令には、要塞内部の戦況を伝えてくれなければどうしようもない、という返事をさせにムンタミッド総督へと差し戻すことにした。
そして要塞のほぼ全周の城門が制圧された頃に伝令がまたやってきて戦況を説明してくれる。
地表部はほぼ占領。城壁内部及び地下通路が異常に広大で制圧が進まず、機関銃、焼夷弾、催涙弾による待ち伏せ攻撃で死傷者多数。死体で通路が埋まって進めなくなっているとのこと。
人手が欲しいことは分かった。そんな目詰まりしているようなところへ突入しろと言う。きっと敗北と負傷で頭に血が上っているであろうあの州総督に文句を付けたくなるが、ここは騎士道で黙る。苦戦で引き下がるのは勇気が無い。
騎行部隊を開いた城門に向かわせ、馬を降りて管理する者に任せて徒歩で慎重に突入する。
防毒覆面が無ければ呼吸も出来ない程に催涙瓦斯が残留。魔術使いが風で追い出しているが、発煙中の瓦斯弾がそこら中に転がり、無数にある地下出入口や換気孔から焚き上がってキリが無い。
足元には抉れた土、死傷者と肉片、布片、木片、金属片だらけ。筆ばかり握って、死体とその分かれ身を踏まずにいられない戦地は久し振りだ。
ロシエ兵は少なく、多くのジルバナ兵が機関銃掃射で薙ぎ倒され、砲弾で砕かれている。城壁内側は侵入者を挽肉にするよう銃眼、砲眼が多角的に配置されている。城壁に配置されている大砲は外にも内にも向けられるようになっていた。
要塞内部は広く、内城壁も迷路のように立ち、用途不明のしかし無用であるはずのない土盛りや建物に穴が無数にある。使われなかったのかこれから使うのか分からないものだらけ。地面のちょっとした段差をよく見れば下水口のような銃眼まで存在している徹底ぶり。
その下水口のような銃眼の向こうにいたロシエ兵と目があった。連発銃で即射殺、牽制に連射。その間に手榴弾を持っている者を呼んで中を爆破させる。これからは自分も手榴弾を二つ三つは持参した方が良いな。
『ケリャリャリャリャリャリャ!』
何の奇声かと思っている内に、用途不明の壁の偽装が取り払われ、黒人の女兵士達が一斉射撃をした後に小銃を捨てて山刀を持って突撃してきた。
驚いた者は状況を理解する前に滅多打ちにされて頭が削られる。
虫人騎士はこれで動揺せず、それぞれ銃で撃ちながら刀槍も手にして刺し切り打ち殺す。
黒人兵の衝撃は中々だったが、武芸に嗜んだ動きとは遠かったので冷静になればそこまで脅威では無かった。
壁内通路と地下通路、どちらに突入すべきか悩んでしまった。各所にジルバナ兵や虫人雑兵が突入している上に死傷者が重なって渋滞している。ただ中に入っても機関銃の的になるだけ。
それから警戒すべきは用途不明の、伏兵が隠れているような手付かずの施設が多過ぎること。戦列装甲機兵とあの、犬もどきの機械駄獣が見当たらないことも懸念だ。マリカエル修道院要塞周辺を馬で警戒していた時は見かけなかった。
定期的に黒人兵が潜んだ位置から現れては一斉射撃からの白兵戦という行動が繰り返される。恐れず憎悪を込めて向かって来る。連発銃を撃って友軍を支援しながら棍棒で撲殺。
それから、地震!?
視界が棍棒で潰した黒人兵の頭で一杯になっていた時で状況が一瞬掴めなかったが、周囲を見れば土煙が上がって肉交じりの土砂が降る。我が騎行部隊を始め、穴に入り切れていない突入部隊の兵士達が潰れて弾けてあちこち切断されて飛んでいた。
砲撃か! ランスロウ軍はこの要塞を、挽肉を作る擂り鉢にしたということが分かった。
「全軍撤退!」
全軍とは全軍、指揮系統を無視して全軍。
■■■
マリカエル修道院要塞から撤退する騒動の中、あのとどめの砲撃がどこから撃ち込まれたかは遂に分からなかった。
あれは地雷の炸裂ではない。用途不明施設にも爆弾が仕込まれていたとも思うが、長時間砲弾が上から叩きつけられていたのでやはり砲撃。
きっと、近くもなければ遠くも無いところに隠蔽された地下砲兵陣地でも備えていたに違いない。それくらいは発想と時間があればやれる。
地下と城壁内の全容を我々は把握も出来ていない。要塞の内外に人と兵器を退避させるに十分な空間があってもおかしくはない。
要塞攻撃段階からの撤退後、陣を完全に引き払って南側、後方の補給基地まで後退する段取りを決めることになって悪いことが重なった。
ジルバナ州総督ムンタミッドが人事不詳に陥る。魔術による治療で見た目上の火傷は治って感染症も防がれたが、身が削れた分の体力の消耗、連日の過労、重要な包囲戦指揮を執った心労、失敗の後悔、南大陸でもよくある程度の気温とはいえ辛い夏の猛暑に見舞われ、寝込んで唸るぐらいしか出来なくなってしまった。魔族ではないし若くもなく、先が見えている。術の才能があったとは聞いていないから瀕死の底からの魔族化は……立場ある彼を白痴のなり損ないにすることはないだろう。
ジルバナ軍の副司令官が指揮を引き継いだことを確認し、自分は死傷者の回収交渉をしに行く許可を貰った。
単騎で、先にやったように非武装――防具は十分に厚着でつける――で白旗を掲げて粉砕されていないマリカエル修道院要塞の城門前へ向かった。
死体と区別の無い負傷者が意識を取り戻して立ち上がる姿が見られる。間接的な恨みを晴らすよう絶叫しながら死体か生存者か確かめるために銃剣を突き立てている黒人兵もいる。南大陸での復讐をここで少しでも遂げたいらしい。
戦場から熱も臭気も収まっていない状況で出向くのは危険だが、そうしなければ死体突き、八つ当たりの犠牲者が増えるというものだ。
堂々と要塞に近づく。黒人兵がこちらに向かって銃撃してきて、服や兜、甲冑にかすり、当たる。手の平を向けて”止せ”という意思表示だけしておく。反撃はしない。
馬も銃弾に倒れ、降りて歩いて、合計百発は交差射撃を受けたぐらいでロシエ兵が黒人兵を止め始めた。白旗も一戦終えた連隊旗のように穴が開いてしまう。
ランスロウ元帥が出て来るかと思ったが姿は無い。代わりのように出てきたのは正規の軍服ではなく階級章も無い、古くは軍服で礼服扱いだった、槍と秘跡探求修道会の騎士装束姿をしたフレッテ人女性が要塞から出てきた。胸に付けた勲章も宗教的な物に限定。
女騎士は髪が珍しい老いていない銀色で、礼をし合う前に黒い遮光眼鏡を相手が外して見せた瞳孔はそれ以上に珍しい赤。
「これは、間違いなければ赤目卿と呼ばれた方ではありませんか?」
「そう呼ばれたりもします。アリル卿はご無事ですか。相当撃たれましたね」
「この通り……」
服は補修程度でどうにもならないくらい裂かれてしまった。外骨格も痛痒いところが多い。射撃が下手で助かった。
「……エルジェ、エラニャックの戦い以来ですね」
ロシエ風の地名は頭の中で引っかかって直ぐ出てこない。
「ロセア卿が出世した方の戦いですか。それは懐かしい」
「あの時に私は財産を喪失しました。おかげで中央官僚に行く機会が出来て、戻って来ました」
色々と見たいものが見れて、見たくないが見るべきものが見れた……魔都を焼き、二代目を隠した龍朝天政め。あの異形の兵士共、未だに夢に出て殺し足りない。
バース=マザタール殿が大宰相である限りは賢く妥協する魔神代理領であるだろう。野心的な魔王陛下ならば何れは……。
「私は初陣でしたよ」
「初陣でしたか。しかし、既に異名がついておりましたね」
「闇討ちは別です」
「なるほど、そうか、そうでしたね。暗殺騒ぎが多かった、確かに多かった。そんなこともありましたね。今回はされていないようですが」
「子守ですから」
不思議な言葉に、頭に受けた銃弾が相当効いているかと勘違いしそうになった。
「はっはっはっはっは! あの貴女が、そうですか!」
笑ってしまう。あの赤い目を更に血走らせたような殺意の塊の狂った獣みたいな者が、首筋に噛み跡残して失血死させる吸血鬼伝説風の暗殺を披露していた者が今は子守!? 孫でも出来て丸くなったのだろうか。
「要件を伺います、アリル卿」
「失礼……」
敵意の無さを強調し、横合いから飛んでくる銃弾を無くすための雑談は切り上げよう。
「……死傷者の回収がしたいので交渉に参りました。埋葬もしたいし、連れて帰りたい。生存者を捕虜として確保したいのならばランスロウ元帥と話し合いたいところです。それから、生存者を殺す作業には直ちに中止命令を出して頂きたい」
「死者の回収は許可します。生存者は捕虜にします。中止命令に相当する指示は事前に出ています。交渉は、特別そちらからの何がしかの譲歩、提供が無い限りはしません。ランスロウ元帥はこう言っております」
「私はもう一度捕虜交換交渉をしたいと思っています。ランスロウ元帥の言葉、こちらの司令官へ伝えに行きますのでよろしいですか」
「その前に馬を差し上げたいのですが……そこの君」
「はいギスケル卿!」
声を掛けられた捕虜発掘中のロシエ兵の一人が少年みたいに駆け寄ってきた。顔は三十代前半頃。
これはまるで”軍の母”だ。こんな息子達がいるわけだ。
「私とランスロウ元帥の名前を出して構いません。馬を一頭貰ってきてください。こちらが、こちらのアリル卿の馬を殺した弁済です。駄馬ではなく歴とした軍馬ですよ」
「はいギスケル卿。軍馬をお持ちします!」
少年に戻ったロシエ兵が死体に蹴躓きながら要塞へ走って行った。
「助かります」
「当然です」
馬を待つ間、沈黙。負傷者達が唸ったり喚いたり、黒人兵は大声で暴れ、捕虜の殺害は止められるが殴打ぐらいは止められない。死体が並べられ始め、武器が一か所に積まれていく。
虫人騎士と雑兵が同列に並べられている。何か言おうか、区別するのは騎士道か? 共に死んだ仲間に序列を付けるのは違うか。
「アリル卿はまだ戦いを続ける心算ですか?」
言われそうで言われない言葉を赤目卿から不意に掛けられる。魔王軍の現状の一端でも掴む心算だろうか。
こう返そう。
「”天使の手は山頂で掴む”。私はエーラン人だ」
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